「演劇翻訳」とは、ずばり……
私は主に、演劇作品の翻訳を仕事にしている。演劇翻訳とは、ずばり「わからない……とよくボヤく」仕事です。それだけ言われても、それこそ、何が言いたいか「わからない」と思うので、せっかくいただいたこの機会に、私の仕事のボヤきポイントを紹介していきたい。
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そもそも、演劇をご覧になったことはあるだろうか? 「演劇」と一言で言っても、その種類・形態は実に多種多様だ。歌舞伎や能も演劇だし、ミュージカルやオペラも演劇だし、体験型のイマーシブ・シアターなんてものもある。そのなかでも、私が主に扱っているのは英語圏の、台詞中心の演劇(と、たまにミュージカル)である。なので、ここで語る「演劇」は、演劇におけるごく一部分の界隈の話だと思っていただきたい。
そして、「戯曲」という言い方を聞いたことはあるだろうか? これは台詞中心の演劇における「台本」という意味に近いのだが、実際は使われかたが微妙に異なっていて、前者が文学作品として読まれる側面を重視した呼称であるのに対して、後者は俳優やスタッフが実際に稽古場で使用する状態のものを指す。文学の読者目線では「戯曲」と言いたくなり、演劇の現場目線では「台本」と言いたくなる。
演劇界では「戯曲翻訳」とよく言われる。たしかに、読み物として書かれた英語のテキストを日本語に翻訳しているので、私の仕事も「戯曲翻訳」ではあるだろう。ただし私を含めた翻訳者の多くは、翻訳した「戯曲」を演劇の現場で使用するための「台本」に仕上げていく過程にも関わっている。だから「戯曲翻訳」だと、仕事内容をすべて言った気分にならない。というわけで、自分の仕事を紹介するときは、冒頭のように「演劇作品の翻訳」とか「演劇翻訳」と言うようになった。
とはいえ、そのベースにあるのは当然「戯曲翻訳」の精度。そして戯曲翻訳は、単に別言語への置き換えで済むものではない。辞書に出てくる訳語を重ねただけでは、「辞書に載ってるじゃん」という「言い訳」はできても、「良い訳」にはならないのだ(父親から拝借したダジャレです)。具体的な作品を例に考えてみよう。現在、2026年4月24日からシアター代官山で上演されるアラン・エイクボーン作『Private Fears in Public Places』(企画・製作・主催:アーティストエージェントリンクス)の翻訳を担当しているのだが、この戯曲の出だしの会話は以下のようになっている。敢えて設定や状況説明を省いて引用しよう。
NICOLA: It’s rather small, isn’t it?
STEWART: (anxiously)You think so?
見ての通り、非常にシンプルな会話だ。しかし、情報量が本当にこれだけだったら、訳せと言われた瞬間に悶絶する。いったいどこで交わされている会話なのか、話題は何なのか、ニコラとスチュワートの関係性は……などなど、文脈を把握しなければ、状況にふさわしい翻訳などできないのだ。もしも本当にこの2行しかなかった場合、これを複数の人に訳してもらったら、およそ同じ英語を訳したものとは思えないような、てんでんばらばらの訳文が上がってくるだろう。文芸翻訳全般に共通していることかもしれないが、まずは文脈の徹底的な把握が必須となってくる。
文脈把握なんて何を当たり前な、と思った人もいるかもしれないが、ここで壁にぶち当たるということが意外と多い。大学で戯曲読解の授業をしていると、学生から「小説より難しい」「登場人物がどういう人か掴みにくい」という感想をよくもらう。その理由としてよく挙げられるのが戯曲の形式だ。戯曲にはト書きがあっても、小説にあるような叙述、いわゆる地の文が存在しない。ト書きとは、登場人物の出入りや感情、場面説明、照明・音響などの指定だが、そのト書きの量や性質も作品によってかなり異なる。たくさん書いてくれている親切な戯曲もあれば、場所の説明すらほとんどない戯曲もある。そうした戯曲は学生に限らず、一度読んだだけでは私も「わからない」と思ってしまう。
いや、ト書きの多い少ないにかかわらず、ほぼ台詞だけで文脈やキャラクター像、情景を完璧に掴むのは難しい。なんとなくは分かっても、翻訳するうえで「このシーンはわかんなくてもいいや」とか、「この人物よくわかんないな」といった逃げは当然許されない。だから必死にテキストと格闘する。「わからない」とボヤきながら。
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先程引用した『Private Fears in Public Places』(カンパニーでPFPPという略名を作ったら、PPAPみたいになってしまいました)に関して言えば、設定と状況の把握は比較的簡単だ。先ほどは台詞のみを引用したが、戯曲ではシーンの冒頭に「広い、家具のないロンドンのフラット(集合住宅)」という場所の設定がちゃんと書いてある。そして読み進めていくと、ニコラは物件の内見に来ている女性客で、スチュワートは案内している不動産屋、という設定がすぐに見えてくる。
そうした文脈を踏まえた上で、ニコラとスチュワートはどういう意図や感情で会話しているのか、という点を、台詞1つひとつの意味を解釈しながら探っていく。先ほどのニコラの台詞に込められた感情を考えてみよう。今ご紹介したように、前提条件として彼女が今内見している物件は「広い(large)」フラットなのに、彼女は 「“small” じゃない?」と言っている。おそらく彼女は相当広めの物件を希望していたのに、案内された物件が予想外に狭くて不満なのだ。というのも、彼女は単に“small”と言っているのではなく、“rather small”と言っている。この場合の “rather” は、「結構」とか「かなり」を意味するが、ネガティヴな気持ちを込めるときに使用されることも多く、“rather”によって彼女の不満、がっかり感がより強調されている。このように、演劇の翻訳者は台詞1つひとつに込められた登場人物の意図や感情、動機を丁寧に解釈していく。この台詞はどういう意図だろう、この人物は最終的に何が言いたくて話してるんだろう、わからない……とボヤき、自信喪失の状態に陥ることもしばしばだ。
そしてこの “small” の訳だが、この単語であれば「小さい」がまず思い浮かぶかもしれないが、ニコラとスチュワートが既に物件の中に入っていることがポイントである。外から観ていて「このマンションって小さいね」とは言うかもしれないが、既に部屋の中にいるときに「小さいね」とは言わないだろう。普通は「狭い」と言うはずだ。あとは俳優が舞台上で言うことを想定しながら、「台本」上の言葉を練り上げていけばいい。
……いや、それが問題なのだ。ハムレット的に言えば、To speak, or not to speak--that is the questionである。もちろん「戯曲」として、雑誌に掲載されたり出版されたりもするが、生身の人間が声に出すことを前提とする言葉、それこそがまさに演劇の台詞。そして観客は、俳優の表情を観ながら、その言葉をリアルタイムで聴いている。ネトフリやアマプラといった配信サイトとは違って、一時停止することはできない。聴いた言葉は瞬時に流れ去っていく。そのため、演劇の翻訳では一回聴いただけでキャッチできるような言葉に訳さないといけない。さらに、読むだけだと分かりやすいのに、口に出すと別のニュアンスに聞こえる可能性にも要注意だ。2021年にジョー・ペンホールの『BIRTHDAY』を訳したとき(主催:本多企画。新宿シアタートップスで上演され、2024年に再演)、冒頭の台詞で「私立病院」という言葉を使っていたが、観に来た両親から「日本語的には “市立病院” と混乱する」とツッコまれた。うーん、たしかに。「私立」「公立」といったキーワードが大切な作品だったため、混乱するのは良くないな、と反省しつつ、「わたくしりつ」と読ませるのは日本語的すぎるよな、とも思い、結局は良い案が浮かばないままだった。ちなみに、どうして親が翻訳の細かいダメ出しをしてくるのか、という我が家の事情に関しては、次回以降説明したい。
また、英語はリズミカルでシンプルなのに、翻訳して口に出すと急にまどろっこしくなるときもある。日本語に訳すとどうしても長くなってしまったり、説明的に聞こえてしまう。先ほどの『Private Fears…』のニコラの台詞 “It’s rather small, isn’t it?” を再び例に挙げると、たとえば「ここって結構狭いですよね?」といった訳が考えられる。この訳自体は別に過度にまどろっこしいわけでも、過度に説明的なわけでもない。ただし、口に出して言うと、原文よりもほんの少し、言うのに時間がかかる。短くしようと思ったら、「ここって」を削っても伝わるような気がするし、さらに言えば「結構」に関しても、わざわざ言わなくても、俳優の言い方や演技で「結構」感を出せるかもしれない。観客は舞台を観ているときに、俳優の身体表現や舞台美術、音響、照明といった要素を情報としてキャッチする。台詞はそうした情報の一部であることを踏まえ、情報過多にならないよう注意する必要があるのだ。
このように、戯曲から台本にしていく過程で、文字数を削ることでテンポを上げる、といった選択肢が浮上する。翻訳では意味を訳し、時にはリズムやテンポを訳す。もっとも、削り過ぎると意訳の範疇を超えてしまう場合もあるし、元の翻訳から要素を削らなくても、テンポよく聞こえる場合もある。そのため、実際に俳優に読んでもらうまでは「わからない」とボヤくことも多い。では実際の台本ではどういう表現を選んだか?に関しては、ぜひ、シアター代官山での公演を観て、俳優の口から出る言葉で確認していただきたい。
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戯曲の文脈を把握して、台詞を細かく解釈して、台本の言葉に落とし込んでいく。翻訳者の訳語1つで、キャラクター像が左右されてしまう。だからこそ責任重大。しかし仕事として関わる以上、「わからない」とボヤくのは良くないな。よし、ここは別の言葉に “翻訳” しよう。演劇翻訳とは、ずばり「むずかしい……とよく悩む」仕事です。
「むずかしい」からこそやりがいもある。そう、演劇翻訳とは、ずばり「おもしろい!と没頭できる」仕事です。RPGのゲーム攻略をしている感覚に近いかもしれない。演劇翻訳者というプレーヤーは、「戯曲」という言葉の世界を冒険していく。目の前に道がいくつも伸びていて、どの道を行くかはプレーヤー次第。さあ、自分だけの「台本」を作り上げよう。そして全クリしたと思っても、やり込み要素が豊富にあって、やりきったかどうか、作品が上演される段階になってもわからない。あ、「わからない」に戻っちゃった……。
小田島創志さん翻訳作品 上演情報
❖『Private Fears in Public Places』
2026年4月24日(金)~5月24日(日)
会場:シアター代官山
東京都渋谷区恵比寿西2−12−12
企画・製作・主催:アーティストエージェントリンクス
作 :アラン・エイクボーン
翻訳:小田島創志
演出:元吉庸泰
❖『ガールズ&ボーイズ』
2026年4月9日(木)~26日(日)
会場:新国立劇場 小劇場
東京都渋谷区本町1丁目1―1
作 :デニス・ケリー
翻訳:小田島創志
演出:稲葉賀恵
❖『DUMB SHOW/ダム・ショー』
2026年4月11日(土)~4月19日(日)
会場:紀伊國屋ホール
東京都新宿区新宿3-17-7 紀伊國屋書店新宿本店 4F
製作:インプレッション
作 :ジョー・ペンホール
翻訳:小田島創志 一川 華
演出:田村孝裕


