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【試し読み】アミダ仏の出現

釈迦・阿弥陀・大日、これら性格の異なる三尊は、どのようにして仏になり崇拝されたのか。『三人のブッダ』(立川武蔵著)は、インド思想史を踏まえ、崇拝形態と空思想の変遷から、統一した理論を試みた今までにない意欲作である。この三人のブッダはまさしく大乗仏教とは何かという重要なことを端的にあらわす存在なのである。

  


 

2 ヨーガとバクティ

 

本書第1章ですでに述べたようにインドの宗教史は六期に分けられます。第1期は、インダス文明の時代(紀元前2500年から紀元前約1500年の間)です。その後の紀元前1500年頃から紀元前500年頃までは第2期「ヴェーダの宗教の時代」と呼ばれます。この時期はヴェーダ聖典に基づいてバラモン僧たちが儀礼を行っていた時代です。紀元前500年頃から紀元650年頃までの第3期は、非アーリア的な宗教が盛んであった時代であり、「仏教およびジャイナ教の時代」あるいは「非アーリア系の文化の時代」でした。第4期は、650年頃から1200年頃まで、すなわち、ヒンドゥー教の力が仏教のそれを凌いで発展した時代であります。1200年頃から1850年頃までの第五期は、インドがイスラム教から政治的支配を受けた時代であり、その後の第6期、つまり19世紀の中頃から今日に至る時代は、近代ヒンドゥー教の復興の時代です。

「ヴェーダの宗教の時代」と名付けられた第2期は、バラモン教の時代とも呼ばれます。「バラモン」とは、「ブラーフマナ」(ブラフマンを有する者)の訛ったかたちですが、ブラフマンとは元来、呪力のある言葉、呪文のことを意味しました。「ブラフマン」は、後に、宇宙的原理をも指すようになりました。ブラフマンはヒンドゥー教のパンテオンに男性神格として組み入れられてブラフマー神となり、仏教のパンテオンの中に取り入れられて梵天ぼんてん(ブラフマー)となったのです。

古代バラモン僧たちは、ヴェーダ祭式において神々に供物を捧げました。例えば、ヴェーダの宗教を代表する儀礼の一つソーマ祭では、インドラ神(帝釈天たいしゃくてん)などにたいして幻覚剤の一種ソーマ酒を捧げたのです。バラモン僧たちもその酒を飲んだと考えられます。儀礼を行っているバラモン僧たちとインドラ神との間には「交わり」がありました。つまり、インドラ神に対してバラモン僧たちは、この神の好むソーマ酒を捧げ、その代償として神に自分たちの望みをかなえてくれるように願ったのです。インドラなどの神々があたかも自分たちの恵み深い「王」であるかのように、祭官たちは神々に語りかけ、自分たちの願いを伝えました。このような意味で、バラモン僧たちにとってインドラは明らかにペルソナを有する者、すなわち人格神でありました。もっともこの時代の祭式においてバラモン僧たちは、儀礼を依頼した者たちや自分たちに対する神からの恵みを期待し、さらには死後、天界に昇って安楽な生活ができることを願ったのですが、後世のヴィシュヌ信仰に見られるような魂の救済を願ったわけではありませんでした。

今日のわれわれに残されているヴェーダ聖典のもっとも重要なものは『リグ・ヴェーダ』ですが、この神々への讃歌集は紀元前1200年頃から紀元前900年頃までに編纂されたと考えられます。『リグ・ヴェーダ』をはじめとするヴェーダ聖典に基づいて多くのバラモン僧たちは儀礼を執行し、王族たちもバラモン僧たちが執り行う儀礼を重視しながら政治を行いました。しかし、紀元前7世紀頃ともなると、このような儀礼主義に対してバラモン僧たちのあいだにも反動が起きました。主知主義的な態度をとる者たちがウパニシャッドと呼ばれる聖典群を編纂し始めたのです。この新しい運動では、ヴェーダ祭式が拒否されたわけではありませんが、個我(アートマン)と宇宙原理あるいは世界原理(ブラフマン)とが一体であることを直証することが求められました。注目すべきは、ウパニシャッドにおいて語られるブラフマンは中性原理であって人格神ではなかったことです。

ヴェーダの宗教 (バラモン教) の時代を代表するヴェーダの儀礼主義とウパニシャッドの主知主義はその後のインドの精神文化の二本の柱となりました。後世のヒンドゥー教においてこの二本の柱にバクティつまり帰依(献信)の伝統が第三の柱として加わったのです。ヒンドゥー教においてバクティの伝統が第三の柱となった時期とインド仏教、特に浄土思想において帰依(バクティ)の伝統が生まれた時期とは、ほとんど同じでありました。

紀元前500年頃から仏教およびジャイナ教が勢力を有するようになったのですが、それ以前からヴェーダの宗教はすでに力を弱めていました。しかし、その後、紀元前2、3世紀頃からヴェーダの宗教の要素も残しながら、土着的な文化の要素も組み入れて、新しいかたちのバラモン主義が復活してきました。その形態をヒンドゥー教と呼ぶのが一般的です。

ヒンドゥー教の実践にあっては、ヨーガとバクティという2つの伝統が重要です。ヨーガの行法は仏教の誕生以前からすでにインド・アーリア人たちに知られていたのですが、その起源はインド・アーリア人にもともとあったものではなくて、ドラヴィダ系の民族が有していた実践形態がインド・アーリア人の文化の中に組み入れられたものと考えられます。

すでに述べたようにブッダ誕生の年代ははっきりしませんが、はっきりしていることは、ブッダもヨーガ行者であったことです。その後、仏教およびヒンドゥー教においてヨーガはもっとも重要な実践の方法として用いられてきました。

ヨーガという宗教実践の伝統とは別の伝統として、遅くとも紀元前1世紀頃には「人格神に対する崇拝によって個々人の精神的至福を求める方法」すなわちバクティ崇拝が生まれてきました。先述のようにインドラ神も人格神であり、この神と祭官たちの間には「やりとり」あるいは交わりがあったのですが、人格神への帰依(バクティ)という崇拝形態はヴェーダの宗教にはなかった、少なくとも一般的ではなかったのです。

ヒンドゥー教や仏教における帰依の伝統を考える際、同時にヨーガの伝統をも考慮に入れなくてはなりません。というのは、インドの宗教の歴史においてもっぱらヨーガあるいはバクティのいずれかによって救済が追求されることが多かったのですが、バクティ崇拝はヨーガの実践を伴いながら存続した場合がしばしばであったからです。

ヒンドゥー教においては、ヨーガの実践はすこぶる古く、初期ヒンドゥー教の形成以前にすでに行われていました。しかし、バクティ(帰依)が明確な救済方法として登場するのは『バガヴァッド・ギーター』(『ギーター』)においてです。この文献はインドの叙事詩『マハーバーラタ』に挿入された700偈ほどの頌歌です。インドの文献としてはむしろ小品なのですが、『ギーター』は今日までヒンドゥー教、特にヴィシュヌ派におけるバクティの伝統の聖典として用いられてきました。この聖典では、神クリシュナすなわちヴィシュヌが王子アルジュナに対して、ヨーガの道、知識の道および帰依(バクティ)の道という3つの道の統合を説いています。

 叙事詩『マハーバーラタ』が現在の形をとるのは5世紀頃ですが、その原形はおそらく紀元前2世紀に遡ると思われます。もっとも『マハーバーラタ』の中には仏教誕生以前、すなわち紀元前5世紀以前の古いエピソードも含まれています。『ギーター』はおそらく紀元前2世紀から紀元後2世紀の半ばまでに形成されたと考えられます。『ギーター』が今日の形を採ったのは150年頃と考えられていますが、これは大乗仏教が台頭しつつあった時代です。

中国や日本の仏教者たちが『般若心経はんにゃしんぎょう』に対してそれぞれの立場から注を施してきたように、後世のヒンドゥー教の思想家たちはこぞって自分たちの考え方を『ギーター』に対する注の形で述べてきました。『ギーター』に対して、シャンカラ(800年頃)、ラーマーヌジャ(11世紀後半から12世紀前半)、マハーラーシュトラの聖者ジュニャーネーシュヴァラ(13世紀末)といった古代、中世の思想家たちの注が残されています。さらには独立運動家ローカマニヤ・ティラク(1856~1920)、オーロヴィンド・ゴーシュ(1872~1950)、ガーンディー(1869~1948)といった近代のヒンドゥー教の復興に貢献した人たちも『ギーター』に対してそれぞれの立場から注釈をしています。『ギーター』の注釈史はヒンドゥー教の思想史ともいえましょう。

インドが第4期に入り、仏教を支えていた商人階級が没落し、インドが農村を中心とした世界へと入ってしばらくした頃、つまり800年頃にインド哲学最大の哲学者シャンカラが生まれました。彼は第4期の初期、つまりヒンドゥー教が支配的だった時代の先駆的イデオローグとして、ウパニシャッド聖典群に注をすることによって古代のバラモン的な精神を蘇らせたのです。もっともシャンカラにとっての究極的な存在は中性的、非人格的な原理でした。シャンカラにあっても人格神に対するバクティ崇拝の側面がないわけではなかったのですが、シャンカラはバクティよりもヨーガに重点を置きました。

第4期の末期、すなわちインドがイスラム教支配下に入る直前に神学者ラーマーヌジャが生まれました。彼の説く神イーシュヴァラは、人格神ヴィシュヌでした。シャンカラはどちらかといえばシヴァ崇拝との関係が深く、彼の崇拝するシヴァはヨーガ行者としての性格の強い神です。一方、ヴィシュヌはヨーガ行者というよりは人々の保護者であり、自分の姿をさまざまに変えて人々を救うような神であって、シヴァのように森の中で瞑想に耽っている行者ではありません。ラーマーヌジャ以後、ヒンドゥー教においてはバクティの伝統がますます重視され、今日に至っています。

 

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著者略歴

  1. 立川武蔵

    1942年、名古屋市生まれ。名古屋大学文学部卒、名古屋大学大学院中退後、ハーヴァード大学大学院修了(Ph.D.)。文学博士(名古屋大学)。専攻はインド学・仏教学。名古屋大学文学部教授、国立民族学博物館教授、愛知学院大学文学部教授を経て、現在、国立民族学博物館名誉教授。著書は『女神たちのインド』『ヒンドゥー神話の神々』(せりか書房)、『中論の思想』(法蔵館)、『ブッディスト・セオロジー(Ⅰ-Ⅴ)』『空の思想史』(講談社)、『マンダラ』(学習研究社)、『マンダラ観想と密教思想』『般若心経の新しい読み方』(春秋社)、『ヒンドゥー教の歴史』(山川出版社)など多数。

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