道元『正法眼蔵』からまとめられた仏教徒の心得/水野弘元『修証義の仏教〈新装版〉』
『修証義(しゅしょうぎ)』は明治時代に曹洞宗で僧侶や信者の信仰を指導統一するため、開祖の道元の代表作『正法眼蔵』から、比較的やさしい教えだけを抜き出して作られたものです。『修証義の仏教〈新装版〉』(水野弘元著)は、この『修証義』について解説した書ですが、その中から、『修証義』の内容を語った部分を紹介したいと思います。
さてそれでは修証義はどのような構造のものであるかを簡単に紹介しておきたいと思います。修証義は道元禅師の著述の中で、もっとも代表的なものである『正法眼蔵』というものの中から抜き出したものであります。この『正法眼蔵』は現在95巻ありますが、すべて仮名まじりの日本文で書かれています。それを受けた修証義も文語体の日本文でありますが、耳で聞いてもそれほどむつかしいものではありません。
修証義は全体が5章31節に分かれ、章名を除いた本文だけの字数からすれば、第1章が6節から成って667字、第2章が4節から成って388字、第3章が7節から成って897字、第4章が8節から成って994字、第5章が6節から成って758字、合計で31節3704字ということになります。その大きさについていえば、私の20分の放送が約4600字でありますから、修証義は20分の放送よりかなり短いものであります。
その組織は、第1章が総序となっていて、修証義全体の序文であります。そこには仏教そのものの目的は何であるかを説き、人間に生まれて尊い教えを聞くことのむつかしさを感謝すべきこと、無常の世の中であるからせめてその教えを信ずべきことがのべられています。そしていよいよ仏教の信仰に入っていくためには、どのような準備が必要であるか、それは仏教者として、まず心得ておかなければならない因果の道理であります。因果や善悪を否定するならば、仏教の信仰に入ることができないからであります。
第2章は、懺悔滅罪と申しまして、前の章で説かれたように、因果や善悪を信ずるようになれば、自己を反省し、今まで無知のために多くの悪事を犯したことを悔いる懺悔の心が起こり、道徳的宗教的な良心を起こすことをのべています。
第3章は、前の章の懺悔によって、心は洗い浄められ、誠心誠意をもって信仰に入っていくことを説いています。ここで信仰に入るとは戒を受けることであります。曹洞宗の信仰の中心は戒を受けることであるから、この第3章の受戒入位が修証義の中心をなしていることにもなります。そして受戒の中心は仏法僧の三宝に帰依することでありますが、その他に三聚浄戒、十重禁戒というものがあって、三宝帰依の戒を加えて全体で16種の戒が説かれているのであります。
第4章と第5章は、受戒によって信仰が確立した後に得られる信者の態度をのべたものでありまして、第4章の発願利生は、自分が信仰を得た上は、周囲のすべてのものを救済し、社会を平和で 幸福な理想社会となすように願いをこめ、これを実現させることを説いたものであります。第5章は行持報恩といい、信仰をもった者の生活は、周囲の社会から受けた恩義に報いるような日々の生活でなければならないとして、報恩の生活についてのべたものであります。 (8~9頁)