番外篇 わが家の愛猫たち――その生と死
学校帰りの通学路、側溝のなかで鳴いていた子猫を見つけ、拾って帰ってきたのはユキ。そのメスの三毛猫をメイメイと名付けたのもユキだった。わたしは不審に思っていたが、ヒロコは新参のこの動物に、なかなか避妊手術を受けさせようとしない。じきにメイメイは身ごもって、数匹の子猫が生まれた。ヒロコは家じゅうを猫だらけにしたいと思っていたらしい。さすがにそれは断念してもらったが、一時期、わが家には4匹の猫がいた。
メイメイは、メスだてらに*野性のハンターだった(だから、美猫なのにこちらの印象の方が強い)。夜になるとせがんで外出し、朝になると帰ってきた。辺りには森や林があり、そこを跋扈してハンティングをしていたらしい。日中でもねずみを捕まえ、戦利品として見せに来ることがあった。しかし、自然界は危険な場所でもある。事実、ねずみにとってメイメイは凶悪な敵だったわけだから、メイメイにとってもそのような敵がいないはずはない。歯をむいて戦う姿がイメージされた。
- * 狩りはオスの役割というのは、人間のジェンダーに関わる通念である。猫には当てはまりそうにない。動物行動学に学んだわけではなく、子供のころ聞かされたにすぎないが、鼠を捕るのはメス猫とのことだった。わが家での経験のかぎりでは、これが当てはまる。オス猫はおっとりしていて怠けものだ。同じネコ科のライオンでも狩りは主にメスの仕事と言われている。どうして人間の場合は逆転しているのだろう。その役割分担は自然のものではなく、文化的(すなわち制度的)に形成されたものなのだろうか。女性のなかにも狩りの、言い換えれば闘争の本能が隠れている、と考えてみよう。思い浮かぶ幾つかの顔があるのではなかろうか。
あるとき、メイメイが帰ってこなくなった。数日、近くをさがしたが見つからない。すると、近所のひとが「お宅の猫ちゃんがいますよ」と教えてくれた。すぐそこにいるのに何故帰ってこないのか、わけがわからなかったが、見に行った。今度も側溝のなかに、メイメイはうずくまっていて、力なく鳴いた。助かった、と言っているようだった。なんと一方の後ろ脚を失い、3本脚になっていた。いくら目を凝らしてみてもそうだった。農家が野獣対策として設置した罠にかかったらしい。つまり、危険は自然によるよりも、人間に由来するものだった。罠の主がこの目的外の獲物を解放したのか、それともメイメイが自分で体の一部を引きちぎって逃げてきたのか。痛みをこらえての帰途が思いやられた。マイコによれば、そのようなトラバサミを仕掛けている農家は1キロ以上も彼方にあった。その遠距離を必死で歩いて近くまで帰りながら、家の戸を叩かないのは何故だったのだろう。子供なら叱られると思うことがあるかもしれない。あるいは扉を開けてもらえない絶望感を思って、たじろいでいたのだろうか。いじらしく切ない。獣医のもとに連れて行ったが、生命を保証されない重傷で、入院は2~3週間に及んだ。その費用はわが家の家計に重くのしかかったが、メイメイはなんとか一命をとりとめた。
こんな災難に遭いながら、3本脚のメイメイはハンティングをやめなかった。今度は、ほかの猫から鼻炎をうつされた来た。ひっきりなしに鼻汁をまき散らすのに閉口した。しかも、膿状のもので、臭かった。獣医さんは「やっかいなものをもらってきましたね。直らないんですよ」と言った。一応薬を処方してくれて、飲ませ方を伝授された。口を開けて舌の上に錠剤を載せ、間髪を入れず、鼻に向かってフーッと強く息を吹きかける、というやりかただ。半信半疑で試みると、不思議なことに成功することもあった。それでも効果は限定的だった。臭い鼻汁をまき散らしながら体中を嘗め回すことへの対策も講じられた。猫の体格では大き目の、プラスチックでできたロト状の首輪がつけられた。これが邪魔になって体をなめることができない、という仕掛けだ。見たところ、エリザベス朝の貴婦人たちの肖像画に見られる襟に似ていたので、わたしはエリザベス・メイメイと呼んだ(今回、このアイテムの呼び名がないか、インターネットで調べてみたところ、何と「エリザベス・カラー」というネーミングであることが分かった。誰もが受ける印象らしい)。結局、この鼻炎は直らなかった。ご飯を食べるエリアには、鼻汁からガードするために壁や家具に段ボールを張り巡らせた。ヒロコは、「だっこして欲しいのに、メイメイはかわいそう」と言った。
いまの家に引っ越してきたとき、メイメイの姿が見えなくなった。途方に暮れていると、3日ほど経って、冷蔵庫の後ろの隙間に隠れているのが見つかった。その後、新しい環境に馴れるとともに、メイメイは夜のハンティングを再開した。わたしが在外研修でヒロコとともに家を空けていたとき、留守居をしていたユキも外出しているあいだに、メイメイはケージのなかで亡くなった。そのなきがらを見つけ、悲痛な想いにさいなまれたユキは、メイメイの3本足で歩く足音を聞いた。メイメイは、自分がユキに拾ってもらったことを覚えている、そういう感覚をユキはもっていた。メイメイはムスメのミミと同じところに葬られている。
ふり返ってみると、メイメイは見事な生涯を生きた。あるいは、わが家の愛猫たちのなかで、最も充実した猫生を送った。まず、ヒロコの計略のおかげで、メイメイは出産と育児を経験することができた。いまでは、繁殖用に飼われている猫を除けば、家猫の殆どが去勢されているから、稀な経験だ(繁殖を生業とするのも、逆に去勢するのも、人間の身勝手なふるまいだ。わたしも例外ではない)。育児は乳を与えていた間だけのことではない。あとまで、ムスメのミミを舐めてやっていた。血のつながりがわかるようだった。また、満身創痍であったことも、自然の猫生を過激に生きたしるしだ。必ずしも長い生涯ではなかったが、メイメイ自身に悔いはなかったのではなかろうか。
ミミを引き合いに出したので、次に彼女を取り上げよう。ミミは、自分の母親とは正反対で、家付きのお嬢さまだった。母親と同じ三毛猫で、右目の周りが黒毛というのが個性的だった。そのおきゃんな性格を描くには、どうしてもクリのことを語らなければならない。クリは言わば養子だった。或る縁者が、自分のところはアパートで飼うことができない。去勢手術の費用は負担するから、と言って置いて言った子猫だ(その後、その約束を忘れたふりをしているので、どうしたかと訊いたところ、「殺してくれてもいいですよ」という呆れた返事だった)。クリという藝のない名前は、茶トラのオス猫だったからである。人間の目で見ると、ふっくらしてとてもかわゆい猫だった。性格もおとなしかった。だから、わが家ではだれもが可愛がったと思う。家付きお嬢さまのミミは嫉妬した。ちょっとしたことが癇に障ったらしい。猛烈に襲いかかって、猫パンチを浴びせた。「嫌なものはいやなの!」と言っている風だ。体はより大きいにもかかわらず、クリは防戦一方だった。養子の身の引け目があってか、気迫において負けていた。あるとき、体調をくずし、あまり動かなくなった。お医者さんに連れてゆくと、尿道結石でおしっこが出なくなったのだそうだ。わが家では乾燥状態のキャットフード(クッキーと呼んだ)と缶詰を半々に食べさせていた。このクッキーが特にオス猫に結石を作る、とのことで、そのような商品を売っていることに強い怒りを覚えた。治療は一定の効果を上げたが、クリは長生きできなかった。その短い一生はひたすら耐える猫生だった。何か愉しいことがあっただろうか。
ミミ自身はちゃっかりと甘え上手なコケットで、ヒロコによく懐いた。ヒロコも可愛がった。3人の子供らも可愛がった。呼べば必ず返事をし、だっこされた。人懐っこく、客人にもすぐに甘えた。そして一番の長寿をさずかった。家付きの猫ゆえ、けがをすることもなく、ほとんど病気をした記憶もない。それでも最期の頃は、毎日のようにお医者さんに通い、注射をしてもらった。延命の効果はあったろうが、それがミミにとって望ましいことだったかどうかは、分からない。お医者さんのところで烈しい痙攣の来たことがあった。老練なはずの医師はなすすべを知らず、おろおろしていたが、ヒロコは強く抱きしめて「大丈夫よ、大丈夫よ」と声をかけていた。
忘れがたい猫がいる。メイメイの生んだオス猫のクロだ。これもクリと同じ方式の命名で、白地に黒の毛並みによる。体も大きく、おっとりしていて優しかった。クリに対してもやさしかった。ごはんを用意してやっていると、わたしの足の甲に寝そべった。ミミとは異なる甘えがえも言えずかわゆく、わたしは男の子の可愛さはこういうものか、と開眼した。しかし、その命はやはり短かった。わたしが地方に出張しているとき、クロは亡くなった。当時、携帯電話などはなかったから、わたしの方から毎日家に電話していて、ヒロコからそう告げられたのだと思う。ふだん特に付き合いのない近所の家から、お宅の猫ちゃんが来ていて動かない、死んでいるのかもしれない、と伝えられた。クリの例に照らして、結石だったに相違ない。
クロの死にざまは、深い感動を与えた。死期を悟ると象がそこに赴くという象の墓場の話が思い出された。クロは青春の盛りか、それを少し過ぎた壮年の入口だったと思う。それでも自身の体調の異変から死を悟り、姿を隠した。それが自然のメカニズムの一部(「死への欲動」)なのだろうか。人間には、或いは少なくともわたしには、そのような覚悟はない。足の甲にねそべる可愛さと、この死にざまへの敬意が重なって、記憶のなかのクロの像を作っている。ユキの弁を借りれば「男前」な猫だった。
最盛期に4匹いたものの、ミミの死とともに、わが家から猫は消えた。少しして、2~3年後だったろうか、今度はケンタロウが1匹の子猫を連れ帰った。あらかじめ電話があり、ヒロコが「可愛いか」と訊くと、「可愛くないわけではない」という返事で、嫁入りが決まった。10センチほどの小さな子猫は、力なくミーミー鳴いていた。牛乳を飲ませようとしても受け付けず、ヒロコが指先に水をつけて舐めさせ、どうにか命をつないだ。クロとおなじ白黒模様で、少し大きな耳をしていた。クロとおなじ柄なのでオス猫と思いこみ、ジローという名をつけた。予防注射を受けに行った動物病院で、メス猫ですよ、と言われ、名前はどうしますか、と訊かれた。困惑し、とっさにヒロコは「キョンキョン」と答えた。マイコが提案していたものだ。少しして、わたしはこれをキョンちゃんと略すようにした。初めは「そんな呼び方はいやだね」とキョンちゃんに語りかけて同調を求めていたヒロコも、やがてこの略称を使うようになった。
キョンちゃんがまだ子猫だったとき、われわれはまた半年家を空けることになり、その間、マイコの家に預かってもらった。隣接する林のなかの自由な散策を愉しんでいても、呼び鈴を鳴らすと帰ってきたそうだ。そして、帰国してわれわれが迎えにいったときのことを、マイコは次のように書いている。――「半年後、パパとママが帰ってきて迎えにきた時、リビングの奥にいたキョンキョンにママが部屋の入り口から〈キョンちゃん〉と控えめに声をかけると、にゃあーおーう、と長く鳴き、その後部屋の端まで聞こえるほどゴロゴロと喉を鳴らし出した。確実にママたちを覚えていて、迎えにきてもらったことを喜んでいた。長く鳴いたのは、〈ママ、アタシを置いてどこに行ってたのよー!〉といった感じだった。猫は飼い主ではなく、家につくものだと言うのは間違いだと感動した」。ちなみに、キョンキョンは、ふだん、めったに鳴かない猫だった。
やがて一人暮らしを始めたケンタロウだが、キョンキョンの命の責任を感じていた。われわれ夫婦が旅行に出るときには、戻ってキョンちゃんの世話をしてくれた。ケンタロウが実は大の猫好きであることを、この頃になって初めて認識した。子供のころの写真をみると、とても嬉しそうな顔をして、猫を抱いていた。キョンキョンは、生命の際をさまよっていた乳児期の影響のせいか、初め何度も医者通いをした。突然、自分の尻尾を追ってくるくる回りをし、ひどい痙攣を起した。ヒロコは隣人に毒を飲まされたと信じた。猫が庭に入ってこないようにこれを撒いた、と無邪気に薬物を見せたからだ(そのような用途のものが毒物であるだろうか。また、食べ物のえり好みのうるさいキョンキョンがそんなものを食べるだろうか)。お医者さんも原因が分からなかったものの、試した投薬が効いたらしい。数年続いた症状は、やがてなくなった。食べ物は、わが家の猫たちのなかで、一番贅沢をした。好物はアジとカマンベールだが、主食は缶詰で、混ぜ物なしに食べさせた。メイメイやクロたちのころは、わが家は貧しく、缶詰をご飯にまぶして食べさせていた。それだけではない。キョンキョンは、喜んで食べていた缶詰を突然拒否するという気まぐれ屋だった。いちど嫌だとなると、てこでも食べない。時間をおいて、もう忘れたころかと思って与えてみても、受け付けない。乳児期の困窮を思って我慢する、というようなことはないらしい。
腹部のレントゲンを見て、医師はガンを疑った。しかし、最期まで特別な痛みを感じたことはなかったと思う。ただし、激やせした。デブ猫になってくれるかという期待は消え、骨っぽくなってしまった。15歳になった夏、何故か、玄関のタタキの上で寝るようになった。体が熱をもっているのか、夏の暑さがつらかったのか、と思っていた。9月半ばになると上がり框の段差を上がり降りすることができなくなり、少しすると、トイレに入ることも難しくなった。おしっこシートを敷いても、それのないところにしたり、シートの隙間から床に漏れるのがやっかいで、それを拭きまわる羽目になった。困るのは、自分のしたおしっこのうえに寝てしまうことだ。衰弱した体では、立っているのがきつかったからだ。わたしは覚悟を決めて、そのたびにシャンプーをしてやることにした。もともとキョンキョンはシャワーをしてもらうのが嫌ではなかったが、いまや完全にされるままになった。洗い終わり、水分を拭くとドライヤーをかける。キョンちゃんはむしろ気持ちよさそうだった。抱っこすると、わたしを見つめる弱々しく優しい目が、感謝を伝えているようだった。一時期、食欲を回復したが、それもつかの間のこと、年の暮れにキョンキョンは亡くなった。夜中のことで、おそらく烈しい痙攣があり、それを独りで耐えた。いま、ヒロコと外出から帰っても、キョンキョンは待っていない。家は空虚だ。
このように、5匹の愛猫たちの性格はさまざまで、かれら彼女らの生きた猫生も5様、それぞれにくっきりしている。ひとさまざまの人生のすがたを映し出しているかのようだ。