リタイアなき時代を生きる“流浪の民”(ジェシカ・ブルーダー『ノマド 漂流する高齢労働者たち』) 鈴木素子
2000年代のアメリカに新しい貧困層が登場した。いまやアマゾン倉庫やキャンプ場、野菜加工場といった季節労働の現場を支えるのは、車上生活の中高年たちである。彼らを追った『ノマド――漂流する高齢労働者』(ジェシカ・ブルーダー著)は、格差社会の現状ルポであると同時に、日本の未来を予感させもする、渾身のノンフィクションだ。翻訳をてがけた鈴木素子氏が、本書誕生の背景、読みどころを伝える。
あたりまえだが、私たちは生きているかぎり、歳をとる。長寿という幸運には、もれなく「高齢期」というおまけがついてくる。私たちの多くは青年期から壮年期にかけての人生の最盛期を何十年も労働に費やすが、その理由のひとつは、老いの日々を体をいたわりつつ心安らかに送りたい、という願いだろう。あるいは願いは、リタイア後こそが本当の人生とばかり、自由を謳歌するエネルギッシュな日々かもしれない。
けれども、そうして何十年という年月を懸命に働いたあげく、前触れもなしにルールが変わったとしたらどうだろう。リタイアするどころか、若い頃より単調で肉体的にきつい、最低限の報酬しか得られない仕事に長時間従事しながら、やっとのことで生きていくしかないとしたら?
本作品タイトルの「ノマド」は、本来は遊牧民や放浪者を意味する英語だ。日本では、決まったオフィスに縛られずカフェやレンタルスペースで働く人を指してノマドと呼ぶことがあるが、本書のノマドは比喩的表現ではない。文字どおり、放浪する人々だ。本来の意味でのノマドが、現代アメリカに出現しているのである。
本作品は、広大なアメリカの国土を舞台に、季節労働の口を求め、安眠できる場所を探して移動を続けるノマドを描いた、現代の叙事詩だ。著者は執筆に先立ち三年にわたる取材を行ったが、失意や傷ついたプライドを抱え、ときに人目を憚りながら生きている彼らの真実に迫るには、著者自身も相手の懐に飛び込み、車上生活の苦楽をともにする必要があったという。「客観的にとらえ、伝える」というジャーナリズムの原則を忠実に守りつつ、問題の大きさとインパクトを見据え、取材対象に寄り添う著者のまなざしが感じられる作品である。
現代アメリカのノマドは、二〇〇八年の金融危機のあおりを受けて住宅を手放し、車上生活に移行した人が多いという。当時のアメリカでは、サブプライムローンの破綻とともに住宅の差し押さえ件数が急増した。日本とちがい従業員本人が資金を拠出する401kは株価暴落で大打撃を被り、年金をすべて失う人も続出した。アメリカは離婚率が高く二組に一組が離婚すると言われるが、その離婚にも訴訟費用や養育費など、総じて日本より多額の費用がかかる(そもそも、離婚率の高さは貧困とも関係が深いという)。追い打ちをかけるように、リーマンショック後のアメリカでは、不動産価格の高騰が止まらなくなっている。その結果、富裕層と低所得者層(低所得者層は住宅補助をうけられる)を除く中間所得者層が、高騰する家賃を払えずに悲鳴を上げる事態になっている。
年金生活を目前に控えた私にはノマドの現状がとても他人事とは思えず、ときに焦燥感と危機感に苛まれながら読んだ。日本とアメリカでは労働法、年金制度、健康保険、福祉政策などが異なるので、日本人がすぐに同じ状況に置かれることはないかもしれない。だが、私がこれを書いている今週は偶然、リーマン・ブラザーズの経営破綻からちょうど一〇年の節目にあたっている。各メディアでこの一〇年を振り返る報道が先日から目立ちだしたが、いずれも再度のバブル崩壊を懸念する論調だ。これまでにも大きな金融危機がほぼ一〇年サイクルで起きていることに加え、サブプライムローン(一〇年前は住宅向けだったが、いま懸念されているのは自動車向け。本文でも触れられている)の焦げつきも増加中だ。しかもこの一〇年で巨大IT企業による市場の寡占が加速し、所得格差はますます拡大している。ここでまた経済恐慌が起きるようなことがあれば、一〇年前をはるかに上回る影響が出かねないというのだ。
経済がグローバル化したいま、アメリカの経済危機が対岸の火事では済まないことは、私たちも痛いほど経験している。日本国内を見ても明るい材料は乏しく、先が見えない。少子高齢化が急速に進み、年金や医療保険の財源が先細るなか、自己責任の範囲は拡大するばかりだ。
そんな危機感を抱かせるにもかかわらず、本書の読後感は意外に明るい。車を生活の場とするライフスタイルに、自由への憧れが刺激される。登場するさまざまなキャンピングカーや改造車の写真を眺めていると、尽きせぬ興味がわいてくる。そしてノマドの人々のたくましさ、明るさに触れ、アースシップ*の存在を知るにつけ、狭い視野にとらわれた生き方を守ることに汲々としていた自分に気づかされる。
「経済はゲームだ」と言い、ゲームごときに左右されない真の生き方をめざすレイノルズ*の姿勢に、深い共感を覚えた。
著者ジェシカ・ブルーダーは名門コロンビア大学の大学院でジャーナリズムを学んだ後、精力的にサブカルチャー関連の取材・執筆を続け、数多くの新聞・雑誌やウェブサイトの編集・記事の執筆にかかわっている。ノマドの現状を経済問題としてだけでなく、サブカルチャーとしての側面からも捉える著者の視点には、そんな背景があるのだろう。そしてそれが、歴史の流れのなかにワーキャンパー*を、そして現代人を位置づける、大きな視野を提供している。
ノマドの生き方の根底には、ソローの『森の生活』にも通じる豊かな精神の泉がある。そこには私たちが汲み上げるべき貴重な資源があるのではないだろうか。
*アースシップ:構造や素材を工夫し、特別な装置を使わず太陽熱を利用できるようにした自作の住宅。土を詰めた古タイヤを耐力壁とし、空き缶や空き瓶などの廃棄物を建材にする。本書では、ノマドの一人が車上生活以外のひとつの可能性として、アースシップ建築を計画する。
*レイノルズ:アースシップを考案したニューメキシコの建築家。
*ワーキャンパー:短期の仕事を求めて車で国じゅうを移動する季節労働者。労働の対価は電気、水、下水道つきの、無料で使えるキャンプサイト。賃金が出ることもあれば出ないこともある。
(訳者あとがきを一部変更し、加筆しています)