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スヴニール とりどりの肖像  佐々木健一

まえがき

 

 

 これからお読みいただくのは、これまでにわたくしが出会い、折々、あるいはしきりと思い出される人びとの肖像です。何故、そのようなものを書きたくなったのかについて、お話ししましょう。以下の肖像群の性質を説明することにもなろうかと思います。

 

 一年あまり前のことです。今後の仕事のプランについて、旧友の藤田侊一郎君に意見を求めたことがあります。やりたいこと、書きたいものがいろいろあり、それらに優先順位をつけ、下位に置いた主題については断念するに等しいものと覚悟することが不可避、と考えてのことです。藤田君は、若いころ、東京大学でフランス文学を学び、その後美学を志すというわたくしと同じ経路をたどったひとです。しかし、六八年の所謂学園紛争のため、学業を断念して大修館書店に入社しました。数年の違いがかれとわたしの人生行路を変えてしまったわけです。かれは『月刊言語』という雑誌に携わり長くその編集長を務めるなど、編集者として大成しました。仕事のうえでも、わたくしはかれの世話になることが多々ありました。グループμの『一般修辞学』の翻訳、佐藤信夫さんが未完のまま残された『レトリック事典』の完成などが主な成果です。仕事を離れても、時折会って歓談のときをともにしています。このような間柄なので、右のような相談に及んだわけです。

 

 そのとき藤田君は、わたくしのリストに優先順位をつけることはせず、別のプランを提案してきました。「デュフレンヌさんにおいて友情は、おそらく、特定の誰かとの関係ではなく、かれの人柄そのものなのである」という一文を示し、このような文章をもっと読んでみたい、というのです。デュフレンヌさんとは、戦後のフランスの美学をリードした美学者で、ご存じの方も少なくないことでしょう。この一文は、わたくしがエッセイ集『ミモザ幻想』(勁草書房)のなかに記したものです。より細かく言えば、それは「ルイ・マランさん追悼」という追悼文のなかに織り込んだ文で、藤田君に示されるまで自分でも忘れていました。交友録をという藤田君の提案に、わたくしは即座に「それは無理だ」というメールを返しました。理由は二つです。ひとつは、ひとが読みたがる交友録とは有名人のものであって、わたしの書く文章に関心を持ってくれるのは、藤田君を別としてそうそういるわけではない、従って、刊行の見通しはない、ということです。この現実的な理由については、ことさら説明の必要はないでしょう。もうひとつは、書くことの難しさです。デュフレンヌさんについてのこの文は、なるほど、藤田君が覚えていてくれただけあり、短い文に、この哲学者のひととなりの核心を捉えている、と思います。しかし、それはわたくしが苦心して造形したものではなく、だから自分でも忘れていたものです。言い換えれば、この文に一読の価値があるとすれば、それはわたくしの功績ではなく、専らデュフレンヌさんのひととなりによるものです。しかし、そのような知己がたくさんいるわけではありませんから、短いものではあれ、そのような文章を何篇も書くことは絶望的に困難なことと思われました。

 

 このようなわけで、藤田君の友情には感謝しつつ、それきりこの件は忘れていました。それがなぜ、いま、ふれあった人びとの肖像を書く気になったのでしょうか。自分でも十分な説明はつきません。自らその説明を試みて、思い当たるのはふたつのことです。ひとつは、昨春――つまり、時期的には藤田君とやりとりした少しあとのことです――、五〇余年ぶりに、幼少期を過ごした疎開先を訪ねたことです。かつての村は市になっていますが、住んでいたあたりは往時のすがたをとどめていて、そこでわたくしはなつかしさの激情に襲われました。たとえば、田のなかを走る道のわずかなゆがみのような、何気ない風景の断片に、です。以来、わたくしの感情生活のなかに、そのような回路が作られたかのようになりました。それに掛け合わされたもうひとつの契機は、これも旧友の礒山雅君を喪ったことです。その早すぎる無念の死は、かれの存在を、わたくしのなかにできたこの感情回路を伝って、絶えず思い起こさせることになりました(このふたつのことが関係しているとは、このまえがきを書くまでは気づかずにいたことです)。このようにして、わたくしのなかで、なつかしい人びとを想う感情の水位が高まって来たわけです。

 

 なつかしい人たちの肖像を書きたい、という意欲が高まってきたとしても、その書き手であるわたくしが、交友録の著者でありうるような有名人ではない、という状況に変わりはありません。礒山君がそうだったように、ホームページを持っているひとなら、そこに掲載すれば済むことでしょうが、わたくしにはそれもありません。と考えたところで、ウェブ春秋のことを思い出しました。ウェブジャーナルなら、わたくしの書く肖像集でも載せてくれるかもしれない、という閃きを得て、ともかく打診に及びました。これも旧知の編集者高梨公明さんに、メールを送りました。すると、いいですよ、という返事をもらい、この連載が実現することになりました。高梨さんはわたくしの信頼する理想の編集者のひとりで、かれが定年をすぎても、嘱託のようなかたちで現場に残っておられたのは、幸運というほかありません。

 

 さらにもうひとつハードルが残っています。肖像の主たちが、デュフレンヌさんのような個性的な著名人とは限らず、わたくし同様無名の人びとが多い、という事実です。ここでわたしがひとを選ぶ基準は、有名人かどうかということではありません。肖像である以上、そのひとの目鼻立ちがしっかり捉えられていなければなりません。目鼻立ちとはひととなりのことです。ちなみに、ここで「肖像」と呼んでいるのは portrait のことで、絵画的、彫塑的なものだけでなく、言語的な人物描写をも指して使われます。わたくしが関心をもっていて、その肖像を書こうとしている人びとは、その多くが読者の方々にとっては未知のひとでしょう。それでもその人の像に興味をもっていただけるようなものでなければ、肖像とはいえません。付き合った時間が長ければ像が鮮明になる、というわけのものではありません。以下にとりあげる人びとのなかには、一度しか会ったことがないひと、それどころか行きずりのひとも含まれています。そのような間柄のひとがわたくしの記憶に残り、折々に思い出されてくる、という心の機微は不思議ではありますが、敢えて推断するならば、その出会いがわたくしにとって重要な経験となった、ということかと思います。読者のみなさまにとっても、いかほどか同じようなことが起こらないでもなかろう、と祈念します。

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著者略歴

  1. 佐々木健一

    1943年(昭和18年)、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科修了。東京大学文学部助手、埼玉大学助教授、東京大学文学部助教授、同大学大学院人文社会系研究科教授、日本大学文理学部教授を経て、東京大学名誉教授。美学会会長、国際美学連盟会長、日本18世紀学会代表幹事、国際哲学会連合(FISP)副会長を歴任。専攻、美学、フランス思想史。
    著書『せりふの構造』(講談社学術文庫、サントリー学芸賞)、『作品の哲学』(東京大学出版会)、『演出の時代』(春秋社)、『美学辞典』(東京大学出版会)、『エスニックの次元』(勁草書房)、『ミモザ幻想』(勁草書房)、『フランスを中心とする18世紀美学史の研究――ウァトーからモーツァルトへ』(岩波書店)、『タイトルの魔力』(中公新書)、『日本的感性』(中公新書)、『ディドロ『絵画論』の研究』(中央公論美術出版)、『論文ゼミナール』(東京大学出版会)、『美学への招待 増補版』(中公新書)、ほか。

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