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人類史の中心に会計あり!――会計からみる資本主義経済(吉田寛『市場と会計』) 蔵 研也

                    

 よく言われていることだが、本を読むというのは、著者との擬似的な対話をすることだと思う。今回本書を読むことで、著者の人間と社会・歴史に対する興味深い知識と理解の一部を分けてもらうことができた。内容には新しく知ったこともあれば、再確認できたこともある。せっかくの機会なので、印象に残ったいくつかの点について、評者なりの解釈や感想を加えながら紹介したい。

 

「会計」という言葉の由来

 評者のような西洋かぶれの理解では、江戸時代までの日本文化と、明治期以降に移植されたヨーロッパ文明とは全く異なったものであり、あまり共通性がないと考えがちだ。近代的な会計制度には、間違いなく明治期以降に西洋人の使っていたものが採用されたのは事実だが、それでは中国を中心とするアジアには会計制度がなかったのかというと、そんなはずはない。東洋でも、商業活動は少なくともヨーロッパと同じように大規模に展開されていたのだから、大まかな記帳制度があったのは当然である。江戸時代の商業簿記に、すでに貸し方・借り方などの用語があったからこそ、これらの用語はそのまま現在でも使われているのである。

 そもそも「会計」という言葉は、司馬遷の史記に由来しているという。紀元前2200年頃に夏王朝を創始した禹が、適材適所を実現するために、仕事を任せた人に実際に「会」って、その功績を「計」る行為にちなんで、「会計」という言葉が生まれたのだそうだ。この時代には文字も数字も普及していないので、直接的に人間の信頼関係を確認するということが会計であった。

 考えてみると、まさに言葉が生まれたような古代において、複雑なことが行われていたはずはないから、もともとは政治的な信任を会計と呼んだというのは、自然なことだ。

 さて、こうした単純で単発的な政治的決定に比べると、商行為のように頻繁で複雑な活動では、文字と数字による記録の必要性ははるかに高い。十字軍の遠征を経て、ヨーロッパの地中海貿易が盛んになるにつれて、取引相手と取引内容を記録する複式簿記が普及することになった。

 

パチオリの『スンマ』

 よく知られているように、近代的な会計制度は、ルカ・パチオリによる『算術と幾何・比率・比例の全書』にある「計算および記録の詳論」という部分に求められる。パチオリは当時のヴェネツィアで行われていた複式簿記制度を、詳しく解説しているのである。

 この書籍は単に『スンマ(全書)』と呼ばれることが多いが、そうした知識の体系書がイタリアで出版されているということは、当時のヨーロッパの知識世界がイタリアでもっとも発達していたことをよく表しているだろう。例えば、中世の大学としては、北イタリアのボローニャなどがもっとも有名だった。

 商業活動を仔細に記録するというのは、おそらく商人にとってもっとも重要な資質に違いない。記帳された内容は、裁判の証拠資料としても採用されるようになったし、それは今でも同じである。やや脱線すると、ヨーロッパ全体を恐怖に陥れたペストの大流行についても、商人の日誌が歴史的な一次資料として利用されていることもよく知られている。

 こうして取引の相手と金額、その商行為の原因などを記録することは、イタリアの家族会社がヨーロッパ各地に支店を置き、会社の代理を置くためには不可欠であった。支店の開設時にどれだけの会社財産を持って行ったか、そして財産の現状はどうなのかを知るためには、商業活動のすべてを記録させるしかない。

 家長の立場から見て代理人が適切な能力の持ち主であるかどうかを判断するには、会計は不可欠である。支店長に対する信任・不信任を決定するには、どれだけ財産を増やしたのかを知る必要があるからである。

 

会計原則がなければ、株式市場は機能しない

 さて中世のペルッツィ家やメディチ家のような北イタリアの会社というのは、今でいう同族会社、あるいは合同会社のような組織である。資本を出資するのは家族であり、その活動の最終権限も家長にあった。しかし20世紀に入るまでに、資本と経営は次第に分離してゆく。ヨーロッパの商業は地中海貿易からアメリカやアジアとの直接貿易へと移り、これに伴って次第にオランダやイギリス、フランスの株式会社が重要性を増すことになる。

 しかしイギリスの南海泡沫事件やフランスのミシシッピ会社のような有名なバブルは、配当に応じた商業実態や利益が存在しないのに、会社の資本から配当を行うことから生じている。つまり「利益」を分配するのではなく、調達した資金を分配するという詐欺的な自転車操業が許されていたわけである。

 現代人の視点から見ると、かなり驚くべきことだが、こうした明らかに不健全な配当金は、20世紀に入ってもごく普通のことだった。大恐慌によって、こうした配当金の不健全さが認識され、ついに戦後になって株式会社には会計を公開する義務があり、利益から配当金を捻出しなければならないという原則が確立したのである。

 もし仮に、会計制度が戦前のままであれば、株主は経営者が適切な能力の持ち主であるかどうかを判断できない。会社の会計が公開されておらず、利益ではなく資本から配当を出せるために、その能力を知ることができないからだ。この場合、健全な株式市場は成立しない。経営者の能力を計るためには、現在のような会社会計が公開される必要がある。

 結局、ここでも資本家による経営者に対する信任と不信任が、会計制度の発展によって担保されているのだ。

 

公会計によって政治家を評価する

 こうして資金の出資者である資本家は、自分ではない誰かを経営者として選任し、その資本を使った商業行為を任せる。その人物を正しく評価するためには、行為の記録である簿記が不可欠だということがわかった。実際に、歴史を見ても、それは証明されてきている。

 とするなら、民主主義政治についても、まったく同じように考えることができる。主権者である納税者は、その資金(税金)を使って有益な活動をする者としての政治家、あるいは首長を選ぶ。彼らを評価するためには、会計制度を国・地方などの公共体にも適用しなければならない。これが、著者が長らく主張してきた「公会計」の考えなのである。

 現在の日本では、国・地方自治体を問わず、赤字公債が常態化している。これを会計の視点から見るなら、首長は有権者のために利益を出しているのではなく、恒常的に赤字を出している経営者なのである。そうした首長に対しては不信任が下されるべきであり、事業体をもっと健全に運営できる誰か他の人物を選ばなければならない。

 ここで、本書によって評者が知ったのは、以下のような重要な史実である。

 政治家の信任・不信任の判断に必要となる公会計は、現在の政府においては実施されていない。しかし実際には、渋沢栄一によって1871年の時点で、複式簿記は明治政府に導入されていた。そして各省庁でも、複式簿記が全面的に導入されていた。

 しかし1889年に、伊藤博文は大日本帝国憲法と抱合せで「会計法」を制定し、複式簿記を不用とした。もちろん、この明治憲法では、政府は予算を議会に報告するだけで良く、その審議や承認を経る必要もない。これはプロイセンの学者であったグナイストが、伊藤博文に対して助言をしたためである。

 なるほど、当時のプロイセンの高圧的な権威主義と、それを好んだ伊藤博文の精神性が良く分かる逸話である。

 

自由主義経済制度と「ありがとう」

 会計制度は、市場経済の潤滑油として働くものだと考えられる。市場での取引が、政治的な強制に比べて、より望ましいのは、それが自発的・互恵的な活動だからだ。つまり商業行為というのは、著者の表現するところの「ありがとう」という感謝の気持ちを増やす、有益な人間活動なのである。

 こうして通常、社会哲学では「自発的な」行為であるとか、「互恵的」であるとか、難しい言葉を使いたくなる。しかし本書では、そうした類の書籍にありがちな衒学趣味を排して、小学生でもわかる日常生活の基本となる「ありがとう」という言葉を繰り返し使っている。この理解の容易さ、「とっつきやすさ」こそが、著者の精神的な態度として特筆すべき美徳なのだろう。

 さて、こうして自発的な取引によって「ありがとう」が促進されることで、人々は自分が得意とする生産に特化することができる。これが分業であり、経済の生産性は飛躍的に高まる。経済学者は、この分業の利益を指摘した学問の父祖としてアダム・スミスを引用するが、著者が指摘しているように孟子も同じことを論じていたという史実は興味深い。

 

 本書の独創性と意義は、会計制度の発展によって自発的な取引と分業の利益などの自由経済が促進されてきたという視点だ。つまり、会計原則や制度の歴史的な展開が縦糸である。それが、自由主義的経済学であるミーゼスやハイエクの思索という横糸と重なり合い、絡まり合って本書を織りなしている。副題にある「人間行為」とは、意図的な人間活動の総称としてミーゼスが使った言葉である。

 本書は堅い体系書という体裁ではなく、それぞれの部分が比較的に独立したエッセイとして構成されている。最初から通して読むのも良いし、パラパラとめくってみて興味を感じたところから自由に読むのも楽しいだろう。有益で楽しい時間になるに違いない。

 

蔵 研也(岐阜聖徳学園大学経済情報学部准教授)

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著者略歴

  1. 蔵 研也

    1966年 富山県氷見市生まれ
    1988年 東京大学法学部卒業
    1991年 サンフランシスコ大学 経済学MA(修士号)取得
    1995年 カリフォルニア大学サンディエゴ校経済学 Ph.D.(博士号)取得
    1995―1997年 名古屋商科大学経済学部 専任講師
    1997年―現在 岐阜聖徳学園大学経済情報学部 准教授

    [主著]
    『現代のマクロ経済学』1997年 日本図書刊行会
    『リバタリアン宣言』2007年 朝日新書
    『国家はいらない』2007年 洋泉社
    『無政府社会と法の進化』2008年 木鐸社
    『18歳から考える 経済と社会の見方』2016年 春秋社

    [訳書]
    ウェルタ・デ・ソト『通貨・銀行信用・経済循環』2015年 春秋社
    ウェルタ・デ・ソト『オーストリア学派 市場の秩序と起業家の創造精神』2017年 春秋社

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