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人と鳥の文化誌 細川博昭

人間と鳥の特別な関係は、歴史の黎明期に始まった

はじめに

 人類がまだ、肉食の獣に追われる弱い生き物だった頃から、その頭上や視線の先には鳥がいた。
 数千年前、数万年前に生きた人々も、今と同様、夜明けにねぐらを飛び立ち、さえずる鳥の声で朝の訪れを知ったはずだ。また、特定の鳥が渡ってくるのを見て、春の訪れや冬の訪れを知ったと考えられている。
 翼をもつ鳥は、身に危険が迫っていると感じた瞬間、翼をはためかせて遠方へと飛び去る。肉食の獣に襲われようとするまさにそのとき、逃げ去る鳥の姿を恐怖に震える視界の隅に見て、「ああ、あんな翼がほしい……」と願い、「翼があれば、こんな目にあわずにすんだのに……」と悔やんだ祖先もいたにちがいない。

  一方で、罠や弓などで捕らえた鳥は、貴重な食料となり、人間の命をつなぐものとなった。今、私たちがこうして生きて繁栄しているのも、長く歴史を重ねてこられたのも、タンパク源として、その生命を提供してくれた動物たちがいたおかげであり、その動物の何割かは、まちがいなく鳥だった。食料の大部分を鳥でまかなっていた土地もあったことだろう。
 やがて、少しずつ文化・文明を発達させた人類は、現代にいたるあいだに、さらに多くの接点を鳥ともつようになる。それは自然な流れだった。

 

1 連綿と続く鳥と人との関わり

 

鳥がいるから世界は楽しい

 

 鳥の愛好家はもちろん、さまざまな分野の芸術家も、鳥に関係する領域の研究者の多くも、「鳥がいなければ、鳥との関わりがなければ、人類の歴史はずっと味気ないものになっていたにちがいない」と思っているだろう。
 絵画や彫刻、文学、音楽や舞台芸術の中、その重要なモチーフとして鳥が採用されているものは枚挙に暇がない。その事実が、世界の人々と鳥との関係の深さや、接点の多角性を示している。

  だが、ふつうに暮らす多くの人にすれば、鳥は空気のようなもので、そこにいてあたりまえ、そこにあってあたりまえのものでもあった。鳥の声が、遠く、近く、どこかから聞こえてくるのも、風の音や木々の葉擦れ、小川のせせらぎや海鳴りと同じように、ただ自然のうちに存在する環境音のひとつにすぎなかった。
 科学が進み、進歩的な暮らしをするようになってからは、鳥のことを、綺麗な羽毛や姿をもち、ときに美麗なさえずりで癒しを届けてくれる存在ではあるものの、生物としては人類よりもはるかに劣っていて、虫や魚と同様、知性も感情もない下等な生き物と見下してきた傾向もある。
 さえずりも、求愛などの行動も、本能に従うだけで、彼らに高度な脳活動など存在しないと信じられてきた。
 本当は、そんなことなどないにもかかわらず――。
 世界の多く土地で、そういう思考を後押ししたのは、科学と宗教だった。

 他方、空や樹上から、世界や世界の一部である人間を見てきた鳥の人間に対する印象は、「昔は樹の上にいた生きものが、最近になって地上を二本足で歩き回るようになった。急に増えた……」という感覚に近いのではないかと思う。長い進化の歴史をもつ鳥からすれば、500万年前、1000万年前など、ごく最近のことだから。
 どれだけ人間が科学を発達させようと、ほかの動物と同様、鳥にとって、人間的な文明など不要で、特に関心をもつようなものでもなく、人間から大きな影響を受けることもない。人間との関わりや距離感も、基本的には従来どおり。なにも変わらない。
 ただ、人間がつくる環境などで、利用できるものがあったら利用してやるかと、「思考」ではなく、本能からくる「感覚」で実行するのみ。
 人間のそばにいれば猛禽もうきんや肉食獣から襲われることが減るとわかれば、人間のそばへ。人間がつくる建物が子育てに最適と感じたら、そこに巣を。人間の近くで暮らすと食料が得やすいとわかれば、そこに定着するものが増える。
 安全な環境、食料を得やすい環境を見つけてそこに馴染むこともまた、本能にもとづいた鳥の暮らしの一部であるのだから。

 

1億年先を行く先人

 

 人類の歴史がせいぜい数百万年なのに対し、進化の過渡期も含めると、鳥の歴史は1億年を超える。
 鳥と恐竜のあいだには明確な境界がないので、恐竜時代も事実上鳥の時代と考えることができ、そうなると、2億3千万年前には地上に存在していて、二本足で闊歩していたとみることもできる。
 ここからも、人と鳥、どちらが「先人」だったのかは明白なこと。

 音楽。ダンス。衣装デザイン。飛行するためのノウハウ――。鳥が教えてくれたこと、人類が鳥から積極的に学んだことは無数にある。
 その優れた記憶力、飛翔能力から、伝書使――手紙や重要書類の運び手だったこともある。鳥が運んだ情報によって莫大な富を得た人物さえいたのだ。
 鳥に対してだれがどんな目を向けようと、見つめるその目に事実とは異なる偏見が含まれていようとも、人間が歴史の階段を登っていく過程で、鳥を師匠として、鳥から多くを学んだことは否定のできない事実である。さらには、科学が進んだ今だからこそ、あらためて鳥から学びたいことも無数にある。
 科学や医学は、鳥の身体構造や脳構造に熱い目を向けている。鳥がたどった進化の道から、人間にとって重要な多くの示唆が得られると確信する研究者も少なくない。

 鳥と人間が交わる関係、文化は、縦糸と横糸で丁寧に織り上げられたタペストリーのようなものだと感じている。そこには色鮮やかなたくさんの絵が浮かんでいる。そこに見られる絵、デザインこそが、鳥と人間の接点が生み出してきたものだ。
 この連載では、「宗教、信仰と鳥」、「人間と鳥との関わり」、「鳥の利用」などを軸に、関係する文化誌から、その様相を立体的に解説してみたいと考えている。それをもとに、人と鳥との関係史、鳥とつながる文化を広く俯瞰できる連載にしたい。
 日本に絞って解説したほうが伝わりやすいところは日本を中心に解説させていただくが、音楽のことや神話のことなど、より広い目で眺めたい領域については、日本に留まらず、世界の事例を取り込むかたちで解説していく。

  また、人間は鳥から多くの恩恵を受けてきた一方で、「恩人」でもある鳥を、言葉にできないほどの「ひどい目」にもあわせてきた。羽毛や脂、肉を得るために大量に捕獲して殺した過去がある。結果的に、多くの鳥を絶滅させたり、絶滅寸前に追い込んだりもした。
 関係史の中の負の側面だが、人間と鳥との関係を立体的に知るためには、こうした事実にも目をつぶるわけにはいかない。

 先に出版した『鳥を識る』では、鳥の進化や身体構造から「鳥とはなにか」を掘り下げ、同時に、なぜ鳥と人間が似ているのかをテーマに文章を綴らせていただいた。本書を下地にこの連載を読んでいただけたなら、より深く鳥のことを識ることができると同時に、人間についても理解が深められるのではないかと思っている。

 

2 鳥の利用、鳥との関わり

 

利用される鳥

 

 原始の時代から今に至る過程で、私たちは鳥を貴重な食料としてきた。狩りは長く行われてきたが、やがて身近に置いて飼い馴らす「養鶏」なども始まって、肉や卵の「生産」が行われるようになっていく。
 飼育された鳥の筆頭はやはりニワトリだが、その後、欧米においては、シチメンチョウやホロホロチョウなども家禽化された。
 野生種だったセキショクヤケイ(赤色野鶏)の飼育が始まったのは、日本がまだ縄文時代で、世界でいわゆる四大文明が起こる以前のこと。1万8000年前から8000年前のどこかで飼育が始まったと推測されている。飼育は、セキショクヤケイの本来の生息地である東南アジアでまず行われたが、ほどなくインド、中国、メソポタミアにも広がり、それぞれの地で「家禽化」が試みられて、「ニワトリ化」が進んだことがわかっている。

 鳥は、鷹狩り(放鷹)や鵜飼などのかたちで狩りや漁にも利用された。鷹狩りについては、中央アジアの遊牧民がその拡散に大きく寄与したことが判明している。
 美麗な鳥のさえずりを聞いたり、籠の中でのふるまいを見ることに「癒し」の効果があることに気づいた人々は、鳥をメンタルケアやリラクセーションにも活用するようになった。
 室町時代から江戸時代の日本で、洗顔料としてウグイスなどの鳥のフンが利用された話はよく知られている。それは文化として、昭和の頃まで残っていた。ウグイスのフンを使った洗顔、美顔術については、欧米のセレブを中心に、関心をもつ層が今もいるという。

 

鳥由来の苗字、鳥由来の地名

 

 飛来したツルを見ることができる場所だからから鶴見。ウの繁殖地だったから鵜住居うのすまい。サギがよく訪れる沼の近くに住んでいたから鷺沼という苗字になったなど、鳥に由来する地名や苗字も少なくない。そうした事実もまた、鳥との関係を示唆するものとなる。
 ウグイス色やとき色、烏羽からすば色など、鳥の羽毛の色に由来する色も少なくない。カナリア色(canary yellow)や、クジャクの羽毛の青・緑(peacock blue/peacock green)、フラミンゴ色(flamingo)など、日本以外でも同様の命名法を見る。花の色や花を使った染色が由来となった色は世界各地の言語にあるが、そうしたものとともに、身近な鳥が由来となった色も広く世界に存在している。

 

鳥を飼う意味

 

 鑑賞を目的とした鳥の飼育がいつ始まったのかは定かではない。古代においては、文字による記録は存在せず、人間との関わりの証拠となる骨も、小鳥類ではすぐに分解されて、ほとんど残らないからだ。
 わかっている鳥の飼育でもっとも古いのはやはりニワトリだが、飼育が始まった当時も、それからしばらくたったあとも、ニワトリを身近に置いたのは、肉を食べたり卵を取ったりすることが目的ではなく、神の意思を確かめるための「神事」が目的だったと考えられている。
 鹿の肩甲骨や亀の甲羅を焼き、そのひび割れを見て未来予測をしたのと同様に、ニワトリの骨も卜占ぼくせんに利用されたらしい。また、2つの相反する結果をニワトリに託し、両者を戦わせて(闘鶏を行って)、その勝者から村や属する集団の未来を占う(勝った方のニワトリに託した未来となる)といったことも行われていた。
 古代の日本でも闘鶏による神事が行われたが、世にニワトリが誕生したごく初期からユーラシアの各地でこうした神事が行われていたことから、その文化も合わせたかたちで日本列島にニワトリが持ち込まれた可能性が高いと考えられている。 

 やがて、古代の村は戦争の果て、あるいは平和裡に統合されて国となり、そこに権力をもった支配者(=王)が誕生する。初期の国では、王のほかに巫女・シャーマンも独特な地位をもち、そうした宗教的な指導者は占いによって吉凶を知る努力をした。もちろん、王が宗教的指導者を兼ねていた国もある。王が支配する時代になっても、ニワトリなどを使った占いは、少なからぬ国で続いたと考えられている。

 さらに時代が進み、支配者がもつ権力が大きくなってくると、鳥を飼うことの意味合いが変化する。鳥を飼うことは権威の象徴となり、支配者の力の強さを示すものとなった。
 大きな権力をもつ者でなければ手に入らない珍しい鳥や大きな鳥を飼って下々に見せつけることは、支配者の満足感にもつながっていったようだ。

  

3 原始、鳥は神だった

 

原始的な宗教のもとでの鳥

 

 文明化する以前の人々は、自然の中に神を見ていた。風や稲妻など、自然のあらゆる現象に霊的なものを感じて、祀り、崇めた。こうした原始的な自然観、宗教観はアニミズム(精霊信仰)と呼ばれる。
 野の動物の内にも神の存在を感じ取ったが、多くの土地において、自由に空を飛翔する鳥は、数多の動物の中でも神に近い特別な存在と認識されたようだ。
 古代においては、秋になるとやってきて、翌年の春に姿が見えなくなるカモなどの渡り鳥は、どこから来てどこに去るのかわからなかったこともあり、彼岸と此岸を行き来している存在と想像され、この世とあの世を往復する「霊力」をもった存在と考えられることも多かった。それゆえに、死者の魂は鳥となって空を飛び抜け、彼方にある死者の国へと至るという思想も生まれた。
 特に、大型で全身が真っ白のハクチョウには、ほかの鳥以上の神聖さを感じることも多かったようで、たとえば日本神話において、大和への帰路で力尽きたヤマトタケルの魂が、親族によってつくられた墓所(御陵ごりょう)からハクチョウとなって飛び去ったというエピソードが、そうした思想を如実に語っている。
 古代エジプトでも、死者とともに埋葬された葬祭文書である「死者の書」や神を描いた壁画の中、死者の魂は鳥や翼ある小人として描かれた。

 古代の人々にとっては、渡りをする鳥と並び、小動物を襲ってその命を奪う猛禽類もまた、特別な存在であったことがわかっている。ワシ、タカ、ハヤブサなどのタカ類・ハヤブサ類、フクロウ類が特別視されたことを、各地の神話や伝承から知ることができる。
 猛禽類が特別視された証拠は、人間が暮らした遺跡からも見つかっている。
 日本の三反田蜆塚貝塚みたんだしいづかかいづか(茨城県ひたちなか市/縄文時代後期)からは、埋葬されたことが確実なオジロワシの全身骨格が出土した。この遺跡からは、鳥型の土製品も発掘されているが、くちばしの形状などから猛禽類がモデルであることは明らかで、埋葬された鳥の骨の例からも、古来よりこの土地に飛来していたであろうオジロワシを模して作られた可能性が指摘されている。
 オジロワシは冬場にのみ見られる渡り鳥でもあったことから、二重に神聖さを感じ、より高い階梯にある存在と見なされたのかもしれない。この貝塚を利用した人々が、オジロワシを信仰の対象とし、村の守り神として祀っていた可能性もある。

 

 「三反田蜆塚貝塚 オジロワシ出土状況」(ひたちなか市教育委員会 所蔵)

 

「三反田蜆塚貝塚 鳥型土製品と鳥型把手」(ひたちなか市教育委員会 所蔵)

 

「鳥装」という慣習

 

 王権が強まりつつあった日本の弥生時代においても、鳥は神に近い存在として崇拝の対象になっていたほか、一部の村では、宗教的な指導者(シャーマン)が自身の神への近さを周囲に示すために、鳥をまねた衣装を身につける「鳥装ちょうそう」をしていた事実がある。

 

「清水風遺跡 絵画土器(鳥装の人物)」(弥生時代)
(奈良県立橿原考古学研究所 提供)


 鳥に似た装いは一般人には許されず、巫女の証として、その権威を示すものだったが、そうした衣装を身につけることで特別な精神状態になり、神に近づき、その言葉(神託)を得やすくなったのではないかという説もある。
 古代エジプトでは、その主たる神であるホルスやトトやイシスは、それぞれの頭部がハヤブサ、トキ、トビとして描かれていたり、古い時代は完全に鳥として描かれたりもした。そうした事例も、鳥に神性を認めていたことによる。
 巫女が鳥装した背景には、その心の内には古代エジプトの神のような鳥に似た姿の神が存在していて、その姿に近づきたいと願った、ということもあるのかもしれない。 

 神話をもとに鳥と人との関係をひもとくと、興味深い事実にたくさん出会う。次回は、「鳥と神話」をテーマに、少し深く掘り下げてみたい。

 

 

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鳥を識る なぜ鳥と人間は似ているのか

細川博昭著

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著者略歴

  1. 細川博昭

    作家。サイエンス・ライター。鳥を中心に、歴史と科学の両面から人間と動物の関係をルポルタージュするほか、先端の科学・技術を紹介する記事も執筆。おもな著作に、『鳥を識る』(春秋社)、『身近な鳥のすごい事典』(イースト・プレス)、『江戸時代に描かれた鳥たち』『知っているようで知らない鳥の話』『鳥の脳力を探る』『身近な鳥のふしぎ』(SBクリエイティブ)、『大江戸飼い鳥草紙』(吉川弘文館)、『うちの鳥の老いじたく』(誠文堂新光社)、などがある。
    日本鳥学会、ヒトと動物の関係学会、生き物文化誌学会ほか所属。

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