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日本仏教を改革するための提言/平岡聡『日本仏教に未来はあるか』

 仏教との接点はお葬式ぐらいしかない人がほとんどと思いますが、本来の仏教は人々を導くための教えです。本来の意義を失い先細りするだけの仏教を改革するための提言をするのが『日本仏教に未来はあるか』です。その中から出家者以外の人の協力を必要とする戒律復興について述べた箇所を紹介します。

 


 

戒律の復興に向けて

 以上の考察から、戒律の重要性については確認できたと思う。そこで本章の最後に、戒律復興の可能性について考えてみたい。

 前章で指摘したように、日本仏教の問題点は、戒律の衰退あるいは無視にある。これは日本仏教再建に向けて看過できない問題である。ではここで再び佐々木[2002]によりながら、戒律復興の具体策を考えてみよう。佐々木は日本仏教の律蔵不在の問題点を指摘(既述)するとともに、律蔵復興のための具体策も四点に亘って同時に提示している。

 第一は、日本独自の新たな律の導入だ。ないのであるから、まずは導入することが必要になる。これは「仏教が出家宗教である」ことが前提となるので、根本教義に出家という概念を持たない宗派の場合、そもそも律蔵の導入自体が不可能になるので、まずは日本の各宗派を出家主義を旨とするものと、そうでないものとに峻別する作業が必要になるという。

 となれば、禅宗系は出家主義を旨とするので問題ないが、浄土系は出家在家の区別なく念仏往生を説くので、出家主義を旨とせず、律蔵の導入は不可能ということになる。しかし、私はすべての宗派において律蔵の導入は不可欠と考える。浄土宗の場合で考えてみよう。戒律を保つことを往生の条件とすれば、往生できない人が出てくるので、法然は持戒を往生の条件とせず、念仏のみを往生の条件とした。だから、往生にかんして出家在家は問題にならない。

 これを以て浄土宗の出家者は律蔵の導入に反対するかもしれない。にもかかわらず、私が浄土宗に律蔵の導入が必要と考える理由は何か。それは出家者の〝資質(聖性)〟を担保するためであり、決して往生のためではない。戒律を守るのがいやなら、浄土宗の出家者は還俗すればよい。還俗しても念仏すれば往生できるのであるから、後生にかんしてまったく問題ない。後生は保証されている。真宗の場合も同様の理由で、律蔵の導入は必要ではないか。つまりは宗派を問わず、また根本教義に関わらず、日本仏教の各宗派は律蔵を導入すべきだと考える。

 律蔵を導入するとして、第二はいかに新たな規則を作成するかが問題だ。すでに指摘したように、律蔵は外部社会との関係をふまえて制定されるものであるから、出家者側の勝手な思惑に依ることはできず、外部社会の参加が不可欠になる。そしてそのためには、出家者が在家者に対し、仏教僧団にかんする充分な情報を提供することが不可欠となる。その上で、出家者と在家者が共同作業で新たな律を制定することが可能になる。

 第三は、罰則規定の厳格化である。律は法律であるから、違反すれば罰則がある。よって、出家者は制定した規則に対して責任を取らなければならない。たとえば、ある規則を犯した出家者に対しては、僧団側からは僧籍剥奪、一般社会からは布施の停止といった両面からの懲罰を課せられることが必要になるだろう。

 第四は、適切な法改正機能を持たせることだ。律蔵は外部社会と僧団との円滑な関係を保つことが目的であるから、社会の変化に応じて規則は柔軟に変更されることが前提となる。ただし、法改正は単一の機関だけがその権限を持つようにしておく必要がある。というのも、宗派ごとに勝手に法改正が行われるなら、全法体系が瞬時にして瓦解してしまうからだ。

 しかも、その機関には一般人が参入していなくてはならない。規則を作り、それがその社会の中で正しく機能するかどうかを常にチェックし、問題があるなら即座に改正する、という手順の中では、一般人にも承認権が与えられるのは当然であると佐々木は指摘する。この新たな律蔵制定にあたっては在家信者のコミットメントが強く働いていることがわかる。こうした作業は、出家者と在家者がお互いの立場を理解する上でも大切な作業となり、〝社会に開かれた僧団〟になるための貴重な一歩になるだろう。

 第四章でも指摘したように、インドにおける僧団は四衆から構成されており、その中には男性在家信者と女性在家信者も含まれていた。その意味でも、出家者および出家者集団に対する在家信者の働きかけは、教団教団の改革に必要不可欠であることを本章でも再度確認しておく。

 各宗派にはそれぞれの思惑もあるから、全宗派に共通の理念を打ち出し、全宗派に共通の規則を制定するのは不可能に近いが、せめて各宗派独自の戒律を定めることは可能なのではないか。私は檀家制度と世襲制度が日本仏教の病巣と考える。とくに妻帯による世襲制度は、すでに指摘したように、「志」のない僧侶を再生産する装置となっている。日本の地中深くまで根づいたこの制度を短期間で変えることは至難の業だが、戒律の制定とセットで段階的に僧侶の妻帯を禁止し、僧侶の数は減っても少数精鋭の出家者集団を形成しないと、日本仏教の未来はないように思う。

 

書籍

『日本仏教に未来はあるか』平岡 聡 著

 

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