非思量とはなにか
【宮川敬之】身読コラボ④
〈疑問文と平叙文〉
先回、思量・不思量・非思量についての一照さんの翻訳は、まさに一照さんの面目躍如といったところで、その説明の綿密さと実践からくる説得力には正直、うなりました。これに比べると私の翻訳はひどくあっさりとしていて、一照さんのような豊かさがありません。このちがいはどこからくるのかということを考えるところから、今回は始めてみましょう。無論、「僧侶としての力量のちがいだ(!)。お前自身の力不足を反省せよ」と言われればまったくそれまでなのですが、それでもそこには少し考えるところがありそうなのです。問答をふりかえり、まず私の訳をつけます。
薬山惟儼が坐禅をしていると、ある僧が問うてきました。「そんなに山のように微動だにせず坐禅して、一体なにを考えていらっしゃるのですか(兀兀地什麼をか思量せん)」。薬山は回答します。「この、考えがおよばない箇所を考えているのだ(箇の不思量底を思量す)」。「考えが及ばない箇所を、どのように考えられるのでしょう(不思量底、如何が思量せん)」。「考えとは別のやりかたで考えるのだ(非思量)」。
私はこのようにあっさりと、ある僧の問いを疑問文として読みました。しかし一照さんは、これを平叙文として読みました。つまり、「兀兀地什麼をか思量せん」ではなく「兀兀地の思量は什麼なり」、「不思量底、如何が思量せん」ではなく「不思量底、如何の思量なり」と読んだのです。一照さんは、ある僧が薬山と同じ力量を持つものであるとして、問いと答えが同等の力量を持つものである(「問処の道得」)と考えることから、平叙文として読んだわけです。平叙文として読むことで、「什麼」や「如何」を疑問詞ではなく「非限定的な」ものを指す仮の言葉として扱い、それを坐禅の内実と捉えて、その豊かな内容を述べたのでした。この読み方は、道元禅師の読み方とも通じるものであり、これまでの老師方の解説においてもしばしば見られる、妥当な読み方であるといえます。
しかし私としてはどうもこの読み方では落ち着かないのです。特に「什麼」や「如何」を「非限定的な」ものと言葉で言ってしまうことそのことが、どうにも落ち着きません。というのは、これらはそもそも言葉の規定を外れようと試みた部分であるので、そこには言葉からどのように外れるかという葛藤があるべきだからです。しかし、その葛藤を見せず、その内実を「什麼」や「如何」ということがらであると提示してしまうと、特別な言葉による新たな規定を与えることで安心してしまっているように見えてしまうのです。「什麼」や「如何」、あるいは「不思量底」は、「自他に分かれる以前のいのちのはたらき」として一照さんは解釈していますが(そしてそれは全く妥当な解釈なのですが)、これは豊かな解釈を開く反面、一方で奇妙な安易さに陥る危険性もあるのです(一照さんはその危険性を承知のうえで自覚的に語っていらっしゃるのでしょう)。たとえば「仏のいのちを生きよう」とか「生かされている大いなるいのちに感謝しよう」といった、よく耳にはするがその内実は曖昧な、標語的な使用の蔓延を呼び起こしかねないという危険性です。
一照さんの読み方の豊かさと妥当さに心の底からホッとしながらも、私としてはもとの疑問文としての読みようも大事にして、木で鼻をくくったようなそっけない自分の翻訳であっても、これで通してみたいと思います。それは、「非限定的」という規定を行ってしまうことの危険性や、「いのち」という大きなものを出してしまう危険性から回避するためと同時に、「考えが及ばない箇所を、どのように考えられるのでしょう」、「考えとは別のやりかたで考えるのだ」という薬山とある僧との問答が、私にはとても魅力的な参究の箇所に見えるからです。これを平叙文のみで理解して、問いの鋭さを消してしまうのが、私にはもったいないように思えるからです。平叙文で読む読み方は一照さんに任せて、私としては愚直に疑問文として解釈することを中心にして、問いの鋭さを保ったまま読んでみたいと思っています。
〈別の思考〉
では、「考えが及ばない箇所を、どのように考えられるのか」という疑問文の問いを、できるかぎり鋭くしてみましょう。問われるべきなのは、まず、通常のわれわれの「考え(思量)」とは一体どういうものなのかということです。たとえば中沢新一氏は通常のわれわれの考えを「ロゴス的知性」と名付けて、その特徴を次のように述べました。
ロゴスはギリシャ哲学でもっとも重視された概念であり、語源的には「自分の前に集められた事物を並べて整理する」を意味している。思考がこのロゴスを実行に移すには、言語によらなければならない。人類のあらゆる言語は統辞法にしたがうので、ロゴスによる事物の整理はとうぜん、時間軸にしたがって伸びていく「線形性」を、その本質とすることになる。
ロゴス的知性は「自分の前に集められた事物を並べて整理する」。この整理は言語の統辞法に基づいておこなわれるが、この情報処理法は、神経組織でニューロンがおこなっている電気的化学的過程と同じプロセスにしたがっている。
ニューロンは感覚受容器で一時的分類をほどこされた類似的要素をひとまとめにして縮減をおこない、次の処理過程に送り出す。この過程は、ホモサピエンスである人類の用いている言語の処理方法と、基本は同じである。それゆえに、ロゴス的知性は人類の脳組織の働きと、自然な形で適合する。中枢神経系と脳組織をもった人類の思考は、自然な形でロゴス的知性を生み出すと言ってもいい。(『レンマ学』14-16頁 講談社 2019)
中沢氏の述べるところによれば、われわれの通常の考えであるロゴス的知性は、「自分の前に集められた事物を並べて整理する」ということを特徴とする思考です。これは神経ニューロンの処理過程と、言語の統辞法(統辞法とは単語のつながりによって意味を伝えること)に共通するために、われわれにとって自然に発生する考え方であり、「線形性(線のように直線的に並べること)」を特徴とする知性のありようとされます。
この「線形性」を特徴とする思考は、非線形的なものはとらえにくいという逆の特徴ももっています。非線形的なことがらの代表は、たとえば仏教の根本の教えである「縁起」のありようです。縁起とは、世界のあらゆる事物が相互につながり影響を与え合って、動きあいながら全体的に変化していくことですが、この縁起のありようは、線形的に捉えることはできません。ですから縁起は通常のわれわれの思考では捉えられず、通常の知性とは別の、仏の知性、すなわち「悟り」を必要とするのです(中沢新一氏は縁起を把捉できる知性を「レンマ的知性」とよび、ロゴス的知性とは別のありようと位置づけました)。
つまり「考えが及ばない箇所を、どのように考えられるのか」という問いは、「線形性を特徴とするわれわれの思考によって、縁起的世界をどのように捉えればよいか」という問いであると読むことができるということです。そしてそれに対する答えは「考えとは別のやりかたで考えるのだ」ということでした。これはなにより、言葉によって線形的に考えるのではなく、坐禅の実践において考えるということです。ここまで辿ってきたことをもとに、今回の身読の箇所を読んでみましょう。
大師いはく、非思量。
いはゆる非思量を使用すること玲瓏なりといへども、不思量底を思量するには、かならず非思量をもちゐるなり。非思量にたれあり、たれ我を保任す。兀兀地たとひ我なりとも、思量のみにあらず、兀兀地を擧頭するなり。兀兀地たとひ兀兀地なりとも、兀兀地いかでか兀兀地を思量せん。しかあればすなはち、兀兀地は佛量にあらず、法量にあらず、悟量にあらず、會量にあらざるなり。藥山かくのごとく單傳せる、すでに釋迦牟尼佛より直下三十六代なり。藥山より向上をたづぬるに、三十六代に釋迦牟尼佛あり。かくのごとく正傳せる、すでに思量箇不思量底あり。
薬山大師がいわれた。「考えとはべつのやりかたで考えるのだ」。
べつのやりかたで考えるとは、坐禅の実践において考えることだが、線形的知性においてはその認識のありようは把握できず、透明であるままだ。そうであっても、縁起のありようを線形的知性でもって思考するには、かならず、実践による思考を経由するしかないのである。実践による思考においては、その行為の主体がかならずしも自分と一致せず、かならずズレがおこる。だれかわからないなにものかが、私を守り、動かしているという実感が生じるが、その実感において思考するのだ。そうすると、兀兀と坐っている主体は、かりに私の兀兀の坐といえようと、実は「私」という線形的思考からズレていくのであって、そのように、兀兀と坐っている実感によって導きとするのである。兀兀と坐る実践は、たしかに兀兀と坐る実践であるが、同時にそれは兀兀と坐る実践自体を考える「兀兀たる思考」ともなる。その「兀兀たる思考」は、それ自体は仏の認識でも、法(仏教の教え)の認識でも、悟りの認識でも、智慧の認識でもない。薬山がこのように自分の実践において自分以外のありようを呼び起こして思考する仕方は、釈迦牟尼仏からまっすぐ三十六代の祖師方を通じて伝えられてきたのである。薬山のやりかたは、その淵源を尋ねれば三十六代前には釈迦牟尼仏がいるのであり、釈迦牟尼仏の坐禅とおなじものであるということだ。薬山がこのように継承し、さらに弟子へ継承されたことこそ、「考えがおよばない箇所を考えている(箇の不思量底を思量す)」という参究なのである。
〈玲瓏ということ〉
私の訳の特徴としては、やはり薬山とある僧の問答を、「考えが及ばない箇所を、どのように考えられるのでしょう」「考えとは別のやりかたで考えるのだ」と、疑問文とその答えとして読むことを基本にした点でしょう。そして、われわれの考えとはどういうものか、それが及ばない箇所とはなにか、なぜ及ばないのか、さらにそこに及ぶ別の考えとはなにか、という問題をなるべく明らかにしようと言葉を補って読解したことが、特徴といえるかもしれません。われわれの通常の考えで縁起的世界を把捉することは決してできず、兀兀地という実践を経由しなければならない、という点を強調して訳しました。中沢氏の指摘に従えば、われわれの通常の考えは、線形的であり、その線形性を束ねるかたちで脳や中枢神経、心、精神、あるいは言葉の主体が生み出されます。そうした中枢や主体に集約されることによって形作られたわれわれの考えでは、各部分が連動して同時に動く縁起の様態は認識できないわけです。しかし、もしもわれわれの考えから、中枢、主体が統御すべきであるとする思いこみが外れ(ズレがうまれ)、自分と世界とを隔てる確固たる境界に動揺が起これば、縁起的世界を把捉することも可能となるかも知れない。それには、兀兀たる坐禅による実践全体を別種の「思考」として、そこから考えることが必要なのだ。そのように読解し、訳してみたわけです。
しかしこの読解だけでは、実は不十分です。思量・不思量・非思量について、私は、思量(通常の考え)が非思量(坐禅の実践)を経由することではじめて不思量(縁起的世界)にアクセスすることができる、という点を(線形的に!)強調しすぎているからです。実はこうした経路を辿ることができるのは、この三つが、兀兀の坐という一つの状態における三つの側面として、独立しつつも相互に関連し、融合しているという背景があるのです。その融合のありようを端的に示すのが「玲瓏」という言葉です。玲瓏とは玉のふれあう澄んだ音、あるいは、宝石があざやかで透き通り、美しい様であることを表す言葉です。道元禅師は「非思量を使用すること玲瓏なり」と言いました。私はこの言葉を、「考えとはべつのやりかたで考えるとは、坐禅の実践において考えることだが、線形的知性においてはその認識のありようは把握できず、透明であるままだ」と訳しました。われわれの考えから坐禅の実践の知は透明で見ることができない、という点を強調してそのような訳にしましたが、実はこれでは不十分なのです。玲瓏さすなわち透明さは、同時にいくつかの側面からの光を透すときに、透明のまま立体化し、透明のまま実体化します。そのときに、それらの側面はそれぞれが独立しつつも相互に関連し、融合するのです。こうした点を論じているのが、橋本恵光老師の解説です(『普勧坐禅儀の話』大樹寺山水経閣 1977)。つぎのように言われています(同 189頁)。
玲瓏は透明状態であるから、水晶で立体的な三つ目錐様の三角形をした文鎮を机上において観察をするつもりになる。三角のどの面から見ても正面の三角に他の二面の三角は姿を隠したまま玲瓏と透き通って見える如く、非思量を使用すれば思量・不思量の面はありながら、うしろに隠れて非思量の透明体の正面を邪魔をせぬ。もちろん透明体というものは正面だけ透明でも隠れた方が不透明であったら正面も透明にはならぬ。非思量が玲瓏であるように思量も不思量も透明だ。透明とは一体をたとえ、三角の面は各自の特性をあらわすのである。
このように橋本老師は、思量・不思量・非思量の三つを側面とする、透明三角錐の立体を坐禅のモデルとしました。三角錐とは四面体のことですが、底にある透明三角形については、橋本老師は兀兀地の坐禅であると位置づけました(同頁)。このように、思量・不思量・非思量の三つが、兀兀地を底面にして立ち上がる坐禅の立体のそれぞれの側面として、独立しつつ相互に連関することがらであることを一方で解読しなければならないのです。しかも一方では、「考えが及ばない箇所を、どのように考えられるのでしょう」「考えとは別のやりかたで考えるのだ」と、疑問文とその答えとして読むことも必要なのです。つまり、「坐禅箴」巻の文章そのものが、読解の光をどの側面がら当てるかという角度と照度次第で、さまざまな様相を示してしまうということです。それはまるでプリズムを透す光がさまざまにスペクトル分解されていくようなものです。唯一の正解というような読解から、われわれは遠く離れなければならないでしょう。複数の身読が成り立つ希有なテキストであると思います。
【藤田一照】身読コラボ④
敬之さんは前回の論考のなかで、考え(思量)と考えの及ばない部分(不思量底)との二分法を超えて、そこに非思量という第三項を入れることで、運動のない静態的(スタティック)な二元対立の世界に「運動」を持ち込み、坐禅についての議論を三元化し立体化しようとしているのが道元禅師の狙っていることであるという興味深い解釈を展開していました。そのことによってはじめて、思弁の次元での平板な議論から抜け出して、坐禅という動態的(ダイナミック)な実践の次元を生き生きと語り得る道が拓けてくるのだと敬之さんは言いたいのだろうと私は理解しました。
われわれの『正法眼蔵 坐禅箴』の参究はまだ始まったばかりですから、彼の「三元論仮説」の当否を判断するのはまだ早計と言わなければなりません。この先、さらにテキスト本文についての議論が進んでいくなかで、その説がどこまで説得力を維持、発揮できるか、楽しみに見守って行こうと思っています。ただ、今の時点で、私が気になっている点を一つだけ指摘しておきます。
敬之さんは、橋本恵光老師の説に基づいて、坐禅の実践のうえで思量・不思量・非思量の関係性を三角関係と見て、坐禅においてこの三側面が融合し一体化していると言います。しかし、私には、この三つをそれぞれ独立に見て、三側面とすることにはどうも違和感を持ってしまいます。
というのは、道元禅師の文章の中では、「思量箇不思量底」、「不思量底如何思量」、「非思量」というように、それぞれの句を一気呵成に棒読みして続けて読ませるようになっていて、思量「と」不思量「と」非思量という具合に三つに分けては扱っていないように見えるからです。それは『普勧坐禅儀』においても同様で、「兀兀坐定 思量箇不思量底 不思量底如何思量 非思量」となっていて、私はこの一節を「兀兀坐定」=「思量箇不思量底」=「不思量底如何思量」=「非思量」とイコールで結んで理解すべきだと考えています。
つまり、思量と不思量底の一如的一体性、不思量底と如何思量の一如的一体性、そしてその一体性を一言で非思量と呼んで坐禅のあり方の表現としているというように解したいのです。そのためには、思量と不思量底との関係を並列的な「と」の関係においてではなく、いわば垂直的な「即」の関係において見る必要があります(「底」という漢字もそういう理解を誘います)。思量は思量ではないところ(不思量底)から、それを基盤にして(あるいは場所として)生成してくるのですが、両者は不可分・不可同・不可逆の関係にあるので「思量箇(即)不思量底」とひとまとまりの形で言うしかありません。
そしてさらに、不思量底は「如何である思量」、つまりこれといって決まった形がない、その都度、雲のようにどこからかあらたに湧いて来る思量を離れてそれとは別に存在しているのではないので、やはり「不思量底(即)如何思量」と棒読みにして表現するしかないのです。
もう一つ別の言い方をすれば、思量として現実に生じている思量のなかに、潜勢力としての不思量底を見るのが「思量箇不思量底」であり、不思量底と言われる潜勢力は常に如何という不定形のあり方をしている思量の中で働き続けていることを捉えたのが「不思量底如何思量」という表現なのです。その現勢と潜勢のダイナミズムの総体をより端的に「非思量」と呼んでいると理解すればどうでしょうか。
ですから、「思量箇不思量底」は『般若心経』にある「色即是空」、「不思量底如何思量」は「空即是色」と同じような即の関係を表現していると私は解釈しています。思量という現れたものと不思量底という不可視の働きが即で結びついているという内部的構造を持った坐禅のあり方を一言で言うと「非思量」になるわけです。
今のところは、こういういかにもこなれない言い方しかできませんが、この問題は今後さらに参究を深めていくべき宿題にしたいと思います。
ということで、敬之さんの前回の論考へのコメントはこのくらいにして、今回身読する一節をまずは読んでみましょう。
大師いはく、非思量。
いはゆる非思量を使用すること玲瓏なりといへども、不思量底を思量するには、かならず非思量をもちゐるなり。非思量にたれあり、たれ我を保任す。兀兀地たとひ我なりとも、思量のみにあらず、兀兀地を擧頭するなり。兀兀地たとひ兀兀地なりとも、兀兀地いかでか兀兀地を思量せん。しかあればすなはち、兀兀地は佛量にあらず、法量にあらず、悟量にあらず、會量にあらざるなり。藥山かくのごとく單傳せる、すでに釋迦牟尼佛より直下三十六代なり。藥山より向上をたづぬるに、三十六代に釋迦牟尼佛あり。かくのごとく正傳せる、すでに思量箇不思量底あり。
ここで、「玲瓏」というのは非思量の働き方が「歴々として明らかで、無色透明なこと」の喩えです。われわれは朝から晩まで非思量をフルに使って生きているのですが、それがあまりにも身近で当たり前で、無碍自在なので、こちら側にはなんの手応えもないし、これといった実感もありません。それこそ「なんともない」のです。われわれは、非思量のこの「なんともなさ」の有難さ、ものすごさにもっと驚愕すべきです。釈尊が樹下で悟りを開いたときにも、この「当たり前さ」、「なんともなさ」への驚嘆を伴う洞察があったのではないかと私は愚考しています。
釈尊が覚りを開いたときに思わずもらした「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとくみな、如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるを以ての故に証得せず」という言葉も、そういう平常無事、平凡さが秘めている「ありえなさ」、「ものすごさ」への驚きを伴った開眼として理解することができると思うのです。樹下の打坐を源流とする坐禅もそういう文脈において見ていく必要があります。
非思量はそれを向こう側に置いて、「なるほど、これが非思量か」というように、それとしてこちら側の覚知で捕まえられるような水くさいものではないのです。覚知それ自体もまた非思量が用いられることで成立しているからです。すべてのことが非思量において生起しているのですから、その外に出ることは不可能なのです。
不思量底を思量すること、言い換えれば、「生かされて(不思量底)生きている(思量)こと」にはいつでも必ず非思量が用いられているのです。われわれの坐禅は、生かされて生きているという「事実以前の原事実」(個々の事実がそこで初めて成立するような根源的な事実なので「原事実」と呼ぶことにします)をそのまま承当し、身心全体を挙げて表現することですから、坐禅の調身・調息・調心も、思量によって自分が計らって調えようと力むのではなく、逆に「わが身をも心をもはなちわすれて、仏の家に投げ入れて」身心の自ずからなる調整作用=非思量の働きにまかせて(「仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆく」)、「力をもいれず、心をもつひやさずして」自然に調っていくというものでなければなりません。非思量を用いて、不思量底を思量するのが坐禅なのです。
ベトナム人禅僧ティク・ナット・ハン師は呼吸による瞑想法の解説の中で
ブッダはあなたのなかにいます。ブッダは呼吸の仕方も優雅に歩む方法もご存知です。あなたが忘れていても、ブッダよ、来てくださいとお願いすればすぐに駆けつけてくださいます。待つ必要はありません」と説き、「ブッダに呼吸してもらい、ブッダに歩んでもらう。わたしが呼吸することはない。わたしが歩むこともない。/ブッダが呼吸している。ブッダが歩んでいる。わたしは呼吸を楽しむだけ。わたしは歩みを楽しむだけ。/ブッダは呼吸。ブッダは歩み。わたしは呼吸。わたしは歩み。/ここにあるのは呼吸だけ。ここにあるのは歩みだけ。呼吸している人はいない。歩いている人はいない。/呼吸しながら安らいでいる。歩きながら安らいでいる。安らぎは呼吸。安らぎはあゆみ
という味わい深い詩偈を作っています。
ここで、「ブッダ」と呼ばれている当体こそ、道元禅師が「非思量」と呼び、「たれ(誰)」と呼んでいるものでしょう。ティク・ナット・ハン師の表現を借りて言うなら、「非思量=誰は坐禅を正しく坐る仕方をご存知です。来てくださいとお願いすれば、すぐに駆けつけてくださいます」ということになります。「誰」という疑問詞は、その前に出てきた疑問詞の「恁麼」や「如何」と同じで、輪郭をつけて特定のものに限定し、しかじかのものとしてラベルを貼ることができないことを指示するという禅の伝統独特の使われ方をしています。
われわれが何かに生かされて、我として生きているという原事実のことを「非思量にたれあり。たれ我を保任す」と表現しているのです。ただ受動態的に生かされているのでもなく、またただ能動態的に生きているというのでもない、いわば「中動態」的に生かされて生きているというのが、われわれの生きている「いのち」の真相なのです。坐禅は一応、われわれが主体として自分が行じているように見えますが、自分が思量してやっているように思えているだけで、実のところは非思量の兀兀地(=坐禅)を丸出しに表現している(「挙頭する」)に他ならないのです。
ですから、あとは兀兀地=坐禅を只管に行ずるだけで、兀兀地が兀兀地を対象にしてあれこれ思量し、詮索する必要はないし、兀兀地が兀兀地である限りはそういうよそ見、わき見はできないのです。つまり、坐禅は自分が坐禅しているところを外からはうかがい見ることができないということです。そういう自己観察ができないものと始めから了解して、自ら覚知しないまま兀坐に徹底してゆくだけです。『正法眼蔵 現成公案』にも「諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず。しかあれども諸仏なり、仏を証しもてゆく」とある通りです。
ですから、概念や観念を駆使した坐禅についての解釈や理解は一切無用ということになります。兀兀地についてあれこれと思量した結果として、「兀兀地は〇〇である」というステートメントが出てくるのですが、この〇〇のところに挿入される概念として、ここで例に挙げられているのが「佛量」とか「法量」とか「悟量」、「會量」です。こういう「量」、つまり分別の物差しは、これに限らずいくらでも思いつくことができますが、坐禅はそういう分別の物差しを一切放り出して坐るのですから、あらゆる「量」を超越しています。坐禅は坐禅であるというしかありません。
こういう兀兀地たる坐禅は釈尊から薬山まで数えて三十六代、途切れることなく単伝されてきています。何が連綿として伝えられてきたのかといえば、「思量箇不思量底」ということ、つまり坐禅だと言うのです。
以上のような、理解に基づいて、今回の一節を私は次のように意訳してみました。
次に薬山が言った「非思量」という言葉を参究してみよう。非思量すなわち生(ナマ)のいのちの働きは、曇りや濁りが一点もなく宝石のように透き通っていて、コロッとした固定的な姿形としてとらえることができない無碍自在の変化そのものだ。しかしそうではあっても、不思量底を思量する(思いではつかまえることができない、大自然の本来の身心のあり方そのものをそのまま実修すること)、すなわち坐禅を行じるときには必ず非思量の生命力をもって坐るのだ。それを用いずして坐禅するということはあり得ない。非思量の実態は不思量底を思量する(つかまえようのない生の生命をどこまでも狙う)というはっきりとしたかたちをもっている。
だから非思量には「誰」という疑問詞でしか指示できない、働きの主体ともいうべき何かがあり、その主体がこの「我」を保護任持し、支えている。坐禅は非思量そのものの働きとして行じられるものであるから、それは単に思量のみのことではなく、不思量底を思量するという構造によって坐禅が坐禅として現れてくるのだ。そうして現れた坐禅については、つまるところ坐禅は坐禅であるというしかない。だから実際の坐禅においてはただ純粋に坐禅に徹すればいいのであって、それ自身を対象にしてあああだこうだと思慮分別を重ねる必要はまったくないのだ。その余計なことをする分だけ坐禅からはみ出してしまうことになるからだ。坐禅は坐禅を向こう側に見ることはできないのである。
そういうわけだから、坐禅は仏量だとか法量だとか悟量だとか会量といったすべての局量(有限の量)をもって測量できるものではない。思弁にもとづくあらゆる概念的限定や規準(ものさし)、枠組みをはるかに超越した無量無辺なものなのだ。
薬山はこのような無限なる坐禅を師から弟子へと器から器へ水を移すように親密な人間関係の中で単伝してきた法の水脈に属している偉大な坐禅人の一人である。代々数えて、水源である釈尊から途切れることなく真っ直ぐに続いて三十六代目にあたる人物だ。薬山から逆にたどると三十六代前には釈尊がいる。こうした面々授受のかたちで正しく伝承されてきたものこそ、思量箇不思量底、すなわち坐禅である。これを正伝の坐禅と言い只管打坐とも言う。