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Close-up! この一冊

『イノベーションするAI』を読んで 申吉浩

 

幅広い領域を扱う人工知能(AI) 

 人工知能(A I)研究に対して、その黎明期から現在まで、長きに渡って多大な貢献をされてきた武藤教授と、私の知己でもある宇田川氏が、AIの啓蒙書を出版されたと聞き、早速読ませていただいた。武藤教授といえば、Science誌に膨大な数の論文を掲載された研究者として高名であり、同じく、Nature誌への単著論文数の記録を持つ南方熊楠を思い起こさせるが、科学が高度に分化している現代において南方熊楠と肩を並べるということは途轍もなく凄いことだと感じる。本書をお読みになれば、発電、電子回路、通信プロトコルから、人工知能、情報セキュリティにわたる幅広いテーマで、平易な語り口ながら、武藤教授の深い研究結果が述べられていることに驚かれるものと思う。

 宇田川氏とは、情報セキュリティの専門家としてお目にかかったのが最初である。日本の情報セキュリティの国際標準化を牽引する研究開発チームのリーダーを勤められていた。パソコンという概念がない時に、部品からコンピュータを組み立てて秋葉原で販売していたなど、パソコンの黎明期に既に専門家として活躍されていた。現在は、人工知能技術を研究する企業の取締役を勤められ、慶應大学湘南藤沢キャンパスでも教鞭を取られており、その多才ぶりを遺憾無く発揮されている。

 

専門性の高い知識と自由な発想が起こすブレークスルー 

 第1章ではブレークスルーを達成する秘訣について述べられている。検索術が果たす役割についての記述が興味深い。武藤教授はインターネット上の情報検索の達人として知られているが、Web検索がサービスとして提供される以前から、情報検索を活用して成果を上げていらっしゃる。本書では、専門知識を持たない著者が、情報検索を駆使して近未来の顕微鏡研究のあるべき姿を正しく洞察し、専門家も驚く顕微鏡のシェアリングシステムを着想するという例が述べられている。専門的に正しい理解と専門性に偏らない自由な発想という二つの一見相矛盾する要素が正しい解決を導いた例であるが、今のインターネットは膨大な知識とリンクしていて、検索術に通じていれば、専門家の準じる知識を獲得することも可能であるという示唆である。もっとも、膨大な知識に接続することができるということは、それらを整理し、体系的に理解する能力が必要であるということであり、それ自体稀有な能力なのではと思わずにはいられないが…。

 

 機械学習は、正しいデータ設定が大事!

 第2章では人工知能とそのバックボーンである機械学習の基本がわかりやすく述べられている。アンサンブル学習、人工ニューラルネットワーク、強化学習、モンテカルロ木探索など、現代の人工知能で使われている機械学習の技法の要諦が初学者にもわかりやすく解説されている。特に、アイスクリームの売り上げ予測に従来の統計の手法である重回帰と人工知能で用いられるアンサンブル学習を適用してみせた例は、統計と機械学習の違いに関して、すとんと腹落ちする説明になっており、手をうつ読者も多いのではないか。機械学習では「モデルはデータから自動的に生成される」という指摘は正鵠を射るものである。

 先に武藤教授にお目にかかった時に、「一番重要なのはデータを正しく設計することである」ということを非常に強調されていた。データの中に成果に結びつく全ての素材が含まれているので、当然といえば当然なのだが、データサイエンティストはデータを与件と考える傾向がある。なぜなら、データの設計にはその領域の専門知識が必要であり、機械学習の専門家にとっては「専門外」であるからである。検索術を駆使して、即成の専門家になり得る能力をお持ちの武藤先生ならではの言葉ではあるが、まねをする努力くらいはせねばならぬと思った。本書においても、データの重要性に関する指摘がちりばめられていて、「AIはコミュニケーション」、「データの取り扱いや実験の繰り返しを行っていく計画性の要素が重要」という記述は、専門家の端くれとして肝に銘じたいところである。

 

 AIとセキュリティは一体のもの

 第3章では、まず、情報セキュリティの基本が網羅的に手際良く整理される。情報セキュリティにはweakest link(セキュリティの強度は最も脆弱な箇所が決定する)という考え方があり、網羅的・多面的にセキュリティを設計することが重要であるが、本章では、情報セキュリティの三要素から始まり、コードの脆弱性、認証、暗号、公開鍵基盤、ハードウェアによるセキュリティと、少ない紙面ながら遺漏なく説明が進んでいく。AIと情報セキュリティの話から、自動運転のセキュリティ、B M I(brain-machine interface)の安全性へと展開するあたりは本書ならではである。実際、機械学習と情報セキュリティは、学会でもホットな研究領域であり、データ駆動型情報処理を行う機械学習では、学習データのセキュリティをどう守るか、学習データが汚染されている時どのようにそれを検出するか、学習データに内包されるプライバシーをどう守るかなどは、最新の研究テーマである。

 余談であるが、一見無関係に見えるが、機械学習と暗号とは同じ学術的問題への異なる方向からのアプローチと解釈することができる。つまり、機械学習が「情報が符号化された時、符号情報のみから元の情報を復号できる限界はどこにあるのか」という問題に対峙しているのに対し、実は、暗号は同じ問題を「復号できない限界を探索する」方向から解こうとしているのである。このように、情報セキュリティとAIは本質的には密接につながっているのであるが、この事実を明確に述べている啓蒙書は少ない。

 

AIを駆使して地球的問題群に取り組む

 第4章はいよいよ著者の本領発揮である。地球温暖化、地熱発電、代替金融、音響工学、天気予報、マグロのフィン、ハラスメントと、話題が発散していくが、いずれも著者が、Science誌を中心に投稿した論文の内容であるという点が凄い。いかに著者の興味のラチチュードが広いかよくわかる。一貫しているのは、過去の科学的発見を盲信するのでなく、かといって、過度に批判的になるのではなく、違った視点から見直すことによって新たな意義を発見しようとする著者の科学に向き合う姿勢である。「心の欲する所に従えども矩を踰えず」という言葉がぴったりなのではないか。

 

科学は時代と共に変わりゆくもの

 本書を読み終わって、序の題「科学とは脆弱で暫定的なもの」の意味が腑に落ちた。「巨人の方の上に立つ」(If I have seen further it is by standing on the shoulders of giants)は、アイザック・ニュートンがロバート・フックに宛てた書簡の中の表現として紹介されることが多いが、「先人の業績の積み重ねの上にあってこそ今の私の発見がある」という意味である。しかし、巨人とても恒久的な存在ではない。科学とは、常に、共感的な好奇心を持って、かつ、正しく懐疑する態度の上に築かれるものである、それが著者が本書を通じて読者に伝えたいものではないだろうか?

 本書は、所謂専門書ではないが、専門的な知識があれば科学的事実に対する深い理解が得られ、初学者であれば科学の基本的で重要な態度を面白く学べる良書であると思う。添付されているプログラムを実行すれば実践力が養われる点も、著者の工夫である。

 

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著者略歴

  1. 申吉浩

    学習院大学計算機センター教授

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