巨大イベントの光と影/畑中章宏『五輪と万博――開発の夢、翻弄の歴史』
2020年、世界はコロナ禍に揺れ、オリンピック東京大会はまさかの延期に追い込まれました。しかし過去に目を向ければ、五輪や万博は、これまでもたびたび計画変更や中止の憂き目にあい、まさにそれらは「翻弄の歴史」そのものでもあったと著者の畑中章宏さんは語ります。
夢、希望、感動といった文言で飾られ、華やかに演出される祭典の陰では、さまざまな犠牲も払われてきました。本書では、民俗学的視点から土地の記憶を掘り起こし、巨大イベントのもたらす光と影を見つめます。
はじめに 「幻想」の情景
オリンピックや博覧会といった巨大イベントは、国家が近代化を成し遂げていく過程で大きな役割を果たす。経済的な波及効果が大きく、人々の移動を促す。海外からの訪問者や陳列される文物は、世界にさまざまな文化があることを知る契機になるが、ナショナルな意識も強くなる。そして、巨大イベントは国土の開発を促進し、インフラが整備され、国民・市民は多くの便宜を享受することになる。しかし、国土・地域の開発がもたらす弊害もある。
発展を口実とした開発や整備によって、それまであった環境が変貌し、風景に変化をもたらす。巨大イベントは印象深い経験になる一方で、取り返しのつかない傷跡を残してきたのだ。開発の歴史は、翻弄の歴史でもあり、かつてそこにあった民俗が損なわれ、記憶からも消し去られてしまう。ここでいう経験や記憶は、住民だけが持つものではなく、土地のものでもあった。開発や整備という事態に、その場所その土地は、どのような感情を抱いたであろうか。戦前から戦後、現在に至るイベントを検証していくと、こうした土地の声が聞こえてくるかもしれない。これからおこなわれようとしている五輪と万博を前に、そんなことを考えているのだ。
五輪と万博をめぐる社会史を描くことができないかと思ったのが、この本を書くことにしたそもそものきっかけだった。
一九六四年(昭和三九)の東京オリンピックと一九七〇年の大阪万国博覧会は、日本の高度成長に弾みをつけ、成長を全国に波及させた画期的なイベントだったといわれている。この二つのイベントについては、経済史や政治史、また社会学的な立場から数多くの著作が刊行されてきている。そんななかで、また異なる視点から、五輪と万博について叙述することはできるのだろうか。
歴史というものは、いくつもの層から成り立つものであり、それぞれの層によって見えかた、捉えかたが異なることはいうまでもない。その複数の層が並行し、ときには交じわりあいながら流れていく。そんな複層的な時間の流れや空間の変化を、とりあえず社会史と呼んでみることにする。
社会史を描くにはいくつもの視点が必要だろうし、それぞれに精通した専門知識や方法論を動員しなければならないだろう。私がその任にふさわしいかはさておき、五輪と万博に関する自分の記憶を掘り起こしてみたいと思う。
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東京オリンピックが開催されたのは、二歳になる年だったので全く記憶にない。大阪万博のときは小学校の二年生で、大阪に住んでいたため印象に残っていることがいくつもある。
一九七〇年の三月一四日から九月一三日まで、大阪府吹田市の千里丘陵で開催されたこの博覧会に私は三回ほど足を運んだ。一度は小学校の遠足で、あとの二回は家族で訪れたと記憶している。「月の石」の展示で人気を集めた「アメリカ館」は、行列のあまりの長さに見ることをあきらめた。それに比べれば行列が短かった「ソ連館」には入ったはずだが、展示自体はよく覚えていない。
国内パビリオンのなかで印象深いのは「せんい館」と「ガス館」だった。
赤いペンキを塗りたくり、まだ工事中か設営中のようなせんい館では、作業員姿の人形が立ち働いていたことに驚かされた。〝ブタの蚊取り線香箱〟を思わせる外観のガス館は小学生でも楽しめるもので、館内ではワイドスクリーンで、クレイジーキャッツのコント映画が上映されていたと記憶する。
当時の資料を眺めると思い出すことが意外なほど多いので、もしかすると三回以上出かけたのだろうか。ちなみにいま手元において見ているのは、猪熊弦一郎による表紙が美しい公式ガイドブックである。
会場の外では、「立ち止まらないでください!」と繰り返し呼びかけられる「動く歩道」が、「あんなもん歩く歩道や」と、家でも学校でも話題になった。
万博関連のニュースで最も記憶に残っているのは、「アイジャック事件」である。
四月の終わりごろ、「太陽の塔」の右目に、「赤軍」と書いたヘルメットをかぶって、青いタオルで覆面をした男が立てこもった。この篭城事件は、男が逮捕されるまで一週間にわたって連日報道され、万博に関心が薄い人々にも太陽の塔の姿が印象づけられることとなる。「アイジャック」というのは、それからひと月ほど前に発生した日本初のハイジャック事件「よど号ハイジャック事件」になぞらえたネーミングだった。
このアイジャック事件は、万博の閉幕から二か月後に起きた「三島事件」と、自分の記憶のなかではどこかで結びついている。自衛隊の駐屯地に立てこもった末、割腹自殺を図った制服姿の人物が著名な小説家であることは、八歳の私でも知っていた。
しかしいまでも私が万博と聞けば真っ先に思い浮かべるのは、家族とともにお祭り広場で見た「阿波踊り」である。「万国博覧会」なのに、いったいなぜ目の前で阿波踊りが踊られているのか? 霧雨の肌寒い日だったせいもあり、踊りの熱狂を子ども心に冷めた気分で観ていた。しかしそれは、幻想的かつ生々しい情景だった。
大阪万博のおぼつかない記憶をたぐりながら、私は五輪と万博の社会史を描き出すため、ある人物を手がかりにして五輪と万博に近づいてみることを思いついた。その人物は、東京五輪のときには東京都副知事として力を尽くし、大阪万博では事務総長を務めた鈴木俊一である。
この二つのイベントを成功させた鈴木は、東京都知事に就任すると世界都市博覧会を構想した。『五輪と万博』と題した本に、都市博が入っているのはこうした理由からである。私が鈴木に興味を抱いたのは、鈴木の実家が東京昭島の養蚕講習所だったことにある。いまから数年前、日本の養蚕民俗にかんする本(『蚕──絹糸を吐く虫と日本人』)に取り組んでいたとき、たまたまその事実を知ったのも本書を執筆したきっかけのひとつだ。
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五輪と万博のような巨大イベントには、つねに光と影、功と罪の側面がある。しかしそれを、現在の視線から評価してよいものだろうか。巨大イベントには多くの場合、自然に対して造成がおこなわれ、郊外が開発される。そのとき土地はどんな感情を抱いてきたのだろうか。
この本では、土地の記憶といったものをできるだけ叙述してみたい。そうした形で私が関心を寄せる感情の民俗学の視点を少しでも持ち込むことができれば、一風変わった五輪と万博の社会史になるのでは……。そんなことを想像しながら、筆を進めていくことにしよう。