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大乗仏典の成立と誕生の謎を仏・菩薩の名前と特徴から解き明かす/田中公明『仏菩薩の名前からわかる大乗仏典の成立』

 大乗仏教とその経典がどのように成立したかは、今もなお決定的な答えは出ていません。仏教研究者にとって最大の研究テーマといえるでしょう。この大乗経典には原始仏典にはない特徴があり、その一つが経典の最初で説法に参列する菩薩や比丘が羅列されることです。なかには名前のみあがるけれども始終一言も語ることのない菩薩もいます。これらの菩薩がどこから来たのかを長年疑問に思ってきた著者が、菩薩や仏の名前から、その成立問題の解明を試みたのが、『仏菩薩の名前からわかる大乗仏典の成立』(田中公明著)です。その登場する菩薩について説明した箇所を紹介したいと思います。

 


2 大乗仏典における対告衆について

 日本に伝播した仏教は、西暦紀元前後に出現した大乗仏教と、6世紀以後に発展した密教の混淆形態である。そして大乗仏教は、それ以前の仏教つまり部派仏教を批判し、「大乗仏典」と呼ばれる新たな聖典群を作り上げた。

 ブッダ入滅直後の第一結集から発展した部派仏教所伝の経律とは異なり、大乗仏典は、ブッダ在世当時のさまざまな出来事に取材しながらも、まったく独自に成立した。つまり「大乗」を標榜する仏教徒によって、新たに編集されたのである。

 しかし、それを仏説と主張するためには、いつ、どこで、誰が編集したのかを、巧妙に秘匿しなければならなかった。そこで大乗仏典を通読しても、このテキストが、いつ、どこで、誰によって編集されたのかを知ることは困難である。大乗仏典の成立に関しては、学界に種々の学説が提出されたが、これまでのところ万人を納得させる結論は得られていない。

 大乗仏典は、ブッダと仏弟子、あるいはさまざまの菩薩たちとの問答を中心に構成されている。仏典では、これらブッダに質問をしたり、ブッダの説法の相手となる人物を「対告衆」と呼んでいる。そして大乗仏典の冒頭には、ブッダからその経典を聴聞した比丘と菩薩の対告衆の名が、延々と列挙されることが多い。浄土経典でいうと、『無量寿経』(伝康僧鎧訳)では比丘が31名、菩薩は18名(賢護等十六正士を含む)、『阿弥陀経』(鳩摩羅什訳)では比丘が16名、菩薩は4名が言及されている。

 私は、対告衆としての比丘名の列挙は原始仏典からの慣行ではないかと考えていたが、中村元博士が『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫版)の解題で指摘したように、原始仏典の序では、対告衆の名前をものものしく述べ立てることはない。つまり序分における対告衆、とくに菩薩名の列挙は、大乗仏典の大きな特徴なのである。

 そして対告衆の中には、経典の本文においてブッダに質問をしたり、ブッダに代わって教説を説くといったように、目覚ましい活躍をする者がある反面、経典が終結するまで一言も発しない者が数多く含まれている。彼等、一言も発しない対告衆は、どうして大乗仏典に名を連ねることになったのだろうか? 私は、これら一言も発しない対告衆の中に、他の大乗仏典で重要な役割を果たした菩薩が含まれることに気づいた。

 つまり大乗仏典の編者は、先行する他の大乗仏典の主要な登場人物を、自らの経典に取り入れたのである。新たな仏典の編者は、すでに一定の評価を得ていた大乗仏典の登場人物を対告衆に列することで、自らが編集したテキストの権威を高めたと考えられる。この場合も経典の編者は、これこそブッダの真意を明らかにしたものと、評価していた経典から対告衆を取り入れたに違いない。このようにして著者は、対告衆の尊名を手がかりに、大乗仏典間の参照関係が解明できることに気づいた。

 そこで著者は、主要な大乗仏典の冒頭に説かれる対告衆の中から、菩薩名を取り出し、相互に比較する研究をはじめた。とくに新型コロナウイルスによる緊急事態宣言中は、調査・研究のために外出することもままならなかったので、多数の大乗仏典と陀羅尼経典、初期密教経典に登場する対告衆を、表にして比較整理することを、巣籠り期間中の日課にした。

 その中には対告衆ではなく、八大菩薩や十六正士など、経典に説かれる菩薩のグループを表にしたものも含まれるが、本書執筆の時点で、ほぼ100点の対照表が完成している。その結果、これから本編で紹介するように、多数の興味深い事実が明らかになった。

 本書に掲載した多数の大乗仏典に説かれる対告衆の表は、これまで著者が、研究のために作成したものの一部であるが、複数の漢訳とチベット訳、サンスクリット原典の菩薩名を、すべて比較対照できたケースは稀であった。

 漢訳の『大蔵経』には、訳出年代が異なる複数の同本異訳が含まれることが多いが、仏菩薩の尊名は、訳者によって異なって訳されている。一例を挙げると、観音Avalokiteśvara<Avalokitasvara を、支婁迦讖は廅楼亘、支謙は闚音、竺法護は光世音、鳩摩羅什は観世音、玄奘は観自在、善無畏は観世自在と訳している。また同じ尊名で訳されていても、原語が同じとは限らない。一例を挙げると、薬師三尊の右脇侍の月光菩薩はCandravairocana だが、『月灯三昧経』の主要な対告衆である月光菩薩(月光童子)は Candraprabha である。

 そこで訳者による訳語の相違をならす必要がある。また竺法護までの漢訳では、その原典がいわゆる仏教混成梵語 Buddhist Hybrid Sanskrit ではなく、ガンダーラ語などの俗語だった可能性も指摘されている。また観音とは異なり、滅多に出てこない菩薩名では、そもそも原語が分からないという問題がしばしば起こった。

 サンスクリット原典が遺されていれば、それを参照すればよいが、大乗仏典の場合、サンスクリット原典の多くが失われたり、断片しか残っていないことが多い。とくに対告衆の列挙は冒頭に現れるため、全体の8割から9割が発見されたサンスクリット写本でも、対告衆の名前は失われていることが多かった。

 このような場合、重要なヒントを与えてくれるのが、チベット訳である。チベット訳では、 吐蕃時代に制定された「欽定訳語」により訳語が統一されているので、訳者に関わらず、チベット訳から原語を復元できることが多い。

 また漢訳でも、最初期の訳者である支婁迦讖などは、原語を漢字で音写しているため、そこから原語が復元できる場合がある。ただし後漢の支婁迦讖や呉の支謙の場合、我々が慣れている隋唐時代の中古音ではなく、周から秦にかけての上古音に近い発音で音写されているため、その点に注意が必要である。

 対告衆の菩薩名など、大乗仏典に現れる固有名詞の比較によって復元された大乗仏典の成立史が、これまでインド仏教の研究者が提唱していた初期大乗仏典のクロノロジーを裏づけた例も多かったが、その反面、従来いわれていた先後関係や親縁関係が正しくないという結論に達したケースもあった。

 これらの詳しい解析については、これからの本編で紹介することになるが、大乗仏典の成立史を、そこに登場する仏菩薩の名から解明するという試みは、本書で紹介したいくつかの先行研究を除いては例がなく、研究者だけでなく、仏教に関心をもつ一般読者にも興味ある読み物となるであろう。 (5~9頁)

書籍

『仏菩薩の名前からわかる大乗仏典の成立』田中公明

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