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実存主義哲学と違う、まったく新しい人生の意味への哲学的アプローチ/森岡正博・蔵田伸雄編『人生の意味の哲学入門』

 「自分が生きることに意味はあるのか?」とふと思ったことがある人は多いはず。そして哲学はそういったことを考える学問だというイメージもあるようです。実際、実存主義の哲学では生きているこの私から哲学を始めますが、生きる意味を問うための哲学というわけではありませんでした。しかし、人生の意味を問うための哲学が21世紀になって英語圏で盛り上がりを見せています。それを紹介するのが『人生の意味の哲学入門』(森岡正博・蔵田伸雄編)です。その「まえがき」を紹介します。

 



少し長いまえがき

 この本は「人生の意味の哲学」についての「入門書」である。しかし自分の人生には意味がないのではないかと悩んでいて、「自分の人生に意味があるかどうか知りたい」と思っている人が、この本を手にとったとしても、多分失望することになるだけだろう。この本には「どのような人生が意味のある人生なのか」ということが、具体的に書かれているわけではない。この本の筆者たちは、自分たちの研究の結果として「人生の意味」を明らかにしたので、それを読者に伝えようとしてこの本の各章を書いたわけではない。この本は、「人生の意味について問う」ということ自体がどのようなことなのかを、哲学的に考察した結果を示すことを目的としている。

 また哲学についてある程度の知識のある人なら、「人生の意味」についての哲学ということで、パスカル、ショーペンハウアー、ニーチェ、キルケゴール、ハイデガー、ヤスパース、サルトル、ボーヴォワール、ヴェイユなどによる「実存主義哲学」、あるいはベルクソン、ジンメル、ディルタイ、オルテガらの「生の哲学」を想起する人もいるだろう。だが実存主義哲学の入門書を期待して本書を購入したのに、これらの哲学者についての言及が少ないということで、これは違う、ととまどう人もいるだろう。確かに本書でもパスカル、ショーペンハウアー、ニーチェ、ハイデガーといった哲学者への言及はある。しかしこの本で一章を割いた哲学者は、「実存主義」に分類されることは少ないウィトゲンシュタインだけである。本書で主に紹介するのは、そのような既存の実存主義哲学とは異なる、「人生の意味に関する分析哲学的な」アプローチである。

 内外を問わず、専門的な哲学研究の外部の人からは、哲学とは「人生の意味」について考えるような学問だと考えられてきたにも拘わらず、専門的な哲学研究の中では「人生の意味」についての考察などは日記の中に(最近だとブログや各種SNSに)書くようなことであり、およそ専門的な哲学者が論じることではない、とされてきた。哲学研究の手法は厳密なものでなければならず、「人生の意味とは何か」といった問いは曖昧かつ主観的なものなので、厳密な哲学研究にはそぐわないと考えられてきたのである。だが、現在では専門的な哲学研究の中に、「人生の意味」について分析哲学的手法を用いて厳密に研究するという潮流が生まれてきている。本書はその一端を紹介するものである。

 この本が「入門」であるとされているのは、本書がここ数十年の、主に英語圏の「分析哲学」とも呼ばれる分野の中から出てきた「人生の意味」に関する議論の紹介でもあるからだ(本書でたびたび言及される哲学者であるD・ベネターは、この潮流を「分析実存主義」と呼んでいる)。森岡による第2章でも紹介されているように、R・テイラーの「シーシュポス問題」の提起とT・ネーゲルによる「人生の無意味さ」に関する論文を皮切りに、英語圏の「分析哲学」の中でも1970年代ごろから、「人生の意味」について取り上げられるようになってきた。かつては「分析哲学では実存は語ることはできない(あるいは分析哲学者は人生の意味について語らない、または分析哲学の領域では人生の意味を語ってはならない)」とされていた。しかし、もはやそうではないと言ってよい。英語圏ではこの分野に関してすでに膨大な文献が発表されている。いくつかの入門書も出版されているし、オックスフォード大学出版会からはハンドブックも出版されている。しかし日本ではこの研究動向については一般にはほとんど知られていないように思われるし、専門的な哲学研究者の間でもあまり知られていないように思われる。特に近年、英語が得意な研究者や学生はこの分野の文献を英語で読んでしまうこともあり、関連する文献の翻訳もそれほど進んでいない。伊集院利明氏による著作などの例外はあるものの、専門的な研究の成果となる著作や論文等も少ない。

 この本の中で頻繁に登場する現代の哲学者としてT・メッツがいる。メッツの名は哲学の専門的研究者の間ですら、ほとんど知られていないだろう。メッツは特にオリジナルな主張をするというタイプの哲学者ではない。しかしメッツは1970年代以降の、英語圏で書かれた「人生の意味」に関する膨大な数の論文をサーベイし、それを検討する論文を発表し続けている。この分野におけるメッツの功績は大きい。2013年には彼のそれまでの研究の集大成ともいえる『人生の意味』Meaing in Lifeが刊行され、この分野の議論の輪郭を示しただけでなく、メッツなりの結論も出している。なお、メッツはこの書に先んじてウェブ上の哲学事典である「スタンフォード哲学事典」Stanford Encyclopedia of Philosophyに「人生の意味」(“The Meaing of Life”)という項目を執筆している(2007)。このようなメッツの研究については伊勢田哲治氏が、著書『哲学思考トレーニング』(2005)で紹介しており、この伊勢田氏による紹介が私の知る限りでは日本における最初のメッツの仕事の紹介である。本書のもう一人の編者である森岡がメッツに連絡をとり、メッツからは現在も研究の協力を得ている。

 また本書の第6章や第11章では「反出生主義」について扱っている。「人は生まれてくるべきではない」あるいは「子を産むべきではない」とする反出生主義に関する問題は厳密に言うと「人生の意味」とは異なる研究テーマではあるが、反出生主義という主張は「人生の意味」に関する議論と密接に関わっている。D・ベネターはこの反出生主義の旗手であるが、「人生の意味」に関する分野でも著書や論文を発表しており、本書の第3章ではベネターの「宇宙的無意味さ」についての議論が紹介されている。ベネターも自らを分析哲学者として位置づけており、彼の「人生の意味」に関する議論も分析哲学的なスタイルで進められている。

 さて、このように本書は「分析哲学的な、人生の意味の哲学の入門」という性格の著作である。しかし「人生の意味」についての哲学「入門」は「分析哲学的言語哲学入門」や「分析哲学的現代形而上学入門」といった書物とは性格の異なるものとならざるをえない。多くの場合「人生の意味」とは「自分の人生の意味がわからない」といった深刻な悩みの中で問われるものであり、そのような問いは個人の人生や実存と切り離すことができないものであるからだ。人生の意味についての問いとはまさに「呪い」であり、本書の第1章で述べられているように、それを考えなくてすむならそれにこしたことはない。このような人生の意味についての問いは、自分の生と切り離すことの可能な普遍的・客観的な「学問」となることを拒むという側面がある。哲学が学問であるからには、客観的・普遍的なものでなければならないが、客観化・普遍化してしまうと同時に、「自分にとっての人生の意味とは何か」という問いではなくなってしまう。第10章で山口が主張しているように、「人生の意味についての問い」とはどのようなものかを他者の言葉によって理解することはできず、したがって「人生の意味の哲学」への「入門」も不可能なのかもしれない。だがそれでも本書は「自分の人生の意味について問うとはどのようなことなのか」ということについて、考えるきっかけにはなるだろう。

 「哲学」によって人生の意味を知ることはあまりないのではないかと思う。小説や詩やノンフィクション、あるいはマンガを読む中で、自分の人生にも何らかの重要性があることを知る人や、自分の人生に目的を見いだせることを知る人、自分が生きてきた人生の物語の「意味」を理解する人もいるだろう。また映画や芝居、あるいはテレビドラマやアニメを観る中で、人生の意味がわかったと感じることもあるだろう。美しい風景を見て自分が生きてきた人生の意味を知る人もいるだろう。だがそれと同じように「人生の意味について哲学的に考える」という営みの中に、人生の「意味」(喜びや重要性)を見出す人もいるだろう。本書はそのような人のために書かれたものでもある。

 本書はこの種の他の図書と同様にどこから読んでもらってもよいのだが、章の順番は工夫してある。村山の第1章はこの分野についての専門的な知識のない方を想定して書かれており、次にこの分野の今までの議論の概要を紹介した森岡の章が続く。その後の章は順に専門的な内容を扱うようになっており、第8章の久木田の章はこのような「分析哲学的な人生の意味の哲学」の前提について批判的に検討している。その次の古田の第9章ではこの問題が「分析哲学的」であると同時に、「分析哲学」を越えたものでもあることがウィトゲンシュタインに即して論じられている。そして山口の第11章と森岡の第11章はこのような「人生の意味の哲学」の性格そのものについて論じている。

 本書は全体的に「入門書」としては難しめのものになってしまった。哲学についてあまり知識のない方や、哲学の入門講義などを受けたことのない人にとっては、少しわかりにくい本になってしまったのではないかと危惧している。ただ哲学についてある程度の知識がある方にはこのような分野の研究がある、ということを知ってもらうことができるだろうし、そうでない方にも「人生の意味」について「哲学的に」考えることを体感してもらうことは可能であると思う。その点でこの本は哲学実技の本だと言えるかもしれない。そして編者の一人として断言できるが、この本はともかく「面白い」。

 それでは、「人生の意味とは何か」という「呪われた問い」について考えることから始めて、誕生肯定という祝福に至る道筋をたどってみてほしい。


書籍

 


『人生の意味の哲学入門』森田正博/蔵田伸雄 編

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