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科学の時代に信仰は守れるか?/林研『救済のプラグマティズム──ジェイムズの「宗教と科学」論』

科学が浸透すれば宗教は衰退するのだろうか。だとすれば科学を信じつつも救済を求める者はどうすればよいのか……。科学が著しく発展した19世紀後半から20世紀初頭に、科学者として出発し、哲学者として宗教を考え続けた哲学者、ウィリアム・ジェイムズ。彼の宗教論をまとめた林研『救済のプラグマティズム——ジェイムズの「宗教と科学」論』の第1章「科学の時代とジェイムズ」から、ジェイムズの科学観を論じた部分を紹介する。


 

方法としての科学

 ジェイムズは科学をどのようなものと考えていたのか。これを直接的に表明している部分が、その心霊研究のスピーチに見られる。

科学は、その本質において取り上げられる場合、ひとつの方法をのみ意味するものであり、いかなる特別な信念をも意味しないはずである。しかし、その信奉者たちによって習慣的に取り上げられるように、科学はある固定された一般的信念として認定されるようになってきた。その信念とは、自然のより深い秩序はまったく機械的であるというものである。[i]

 ここからまず明らかなのは、ジェイムズにとって科学はあくまでも「方法」だということである。それは後に見るように、仮説と検証というプロセスを意味している。もうひとつ見て取れるのは、科学を機械的なものの見方だと考えることが、ジェイムズからすれば間違った科学観だということである。この言及は、直接的には心霊研究の正当性の主張であるが、より広く宗教の問題に関しても、ジェイムズは機械論や唯物論と対決していくことになる。

 一般に科学は機械論や唯物論を必然的に伴うかのように考えられがちであるが、科学の方法は本来データのない事柄を判断できないはずであって、宇宙が物理現象のみから成ると科学的に証明することは不可能である。つまり、世界が機械的なものであるという信念は恣意的なものにすぎず、科学の本質とは関係がない。したがって、方法と主義とを分離するジェイムズの見解によるなら、人格的でロマン主義的な見方を方法としての科学に接続することも可能になる。また、科学を方法として見ることは、その完結を目前に期待しない態度だと言うこともできる。ジェイムズが科学について言及するとき、それはしばしば科学の過信への警告という形を取っている。ジェイムズが見るところでは、科学はまだ始まったばかりの営みにすぎず、「私たちの科学は一滴、私たちの無知は海」[ii]という自覚を持つべきなのである。

 さらに言えば、経験論者を自称するジェイムズは、経験的な方法である科学が論理的に蓋然性しか示せないことを十分に自覚していた。科学が主に依存する帰納的推論は、自然の斉一性を前提としない限り成り立たないのであり、それを想定することをジェイムズは「信仰(faith)」と呼んでいる[iii]。これらのことから、ジェイムズにとって科学は普遍的真理をすぐさま捕まえるようなものではなく、宇宙のごく一部分を丹念に精査していく作業として捉えられていると見ることができる。

 もうひとつ、ジェイムズの科学観に特徴的な点は、宗教をもその対象としうるということである。ジェイムズは『信じる意志』序文および『諸相』で「宗教の科学(science of religions)」というものを提唱する。これは宗教的命題について公平な分類や比較を行う態度だと言う。

もし哲学が形而上学と演繹とを捨てて批判と帰納につき、神学から宗教の科学へまっすぐ変身するならば、哲学は著しく役立つものとなる......〔その場合、哲学は〕無邪気な過剰信念やその表現における象徴化であるものと、文字通りに受け取られるべきものとを区別することで、仮説の定義を洗練させることができる。結果として哲学は、異なる信仰者の間の調停を申し出たり、意見の一致をもたらす手助けをしたりできるのである。[iv]

 こうした構想が成立しうるのは、科学を唯物論から切り離し、方法としてのみ捉えることを前提としているからである。しかしそれだけではなく、もうひとつ「宗教の科学」を可能にする独特の見方がある。

もし宇宙についての宗教的仮説が適切であれば、そのときその仮説のもとにある個々人が生活のなかで自由に表現する行動的な信仰は、その仮説を検証する実験的なテストであり、またその仮説の真偽を解明することのできる唯一の手段である。[v]

 すなわち、人が宗教を信じて生活することを、その仮説の検証だとジェイムズは言うのである。

 

ジェイムズの著作については、特に記載のない場合ライブラリー・オブ・アメリカ版に準拠した。詳しくは本書xiv-xv頁を参照。

[i] James, “Address of President before the Society for Psychical Research,” 1896, The Works of William James : Essays in Psychical Research, Harvard University Press, 1986. p.134.

[ii]『信じる意志』所収「人生は生き甲斐があるか」p.496

[iii]『信じる意志』所収「合理性の感情」

[iv]『宗教的経験の諸相』 p.408-409

[v] 『信じる意志』「序文」 p.450

 

書籍

『救済のプラグマティズム——ジェイムズの「宗教と科学」論』林研

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