『ダンマパダ』のブッダの精神と現代が交差する、禅師の名講話集/山田無文『法句経 真理の言葉〈新装版〉』
釈迦の言葉に最も近いとされる『法句経(ダンマパダ)』は、今もなお世界各国の人々に親しまれている経典です。『法句経 真理の言葉〈新装版〉』(山田無文著)は、禅師がその中から名句を選び、流麗な訳文とともに、現代の逸話とを重ね合わせて、ブッダの精神と実践を語る名講話集です。その一番初めの講話を紹介したいと思います。
ブッダにかえれ
日本には宗派はあるが、仏教はない、と、こんな厳しい批判がある。仏教の学者は、たくさんおられるが、仏教を行ずる人はない、とも聞かされる。
「祖師にかえれ」という言葉は、まま聞かされるが、「ブッダにかえれ」という仏教の基本的スローガンは、あまり聞かされない。
「祖師にかえれ」という純粋な言葉も、ややもすると「祖師の本山を護持し、宗団を発展させよ」 という、極めて低い宗我の発露にすぎぬ場合が多い。「勿体なや、祖師は紙衣の九十年」と歌った知名の師はあるが、そのように紙衣の生活を行じた人を見ない。
「ブッダにかえれ」という枯淡な言葉は、家庭を棄て、財産を棄て、地位さえ棄てて、ひたすら真理のために一身を捧げられたブッダの精神と、その実践に帰ることを意味する。
かつてベトナムの仏教指導者たちが、後を追うて護法のために焼身自殺したが、そのように、熱烈な仏教者が今日の日本にあるであろうか。
国民の8割を占めるという、南ベトナムの仏教者たちが、塗炭の苦しみをなめておったとき、日本の仏教者たちはなぜ救済の手を差しのべなかったのだろうか。それは日本には宗派はあるが、仏教がないからであろう。
大乗仏教が厖大な哲学体系をもって発達したことは、後世の仏教者を眩惑させるに十分であった。その厖大な哲学体系の一面をつかんで、われこそブッダの真理を把握せりと信じて、それぞれの宗派を開いたのが、各宗の開祖であり、祖師である。しかし彼らがブッダの真理を真に把握したであろうか。群盲評象の寓話の如く、ブッダの真諦の一分を味得したにすぎないものが多いと思う。
不立文字、教外別伝を標榜する禅門こそ、宗派を超越して、ブッダの真精神に直参する、唯一の日本仏教であろう。と思われるのに、それさえ伝灯の相続に汲々たるに至っては、日本に仏教なしといわれても、弁解の余地はなかろう。
況んや、壮大な殿堂に寄食して、ひたすら寺門の繁栄と貴族的生活に偓促して、自己の調御さえ顧みない、僧正・長老の多きに至っては、涕泣悲涙もなお足らぬ現状といわねばならぬ。
われらはもう一度、複雑なる宗団の組織を超脱し、煩瑣なる教学を抱擲して、一人ひとりが一個の求道者として、仏子として、人間ブッダの傘下に帰るべきではなかろうか。そして世界の仏教徒が手を把りあって、人類恒久和平のために精進すべき時ではなかろうか。
ブッダは、生誕されると、直ちに周行七歩、右の手は天を指し、左の手は地を指して、「天上天下唯我独尊」と叫ばれたという。この説話は単なる伝説であったろうか。教祖を神秘化するための捏造であったろうか。
わたしは思う。この生誕の説話こそ、仏教そのものの性格を、端的に表現された寓話である。
ブッダが、生母マヤ夫人の右脇から生まれられたということは、ブッダの種族が、インドのカーストの中のクシャトリヤ種であった事を示すものであることは明らかである。そして生まれると、すぐ立って周行七歩を歩かれたということは、世界の主は人間であるとして、人間そのものの自由と権威を象徴されたものであろう。
天上天下唯我独尊と呼ばれたことは、人間の上に支配的権威あるものを認めず、人間の下に誘惑的魔障のあることを許さず、人間こそ絶対の尊厳者であることを表現されたものと言わねばならぬ。
仏教の根本思想が、人間の一人ひとりをして、自由にして尊厳なる、智慧と慈悲を内包する絶対的主権者としての自覚を持たしめるものであることを思うとき、そう解釈せざるを得ぬのである。
ブッダは、今日はネパール国を名乗るヒマラヤ山脈の麓にあるカビラという国の王子として生まれられた。そして当時、すでに高度に発達していたインドのあらゆる学問を学びつくされ、運動競技も、すべてのライバルを仆して、ヤショダラ姫を手に入れられたほどに熟達しておられたという。しかも冬の御殿、夏の御殿、雨季の御殿と、遺憾なく完備された宮殿に在って、思いのままに享楽できる最も恵まれたご身分であられた。それほど幸福に満たされた、何一つ不自由のない王子が、どうして最愛の妻子を捨て、敬慕する父母の愛情を裏切り、一国の富貴を抛って、なぜ孤影蓼々として檀特の山の中へ入られたのであろうか。
それは物質的・動物的享楽の無意味と、その空虚と哀愁を痛感されて、永遠なる人生、真実の価値性を求めて、解決の予測さえない、求道の旅に出られたのである。誰かがやらなければ永久に解決され得ない、この人類の大問題を担うて、厳しき決意の下に出家されたであろう。
山中で最後に遇われた道の師は、アラーラ・カラーマ、ウッドラマ・プトラという二人の仙人であったという。二人は教えて言った。「非想非々想処――何にも想わない、想わないということさえない、その境地こそ悟りだ」と。
そのような浅薄な論理で、納得するブッダではなかった。 ブッダは尋ねられた。「その非想非々想処の境地には自我は有るか無いか。もし自我が有るならば非想非々想も、卑怯なる精神的逃避にすぎない。もし自我が無いならば、非想非々想と誦えて見ても、何らの意味を持たないであろう」。こう尋ねられたとき、二人の仙人は、ついに答える言葉を知らなかったという。
そこでもはや、この世の中に師とたのむ人は一人もない。学ぶべき道もない。只ひとり自らが悟るより救われる道はない、と、遂に山深く分け入って、6年の難行苦行をつづけられたのである。
そして35歳の12月8日、ニレンゼン河のほとり、ブッダガヤの聖地において、ふと暁の明星を見られたとき、忽然として大悟徹底されたのである。そのとき思わず、「奇なる哉、奇なる哉、一切衆生悉く皆な如来の智慧徳相を具有す」と絶叫された。即ち人間そのものの中に完全なるもの、永遠なるもの、尊厳なるものを発見されたのである。それは人類始まって以来の偉大なる人間解放の宣言であった。われらは親しくこのブッダの自覚に参ぜねばならぬ。ブッダの膝下に五体投地しなければならぬ。ブッダこそ、人類永遠なる大導師であらせられる。 (3~7頁)