ブッダは空を説いたか?/正木晃『「空」論――空から読み解く仏教』
仏教を代表する空の思想は、常に同じ教えであったわけではなく、実は時代・地域によって大きな展開があった。『「空」論――空から読み解く仏教』(正木晃著)は、この空思想の変遷を、開祖ブッダから龍樹を経たインドにおける展開、さらにチベット、中国、日本における変容までも網羅しわかりやすく解説した大作である。壮大な空の思想史が仏教の雄大な歴史そのものであることがわかるであろう。
第一章 原始仏教と空
▼ブッダは空を説いたか
最初に申し上げておきます。空という概念は、文脈によって、「空(スーニヤ/シューニヤ)」と表記される場合と「空性(スンニャター/シューニヤター)=空であること」と表記される場合があります。どちらも、意味は同じです。
2400年以上にもおよぶ仏教の歴史を相手に、空とは何か、を考えるとき、とても厄介な問題があります。
空(もしくは空性)という言葉に込められた意味や内容が、一つとは限らないのです。というより、これから見ていくとおり、時代と地域によって、空の意味や内容はすこぶる多岐にわたります。
なかには、空という言葉を使わずに、空が語られている場合もあります。現に、『金剛般若経』は、空という言葉をまったく使わずに、空を語っています。
しかし、そういう例はごく少ないので、まずは仏典の中から、空もしくは空性という言葉を見つけ出すことから始めましょう。
▼『スッタニパータ』の空
最初は、現存する最古の仏典と考えられている『スッタニパータ』です。この仏典は、「歴史的人物としてのゴータマ・ブッダに最も近いものであり、文献としてはこれ以上遡ることができない」(中村元『ブッダのことば』岩波書店 438頁)とされます。いわゆる原始仏典を代表する、とても有名な仏典です。
その『スッタニパータ』の「第5 彼岸に至る道の章」におさめられている第1119偈(詩句)に、こう説かれています。
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。(『ブッダのことば』岩波書店、236頁)
「世界を空なりと観ぜよ」とは、いったいどういう意味なのでしょうか。文脈から考えると、「自我に固執する見解をうち破」ることと、深い関係があるようです。そして、「世界が空なり」と見抜くことができれば、その人は「死を乗り超えることができる」と説かれています。
じつは、この偈によく似ているのが、『ダンマパダ』の第170偈です。
世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。(中村元『真理のことば・感興のことば』岩波書店、34頁)
『ダンマパダ』は、『スッタニパータ』に比べると、「かなり古いものであろうが、歴史的人物としての釈尊の時からはかなり隔たっていたのであろう」(同上、377頁)時期に成立したとみなされています。ですから、『スッタニパータ』よりは教義の整備が進んでいたと思われます。
この2つの偈を並べてみると、『スッタニパータ』の第1119偈の「世界を空なりと観」ずることは、「世の中は泡沫のごとしと見」ることであり、「世の中はかげろうのごとしと見」ることなのではないか、と考えられます。わかりやすい日本語にすれば、「世界を空しいと見抜く人は、死をも超えることができる」というくらいの意味です。
つまり、そんなに難しい話ではありません。空という言葉に、深い哲学的な意味が込められているわけではないようです。
この点は、訳者の中村元氏も、「そこには後代のような煩瑣な教理は少しも述べられていない。ブッダ(釈尊)はこのような単純ですなおな形で、人として歩むべき道を説いたのである」と指摘しています。
『スッタニパータ』にはこれ以外に、空という言葉は見当たりません。たとえ一箇所でもあれば、ブッダが空を説いたことになるのかもしれませんが、一箇所しかないということは、ブッダにとって、空という概念はさして重要ではなかったとも言えます。
ただし、中村元氏は、自我に対する執着を離れること=空を観じることという認識が、やがて大乗仏教の空観に至る道の端緒となった、とも指摘しています。その意味では、とても重要な文言と言えます。
第七章 日本の空思想
▼西谷啓治
本書を書き終えるにあたり、近現代における宗教哲学の領域で、大きな業績を上げたとされる西谷啓治(1900~1990)の空思想を論じたいと思います。
西谷啓治の業績については、彼がながらく教鞭をとっていた京都大学大学院文学研究科・文学部の思想家紹介の頁に、こう紹介されています。
西谷は、現代世界における最大の問題、また自身の生涯にわたるもっとも切実な問題は「ニヒリズム」である、と言った。ニヒリズムは日本語で「虚無主義」と表されるが、それは特に一九世紀以降の西洋において生じ世界に拡がった、通常の虚無感が、克服されうる宗教の次元に再び現れる、という虚無の問題のことである。西谷は西洋の哲学や神秘主義、そしてなによりも禅をはじめとする東洋思想や修行法(参禅)を手がかりにして、「ニヒリズムを通してのニヒリズムの超克」という課題に取り組んだ。西谷は古今東西の思想を深く研究した上で、「禅の立場」にもとづく独自の宗教哲学を展開した。また、西谷の哲学的貢献は幅広く、科学や技術の問題、芸術論、文化論、社会問題、諸宗教間の対話においても見られる。現在西谷の哲学は日本人のみでなく、多くの西洋人哲学者や宗教学者からも注目され、また近年ではアジア諸国の研究者の注目も集めつつある。
この紹介文にあるとおり、「禅の立場」にもとづく独自の宗教哲学を展開し、かつ海外からも高い評価を得てきたという点で、近現代における空思想の動向をうかがうのに、西谷啓治は最適の人物と考えられます。
西谷啓治が、主に禅をはじめ、大乗仏教を考察の対象とした理由について、「大乗仏教のうちには、ニヒリズムを超克したニヒリズムすらもが至らんとして未だ至りえないような立場が含まれているのである」(『西谷啓治著作集』第8巻、創文社、185頁)と説明しています。
▼神と空
西谷啓治が生涯の研究課題とした「ニヒリズム(虚無主義)」を、中世ドイツのキリスト教神学者にして神秘主義者として有名なマイスター・エックハルト(1260?~1328?)を引き合いに出しつつ、空思想から考察した論考が「虚無と空」です。そこで、西谷啓治はこう述べています。
上来、世界のうちに於ける神の遍在といふことに関して、或はまた、善人にも悪人にも平等に太陽を昇らせる神の無差別愛、乃至は神の「完全性」といふことに関して、そこに人格的な非人格性といふやうな性格を認めると考へたのも、神についてさういふ超人格性の面を考へたからである。エックハルトが人格的な神の「本質」としての絶対的なる無を説いたのも、さういふ立場を指示するものであった。それは、我々の主体性の直下に人格としての主体性をも突破してゐるやうな、さういふ絶対的肯定の場として、一言でいへば絶対的な死即生の場として考へられたのである。さういふ場は、真実には、単に我々にとって絶対的に超越的な彼岸としてではなく、むしろ我々が通常自己と考へているものよりも一層此岸のものでなければならぬ。エックハルトのいはゆる「離脱」、即ち単に自己と世界とからのみならず更には神のために神から逃れると彼が言ふやうな、「神」からさへもの超出は、いはば絶対的に超越的な此岸でなければならぬ。彼自身も神の根底は自己の内に於て自己自身よりも一層自己に近い、と言ってゐる。さういふ点が一層明瞭に現れてゐるには仏教でいふ「空」の立場である。「空」とは、そこに於て我々が具体的な人間として、即ち人格のみならず身体をも含めた一個の人間として、如実に現成してゐるところであると同時に、我々を取巻くあらゆる事物が如実に現成しているところでもある。(『西谷啓治著作集』第10巻、創文社、102頁)
このように、西谷啓治はキリスト教の「神」と仏教の「空」を向き合わせます。こんな発想は、西谷啓治以前にはおそらく誰もしなかったでしょうから、すこぶる斬新です。西谷啓治がキリスト者の一部から高い評価を受けた一端が、ここにあります。
注目すべきは、「そこに於て我々が具体的な人間として、即ち人格のみならず身体をも含めた一個の人間として、如実に現成してゐるところであると同時に、我々を取巻くあらゆる事物が如実に現成しているところ」こそ「空」だ、と西谷啓治が主張している事実です。
とすれば、西谷啓治の考える空は、人間を含む万物、あるいは森羅万象の根源にほかならないことになります。インド仏教以来の伝統的な用語でいうなら、その空は如来蔵にあたるかもしれません。
そもそも、キリスト教における神は、いまさら指摘するまでもなく、人間を含む万物、あるいは森羅万象の根源に位置づけられています。その神と向き合わされたのですから、西谷啓治の考える空が、一神教が想定してきたような神をけっして認めたがらない仏教が、その代替として生み出した可能性のある如来蔵と、ひじょうによく似ているのも、不思議ではありません。
▼虚無を超える「空」の論理
同じ論考で、西谷啓治は、近代西洋のニヒリズムにおいては、無が無なる「もの」として表象されている、いいかえれば無を存在に対する否定概念として単に対立させているという事実を指摘したうえで、こうも述べています。
西洋に於る無の思想は、従来でもさういふ考へ方を脱してゐなかった。併し「空」といはれる時、そこには根本的な相違が見られる。
「空」は、空を空なる「もの」として表象するといふ立場をも空じたところとして、初めて空なのである。そのことは、空が単に有のそとに、有とは別なるものとして立てられるのではなく、むしろ有と一つに、有と自己同一をなすものとして、自覚されるといふ意味である。有即無とか、色即是空とかいはれるとき、先ず一方に有なるもの、他方に無なるものを考へて、それを結びつけたといふことではない。有即無といふことは、むしろ「即」に立って、「即」から有をも有として、無をも無として見るといふことである。勿論、我々は通常、有を単に有だけと見る立場、有に囚はれた立場に立っている。従ってその立場が破れ否定されれば、そこに虚無が現れてくる。そしてその虚無の立場は再び、無を単に無だけとして見る立場であり、無に囚はれた立場である。即ち、更に否定さるべき立場である。そしてさういふ二重の囚はれを脱した全き無執着の立場として、「空」が現れてくるのである。(同前、109頁)
ここでは、虚無を克服するための最も重要な役割を、「即」が果たすと主張されています。西谷啓治にいわせれば、「即」は、対立する概念をただ単に結びつけているのではありません。有即無とか、色即是空とかいうとき、大事なのは有でもなければ無でもなく、色でもなければ空でもなく、即こそ重要なのだというのです。
別の表現をするなら、即は=という等号の役割を果たしているわけではないというのです。つまり、有=無でもなければ、色=空でもないというのです。
あえていえば、即は対立する概念を両立させているのというのです。この発想は、日本仏教に事例を求めれば、空海やその後継者たちが、異なる教えにもとづく胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅を、「両部」として、もしくは「不二」として、ともに存立させたのと共通します。
現に、西谷啓治自身も「空と歴史」という論考において、「空の場に性起する現存在が『無我』的であり『自他不二』的である」(同前、289頁)と述べています。
「現存在」は、20世紀を代表する哲学者だったマルティン・ハイデッガー(1889~1976)が提唱した概念で、「自己を現に存在していると自覚する自己」を意味します。人間以外の動物は、そういう自覚をおそらくもっていないでしょうから、現存在は人間を人間として特徴づけているといえます。
「性起」は、『華厳経』の「宝王如来性起品」に説かれている教説で、「(真理そのものにほかならない仏の)本性」より「生起」したのが衆生である、すなわちありとあらゆる人々には、生まれつき仏性がそなわっている(一切衆生悉有仏性)ということを意味しています。
さらに、「虚無と空」において、以下のような表現も見られます。
自と他も、それぞれが彼等自体であるところにおいて、絶対に断絶的であると同時に絶対に合一的、寧ろ自己同一的である。絶対の二と同時に絶対の一である。大燈国師の「億劫相別れて而も須臾も離れず、尽日相対して而も刹那も対せず」である。(同前、115頁)
▼行と空
また、西谷啓治は、「空と歴史」において、「仏道を行ずることは、空の場における自己の現存在そのものに外ならない。ここでの『為す』は必然的に『行』といふ性格をとってくるのである」(同前、287頁)とも述べています。
そして、禅仏教をしばしば考察の対象としてきた理由を、西谷啓治は「存在そのものが『行』としての本来相を現すといふことは、仏教のみに限られた事柄ではない。それは真の宗教的な生活には、すべて含まれている」と指摘したうえで、こう説明しています。
ここでしばしば仏教、特に禅仏教の立場が取り上げられたとしても、その根本理由は、そこにかの本来相が最も直截に現れてゐると考へるからである。少し前には、そのリアリティと人間との本来相を、道元の「生死すなわち仏の御いのち」とこころ得るといふところに認め、それを「如来」のこころのリアリゼーション(現成即会得)と解し、そしてそのことによって自己があくまで自己自身に「なる」といふことが、無我からの性起としての自己の「自然」であると語った。併し、同じことは、例へば絶対他力の法門に依る清沢満之の有名な言葉、「自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗托して、任運に法爾に、此の眼前の境遇に落在せるもの、即ち是れなり」にも現れてゐる。そしてその言葉は、更に遡れば、親鸞の「信心よろこぶそのひとを、如来とひとしきとときたまふ、大信心は仏性なり、仏性すなはち如来なり」とか、「念仏は無碍の一道なり」とかいふやうな言葉にもつながるであらう。(同前、288頁)
引用の文中に登場する清沢満之(1863~1903)の「自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗托して、任運に法爾に、此の眼前の境遇に落在せるもの、即ち是れなり」は、明治35年(1902)6月10日発行の『精神界』という雑誌に掲載された「絶対他力の大道」という論考の冒頭に書かれた言葉です。「任運に法爾に」は、「ひとの作為をくわえずに、あるがままに」という意味です。
親鸞の「信心よろこぶそのひとを、如来とひとしきとときたまふ、大信心は仏性なり、仏性すなはち如来なり」は『諸経和讃』に、同じく「念仏は無碍の一道なり」は『歎異抄』の第7章に、それぞれ書かれています。
つまり、西谷啓治によれば、自力の道元も、絶対他力の親鸞や清沢満之も、自力とか他力とかを超えて、みな同じことを主張しているというのです。この見解が当たっているか否か、わたしには判断できません。
たしかに、自力と他力が融合する境地は、たとえば真言密教における加持の理論でも説かれています。加持とは、ある種の行を実践することで、わたしたち人間と仏菩薩や神々との間に、おのずから無時間的な交流がはかられ、わたしたちと仏菩薩や神々が融合し一体化することを意味します。
この件については、空海が『大日経』の論旨を明らかにした『大日経解題』のなかで、加持とは「入我我入、これなり」と説明しています。「入我我入」というのは、仏菩薩や神々が我の中に入り、我が仏菩薩や神々の中に入ることを意味していて、ようするにわたしたちと仏菩薩や神々が融合し一体化することにほかなりません。
もっとも、西谷啓治は密教には関心をいだかず、考察の対象はいわゆる鎌倉新仏教が中心を占めていたようです。ですから、ここで加持の理論をもちだしてきても、意味がないかもしれません。
それよりもっと気になるのは、西谷啓治が論じる「空」が、ほとんどの場合、日本仏教における空思想の所産に限られていることです。範囲を拡げても、せいぜい臨済や洞山といった中国禅の祖師たちにとどまっています。
いいかえると、ナーガールジュナ(龍樹)に端を発する空思想の、まさに多種多様にして、膨大としか言いようのない広がりや深まりからすれば、ほんの一部しか扱っていないのです。正直言って、これで空思想を、現代哲学の領域で展開したと主張されても、困ってしまいます。この点は、とても大きな問題ではないでしょうか。
いま、空思想に関心をいだく者としては、むしろ西谷啓治が扱わなかった「空」を考えるべきではないか、と思うのです。