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自分のための学びをこえて/松村圭一郎『これからの大学』

『これからの大学』は、気鋭の文化人類学者による「学問」のすすめ。知の喜びとは何か?という根源的な問いから、変貌しつつある教育現場の報告までをもりこんだ、今最も読まれるべき一冊です。著者の松村圭一郎さんは、この本にどんなメッセージを込めようとしたのでしょうか。学生、そして学ぶことの楽しさと出会いたいすべての人にむけた、熱い思いとは。

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 はじめに 自分のための学びをこえて


「大学に入れたのは、君たちの努力や能力の結果ではありません」
 大学に入学したばかりの新入生にこんな話をしたら、みんな驚いた顔になります。そりゃそうですよね。自分の夢を実現するために必死に受験勉強して大学に入ったばかりです。でも、勘違いしてもらっては困るんです。
 世界的にみれば、大学に通える人の数はすごく限られています。以前、「世界がもし一〇〇人の村だったら」という文章が話題になったことがありました。そのなかでは、大学教育を受けられるのは一〇〇人のうち一人だけでした(二〇一六年版では七人)。いまだに大学教育は世界のごく少数の人にだけ与えられた機会です。
 日本では大学進学率が五割を超え、大学が七〇〇以上もあります。私が長年、研究で関わってきたエチオピアだと、大学進学率がわずか八%ほど。これでも近年、急激に増加してきた結果です。一九九〇年代初頭には、初等教育への就学率ですら三割ほどしかなかったといわれています。
 そんな視点からみれば、大学で学ぶことができる理由は、個人の努力の結果というよりも、日本という豊かな国に生まれ育ったことの恩恵がはるかに大きいのです。
 大学に行く。それはある種の特権です。経済的に余裕のある国でなければ、大学制度を維持することはできません。逆に大学制度があることで、「先進国」といわれる国は世界での優位な地位を維持しているのかもしれません。
 大学や学問には、社会的使命があります。なので、大学での学びは個人の自己実現のためだけにあるわけではないのです。社会にとって、世界にとって、重要な役割を果たす人間を育てるために、大学という高等教育機関はあります。
 多くの国で義務教育とされ、無償で提供される初等教育、そして日本では中学と高校にあたる中等教育を終えてなお、大学で高等教育を受ける意味はどこにあるのでしょうか? この本では、あらためてそのことを考えてみたいと思います。
 知識を身につけ、社会で役に立つ人を育てる。それが教育の役割だと思われるかもしれません。ただし、これからの時代に、はたしてどんな「人」が必要になるのか、社会で「役に立つ」ってどういうことを意味するのか、そこで「教育」に何が求められるのか、学ぶべき「知識」は、これまでと同じままでいいのか、そのそもそもの土台がいま問われています。
 できるだけ偏差値の高い大学に行って、いいところに就職をしたい。そう何も疑問をもたずに考えている人もいるかもしれません。でもたぶん、もうそういう時代ではないと思います。企業はグローバル化し、もはや日本の企業が日本の大学を卒業した人だけを採用しつづけているわけではありません。少子化も進み、このまま同じように多くの数の大学が維持されるかどうかも不透明です。
 大学とはどんな場所なのか、そこで学ぶ意味とは何なのか、大学や学問には社会全体にとってどんな役割があるのか。次の時代をみすえたうえで、ここであらためて私自身の問題として考えてみようと思います。
 私が最初に大学の教壇に立って講義をしたのは、二〇〇六年のことです。非常勤先での授業でした。最初は緊張で何を話していいのやら、まったくわからず、ひたすら準備してきたことを説明するだけで精一杯でした。でも、しばらくして自分のゼミの学生をもつようになって、これから社会に出て働こうとする学生たちの姿を目の前にすると、何かを伝えなければ、という思いが強くなっていきました。
 そして、いろんな場面で、さまざまなことを学生に語るようになりました。マイクをもって緊張して何を話せばよいのか当惑していたころが信じられないくらいです。社会に出るにあたって、まだいろんな面で不安を感じてしまう学生たちを前にして、伝えたいこと、話したいことが次つぎにわきあがってきました。
 前もって考えておいたことを説明することもあれば、その場の思いつきで話すこともあります。同じ話を別の学生に向かって話すうちに、内容が変化したり、違う表現や例え話が加わったりすることもあります。それらはいずれも自分のなかに最初からはっきりとした考えとしてあったものではありません。
 学生を前に「話す」ことをとおして、あるいは「話す」という立場に立たされてはじめて、言葉にしたことがほとんどです。まさに、目の前にいる学生たちから引き出され、考えつづけるよう促された結果です。そういう意味では、この本に書かれてあることのほとんどは、これまで接してきた学生たちから受けとったギフトでもあります。
 いまだに話したあとに、こういえばよかった、もっとこういうことも伝えるべきだった、といつも反省しています。ただ話すばかりでは消えていく一方なので、あらためてこの本で文章にして、考えを整理してみたいと思います。
 自分が伝えたいと思う相手は、たぶん特定の大学の学生だけではありません。大学生全般というわけでもない。「大学」あるいは「学問」から学ぼうという、すべての学ぶ人のために、言葉をつむいでいこうと思います。
 ここで書かれていることは、おもに私自身が関わってきた人文系の学問、とりわけ文化人類学の視点に立って考えてきたことです。医療系や自然科学系の分野にはあてはまらないこともあるかもしれません。大学の専任教員として関わった大学は三つほどで、それほど多様な大学を知っているわけでもありません。ただ、大学/学問という大きな枠組みでみれば、共通する点も多いと思います。異分野や企業人など、さまざまな立場から私が書いたことがどうみえるのか、それも聞いてみたいところです。
 この本が、これからの大学のあり方について、これからの学びについて、さらなる対話と思考を促すきっかけとなることを願っています。

 

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著者略歴

  1. 松村 圭一郎

    1975年、熊本生まれ。京都大学総合人間学部卒。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。京都大学助教、立教大学社会学部准教授をへて、現在、岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークを続け、富の所有と分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎなどについて研究。主な著書に『所有と分配の人類学』(世界思想社、第37回澁澤賞、第30回発展途上国研究奨励賞)、『文化人類学(ブックガイドシリーズ 基本の30冊)』(人文書院)、『うしろめたさの人類学』(ミシマ社、第72回毎日出版文化賞特別賞)、編著に『文化人類学の思考法』(世界思想社)がある。

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