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〈メイド・イン・ジャパン〉の食文化史 畑中三応子

狂牛病パニック――戦慄するヨーロッパ

 その病気の牛がはじめて報告されたのは、1986年11月のイギリスだった。痙攣してよろよろ歩いたり、口から泡を吹きながら攻撃的な行動をとったりするところから、「マッド・カウ・ディジーズ(mad cow disease)」、狂牛病と呼ばれるようになった。

 発症からかならず半年以内に死に至る。脳を顕微鏡で見ると神経細胞に穴がぼこぼことあき、組織がスポンジ化していたことから、正式名は「牛海綿状脳症(Bovine Spongiform Encephalopathy)」と命名された。略して「BSE」である。

 日本では、はじめて国内発生した2001年までは、メディアはほとんど「狂牛病」の俗称で報道し、発生後から「BSE(牛海綿状脳症)」という呼び方のほうが優勢になった。対岸の火事だったころは、「狂う牛」という、いかにも不気味なイメージの名前でヨーロッパの情勢を煽情的に伝え、そうではなくなってやっと深刻に捉えられるようになり、正式名で風評の沈静化を図った印象がある。ここでは、その時系列に沿って、狂牛病とBSEを混ぜ書きする。

羊から牛、牛から猫へ。では人間は?

 200年以上前からヨーロッパで知られていた羊の病気に、「スクレイピー(scrapie)」がある。脳神経が冒され、体がブルブルと震えてまともに立てなくなり、立木などに体をこすりつけ(scrape)、立とうとすることからこの名がついた。狂牛病の症状はスクレイピーと酷似していたため、感染した羊の死骸を使用した肉骨粉入りの配合飼料が与えられたため、羊から牛に感染した可能性が高いと考えられた(注1)

 肉骨粉とは、家畜と家禽から食肉を取ったあとの残りの骨やくず肉、内臓、脳、血液などを加熱処理後、乾燥させて粉末にしたもので、農作物の肥料や家畜、ペットの飼料に利用されてきた。狂牛病の発生後、日本でも広く一般に知られるようになった名前である。羊と牛は本来、草食動物だが、肉骨粉を与えると成長が早まり、残りものを無駄にせずリサイクルできるメリットも大きかった。

 スクレイピーが人間に感染した例はなかったため、当初は狂牛病も人間には感染する危険はないとされた。ところが1990年4月、感染牛の肉が原料と思われるペットフードを食べていた飼い猫が、同様の症状で死亡したことがわかったのである。脳はスポンジ化していた。「安全性が確認されるまで、イギリス国民は牛肉の摂取を控えるべき」という記事が、タイムズ紙に載った直後だった。ニュースはセンセーショナルに報じられ、「猫にうつったのだから、人間にもうつるかもしれない」と、イギリス人を震撼させた。

 最初に発生した86年から、発症数はうなぎ上りで急増中だった。国民の多くが牛肉を食べることに恐怖を感じるようになり、給食のメニューから牛肉をはずす学校や病院、老人介護施設が続出。牛肉の人気は急降下し、スーパーでの売上は50パーセント以上も減った。

 「ビーフイーター」と呼ばれるくらい、牛肉好きのイギリス人にとって、国難といってよいほどの一大事である。しかし、イギリス政府は牛肉の人体への影響を否定し、農業大臣のジョン・ガマーが娘と一緒にテレビに出演し、カメラの前で娘にハンバーガーを食べてみせて安全性をアピールした。どこかで聞いたような話である。

人間にも狂牛病そっくりの脳症があった

 スクレイピー、狂牛病とよく似た人間の病気に、「クロイツフェルト・ヤコブ病(以下ヤコブ病)」がある。おもな症状には、認知症、痙攣、行動異常、歩行障害、視覚障害などがあり、やっぱり脳がスポンジ状になる。進行が非常に早く、発症から半年以内に自発行動がなくなって寝たきりの状態になり、100パーセントの確率で2年以内に死亡する。治療法はいまのところない。「プリオン」と呼ばれる感染性がある異常たんぱくが脳に蓄積して、神経細胞を壊していく恐い病気だ。

 ヤコブ病の症例が報告されたのは、1920年代と早かったが、病原体は寄生虫でも細菌でもウイルスでもなく、体内のたんぱく質そのものにある、という仮説が立てられ、本格的な研究がはじまったのは70年代だった。

 プリオンは、1997年度のノーベル医学・生理学賞を単独受賞したアメリカの医師・生化学者、スタンリー・B・プルシナーが、protein(たんぱく質)とinfection(感染)をもとに、82年に造語した言葉である。 proteinaceous(タンパク質性)+ infectious(感染性の)+ particle(粒子)の略語だが、そのままだとproin(プロイン)になって語呂が悪いため、oとiの順番を逆にして、prion(プリオン)になった。「感染性たんぱく粒子」と訳され、プリオンによって起こる病気は「プリオン病」と呼ばれる。

 ヤコブ病は、1年に100万人にひとりの割合でしか発症しないが、それ以上の高い比率で発症したプリオン病に、「クールー病」がある。おそらくは重要なたんぱく源として、死体を食べる習慣があったパプア・ニューギニア高地の先住民、フォレ族のあいだにだけ見られた病気だ。クールー病が発見されたのは第2次大戦後だが、人肉食は20世紀に入ってからはじまり、最初の患者は20年代に現れたと推測されている。

カニバリズムが生んだクールー病

 フォレ族の言葉でクールーは、「ぶるぶる震える」を意味する。症状はヤコブ病と同様で、半年から2年以内に死亡する。肉の部分は男性が食べ、もっとも感染性の強い脳、内臓は女性と子どもに与えられたため、患者には成人女性と男女の子どもが多かった。

 アメリカのNINDS(国立神経疾患脳卒中研究所)によると、年間にフォレ族の2パーセントが、この病気で命を落とした。1960年代には2000人以上が死亡し、女性の最大の死因だったそうだ。50年代後半に人肉食が禁止されて以来、患者の数は劇的に減っていったが、潜伏期間が非常に長く、2000年代にも死亡者が出ている。

 プルシナーの受賞から遡ること約20年、アメリカの医師、ダニエル・C・ガジュセックが、クールー病の研究で1976年度のノーベル医学・生理学賞を受賞している。ガジュセックは現地に渡ってフォレ族とともに暮らし、文化や言語のフィールドワークを行いながら調査し、死者の脳を食べるという行為と病気との関連性を見出した。

 クールー病を感染させる原因物質の特定はできなかったが、死亡した少女の脳組織をチンパンジーに接種して発症させる実験に成功し、脳症が人から人へと感染するのみならず、種の壁を越え、感染することを実証した。ガジュセックの研究は、プリオン発見への大きな足がかりになった。

 当時は、病原体はすべて遺伝子を持つというのが医学界の定説で、遺伝子を持たないたんぱく質そのものが自己増殖し(注2)、病原体になるという仮説は異端視され、プルシナーは激しい批判にさらされたという。

日本にも輸出されていた危険な肉骨粉

 狂牛病の最初の発生は、1986年。やっとその2年後の88年、イギリス政府は狂牛病の原因だと考えられていた肉骨粉を、家畜の飼料として使用することを禁止した。この措置で狂牛病の罹患数は減りはじめたが、ピークだった93年は週に1000頭も倒れたというから、すさまじい。

 ところで、肉骨粉の製造法は1920年代に確立し、長年にわたって問題なく利用されてきた。それがなぜ80年代に突然、狂牛病を引き起こしたのだろうか。その理由として疑われたのが、70年代の石油ショックだった。

 肉骨粉は家畜と家禽の食肉にならない部分から、有機溶媒で油脂分を分離して脱脂し、高温高圧で加熱殺菌処理後、乾燥、粉末にしたものだが、石油ショックで有機溶媒の工程が省略され、加熱用の燃料が節約されるようになった。その結果、処理温度が下がり、加熱時間が短縮され、熱に強いプリオンは不活化(感染力を失うこと)されず肉骨粉に混入したというのだ(注3)。畜産文化を破壊し、社会を恐怖に陥れた狂牛病の、そもそものはじまりが経費節減と省力化だったなら、あまりにもみみっちい話だ。

 もっとひどいのが、88年にイギリス政府が禁止したのは肉骨粉の国内での使用だけで、輸出は禁止しなかったこと。89年に、EU諸国に25000トン、中東およびアフリカに7000トンを輸出し、90年にEUが加盟国への輸出を禁止すると、今度は東欧、中東、アジアへの輸出が急増した。

 アジア諸国には、イギリスだけでなく、デンマーク、イタリア、オランダなど、EU内の狂牛病発生国からも肉骨粉が輸入されるようになり、そのなかには、日本も含まれていた。90年代に輸入した肉骨粉によって、病原体が日本に持ち込まれたと考えられている。

 大量に余ったからといって、目先の利益を求めて危険きわまりない肉骨粉を非感染国に売りさばいた飼料メーカーは、もはや立派な犯罪者である。ここで思い出すのが、55年に起きた森永ヒ素ミルク事件。全国で13000人以上もの被害者を出し、約130人の幼い命を奪ったのにもかかわらず、残った大量のヒ素入り粉ミルクは人体に無害かどうかの検査は抜きで、飼料会社に売りさばかれて、ニワトリの餌に使われた。ヒ素ミルク飼料の存在はうやむやにされて被害実態は不明だが、肉骨粉の払った代償はあまりにも大きかった。

新型ヤコブ病の発生と狂牛病パニック

 牛肉が人体に及ぼす影響について楽観的だったイギリス政府が、一転してついに人間への感染の可能性を認めたのは、1996年3月20日だった。狂牛病自体は減少しつつある時期だったが、若年で発症する新しいタイプのヤコブ病の患者が、10人確認されたのである。

 この変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)は、従来型とはあきらかに異なる症状や脳の変化を示し、発症から死亡するまでの平均期間は18か月と長かった。従来のヤコブ病の発症は60歳前後なのに対し、患者の平均年齢は27歳で、なかには16歳の少女と18歳の少年もいた。10人のうち1人は91年以降、菜食主義者だったが、9人は過去10年間に内臓を含む牛肉を食べていた。イギリスで牛の脳、脊髄、脾臓、胸腺、扁桃、腸の販売が禁止されたのは、1989年11月。それまではごく普通に食べられており、脳や脊髄をハンバーガーのパテやソーセージのつなぎに使用することも多かった。

 余談だが、フランス料理では子牛の脳と胸腺が高級材料なので、グルメブームの80年代、日本のフランス料理店にもお目見えした。脳のサイズは大人のこぶし大で、魚の白子によく似ているが、脂肪分が多いのでもっととろとろの食感。胸腺はねっとりした弾力と、ミルクのようなやさしい風味がある。どちらも好きになったら、かなりの食通と褒めそやされたものだ。胸腺は感染性が低いことがわかって解禁されたが、脳はいまや幻の味。狂牛病で失われた食文化である。

 96年時点で、イギリスではそれまで約75万頭の感染牛が気づかれないまま食用に解体されたと推定され、「これから全英人口の半分が変異型ヤコブ病になる」とショッキングな警告を発する学者も現れた。

 この病気で恐いのは、感染してもすぐに発症せず、潜伏期間が非常に長いことだ。クールー病では、50年を超える例もあった。最大の狂牛病パニックがヨーロッパを襲ったのは、牛肉を食べると感染することが明らかになった、このときだった。

日本に43名もいた薬害ヤコブ病患者

 英国マクドナルドはイギリス産牛肉は使用しないことを宣言し、イギリスは30か月齢以上の牛は全頭殺処分にするルールを、フランスはイギリス原産の子牛の処分を、EUはイギリス産牛肉とその関連製品の全面禁輸を決めた。

 イギリス政府の発表を受けて、日本でも厚生省(当時)に緊急研究班が組織され、プリオン病の調査が全国で行われた。その結果、変異型ヤコブ病患者は存在しないが、ドイツ製の乾燥脳硬膜を移植する脳外科手術で感染した従来型のヤコブ病患者が43名もいることが判明した。

 乾燥脳硬膜は、人の死体から採取した脳硬膜を加工して製品化したもので、ドナーのなかにヤコブ病の死亡者が混じっていたと考えられる。プリオンは、ウイルスや細菌には有効なアルコールやホルマリン殺菌では不活化されず、通常の500倍の確率で日本にヤコブ病を発生させていた。

 農水省は口蹄疫の流入を防ぐため、ハム・ソーセージや缶詰などの加工品を除き、51年から基本的にイギリス産牛肉の輸入を禁じていたが、食用とはまったく異なる医療現場で、異常プリオンは悲惨な薬害事件を引き起こしていたのである。薬害ヤコブ病は、角膜移植や成長ホルモン接種でも起こっており、クールー病が人肉食で感染することを証明した前述のガジュセックは、「ハイテクノロジーによる共食い」と呼んでいる。

 牛に共食いを強いたために生まれた狂牛病という災厄は、長い肉食の文化を持つヨーロッパの人々に、肉食への懐疑を植えつけた。人類学者のレヴィ=ストロースはエッセイ「狂牛病の教訓――人類が抱える肉食という病理」で、「草食動物たちに過度の動物性を付与する(かれらを肉食動物にするだけでなく共食い動物カニバルに変えてしまう)ことによって、われわれはたしかに意図してではなかったにせよ、われわれの『食料生産装置』を、死をつくりだす装置に変えてしまった」とし、「牧畜は、採算に合わなくなって完全に姿を消してしまうだろう」と予言している。たしかに、欧米には狂牛病をきっかけにベジタリアンやヴィーガンに転向した人が少なくない。

「日本の牛は絶対に大丈夫」という根拠なき自信

 食のグローバルゼーションで顕著になった現象のひとつは、家畜伝染病もグローバル化したことだ。昔は被害を狭い範囲に留められたが、現代の家畜は生まれてから精肉になるまでのあいだに、国境を越えたさまざまな危険因子に遭遇し、いったん発生すると、そのリスクは広い範囲に拡散する。

 日本で最初に発生した年の春には、狂牛病はとっくにイギリスを飛び出して、アイルランド、フランス、ベルギー、デンマーク、オランダ、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、イタリア、スイス、ドイツ、ポルトガル、スペインなどでも確認されていた。

 それでも農水省は、狂牛病が日本で発生する可能性はないと豪語してきた。イギリス政府が狂牛病の牛から人への感染を認めた96年3月以降、牛をはじめとする反芻動物の家畜に肉骨粉を食べさせないよう、行政指導をしてきたのが、自信たっぷりの根拠だったが、01年1月までは豚、鶏などの飼料用として感染国からの輸入が続いていたことから考えても、危機感は信じがたいほど薄かった。牛の異常プリオンが、反芻動物以外の家畜や家禽にうつらないことは、いまだに証明されていない。

 96年当時、畜産局長だったのが、19年6月に長男を殺害した元農水事務次官の熊沢英昭。一貫して「日本での感染はありえない」と主張し、WHO(世界保健機関)から肉骨粉を禁止するよう勧告を受けながら、禁止ではなく行政指導にとどめた。そのうえ輸入禁止対象をイギリスのみに限定し、ヨーロッパ諸国からの輸入は続けた。事務次官に就任していた01年6月、EUが世界各国のBSE侵入リスク評価を行い、アジアでもっとも危険度の高い国として日本を挙げたときは、未発生国の日本に対して発生国並みの基準で調査が行われ、「濡れ衣を着せられたようなもの」と不満を表明し、評価を拒絶。消費者の安全を軽視してことごとく適切な対応を怠り、事態を放置した責任は重い。

 国内発生後、熊沢は引責辞任をしたが、退職金は満額の8874万円を受け取り、30以上の食肉業界団体が加盟する日本食肉協議会に天下りしたことが、世間の猛反発を招いた。マスコミに嗅ぎつけられて天下りは辞退したが、その後チェコ特命全権大使、農協共済総合研究所理事長を歴任した。長男殺害に関しては同情の声も多いが、都合の悪いことは見ないようにする事なかれ主義を感じてならない。日本には「転ばぬ先の杖」という素晴らしい言葉があるのに、お粗末な対策で安心を決め込んでいた役人たち。この構図は、福島第一原発事故でも繰り返される。

 なお、日本には1986年以降、イギリスから肉骨粉を輸入した記録はないが、イギリスの税関記録には狂牛病が猛威を振るっていた90年から93年に日本に輸出した記録があるという。この真偽も究明されておらず、謎のままだ。

 

 

(注1)現在では、スクレイピーがBSEの原因であることは否定され、1頭の牛の遺伝子に原因不明の突然変異で病原体が発生し、その牛が肉骨粉に加工され、多くの牛に感染したと考えられている。

(注2)現在では、異常プリオンは自己増殖するのではなく、正常プリオンを異常型に変化させることがわかっている。

(注3)現在では、省力化以前の方法でも肉骨粉に病原体が残ることが証明されている。

 

 

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著者略歴

  1. 畑中三応子

    1958年生まれ。編集者・ライター。編集プロダクション「オフィスSNOW」代表。『シェフ・シリーズ』と『暮らしの設計』(ともに中央公論新社)編集長を経て、プロ向けの専門技術書から超初心者向けのレシピブックまで幅広く料理本を手がけるかたわら、近現代の流行食を研究・執筆。著書に『カリスマフード――肉・乳・米と日本人』(春秋社)、『ファッションフード、あります。――はやりの食べ物クロニクル』(ちくま文庫)、『体にいい食べ物はなぜコロコロと変わるのか』(ベスト新書)、『ミュージアム・レストランガイド』(朝日新聞出版)、「七福神巡り――東京ご利益散歩」(平凡社)、『おやじレシピ』(オフィスSNOW名義、平凡社)、共著に『東京バスの旅』(文春新書)がある。第3回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)受賞。

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