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軽刈田凡平の新しいインド音楽の世界 軽刈田凡平

耳で味わうインド料理

  

インド料理店のBGM問題

 「インドの音楽をよく聴いています」と言うと、かなりの確率で「それってカレー屋さんで流れているようなやつですか?」と訊かれる。

 そう尋ねたくなる気持ちも分かる。98パーセントの日本人にとって、インドの音楽に触れる機会は、インド料理屋くらいしかないだろうから(残りの2パーセントは、インド映画ファンと、古典音楽ガチ勢。軽刈田調べ)。実際のところ、いつも私が好んで聴いているようなインドの音楽を、インドの料理を出すお店で聞いたことは一度もない。

 日本のインド料理店では、必ずと言っていいほど、少し古い映画音楽が流れている。甲高い声の女性や甘い声の男性が、いかにもインドっぽい節回しのメロディーを朗々と歌い、大げさなストリングスや、これまたいかにもインドっぽい打楽器が伴奏を奏でているような曲だ。店に据え付けられたテレビ画面で、ケレン味たっぷりの表情で俳優が歌い踊るミュージックビデオを見たことがある人も多いだろう。ビクターからリリースされている「インドカレー屋のBGM」というどこに需要があるのかよく分からないコンピレーションアルバムがあるのだが(シリーズ8作品もある。謎すぎる)、そこに収録されているのも、こういったいかにも典型的なインド映画の曲だ。

 どういうわけか、日本では、インド料理店でかけるBGMは、ちょっと古めの映画音楽が定番となっているようなのだ。お店側がより本場っぽい雰囲気を演出するためにかけているのか、それとも、単に店主の好みなのか。

 いかにもな映画音楽が流れているお店も風情があって良いのだが、ここまで書いてきた通り、今のインドには、新しくてかっこいい音楽がたくさんある。せっかくなので、これまでのステレオタイプなイメージから脱却した、新しいタイプのインド料理店のBGMを、軽刈田の独断で提案してみたい。

 

 カジュアルな雰囲気のレストランなら、食事の邪魔をしない心地よさと、退屈を感じさせないポップさの両方を兼ね備えた音楽が良いだろう。そんなリクエストにぴったりなのが、シンガー・ソングライターのプラティーク・クハル(Prateek Kuhad)だ。インドには優れたシンガー・ソングライターがたくさんいるが、彼はそのなかの最高峰だと言ってもいいだろう。エリオット・スミス的な抒情性と、Bialystocksのようなさわやかなポップネスが魅力で、インド国外ではほとんど無名にもかかわらず、なんとアメリカ元大統領のバラク・オバマ氏にお気に入りとして選ばれたこともある。曲によってヒンディー語と英語で歌い分けている彼の曲をかければ、ちょっと無国籍な、現代的なムードが演出できるはずだ。彼の曲は名曲ぞろいだが、一曲選ぶなら、ムンバイの老舗カフェ「エクセルシオール」で撮影されたミュージックビデオが美しい「Shehron ke Raaz」がオススメだ。

 ノスタルジックな店内でカップルが踊り出すこの曲のミュージックビデオは、インド映画というよりは『ラ・ラ・ランド』のような小洒落た趣きがある。同じ空間を味わいたくてこのカフェを訪れたところ、ちょうど客が少ない時間だったせいか、暇を持て余した店主がカラオケで何かの映画の主題歌を熱唱していた。雰囲気はぶち壊しだったが、これもまたインドらしい光景で、じつに楽しかった。

 もっと現代的な雰囲気のお店だったら、リトヴィズ(Ritviz)とかリファファ(Lifafa)といったインドっぽさの強い歌モノのエレクトロニック音楽も良さそうだ。彼らの音楽は、エレクトロニックといってもどこか温かみのあるサウンドに仕上げられているので、食事にもきっと合うに違いない。「Liggi」「Chalo Chalain」(リトヴィズ)か「Wahin ka Wahin」「Nikamma」(リファファ)あたりが合うだろう。

 「そうは言っても、やっぱりインド料理店のBGMは映画音楽がいちばんだよ」というあなたには、前回紹介したボリウッドソングのローファイ・バージョンなんてどうだろう。スパイスの香りが漂う店内に、どこか懐かしいメロディーがチルなサウンドに乗って流れてくる。その音楽を聴くともなく聴きながら、のんびりとチャイを楽しむなんて、きっと素敵な時間になるはずだ。刺激とリラックスが共存したローファイ版映画音楽は、インド料理のテイストにぴったりなのではないだろうか。

  

インド各地の料理と音楽をマリアージュする

 最近では、「ナンとカレー」みたいな、北インドを基調としたよくある「インド料理」ではなく、タミルナードゥ州のチェティナードゥ料理とか、カルナータカ州のマンガロール料理といったように、インド各地に特化した料理を出すお店も多くなってきた。そういったお店では、内装やBGMにも地方色が出ていることが多い。

 たとえば東京の町屋にあるベンガル料理店「プージャー」では、いつもタゴール・ソングが流れている。ベンガルが産んだ詩聖として知られ、アジア人最初のノーベル賞受賞者でもあるラビンドラナート・タゴールは、詩だけでなく劇や歌などのさまざまな分野で作品を残した才人だ。彼が作った歌は、今もインド東部からバングラデシュに及ぶベンガル地方で親しまれている。この地で篤く信仰されている女神ドゥルガーの像に見守られながら、タゴール・ソングが流れる空間で味わう料理は、胃袋だけでなく心までもやさしく満たしてくれる。

 もし、より現代風のベンガル料理店のBGMを考えるなら、どんな曲が良いだろうか。最初に思いついたのは、西ベンガル州コルカタ出身のラッパー、シジー(Cizzy)がジャジーなビートに乗せてライムする「Middle Class Panchali」。「パンチャリ」というベンガル語の伝統詩の形式をタイトルに冠したこの曲は、ストリート色やパーティー色が強い他のインドのヒップホップとは一線を画したメランコリックな情感を持っている。多くの文人を生み出した文学都市コルカタらしい一曲だ。

 食後に「ミシュティ・ドイ」(濃厚なヨーグルト風味のデザート)を楽しむなら、先ごろ惜しくも解散したドリームポップバンド、パレク&シン(Parekh & Singh)のポップでやさしいサウンドが合うだろう。チャイだけでシンプルに締めるなら、素朴なアレンジながらも卓越したメロディセンスを持つシンガーソングライターのトペシュ(Topshe)もいい。パレク&シンとトペシュは、いずれも英語で歌う洋楽っぽい雰囲気のアーティストだ。コルカタは、イギリス統治時代にインド支配の拠点として栄えた街で、欧米の文化を古くから受け入れてきた歴史を持っている。インドらしさが薄いように見える彼らの曲もまた、じつにコルカタらしい音楽と言えるだろう。

 日本にも熱心なファンが多い南インドのタミル料理を出すお店には、どんな音楽が合うだろう。酸味の効いたラッサム、クレープのように薄いドーサ、ココナッツや新鮮なスパイスが香る料理には、いかにもタミル的な賑やかなビートの曲が合いそうだ。元ダンサーだったという経歴を持つラッパー、パール・ダッバ(Paal Dabba)の曲には、晴れた日のチェンナイのような明るくポップな空気感があり、リズミカルなタミル語の発声が気分を上げてくれる。もう少し落ち着いた雰囲気にしたいなら、シッド・スリーラム(Sid Sriram)のソロアルバムもいい。チェンナイ生まれ、カリフォルニア育ちの彼は、普段はプレイバックシンガーとして映画音楽を歌っているが、ソロ作品では、R&Bに南インドの古典音楽であるカルナーティック音楽のテイストを加えたユニークなスタイルを披露している。カルナーティックがもともと神に捧げられた音楽だからだろうか、彼の歌声には、ときにゴスペルのようなソウルフルな神聖さがあり、伝統音楽の魂が新しい音楽にも息づいていることが感じられる。食後のマドラス・コーヒーを啜りながら、沁みる歌声に耳を傾けるのは最高だろう。

 続いて、インド北西部からパキスタンにかけて広がるパンジャーブ地方の料理を出すレストランの音楽を考えてみよう。この地方の料理は、バターやクリームを多用した濃厚な味わいが特徴で、タンドールで焼き上げたナンや肉料理などが名物とされる。パンジャーブの食を豪快に楽しむなら、伝統音楽「バングラー」のコブシの効いた歌唱法を取り入れたパンジャービー・ポップス/パンジャービー・ヒップホップがいいだろう。ディルジット・ドーサンジ(Diljit Dosanjh),

 APディロン(AP Dhillon)やカラン・オージュラ(Karan Aujla)の現代パンジャーブ音楽御三家の、ちょっと演歌のようにも聴こえる歌声と現代的なリズムに体を揺らせば、インドの中でも随一のパーティー好きとして知られるパンジャービーたちのように楽しい時間が過ごせるはずだ。

 

インドで唯一苦手なもの

 ここまで調子に乗って知ったふうなことを書いてきたが、自分はけっしてインド料理に詳しい人間ではない。それどころか、率直に言うと辛いものが大の苦手だ。辛いものを食べると口の中が猛烈に熱くなり、その数秒後には汗が止まらなくなる。インドもインドの音楽も大好きなのに、不幸なことに、私は決定的にインドで過ごしづらい体質に生まれてしまった。辛いものが平気な人のなかには、「さわやかな辛さ」とか「辛さの中に旨みが感じられる」とか言う人がいるが、私にはまったく理解不能だ。一定以上の辛さのものを食べると、口の中は大火事状態になり、火消しに大忙しで、味なんてさっぱり分からなくなる。

 「インドに行くとお腹を壊しませんか?」とは、インド好きが必ず聞かれる質問だが、私に関して言えば、その通り。調子に乗って地元の食べ物に手を出すと、必ずお腹を壊す。私は辛さに弱いのだけでなく、油っこいものにも弱いのだが、現地のレストランで出てくる料理は、たいてい辛いだけでなく、油もふんだんに使われている。だから、私はインドに行くと本当に食べるものに苦労する。

 初めてインドに着いた翌日のこと。デリーの安宿に併設されていたレストランで食べたダール(豆カレー)は、それまで日本で食べたことがないくらい辛かった。とっさに付け合わせの野菜を食べて、口内で燃えさかる炎を少しでも抑えようとしたが、インゲンマメだと思って口に入れたのは、あろうことか青唐辛子だった。体じゅうの毛穴がぶわっと開いて、汗がいっせいに吹き出すのがわかった。辛さのメーターはもう完全に振り切れてしまっている。悲劇はこれだけではおさまらず、いっこうに収まらない炎をどうにかしようと口に運んだアルー・パラーター(じゃがいもの入ったインド風のパン)にも、恐ろしいことに青唐辛子が練り込まれていた。口の中はまるで溶鉱炉だ。フルマラソン後のように汗だくで息も絶え絶えになっていると、食堂で働いていた小学生くらいの男の子が、「これを食べると辛さが落ち着くよ」と砂糖を持ってきてくれた(あとでしっかりチップを請求された)。あのときは本当に死ぬかと思った。

 それ以来、私はインドでの食事には、これ以上ないほど用心している。大事な人と会ったり、ライブを見に行ったりする予定があるときは、前日から、日本から持ってきたカロリーメイトと、現地で買ったバナナだけを食べることにしている。インドの食べ物は何が辛いか分からないので、絶対の安心を手に入れるにはこうするしかない。お店の人が言う「これは辛くないよ」に何度泣かされて来たことだろうか。これならば大丈夫だろうと思って頼んだチョウメン(焼きそばみたいなもの)やプラウ(炊き込みご飯みたいなもの)が、私にとっての激辛だったこともある。

 辛いものが苦手だということは、インド人と親しくなるうえで大変不利だ。インドの人たちは「何を食べた?」としょっちゅう訊いてくる。そこで「じつは辛いものが苦手で…」と話すと、「なんて哀れなやつなんだ。こいつには俺たちのことは分からない」という目で見られることになる。インドを旅していて、この時ほど自分の体質が恨めしいと思うことはない。多様性の国インドでは、食はその土地の誇りと深く結びついている。もっと胃腸が丈夫で、辛い料理も楽しむことができたら、今より何倍も現地の人たちと深く交流できるのに——インドに行くたびに、いつもそう痛感する。

 念のために伝えておくと、これは極めて辛さに弱い人間の体験であって、もしあなたが辛いものに人並みの耐性があって、平均的な胃腸の持ち主であれば、お腹を壊さないでインドを楽しむことは十分に可能だ。インド全土の食を網羅した小林真樹さんの著書『食べあるくインド』を片手に、各地の食堂を巡るも良し、何も情報を持たずに地元の人にオススメを訊いて、未知との出会いを楽しむも良し——ぜひインドを存分に味わって、その経験を聞かせてほしい。

 

誇り高き「ビリヤニ・ラップ」

 さて、インドでは食文化はその土地の誇りと深く結びついていると書いたが、地元を誇る音楽ジャンルといえばヒップホップだ。ヒップホップには「represent(レペゼン)」という文化があり、ラッパーたちは自分のルーツや地元への想いを、まるでその土地の代表者であるかのようにラップに込めて表現する。

 インドのヒップホップを聴きこむようになって気づいたのは、インドのラッパーは、地元の名物料理についてラップするのが大好きだということだ。愛知県出身のAK-69や横浜出身のMacchoが味噌煮込みうどんや崎陽軒のシウマイについてラップをするというのはあまり想像ができないが、インドのラッパーは、やたらと地元の料理についてラップする。

 昨年、ヘヴィなビートに強烈な英語ラップを乗せた「Big Dawgs」を世界的にヒットさせたハヌマンカインド(Hanumankind)が、まだマイナーだった時代にリリースした「Beer and Biriyani」という曲がある。「Big Dawgs」同様、ビートもラップもゴツくていかつい雰囲気の曲で、リリックのテーマはタイトルの通り「ビールとビリヤニの組み合わせは最高だ」というもの。ミュージックビデオでは、ルンギー(南インドの男性が穿く巻きスカート)姿のハヌマンカインドが、簡素な木の椅子にドッカと腰を下ろし、瓶ビールの栓を歯でこじ開けると、新聞紙とバナナの葉に包まれたビリヤニを豪快に食べ始める(もちろん、手で)。ただそれだけの超シンプルな映像なのだが、不穏なビートと堂々たるフロウがあいまって、なぜか異常にかっこよく見える。ハヌマンカインドはカルナータカ州のIT都市ベンガルールを拠点に活動しているが、そのルーツはケーララ州だそうで、彼がここで食べているのもケーララ風のビリヤニのようだ。やっぱり故郷の味がいちばんなのだろう。

 インド各地でさまざまなスタイルで食べられているビリヤニは、私が調べたところインドのラップに出てくる割合No.1の料理だ。知る限りでは、「インドで最初のラッパー」であるババ・セーガル(Baba Sehgal)から若手人気ラッパーのヤシュラージ(Yashraj)、チャール・ディワーリー(Chaar Diwaari)まで、さまざまなラッパーがビリヤニに関する曲を発表している。

 とくにビリヤニが登場することが多いのが、「ハイデラーバーディ・ダム・ビリヤニ」(密封した容器で蒸して調理したビリヤニ)で有名な、南インドの都市ハイデラーバードのラッパーたちの曲だ。例えばナワブ・ギャング(Nawab Gang)というクルーの「Flirt with HYD」は、オートリクシャーに箱乗りしながら旧市街を回るミュージックビデオが楽しい曲だが、リリックには当然のようにチキン・ビリヤニが登場する。ムスリムが多いこの街らしく、「チキン・ビリヤニ」と、「マトン・ニハーリー」(南アジアのイスラーム文化を代表する煮込み料理)で韻を踏んでいるところもポイントが高い。ビリヤニ・ラップの最高峰とも言えるのが、ルハーン・アルシャド(Ruhaan Arshad)というラッパーの「Miya Bhai Hyderabadi」(ハイデラーバードの俺のブラザー)だ。この曲のミュージックビデオは、絶妙に垢抜けない映像にもかかわらず、YouTubeでなぜか6億7,000万回も再生されている。ハイデラーバードの人口は約1,100万人程度なので、単純に考えるとハイデラーバードに住んでいる全員が、60回もこの曲を見たという計算になる。実際には他の地域の人も視聴しているのだろうが、それにしたってこの回数は多すぎる。

 これほどのヒットを飛ばしたにも関わらず、これ以降さっぱり名前を聞かなくなった彼について調べてみると、なんと彼は「音楽は自分の信仰(イスラーム)では禁じられていると気づいた」という理由で、音楽業界から引退していた。インドではムスリムのラッパーも珍しくないが、彼は信仰と音楽との折り合いを付けることができなかったようだ。ミュージック・ビデオの中で水タバコをふかしたり、仲間たちと珍妙な踊りを踊ったりしていた彼は、今どのように過ごしているのだろうか。

  

ラッパーたちの甘いビーフ

 ラップに出てくる料理はビリヤニだけではない。

 数ある「ローカルフード・ラップ」のなかで、私がもっとも驚いたのは、インド東部のオディシャ州プリー出身のラッパー、ビッグ・ディール(Big Deal)の「Mu Heli Odia」(俺はオディシャ人)だ。インド人の父と日本人の母を持つ彼が2017年にリリースしたこの曲は、オディシャ州の言語であるオディア語でリリースされた最初のヒップホップである。この記念すべき曲で、彼はこんなふうにラップしている。

 「ロソゴッラはオディシャのものだとやつらに分からせてやれ」

 「ロソゴッラ」というのは、ヒンディー語では「ラスグッラー」、ベンガル語では「ロショゴッラ」と呼ばれているスイーツのことで、カッテージ・チーズと小麦粉を混ぜた生地をシロップに漬け込んだ、とても甘いお菓子である。このスイーツは、一般的にはベンガル地方の名物として知られているが、その発祥の地はベンガルではなく、その南に位置するオディシャであるという主張がある。この曲がリリースされた2017年頃は、その論争がピークに達していた時期だった。

 オディシャの人々は、ロソゴッラはもともとプリーのジャガンナート寺院に供えられていたお菓子で、それをオディシャ人の料理人がベンガルに伝えたのだと主張。それに対してベンガル人は、オディシャ派の主張を裏付ける歴史的証拠はなく、19世紀にコルカタの菓子職人がロショゴッラを発明したのだと訴えていた。部外者からすれば美味しければどっちでもいいが、彼らはいたって真剣で、ヒートアップした論争はとうとう裁判にまで発展した。

 つまり、ビッグ・ディールは「ベンガルのやつらにロソゴッラは俺たちのものだと分からせてやれ」とオディシャの仲間に向けてラップしていたのだ。オディア語最初のラップでどうしても主張したいほどに、ロソゴッラは大事な問題だったのだろう。

 この曲を聴いたときに真っ先に感じたのは、ベンガルのラッパーが「いや、ロショゴッラは俺たちのものだ」とアンサーを返したら面白くなりそうだ、ということだ。インドでは言語別にシーンが分かれているためだろうか、ベンガル人ラッパーのこの曲に対してリアクションは長らくなかったようだが、「Mu Heli Odia」のリリースから8年が過ぎた2025年、ついに待ち望んだ「甘すぎるビーフ(ラッパー同士による抗争)」が実現した。

 その舞台は、ビッグ・ディールが企画した「East India Cypher」。その名の通り、オディシャ州、西ベンガル州に加えて、北東部のシッキム州やメガラヤ州といったインド東部のラッパーが一堂に会し、マイクリレーを繰り広げるという画期的な一曲だ。口火を切ってラップを披露するのは発起人ビッグ・ディール。自身の日印ハーフであるというルーツや、地元の誇りジャガンナート寺院のことなどをラップし終え、二番手の西ベンガル代表シジーへとマイクを繋ぐ。現代的な雰囲気のベンガル料理店があったらぴったりな曲、「Middle Class Panchali」をラップしていた彼である。

 その直前、自身のヴァースの最後に、ビッグ・ディールは不適にこうラップした。

「BTSは韓国出身(だとみんなが知ってるように)、ロソゴッラはオディシャ発祥だ!」

 ベンガル代表のシジーが黙っているわけがない。

「待て。待て。ロショゴッラがオディシャのものだって?」

「ああそうだ。ロソゴッラはオディシャのものさ」

「ロショゴッラはベンガルのものだってみんな知ってるぜ!」

 ほとんど子どもの口喧嘩みたいだ。もちろん彼らは「東インド大同団結」的な曲で共演するくらいだから、このビーフは「ガチ」ではなく、ちょっとした余興だろう。しかし、このやりとりのあとに始まるシジーの火がついたような強烈なヴァースが凄まじい。

 変幻自在なフロウに乗せて、シジーはベンガルとその中心地「歓喜の街(シティ・オブ・ジョイ)」コルカタの歴史と文化と生活をレペゼンする。神話の時代から始まり、アレクサンダー大王も征服できなかったという大昔の話や、18世紀の宮廷芸人ゴパル・バル(機転を効かせて王の難問を解決したエピソードで知られる)の名前を挙げて歴史を辿り、最後には路面電車が走る現代のコルカタのノスタルジックな街並みについてラップする。有力なラッパーが集ったこの曲の中でも、もっともエキサイティングなパートのひとつだ。

 ちなみにロソゴッラ/ロショゴッラ論争は、2017年に地理的表示(GI)登録局がそのルーツはベンガルにあると判断し、一応の決着を見た。もちろん、オディシャの人々がこの決定に納得するはずもなく、議論は継続し、2019年にはオディシャ州のロソゴッラも「オディシャ・ロソゴッラ」としてのGI表記を勝ち取った。

 オディシャとベンガルのロソゴッラ/ロショゴッラは、それぞれ色や食感に違いがあるという。辛いものが苦手なインド好きの私としては、ラッパーたちの甘い論争に耳を傾けながら、その違いを食べ比べてみたいと願うばかりだ。

 

魚を愛する南部のロック、納豆を愛する北東部の讃美歌

 インド人たちが地元の食への愛着を示す音楽ジャンルは、ヒップホップに限らない。

 ケーララ州のロック・バンド、タイクダム・ブリッジ(Thaikkudam Bridge)の「Fish Rock」は、タイトルの通り魚料理への愛を歌い上げた曲だ。ヘヴィ・ロック調の演奏に乗せた古典声楽風のヴォーカルは、何か深刻なことを歌っているように聴こえるが、マラヤーラム語の歌詞の英訳によると、こんな内容だそうだ。

「生まれたときから魚が大好きで、味わうことを止められない」「マナガツオがなかったら死んでしまう」「昼も夜もずっと食べていたい」「あなた(魚)を私の妻にできたらいいのに、食べたい、今すぐ食べたい」。

 魚を愛することにかけては世界有数とされる日本人だが、これほどの愛情はさかなクンでも持っていないだろう。コミック・ソングとして受け止めていいのか、それともある種の宗教的な帰依みたいな意味がこめられているのか。同じくケーララ州には、ココナッツと野菜の煮込み料理から名前をとったアヴィヤル(Avial)というバンドもいて、同じようにヘヴィ・ロックと古典声楽っぽいヴォーカルを融合したスタイルで活動している。

 ケーララの人たちは食文化をバンド名に取り入れるのがよほど好きなのか、同州には、When Chai Met Toastというバンドまでいる。彼らの音楽は、前述の二つのバンドとは大きく異なり、イギリスのバンドの影響が感じられる洋楽っぽいフォークポップだ。まさに「チャイがトーストに出会ったとき」というバンド名にぴったりだ。ローカルな食を歌った曲はないものの、やはり魚を好きな気持ちでは負けていないのか、彼らはなんと日本をテーマにした「スシ・ソング」(Sushi Song)という曲をリリースしている。ちなみに南インドはコーヒー文化圏なので、When Chai Met Toastのメンバーたちはバンド名に反してチャイを飲まないとのこと。

 ここまで音楽と食文化の関係について書いてきたが、食を扱ったインドの曲で私がもっとも衝撃を受けたのは、ヒップホップやロックではなく、キリスト教の讃美歌だ。インド北東部には、我々がインド人と聞いてイメージする浅黒くて彫りが深いアーリア系やドラヴィダ系の人々ではなく、日本人にもよく似たモンゴロイド系の民族が数多く暮らしている。南アジアのマジョリティであるヒンドゥーやイスラームとは異なる伝統を持っていた彼らは、欧米から来た宣教師たちの影響で、今ではその多くがキリスト教を信仰している。クリスチャンが9割を占めるナガランド州のコーラスグループ「ナガジェナス」(Nagagenous)が歌う「Khrismas Ye Niphulo pavi」(私の村のクリスマスがいちばん)は、タイトルの通り、地元で過ごすクリスマスを祝う歌だ。

私たちの村に雪は降らないし
サンタクロースのこともよく知らない
クリスマスケーキなんてここにはないけれども
やっぱり自分の村のクリスマスが最高さ 

私たちの森にはトナカイなんて走っていないし
プレゼントを交換する習慣もない
ベツレヘムがどんなところかも知らないけど
やっぱり自分の村のクリスマスが最高さ

 彼らにとって、イエスの誕生を祝うクリスマスは、欧米の真似なんかしなくても十分に素晴らしいのだろう。素朴なメロディーに乗せて郷土愛と信仰が歌われる美しい曲は、後半で意外な展開を見せる。 

納豆の神々しい香りに
美味しいお餅
香ばしく焼けるキビとハトムギ
どんなに私の村のクリスマスを待ちわびたことか

 納豆と訳したのは、「アクニ」と呼ばれる納豆によく似た大豆発酵食品だ。

 関東育ちの私は、においも含めて納豆が大好きだが、まさか納豆の香りを「神々しい」(the divine aroma)と感じる人たちがインドにいるなんて、想像したこともなかった。日本人のクリスチャンでも、そんなふうに思う人はいないだろう。この不思議なインド納豆に、たちまち興味が湧いてきた。

 

「神々しい香り」を求めて

 高野秀行氏の著書『謎のアジア納豆――そして帰ってきた〈日本納豆〉』によると、じつは納豆を食べるのは日本だけの食習慣ではないという。納豆によく似た大豆発酵食品は、東南アジアからインド北東部にかけての山岳地帯で広く親しまれているそうだ。これらの地域では、納豆を乾燥させてうま味を出すための調味料として使ったり、いろんな味付けをしたり、食べ方のバラエティも非常に多様らしい。それに比べて我々日本人はせいぜいタレをかけてご飯と一緒に食べる程度だし、クリスマスやお正月のようなお祝いの日に納豆を食べたりもしない。自分はかなりの納豆好きだと思っていたが、納豆を愛する気持ちでは、とうてい彼らに及ばなさそうだ。彼らがそこまで愛するアジア納豆を、ぜひいちど食べてみたいと思っていた。しかしながら、インドでは、北東部出身者以外でそんなふうに思う人はあまりいないようだ。

 アクニはその強烈なにおいから、北東部以外のインド人には忌み嫌われているらしいのだ。映画『アクニ~デリーの香るアパート』(2019年/ヒンディー語・英語)は、首都デリーで暮らす北東部出身者が、見た目や食文化に対する偏見に直面しながらも、なんとかして美味しい(しかし彼ら以外の周囲の人たちにとっては悪臭を放つ)アクニを手に入れようと奮闘するストーリーだ。繰り返すが、インドでは食は人々のプライドと深く結びついている。北東部の出身者が郷土を象徴する料理であるアクニを思う気持ちは、無理解や偏見が存在するからこそ、よりいっそう強くなるのかもしれない。

 アクニを味わう機会は、思いがけずやってきた。年末にムンバイを訪問した際に、首尾よくナガランド料理店を発見。幸運にも、クリスマス特別メニューとしてアクニを使ったフライドライス(焼き飯みたいなもの)が食べられるという。店員の女性に「日本にも同じようなものがあって、ずっと食べたいと思っていた」と伝えると「知ってるわ。味噌ね」との返事。

 細菌の一種である納豆菌による発酵で作られる納豆と、カビの一種である麹の発酵で作られる味噌は、大豆発酵食品とはいえまったくの別物だが、アクニをペースト状にして調味料のように使うことも多いナガランドでは、「アクニは日本の味噌に似たもの」という認識があるのかもしれない。憧れのインド納豆を前に、気になることはたくさんあるが、オーダーする前にどうしても確認しなければならないことがある。

 「この料理、辛くない?」

 ナガランドは、ハバネロを抜いて世界一の辛さを誇る唐辛子「ブート・ジョロキア」の原産地でもある。意中の料理には「漬け込んだ鶏肉か豚肉を添えた発酵大豆のフライドライス」としか書かれていなかったものの、メニューには「スパイシー・フレイバー」と添え書きされた料理がたくさん並んでいる。

 「これは辛くないわ」

 日本人にもよく似た彼女の東アジア的アルカイック・スマイルは、これまで何度もインドで痛い目に遭ってきた私を、容易に信用させた。

 しばらくしてテーブルに届けられた料理は、褐色に炒められたご飯の上にネギのような野菜が散らされ、どことなく懐かしい香りがする。これが憧れのインド納豆料理か。そこまで鼻をつくニオイはしないようだが、それは日本で納豆に慣れ親しんでいるからだろうか。

 フライドライスをスプーンで掬い、期待を込めて口に運んだところ………、やっぱり辛かった。食べられないというほどではないが、私にとっては十分に辛い。何よりも残念なのは、舌の上で燃え盛る炎にかき消されて、アクニの「神々しい」香りがほとんどわからなかったことだ。汗をかきながら辺境のクリスマス料理をかき込みつつ、またしてもインドの辛さにまったく太刀打ちできない自分の体質が、恨めしくてしかたがなかった。

 

YouTube再生リスト

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新しいインド料理店」BGM再生リスト
テーマはシンガーソングライター&「印DM」

新しいベンガル料理店」BGMプレイリスト
テーマは「チル」

新しいタミル料理店」BGMプレイリスト
テーマはアフロビート、ファンク&ソウル

新しいパンジャーブ料理店」BGMプレイリスト
テーマはポップ&グルーヴ

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著者略歴

  1. 軽刈田凡平

    1978年生まれ、東京都在住。インド音楽ライター。
    学生時代に訪れたインドのバイタリティと面白さに惹かれ、興味を持つ。
    時は流れ2010年代後半、インドでヒップホップ、ロック、電子音楽などのインディペンデント音楽のシーンが急速に発展していることを発見。他のどの国とも違うインドならではの個性的でクールな表現がたくさん生まれていることに衝撃を受け、ブログを通して紹介を始める。
    これまでに、雑誌『TRANSIT』『STUDIO VOICE』『GINZA』などに寄稿、TBSラジオ、J-WAVE、InterFM、福井テレビなどに出演しインドの音楽を紹介している。
    また、インド料理店やライブハウスでインドの音楽に関するトークイベントを行ったり、新聞にインド関連書籍の書評を書いたりするするなどマルチに活躍中。
    国立民族学博物館共同研究員。『季刊民族学』192号(2025年春号)にて、ムンバイのヒップホップシーンを取材して執筆している。
    辛いものが苦手。

    著書(共著)『辺境のラッパーたち 立ち上がる「声の民族誌」』(青土社、島村一平[編])

    ブログ(アッチャー・インディア) https://achhaindia.blog.jp/


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