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坐禅とは何か――『正法眼蔵』「坐禅箴」を身読する 藤田一照・宮川敬之

道元の「坐禅箴」

【宮川敬之】身読コラボ最終回

 

〈仏道という「はたらき(機)」〉

 今回が「坐禅箴」身読の最終回です。前回に引き続いて、道元禅師の坐禅についてまとめていきたいと思います。

 さて、前回に道元禅師の最初の撰述である『普勧坐禅儀』の冒頭四句から、道元禅師の坐禅の要点を四つあげました。再録すれば、

 

①さとりと修行との一貫性

②世界と自己との一体性

③世界の包括と自己の知覚の不完全性

④修行の現今性と世界の実現

 

という四点です。『普勧坐禅儀』の冒頭四句を、なぜこのような要点として読むことができるのかについては、「仮」や「自在」といった漢語の道元禅師独特の読みを前提にしているのですが、このことは前回に説明していますので、参照して頂きたいと思います。

 さて、こうした特徴がある道元禅師の坐禅ですが、大事なのは、こうした特徴はそれぞれが独立したものではなく、相互につながる一体的な「はたらき(機)」として、坐禅のうちに現成している、という点です。坐禅はなによりも仏道という道であり、「はたらき」なのであって、そのうちでこそ、さとりと修行とは一貫し(①)、世界と自己とは一体化し(②)、ただいまここで、世界とともに実現する(③)ということです。たとえば仏道においてあるからこそさとりと修行とが一貫するということを、道元禅師は「説心説性」巻でつぎのように述べています。

 

 仏道は、初発心のときも仏道なり、成正覚のときも仏道なり、初・中・後ともに仏道なり。たとへば、万里をゆくものの、一歩も千里のうちなり、千歩も千里のうちなり。初一歩と千歩とことなれども、千里のおなじきがごとし。しかあるを、至愚のともがらはおもふらく、学仏道の時は仏道にいたらず、果上のときのみ仏道なり、と。挙道説道をしらず、挙道行道をしらず、挙道証道をしらざるによりて、かくのごとし。迷人のみ仏道修行して大悟すと学して、不迷の人も仏道修行して大悟すとしらず、きかざるともがら、かくのごとくいふなり。

 

 千里万里の道を歩むものにとっては、最初の一歩も、千歩も、千里ですらも、道のうちにあるという点においてつながっており、「おなじき」ものであると言われます。この「おなじき」とは、単独のものどうしが等価であるということではなく、それらが独立しておらず一つながりのはたらきのなかではたらくものである、という意味なのだと思います。これが仏道の「はたらき」なのであり、そもそもは、あらゆるものごとが一つながりにつながって留まることなく動き続けていること(諸行無常で諸行無我である縁起)そのことです。仏道の「はたらき」とは、縁起のはたらきそのものです。縁起を現成すること、その「はたらき」こそを、『弁道話』のなかでは「自受用三昧」と呼んでいたと思われます。『弁道話』ではつぎのように、「仏向上の機(ほとけをはたらきとして乗り越えてゆく)」、「自受用の境界」と言って、世界と自己とが一体化し、ただいまここで、世界とともに実現するありさまが言われています。つぎのようです。

 

 これらの等正覚、さらにかへりてしたしくあひ冥資するみちかよふがゆえに、この坐禅人、確爾として身心脱落し、従来雑穢の知見思量を截断して、天真の仏法に証会し、あまねく微塵際そこばくの諸仏如来の道場ごとに、仏事を助発し、ひろく仏向上の機にかうぶらしめて、よく仏向上の法を激揚す。このとき、十方法界の土地・草木・牆壁・瓦礫、みな仏事をなすをもて、そのおこすところの風水の利益にあづかるともがら、みな甚妙不可思議の仏化に冥資せられて、ちかきさとりをあらはす。(中略)

 又、心・境ともに静中の証入悟出あれども、自受用の境界なるをもて、一塵をうごかさず、一相をやぶらず、広大の仏事、甚深微妙の仏化をなす。この化道のおよぶところの草木・土地、ともに大光明をはなち、深妙法をとくこと、きはまるときなし。

 

 さらには、こうしたありようを私たちが知覚することはできない、とも言われています。こうしたありようは、知覚によって感知されるものではなく、そのさなかに存在する自分が動かないことによって、知覚以外のありようで悟り知る以外にはないからだ、と言われます。つぎのようです。

 

 しかあれども、このもろもろの当人の知覚に昏ぜざらしむることは、静中の無造作にして、直証なるをもてなり。

 

 このように述べられたといっても、「静中の無造作」を「直証」するべきだ、と勧められているわけではない、という点には注意が必要です。ここで言われているのは、「自受用三昧」のありよう、あるいは仏道の「はたらき」とは、私たちの知覚で捉えられるものではないが、そうであってもそこで修行し続けなければならない、ということであり、それは要するに、世界の包括と自己の知覚の不完全性(③)を踏まえたうえで修行をし続けよ、といわれていることと同義です。以上のようにして、道元禅師の坐禅の特徴である四点は、仏道の「はたらき(機)」あるいは「自受用三昧」と呼ばれる一体的なはたらきをもとにして言われているということを、確認しておきたいと思います。

 

〈坐禅箴本文〉

 このことを踏まえて、今回の箇所を読んでみましょう。

 

 宏智禅師の坐禅箴、かくのごとし。諸代の老宿のなかに、いまだいまのごとくの坐禅箴あらず。諸方の臭皮袋、もしこの坐禅箴のごとく道取せしめんに、一生・二生のちからをつくすとも、道取せんことうべからざるなり。いま諸方にみえず、ひとりこの箴のみあるなり。

 

 宏智禅師の「坐禅箴」とは、以上のようなものである。何代にもわたって、立派な老師方はおられたが、このような「坐禅箴」はいまだ述べられてこなかった。もしこのような「坐禅箴」を、そこらあたりにいる凡庸な指導者に述べさせようとするならば、一生・二生のあいだ修行に力を尽くそうとも、できないことだろう。このような教えを説く指導者は、どこにも見ることができず、ただこの「坐禅箴」だけが説かれているばかりなのである。

 

 先師上堂のとき、よのつねにいはく、宏智古仏、なり。自余の漢を恁麼いふこと、すべてなかりき。知人の眼目あらんとき、仏祖をも知音すべきなり。まことにしりぬ、洞山に仏祖あることを。いま、宏智禅師よりのち八十余年なり。かの坐禅箴をみて、この坐禅箴を撰す。いま仁治三年壬寅三月十八日なり。今年より紹興二十七年十月八日にいたるまで、前後を算数するに、わづかに八十五年なり。いま撰する坐禅箴、これなり。

 

 先師天童如浄禅師は上堂されるとき、いつも「宏智古仏」と宏智禅師のことを讃えられていた。他の人物については、そのような言い方はなさらなかった。人の力量を見て取る眼力があるときには、仏祖に対してもその力量を見て取ることができるのである。ここでもってよくわかるのは、洞山下には仏祖を知る仏祖がいた、ということである。現在は、宏智禅師から八十余年あとにあたる。かの「坐禅箴」をみて、私はこの「坐禅箴」を撰した。いまは仁治三年壬寅(1242)三月十八日にあたる。今年より(宏智禅師が亡くなった)紹興二十七年(1157)十月八日にいたるまで、その期間を計算すればわずか八十五年にすぎない。いま撰する「坐禅箴」とはつぎのようなものである。

 

坐禅箴    

仏仏要機、祖祖機要。不思量而現、不回互而成。不思量而現、其現自親。不回互而成、其成自証。其現自親、曾無染汚。其成自証、曾無正偏。曾無染汚之親、其親無委而脱落。曾無正偏之証、其証無図而功夫。水清徹地兮、魚行似魚。空闊透天兮、鳥飛如鳥。

 

 宏智禅師の坐禅箴、それ道未是にあらざれども、さらにかくのごとく道取すべきなり。おほよそ仏祖の児孫、かならず坐禅を一大事なりと参学すべし。これ単伝の正印なり。

 

 宏智禅師の「坐禅箴」に、まだ「言い足りていない」ところがあるわけではないが、以上のように言い取っていると理解すべきである。仏祖の法孫たるものは、すべてかならず、坐禅を修行の第一の大事として参学すべきであるのだ。これが、仏祖が伝え続けた真の仏教のありようであるのだ。

 

正法眼蔵坐禅箴第十二

仁治三年壬寅三月十八日、記興聖宝林寺。

同四年癸卯冬十一月、在越州吉田県吉峰精舎示衆。

 

正法眼蔵坐禅箴第十二

仁治三年(1242)壬寅三月十八日 興聖宝林寺にて記す。

同四年癸卯冬十一月、越州吉田郡吉峰精舎にて衆に示す。

 

 最後まで読みましたが、道元禅師の「坐禅箴」については、あとで翻訳を載せることにします。とりあえずここで確認しておきたいのは、「坐禅箴」巻を閉じるにあたって、宏智禅師の「坐禅箴」に対して抜群の評価を再び下している、という点です。「何代にもわたって、立派な老師方はおられたが、このような「坐禅箴」はいまだ述べられてこなかった」「もしこのような「坐禅箴」を、そこらあたりにいる凡庸な指導者に述べさせようとするならば、一生・二生のあいだ修行に力を尽くそうとも、できないことだろう」と言われて、宏智禅師の「坐禅箴」だけに卓絶した評価を与えているのです。この評価の理由について、私たちは考えておかなければなりません。

 

〈なにがちがうのか〉

 禅宗の歴代の祖師たちの行実が集められた書物を「灯史」と呼ぶのですが、最も代表的な灯史の一つである『景徳伝灯録』の第二十九・三十巻(最終の二巻)には、「坐禅箴」のような、坐禅修行や坐禅の真相にあたっての心構えや教訓などが多く集められています。これらは多くが詩偈(仏教の漢詩)のかたちをとって述べられており、おそらく道元禅師はこの箇所を熟読されていて、これらの詩偈を念頭に置いたうえで、宏智禅師の「坐禅箴」を卓抜したものと評価をしていると考えられます。なお『景徳伝灯録』は宋の道原によって景徳元年(1004)に撰述されたものですが、それは宏智禅師(1091〜1157)の生まれる以前のことですので、当然ながら宏智禅師の「坐禅箴」はこの中には入っていません。「坐禅箴」の名は、第三十巻に杭州五雲(909〜985)のものとして、見ることができます。

 宏智禅師の「坐禅箴」について絶賛をされている道元禅師ですが、この絶賛にはすこし注意が必要です。かつても言いましたが、ある詩偈に対してリスペクトを示す時には、その詩偈の韻を踏んで新たな詩偈を詠むということが、漢詩を作るうえでの基本的な作法でした。道元禅師の師匠である天童如浄禅師の「風鈴の偈」に対しては、道元禅師も同じ態度をとり、同じ韻の字を同じ順番で使って新たな詩偈を詠んでいます。これは「次韻」といい、最大限のリスペクトを表しているものといえます。

 しかし宏智禅師の「坐禅箴」については、道元禅師はこうした態度をとっていません。それどころか道元禅師は、押韻(韻を踏むこと)自体を変え、詩であることそのものを解体して、四六文という文体へと改変してしまっています(このことはこの連載の第二回にくわしく述べました)。したがって道元禅師の宏智「坐禅箴」への絶賛と、他の箴言類への批判には、単純な賛否ではなく、かなりの含みがあると考えるほうが、実状に近いようです。つまりは、宏智「坐禅箴」のすべてを無批判に賞賛している、ということではないようなのです。道元禅師にとって宏智「坐禅箴」はおそらく、認められる部分と、認めにくい部分があったと思えます。どこを重要と思い、どこを変更すべきと思ったのか。両者の「坐禅箴」を比較することで、このことを見て取ることができると考えます。

 道元禅師は宏智禅師の「坐禅箴」のほぼすべてを変えてしまっていますが、まったく同じ部分もあります。それは冒頭の二句です。冒頭の「仏仏要機、祖祖機要」にこそ、道元禅師が宏智禅師から継承した、もっとも中心があると思います。おそらく道元禅師はこれを、「仏仏の要とは機なり、祖祖の機こそ要なり」と読む読み方をされたと想像します。前述したように、道元禅師にとっては、仏道の「はたらき(機)」に参画することが坐禅の目指すべき状態です。「仏が仏に伝えた教えの中心とは、仏道の「はたらき(機)」である。祖師が祖師とともに行じた「はたらき(機)」こそが仏道の中心である」ということを、道元禅師は宏智「坐禅箴」の最上の部分として読まれたのではないでしょうか。

 そのように考えて『景徳伝灯録』第二十九・三十巻を見ると、ほとんどの箴言類が、こうした仏道の「はたらき」に対しては述べず、むしろ自己の内奥にあってものごとの中心とする「一心」というありようを仮託して、そこに集約しようとしていると読むことができます。たとえば、五雲の「坐禅箴」では、つぎのようにはじまります。

 

 坐は身を拘(とら)へず、禅は境に渉るに非ず。拘はれば必ず乃ち疲れ、渉れば則ち静に非ず。渉らず拘へざれば、真光は逈孤なり。六門斉しく応じ、万行同じく敷く。嗟ゝ、爾の初機にして、未だ玄機に達せざることを。(『景徳伝灯録』476頁 国訳一切経・史伝部15)

 坐は身体にこだわらない。禅は対象の世界に関わるものではないからだ。身体にこだわれば必ず心労を覚え、対象の世界に関われば「静」とはならない。こだわらず、対象としなければ、真実の光は心のうちでただ一つ光輝く。こだわれば六つの感覚が応じてしまい、関わればすべてのものごとと同じように動いてしまう。ああ、それは、坐禅の初心者のありさまなのであり、奥義に達してはいないのだ。

 

 五雲「坐禅箴」は、身体の感覚を遮断し、対象の世界に関わらないことを、坐禅の「奥義(玄機)」としていることがわかります。それができず、身体の感覚にこだわり、対象の世界に関わってしまうことは、「初心者(初機)」とされるのです。前述したように、仏道の「はたらき」を根底におく道元禅師の坐禅では、さとりと修行とは一続きのものとしてあるものでした。初機と玄機という二つに分かれているものではないことは、道元禅師のくりかえしのべる所でした。

 さらに五雲「坐禅箴」では、つぎのようにあります。

 

 若し諸ゝの三昧を学ばば、是れ動は坐禅に非ず。心は境界に随ひて流る。云何が名づけて定とせん。故に知る、歴代の祖は唯だ此の一心のみを伝ふ。(同477頁)

 いろいろな三昧を学び、それらが共通して言うことには、「動くことは坐禅ではなく、それは心が対象にしたがって動いてしまうからであって、それでは「精神統一(定)」とは名付けない」とある。だから、歴代の祖師たちが伝えたのは、ただ「一心」だけであるということがわかるのである。

 

 こうした「一心」への集約については、道元禅師は「坐禅箴」巻の冒頭に批判をしていたのでした。このようにして、仏道の「はたらき」を坐禅の根底にするという点において、宏智「坐禅箴」が他の箴言類より卓抜していると道元禅師は考えられたのだと、私は解釈します。

 

〈洞山の偈〉

 ただし、一つ例外があるようです。道元禅師は、「ここでもってよくわかるのは、洞山下には仏祖を知る仏祖がいた、ということである(まことにしりぬ、洞山に仏祖あることを)」と言われており、洞山良介の教えの下には真の仏祖がいたと考えられていました。実際、前回のおわりに挙げたように、洞山の「鳥道」については、これこそが仏道の「はたらき」を示す言葉であるとして、重視されていたのでした。『景徳伝灯録』第二十九巻には洞山の偈頌が一首採られています。この偈頌は、否定されるべきではなく、道元禅師の坐禅観とよく一致して、われわれの理解を深める偈頌として珍重すべきものであると思います。つぎのようなものです。

 

無心合道

 道は無心にして人に合す。人は無心にして道に合す。箇中の意を識らんと欲せば、一は老ゐて一は老ゐず。(同448頁)

 道は無心であるので人に相応する。人は無心となって道に相応する。この修行―さとりのありさまを理解しようとすればつぎのようである。一つは老いないが、一つは老いる、と。

 

 「無心」とはなんのことでしょうか。これはあらゆるものが実体がなく相互につながっているということであり、「縁起」のことではないでしょうか。道も人も、「縁起」として、実体がないものであるので、そこで両者は合致し、ともに「はたらく」のではないでしょうか。また、「老いる(老)」と「老いない(不老)」とはなんでしょうか。これは「迷い」と「さとり」のことではないでしょうか。「老いる」とは「迷い」であり、「老いない」とは「さとり」のことだとすると、この洞山の偈頌は、道元禅師自身が「現成公案」巻に述べた有名な一節とほとんど同じ意味を示していると考えることができます。

 

  自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。

 

 洞山の偈頌では、五雲「坐禅箴」のような、われわれの内部にあると仮定される「一心」へと還帰することを示さず、人も道も無心=縁起するものであること、その無心のなかでこそ合致してともにはたらくものであることを示そうとされているのではないか、と私は解釈します。人が自分の意図を放棄して万物とともにはたらくことで、道はそもそも縁起そのものであるために道のほうから人へと合致していく。このように考えると、洞山の偈頌は「現成公案」巻につながる重要な教えであるといえると思います。

 

〈道元禅師「坐禅箴」〉

 では、最後に道元禅師の「坐禅箴」の翻訳とその解説を挙げて、この連載を終わることにします(解説の便のために句の冒頭に番号を振りました)。

 

坐禅箴

1、仏仏の要機

歴代のブッダたちの教えの根本とは、仏道の「はたらき」である

 

2、祖祖の機要

歴代の祖師たちの仏道の「はたらき」が、その教えの根本である

 

3、不思量にして現じ

考えが及ばないところで仏道は現れ

 

4、不回互にして成ず

言葉にできないところで仏道は成立している

 

5、不思量にして現ず、其の現、自ずから親しし

考えが及ばないところで現れる仏道は、すでに修行者の身体と一続きであり、

 

6、不回互にして成ず、其の成、自ずから証なり

言葉にできないところで成立する仏道は、すでにさとりと一続きである

 

7、其の現、自ずから親しし、曾て染汚無し

仏道が修行者の身体とすでに一続きであるから、付いたり洗ったりする迷いの汚れなどは、いままでもこれからもありはしない

 

8、其の成、自ずから証なり、曾て正偏無し

仏道がさとりとすでに一続きであるから、正しいも誤ってることも、いままでもこれからもありはしない

 

9、曾て染汚無きの親、其の親、委すること無うして脱落す

付いたり洗ったりする迷いの汚れなど無いとは、依存するなにものもないままに身心が脱落して修行している、ということだ

 

10、曾て正偏無きの証、其の証、図ること無うして功夫す

正しいも誤っていることもありはしないとは、さとりを目指すことなく修行につとめていく、ということだ

 

11、水清うして地に徹す、魚行いて魚に似たり

縁起の水は世に充満し、そのなかに私たちはいて、その魚である私たちが修行することで、仏道の「はたらき」そのものが魚となっていくのである

 

12、空闊うして天に透る、鳥飛びて鳥の如し

縁起の空は広々として、そのなかに私たちはいて、その鳥である私たちが修行することで、仏道の「はたらき」そのものが鳥となっていくのである

 

 私の翻訳の特徴とは、「坐禅箴」の根底に仏道の「はたらき」を置いた点です(1、2)。さらに、「自ずから」を「すでに~一続きである」と翻訳しました(5、6、7、8)。これは、道元禅師の坐禅の特徴の第一、第二の箇所を意識して訳したものです。また、「無染汚」は、「付いたり洗ったりする迷いの汚れなど無い」と訳しました。「汚」は平音だと「けがす、よごす」という意味ですが、仄音だと「すすぐ、あらう」の意味があります。道元禅師が宏智「坐禅箴」を書き換えて四六文の「坐禅箴」にした際、この箇所は仄音にしていますので(詳しくは第二回を見てください)、そうすると「無染汚」は、「付いたり洗ったりしない」という意味になります。こちらの意味のほうが適切だと考えて訳しました。

 もう一つ、「魚行似魚」「鳥飛如鳥」は、書き下し文では通常の読み方をしましたが、翻訳では「魚行きて「似(じ)」は魚たり」「鳥飛びて「如(にょ)」は鳥たり」という意味で訳しました。仏教ではさとりのことを「真如」「如如」と言いますが、道元禅師はこのことを踏まえて、仏道の「はたらき」を「如」と言い換え、さらにそれによって「似」も仏道の「はたらき」の意味としたのでは、と翻訳したものです。このことによって「現成公案」巻の有名なつぎの一節とより一層符合するように思います。

 

 鳥、もしそれをいづれば、たちまちに死す、魚、もし水をいづれば、たちまちに死す。以水為命しりぬべし、以空為命しりぬべし。以鳥為命あり、以魚為命あり。以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし。

 

 このように翻訳すると、今回の冒頭で挙げた道元禅師の坐禅の四つの要点が、つぎのように響いていると読むことができると思います。この四点とは、

 

①さとりと修行との一貫性

②世界と自己との一体性

③世界の包括と自己の知覚の不完全性

④修行の現今性と世界の実現

 

でしたが、「坐禅箴」3~7では①と②と、8~9では④と、10~12では➂と、それぞれ響きあっていると読むことができます。これらを根底で支えているのが1~2ですが、それは『普勧坐禅儀』においても「原ぬるにそれ道本円通」と、冒頭に仏道の「はたらき」が世界にいきわたっていることを示していることと響きあっていると読むことができます。このようにして、道元禅師「坐禅箴」を読むには、さまざまな意味の含みへの探索と、独特な漢字の読み方への挑戦と、『景徳伝灯録』をはじめとする灯史類の読解と、なにより実際の坐禅の実参参究が必要となります。お読みくださったみなさんそれぞれのご自分の参究のために、なにかのお役に立つようならば望外の幸せです。ありがとうございました。

 

 【藤田一照】身読コラボ最終回

 いよいよこのコラボ連載も今回で最終回となりました。「坐禅箴」の巻は、『正法眼蔵』の各巻の中でもとりわけ重要な巻ではありますが、それだけにとても難解です。しかし、宮川敬之さんと一緒ならなんとか取り組めるかもしれない、そうすれば坐禅に対するこれまでの自分の理解を少しでも掘り下げることができるだろうと思い、無謀にも連載を始めてしまいました。実際に取り掛かってみると、思っていたよりもはるかに手強い内容で、正直に言うと、連載を始めたことを少し後悔した時もありました。それでも、気を取り直し、取り直ししながらなんとか最後まで漕ぎ着けたことを、喜びたいと思っています。

 さて、ここまでで宏智禅師の「坐禅箴」の評釈を終えた道元禅師は、次の一段で宏智禅師「坐禅箴」の素晴らしさを激賞し、賛嘆しています。それだけではなく、自分の師である如浄禅師が宏智禅師のことを深く尊敬していたこともさらに付け加えて書いています。ここには、難しい理屈はありませんので、現代語訳を付すにとどめます。

 まず、下記の原文をいつものように数回、音読してから、私の現代語訳に進んでください。

 

 宏智禅師の坐禅箴、かくのごとし。諸代の老宿のなかに、いまだいまのごとくの坐禅箴あらず。諸方の臭皮袋、もしこの坐禅箴のごとく道取せしめんに、一生・二生のちからをつくすとも、道取せんことうべからざるなり。いま諸方にみえず、ひとりこの箴のみあるなり。

 先師上堂のとき、よのつねにいはく、宏智古仏、なり。自余の漢を恁麼いふこと、すべてなかりき。知人の眼目あらんとき、仏祖をも知音すべきなり。まことにしりぬ、洞山に仏祖あることを。いま、宏智禅師よりのち八十余年なり。かの坐禅箴をみて、この坐禅箴を撰す。いま仁治三年壬寅三月十八日なり。今年より紹興二十七年十月八日にいたるまで、前後を算数するに、わづかに八十五年なり。いま撰する坐禅箴、これなり。

 

 宏智禅師の「坐禅箴」は、このようなものである。歴代の先師たちの中には、いまだにこのような坐禅箴は存在しない。あちこちにいる臭い皮袋のような連中に、もしこの宏智禅師の「坐禅箴」に書かれているようなことを言わせようとしても、一回や二回の人生をもって力を尽くしたとしても、言うことなど到底出来るはずがない。今はどこを見てもこのようなものは見当たらず、ただこの宏智禅師の「坐禅箴」があるばかりだ。

 亡くなった我が師如浄禅師は、上堂(住持などが法堂の須弥壇に上がり正式な説法すること)の時、いつもこうおっしゃっていた。「宏智禅師は古仏である」と。その他の者をそのように言うことはまったくなかった。如浄禅師が宏智禅師の真価を見抜いたように、人を見ることのできる目を持っているなら、仏祖をも理解し親しくなることができるのだ。だから、洞山(良价)門下には、宏智禅師のような仏祖をまさしく仏祖だと知ることのできる仏祖がいたということを知るのである。今、宏智禅師(1091~1157)がお亡くなりになってから八十年余りの時が経っている。宏智禅師の「坐禅箴」を読んで、自分も次のような「坐禅箴」を撰述してみた。今は、仁治三年(1242年)壬寅三月十八日である。今年から宏智禅師の遷化された紹興二十七年(1157年)十月八日に至るまで、前後の年数を数えると、わずかに八十五年である。今、私が撰述する「坐禅箴」は次の通りである。

 

 ではこれから道元禅師自身の作られた「坐禅箴」を読んでいきましょう。今読んだように道元禅師は宏智禅師の「坐禅箴」を非常に高く評価しているにもかかわらず、なぜ新たに自分で『坐禅箴』を撰述したのでしょうか? 末尾に「宏智禅師の坐禅箴、それ道未是にあらざれども…」と書かれているのを見れば、宏智禅師の「坐禅箴」に何か言い足りないところがあるからというのが理由でないのは明らかです。しかし、「…さらにかくのごとく道取すべきなり」と述べて、宏智禅師の「坐禅箴」でもうすでに言い尽くされているのだが、あえて自分の「坐禅箴」をさらに重ねるべきであったと言っています。それはどうしてだったのでしょうか? 二つの「坐禅箴」をひき比べながら、この問いを参究していこうと思います。

 まず、道元禅師の「坐禅箴」をひとまず読んでみましょう。

 

坐禅箴

 仏仏要機、祖祖機要。不思量而現、不回互而成。不思量而現、其現自親。不回互而成、其成自証。其現自親、曾無染汚。其成自証、曾無正偏。曾無染汚之親、其親無委而脱落。曾無正偏之証、其証無図而功夫。水清徹地兮、魚行似魚。空闊透天兮、鳥飛如鳥。

 

 これは普通次のように読み下されています。説明の便宜上、文の前に番号をつけます。

 

①仏仏要機、祖祖機要。

②不思量にして現ず、不回互にして成ず。

③不思量にして現ず、其の現(げん)自ら親(しん)なり。

④不回互にして成ず、其の成(じょう)自ら証(しょう)なり。

⑤其の現自ら親なり、曾(かつて)て染汚無し。

⑥其の成自ら証なり、曾て正偏無し。

⑦曾て染汚無きの親、其の親無委(むい)にして脱落なり。

⑧曾て正偏之無きの証、其の証無図(むと)にして功夫なり。

⑨水清(す)んで徹地なり、魚行(ゆ)いて魚に似たり。

⑩空闊(ひろ)くして透天なり、鳥飛んで鳥の如し。

 

 ①「仏仏の要機、祖祖の機要」は宏智禅師の「坐禅箴」の冒頭とまったく同じです。「仏祖」を「仏仏」と「祖祖」に分け、「要機」の語順を入れ替えて「機要」という同義語を作って、それぞれを組み合わせ、重ねることで意味が強調されています。あらゆる仏と祖は必ず、すでに(already)、いつでも(always)、現に(actually)、自己が本来成仏であるという原事実を機としていること(「仏仏はかならず仏仏を要機とせる」)、そして、その機が現物として完成しているのが坐禅(「その要機現成せり、これ坐禅なり」)なのです。つまり、坐禅は仏が仏を行じていることに他ならないのです。この文章には主語が書かれていませんが、それを「坐禅は」と補って、「坐禅は仏祖が仏祖であるうえで、最も肝要なこと(要機・機要)であり、仏祖の完成した現物である」と理解することができます。

 ②「不思量而現、不回互而成」を「不思量にして現ず 不回互にして成ず」と読み下すにあたっては、気をつけなければならないことがあります。それは、「にして〜す」という読み方のせいで、不思量や不回互が、「現ずる」や「成ずる」ということが起こるための前提条件のように聞こえてしまう可能性があるからです。「不思量になれば現れる」「不回互なら成ずる」、そう理解してしまうと、不思量や不回互がある特別な状態であるかのように誤解され、これからあらためてそういう状態を努力して作り出さなくてはいけなくなります。これでは不思量や不回互が坐禅の目標のようなものになり、かえって真実の不思量や不回互から遠ざかってしまうのです。

 この文章の場合、「而」という置き字はしばしば使われるような「~であり、それから~」という順接でもなければ、「~であるが、しかし~」という逆接でもなく、また「~であれば~」という条件-結果でもなく、「~であり、また~」という並列か、「~であり、さらに~」という累加の意味にとらなければなりません。私としては、「不思量であり、それはさらに現である。不回互であり、それはさらに成である」という累加の意味で理解したいと思います。それは、「現」と「成」を「現ず」、「成ず」という動詞としてではなく、むしろ「すでに実現している」、「すでに完成している」というあり方を示す形容詞として理解すべきだと考えるからです。「現なる不思量」、「成なる不回互」ということです。ですから、それをはっきり示すために「不思量の現なり、不回互の成なり」と読んだ方がいいかもしれません。

 ここで、道元禅師が「不思量」という言葉で言っているのは、宏智禅師が「不触事」と言っているのと同じ事実を指しています。「不触事」=「不思量」という言葉は、坐禅していようといまいとそれは関わりなく、私たちがすでにこうして生きているという現在完了の事実の記述なのです。ですから、「不触事」も「不思量」も、今はまだそうではないからこれから修行して未来にそうなるといったような達成目標にすべきことではありません。それはすでに、常に、現に完全に実現している(それが「現」であり「成」の意味)今ここの事実のことで、人間の努力云々にはまったく関わらない別次元の実態なのです。その様子を宏智禅師は「不触事」、道元禅師は「不思量」と表現しているわけです。ですから、「不触事」の実態を「知」と呼んでいるのであり、「不思量」の実態を「現」と呼んでいるのだと理解しなければなりません。その実態は人間の感覚、知覚として対象的に経験できるものではありません。「不」という漢字が表しているのはそのことです。私たちにできることは、ただその実態をそのまま受け取り、行じることだけです。

 話が少し脱線しますが、「不触事」ということについて理解する上で参考になるのは、フォーカシングという心理療法の技法を開発したアメリカの哲学者・心理療法家ユージン・ジェンドリン(1926〜2017)の「プロセスモデル」という考え方です。彼は、私たちの常識が依拠しているユニットモデル(A is Aという独立した単位を前提とするモデル)では、私たちが生きる世界を十分に解明できないとして、相互作用を起点とするモデルを提案しています。それは、「相互作用が結果を生じつつ、結果とも相互作用しながら、結果の中を進行するモデル」ですから、「プロセスモデル」と呼ばれます。たとえば、通常は、自分の体の中にある肺と周囲の空気はふたつの別々なユニットとして考えられていますが、プロセスモデルでは拡張する肺と入ってくる空気は一つの事象として分けることができないし、分ける必要がないとされます。プロセスモデルにおける肺はユニットとしての単なる静的な肺ではなく、動的なプロセスで生きている肺として概念上の肺以上のものですから、プロセスモデルではA is A.ではなくA is more than A.ということになります。本当のAは概念としてのA以上のものだということです。

 ジェンドリンはもう一つの例として歩くことを取り上げ次のように述べています。「歩くことにおいて、足が地面から受ける圧力と、地面が足から受ける圧力は同じものである、私たちは足と地面を切り離すことはできるが、足が受ける圧力と地面の抵抗を切り離すことはできない。…歩くという行動を、こうした地面の関与から切り離すことはできない。私たちはこの事象を、(身体に入っていく)空気としても、あるいは(空気の入ってくる)肺や身体の細胞としてもとらえることができる。いずれのとらえ方においてもそれは一つの事象であり、環境としても身体としても見ることができる」(ユージン・T・ジェンドリン『プロセスモデル 暗在性の哲学』みすず書房 2023年刊)。

 この二つの例からもわかるように、私たちがこの地上のどこかで何かの行為をしながら、呼吸し、光や音といった感覚刺激を受け取って生きている限り、その生の事実のどの局面を取っても、私たちの身体と環境は一つの事象であり一つのプロセスであると言わなければなりません。それは、ジェンドリンの表記法を使うなら、「肺-および-血液細胞-の中に-入る-空気 air-coming-into-lungs-and-blood-cells」と書き表されるようなあり方をしています。しかし、見落としてはならないことは、上記の引用の最後の部分で言われているように、この主客を越えた丸ごと一体の呼吸という事象は空気としても見ることができるし、肺としても見ることができるということです。言い換えれば、私たちがふだん思い慣れているユニットモデルというのは結果の描写であり、プロセスモデルはそれに先んじる動き、働きを記述しようとしているのです。道元禅師の記述の仕方もそれに似ていて、能(主体)と所(客体)の二つに別れる以前のところのことを説示しようとしているのではないかというのが私の考えです。

 さて、「触事」というのは「(主体とは別に)向こう側に触れる対象がある」ということですが、上記のようなプロセスモデルで世界を見るなら、一切の「触事」(ユニットモデル 能と所の二元を立てた上で関係が生じるとする)がそれに先立つ「不触事」(プロセスモデル 能所の立たない関係がまず先あるとする)の動き、働きの結果として生じているということになります。このような不触事のレベルには、人間の思量が入り込む余地がないので、そのことを「不思量」と言うのです。つまり、不思量は不触事と同じく、私たちがこうして生きているという生(なま)の事実をさし示す言葉なのです。坐禅においては、そこにこの不思量の事実が丸出しで隠れなく現じていることを「不思量而現」と言ったのです。

 「不回互」というのは「回互」に対する言葉で、山は是れ山、川は是れ川というようにすべてのものが他のものと関係なく、独立無伴に、相互に渉入しあうことなくそのまま存在しているということです。そのことを宏智禅師は「不対縁」と言い表しました。その「不対縁」であることがそのまま「照」であるのと同じように、「不回互」であることがそのまま「成」なのです。この「成」は完成、成就の成で、完全、完璧であるという意味です。

 道元禅師の「不思量而現、不回互而成」を宏智禅師の「不触事而知、不対縁而照」と比べると、宏智禅師の表現には触れる、知る、対する、照らすといった坐禅する者の認識的な活動を想起させる言葉がありますが、道元禅師の表現にはそういうところがありません。当処に現成している坐禅の事実を端的にズバッと表現している感じです。宏智禅師の表現が主客関係に立つ認識論的なところがあるのに対し、道元禅師の表現は存在論的だと言えるでしょう。宏智禅師の表現にはまだ若干瞑想的なニュアンス、つまり技法性の残滓のようなものが残っている感じがします。私の印象では、坐禅に肉迫してはいるのですが、まだ坐禅の外から坐禅を描いている気がするのです。それに対し、道元禅師の表現はそういうものが削ぎ落とされていて、坐禅の内側から坐禅そのものの味わいを述べているように思われます。後に出てくる魚と鳥について、宏智禅師は「遅々」「杳々」と観察者的な立場で記述しているのに対し、道元禅師は「似魚」「如鳥」と魚自身、鳥自身を離れずに描いているのがその一つの表れではないでしょうか。

 ③「不思量にして現ず、其の現(げん)自ら親(しん)なり」は、不思量の現についての記述です。坐禅において、不思量という生の事実が現物としてそこに完成、完結している(成仏・作仏)わけですが、その現物は私たちの本来の自己に他ならないのですから、これほど自己に親しいものはないのです。自己自身が自己自身で自己自身として実現している(澤木興道老師は自受用三昧ということを「自分が自分で自分を自分している」と表現しています)ので、そこに自己以外のものが入りこむ余地がどこにもありません。この余地のなさのことを宏智禅師は「微」と表現しています。そしてさらに、⑤「其の現自ら親なり、曾(かつて)て染汚無し」とあるように、その現のそれほどの親密さに対しては、はじめからそれを染汚することが不可能なのです。大乗仏教において「本来清浄」と言われていますが、染汚されないようにと人間的な努力するから染汚がないのではなく、そもそも染汚しようにも染汚することできない親なのだということが「曾無染汚之親」です。⑦「曾て染汚無きの親、其の親無委にして脱落なり」とは、曾無染汚之親、つまりはじめから染汚しようのない本来清浄のこの親しさには、委(「委細」や「委曲」、「委悉」と熟語される漢字で、「こまかい・くわしい」と訓じられ、物事の細部まで詳しいことを意味する)がまったく無い「無委」、つまりあれこれと細部にわたって詳細な詮索などする必要がまったくない(澤木興道老師「坐ったら、それでおしまい」)ほど、そのままで透体脱落(何物にも引っかからずさらりと簡素に徹底していること)しているということです。坐禅という行のこの徹底した簡素さに注目したのが「只管打坐」という言い方です。

 「不思量」をめぐって、不思量の現、その現の親、その親の曾無染汚と無委而脱落についての考察をこれで終わり、次に「不回互」をめぐる不回互の成、その成の証、その証の曾無正偏と無図而功夫について考察していきましょう。④「不回互にして成ず、其の成(じょう)自ら証(しょう)なり」とは、坐禅においては不回互の実態がそのまま現成していますが、その現成はそれ自身で仏祖の、あるいは真実の自己の証(あかし)(証拠、証明)になっているということです。⑥「其の成自ら証なり、曾て正偏無し」とは、その証には、はじめから正(無一物の絶対平等性)とか偏(現象の差別性)を対立させて云々する議論は不要であるということです。上に述べた「無委」に対応した言葉です。そして、⑧「曾て正偏之無きの証、其の証無図(むと)にして功夫なり」とあるように、その証には図(意図、思い計り)のないまま(「無所得無所悟」とか「莫図作仏」という表現がある)に、修行の功徳が自ずから積まれていくのです。功夫という言葉には修行することそれ自体とその修行の結果の蓄積の両方の意味が含まれています。坐禅は「無図而功夫」の行に他なりません。

 最後の部分で、その修行の実際が、魚が水の中を泳ぐこと、鳥が空を飛ぶことに喩えられて、道元禅師の「坐禅箴」が結ばれます。⑨「水清んで徹地なり、魚行いて魚に似たり」と⑩「空闊くして透天なり、鳥飛んで鳥の如し」の二つの文章は、道元禅師が『正法眼蔵 現成公案』で「魚、水を行くに、ゆけども水のきはなく、鳥、そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。しかあれども、うを・鳥、いまだむかしよりみづ・そらをはなれず。……鳥、もしそらをいづれば、たちまちに死す、魚、もし水をいづれば、たちまちに死す。以水為命しりぬべし、以空為命しりぬべし。以鳥為命あり、以魚為命あり。以命為鳥なるべし、以命為魚なるべし」と書いている「水と魚」、「空と鳥」の喩えです。宏智禅師が水について「徹底」、空について「莫涯」と表現していることを道元禅師はそれぞれ「徹地」、「透天」としています。この四つの表現はいずれも、水と空が無辺際である(「きはなし」)ことを意味しています。ですから、底や地に徹すると言ってもそこで止まって終わるということではなく、底や地を突き抜けるということ、あるいは底や地という際がないことが「徹」なのです。

 水と魚、空と鳥、つまり私たちが主体と環境というように二つ別々に見ているものは実は生(なま)の事実としては一体です。宏智禅師の「坐禅箴」の一節「空闊莫涯兮、鳥飛杳杳」に対する道元禅師の評釈ではそのことを「空の飛去するとき、鳥も飛去するなり。鳥の飛去するに、空も飛去するなり」と述べていました。鳥が飛ぶとき(飛鳥)、空も飛ぶ(飛空)のです。もちろん、魚が泳ぐとき、水も泳ぎます。泳魚即泳水です。ここで、道元禅師が言いたいのはもちろん、魚や鳥のことではなく、坐禅をしている私たちの有り様のことです。私たちが坐禅をしていることは、無辺際の水や空を、魚や鳥が泳いだり、飛んだりしているようなものだということです。泳ぐことや飛ぶことが魚や鳥という生(なま)のいのちの本来のあり方であるように、坐禅することは私たちの自己の本来のあり方なのです。そして、私たちが坐禅しているとき、蓋天蓋地ぐるみが坐禅しているのです。『普勧坐禅儀』では、「龍の水を得たるが如く、虎の山に靠(よ)るに似たり」と表現されています。龍が水に、虎が山に、つまり、本来あるべきところに帰って、水や山と一体で活き活きと息づいている(「帰家穏坐」)ということです。

 活き活きと水と共に泳ぐ生(なま)の魚、空と共に飛んでいる生(なま)の鳥のことを道元禅師は「似魚」、「如鳥」と表現します。先ほど言及したようにプロセスモデルの立場では、AはA is A.ではなくA is more than A.です。生の魚はmore than魚ですし、生の鳥はmore than鳥と言うべきです。この「似魚」、「如鳥」という表現は、「魚に似る」とか「鳥の如し」という動詞の意味に取るべきではなく、more thanと同じ意味ではないかと私は解釈しています。ですから「似魚(じぎょ)」、「如鳥(にょちょう)」とそのまま、魚や鳥の本来のあり方を表す新造語として受け取るほうがいいかもしれません。

 

 以上の考察を踏まえて道元禅師の「坐禅箴」を次のように現代語訳してみました。

 

 坐禅は仏たちや祖師たちが仏祖であるうえで、肝腎要の機(働き)であり、同時にその機の完全な実現した形そのものである。

 坐禅は思いを超えたところで生きているという我々の真実のあり方の現物であり、すべてのものが独立無伴にそのものをしているという真実のあり方が完成している姿である。

 その現物は自己に限りなく親しいものであり、その完成した姿は真実の証拠である。

 その親しさは本来清浄なものであり、その証拠には本来対立などない。

 その清浄な親しさはあれこれの委細なくスッキリと脱落している。

 その対立のない証拠は、意図することなく修行を通して蓄積していく。

 無限の清い水の中で、それと一体に魚は活き活きと泳いでいる。

 無限の広い空を、それと一体に鳥は活き活きと飛んでいる。

 

 『正法眼蔵』「坐禅箴」の末尾は次のようになっています。

 

 宏智禅師の坐禅箴、それ道未是にあらざれども、さらにかくのごとく道取すべきなり。おほよそ仏祖の児孫、かならず坐禅を一大事なりと参学すべし。これ単伝の正印なり。

 

 道元禅師がなぜ自分の「坐禅箴」を撰したのかということについては上で私の考えを述べました。宏智禅師の「坐禅箴」とは別の角度から坐禅の姿を述べて、二つの「坐禅箴」を光源として二つの光を当てることによって、より立体的に坐禅の真実相を浮かび上がらせようとしたのではないでしょうか。仏祖が仏祖である要機として坐禅こそが仏道修行者にとって最も大事な修行であることを最後に明記し、確認しておられます。そして、その坐禅こそが『弁道話』の冒頭の「諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり。これ、ただほとけ、仏にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり」という一節にある「ほとけ、仏にさづけてよこしまなることなき」正しい印だと述べてこの巻を結んでいます。

 ここで言われている単伝とは誰かから別の誰かへと何かが伝わるというような普通の「伝」ではなく、自己の真実をそのまま受け取ってそれを修行すること、つまり坐禅することを意味します。ですから、この「坐禅箴」で明らかにされた坐禅こそが単伝であり、仏法の正印だというのがこの巻の結論です。

 こういう解釈に基づいて、この一段を次のように現代語訳しておきます。

 

 宏智禅師の「坐禅箴」はそこで言われていることに不十分な点があるわけではないが、それでもさらに、上記の私の「坐禅箴」にあるようなことが言われるべきなのである。いやしくも仏祖の児孫たるもの、必ず坐禅が一番大切なことであると学ばなければならない。坐禅こそが、単伝、つまり仏法の真実を自己から自己に伝えていく行であり、仏法における正しい印なのだ。

 

  最後に次のような奥書があります。

 

正法眼蔵坐禅箴第十二

 仁治三年壬寅三月十八日、記興聖宝林寺。(永平寺本)

 同四年癸卯冬十一月、在越州吉田県吉峰精舍示衆。(永平寺本)

 

 この「坐禅箴」は、七十五巻本『正法眼蔵』の第十二として配置されています。この奥書から分かることは、1242年3月18日に京都の興聖宝林寺において記され、その翌1243年冬の11月に越前の吉峰寺で大衆に向かって示されたということです。この頃の道元禅師を取り巻く状況を見てみると、1243年7月、比叡山の圧迫が甚だしくなり、道元禅師とその弟子たちはついに興聖寺を離れて、越前国の地頭波多野義重の招きで越前志比荘吉峯寺に移ります。しかし、そのような慌ただしく落ち着かないこの頃に『正法眼蔵』に収められている二十五巻が成立しており、この年の前後が道元禅師が最も多く『正法眼蔵』を講説した時期であることを今の私たちは知っています。この「坐禅箴」も、その時期に撰述された巻です。おそらく何度も推敲されて今の形になったのでしょう。その作業を進めている道元禅師の姿を偲びつつ、この巻を読むべきです。

 正伝の仏法そのものである坐禅を正しく的確にさし示していると道元禅師が確信する「薬山非思量の話」、「南獄磨塼の話」、「宏智禅師の「坐禅箴」」を取り上げて、詳細に評釈を加え、最後に自分自身の「坐禅箴」を付すという構成で出来上がっている本巻は、坐禅を修行する者にとっては必読の巻です。今回連載の機会をいただいて、拙い参究を続けてきました。呼んでくださった方々に感謝申し上げます。ささやかでも何かの参考になれば幸いです。コラボ連載ということで、同じ一節を法友の宮川敬之さんがどのように論じるのか毎回楽しみでした。できれば連載が完結した今、今度は膝を突き合わせて相互の一致点と相違点、そして疑問点を議論しつつ、改めて「坐禅箴」全文の共同評釈を作ることができたらと念願する次第です。

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著者略歴

  1. 宮川敬之

    1971年鳥取県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士過程単位取得。大本山永平寺に安居修行。現在、鳥取県天徳寺住職。主な論文に「中国近代佛学の起源」「異物感覚と歴史」など。著書に『和辻哲郎――人格から間柄へ――』(講談社学術文庫)。

  2. 藤田一照

    禅僧。1954年愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程を中退し、曹洞宗僧侶となる。1987年、米国マサチューセッツ州西部にある禅堂に住持として渡米、近隣の大学や仏教瞑想センターでも禅の講義や坐禅指導を行う。2005年に帰国。曹洞宗国際センター前所長。Facebook上に松籟学舎一照塾を開設中。

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