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坐禅とは何か――『正法眼蔵』「坐禅箴」を身読する 藤田一照・宮川敬之

坐仏は殺仏

【宮川敬之】身読コラボ⑭

 

 南嶽いはく、汝若坐仏、即是殺仏。

 いはゆるさらに坐仏を参究するに、殺仏の功徳あり。坐仏の正当恁麼時は、殺仏なり。殺仏の相好光明は、たづねんとするに、かならず坐仏なるべし。殺の言、たとひ凡夫のことばにひとしくとも、ひとへに凡夫と同ずべからず。又坐仏の殺仏なるは、有什麼形段と参究すべし。仏功徳すでに殺仏あるを拈挙して、われらが殺人・未殺人をも参学すべし。

 

 若執坐相、非達其理。

 いはゆる執坐相とは、坐相を捨し、坐相を触するなり。この道理は、すでに坐仏するには、不執坐相なることえざるなり。不執坐相なることえざるがゆえに、執坐相はたとひ玲瓏なりとも、非達其理なるべし。恁麼の功夫を脱落身心といふ。いまだかつて坐せざるものに、この道のあるにあらず。打坐時にあり、打坐人にあり、打坐仏にあり、学坐仏にあり。ただ、人の坐臥する坐の、この打坐仏なるにあらず。人坐の、おのづから坐仏・仏坐に相似なりといへども、人作仏あり、作仏人あるがごとし。作仏人ありといへども、一切人は作仏にあらず、ほとけは一切人にあらず、一切仏は一切人のみにあらざるがゆえに、人、かならず仏にあらず、仏、かならず人にあらず。坐仏もかくのごとし。

 

 南嶽・江西の師勝資強、かくのごとし。坐仏の、作仏を証する、江西これなり。作仏のために坐仏をしめす、南嶽これなり。南嶽の会に恁麼の功夫あり、薬山の会に向来の道取あり。しるべし、仏仏祖祖の要機とせるは、これ坐仏なりといふことを。すでに仏仏祖祖とあるは、この要機を使用せり。いまだしきは夢也未見在なるのみなり。おほよそ西天・東地に仏法つたはるるといふは、かならず坐仏のつたはるるなり。それ要機なるによりてなり。仏法つたはれざるには、坐禅つたはれず、嫡嫡相承せるは、この坐禅の宗旨のみなり。この宗旨、いまだ単伝せざるは、仏祖にあらざるなり。この一法、あきらめざれば、万法あきらめざるなり、万行あきらめざるなり。法法あきらめざらんは、明眼といふべからず、得道にあらず、いかでか仏祖の今古ならん。ここをもて、仏祖かならず坐禅を単伝すると一定すべし。

 

 

 南嶽が言った。「お前が、坐仏であれば、それは殺仏でもあるぞ〔汝、若し坐仏せば、即ち是れ殺仏なり〕」。

 これは、坐仏をさらに参究すると、殺仏という功徳のある姿となる、ということである。まさしく坐仏を行じてゆくときには、坐仏(のなかに入っているの)である。(仏を外の対象としてではなく、仏のなかに行じて仏以外のものはなく、さらに仏自体もいなくなったときに、)それを「殺仏」といい、そのすがたや光のありようを尋ねれば、ほかでもなく坐仏のありようでしかない、ということなのだ。「殺」という言葉は、一般的に使われる、(「対象を滅ぼしてしまう」という)意味に近いようだが、それと同じではない(滅ぼし、滅ぼされているのは対象ではなく、行じている自分自身なのだから)。だから、坐仏としての殺仏では、「いったいいくつに切れているのか(什麼の形段にか有らん)」と参究すべきである(それは対象を切っているのではなく、行じている自分自身を切り、そのものとなっているのだから、「切ってかえって一段にしている」と考えるべきだ)。仏の功徳には「殺仏」というありようがあるのだと言葉を新たに述べて、われわれ修行者が使う「殺人」「未殺人」という言葉にも参究していかなければならない。

 

 「坐相に執着するときに、一方では、坐相の理に達しないというありようにもなる〔若し坐相に執すれば、其の理に達するにあらず〕」。

 これは、坐相に執着することは、坐相を捨て、同時に、坐相にこだわる、ということである。この真理のありさまとは、ひとたび坐仏のうちに行じるときに、「坐相に執着しない、のではない」、ということとしてある。「坐相に執着しない、のではない」というありようだから、坐相に執着するということに透徹しながらも、同時に、坐相の理には達しないということにもなるのだ。こうした坐相のうちにある長所こそを、脱落身心とよぶのである。これまで坐ったことがない者には、こうした真理のありさまはわからない。こうした真理は、ひたすら坐ったときに、ひたすら坐った人に、ひたすら坐った仏に、坐仏に参学した者にのみわかるのである。だから、ひたすら坐仏を行じることは、人が通常に坐ったり臥したりするときの坐ることと同じではない。人が坐ることは、外側の形としては坐仏の行や、仏が坐っていることと似てはいるが、それは人が行って仏になろうとしているのであって、作仏している人のありようだけである。作仏している人は、作仏の行のなかにはいりこんだ場合〔一切人=みずからの分別を一切(いっせつ)にした人〕には、作仏もなく、作仏の行のなかにおいてはほとけもなく、作仏の行に入りこんだ仏〔一切仏=分別を一切(いっせつ)にした仏〕は、作仏の行に入りこんでいる人(一切人)ともちがいながら、しかも同時に人でもある。人は断じて仏ではなく、仏も断じて人ではない(が、そのふたつのありさまが同時に満たされているのである)。坐仏とは、そのようなありようとしてある。

 

 南嶽懐譲と江西馬祖の師弟が、師もすぐれた師であり、弟子も見事な弟子であるということは、このようにしてわかる。坐仏において、作仏が証明されると示しているのが江西である。一方、作仏は、坐仏に学ばなければならないと示しているのが南嶽である。南嶽の下での修行では、「恁麼」において(行のなかに入ることが)言われ、薬山惟儼の下での修行では、これまでのように(「非思量」において行のなかに入ることが)言い取られている。わきまえよ。仏が仏に伝え、祖師が祖師へと伝えたその中心となる働きは、坐仏の行であるのだ。すべての仏が仏に伝えるのも、すべての祖師が祖師へと伝えるのも、すべて、この、中心となるはたらきのうちにあるのだ。(坐仏に)まだ会ってないものは、このことは「夢にも想像できない〔夢也未見在〕」。しかしそもそも、西のインドから東の中国まで、仏法が伝わってきたのは、坐仏たちが、坐仏の行を伝えたのである。(坐仏こそが)中心となるはたらきであるということだ。仏法が(坐仏によって)伝えられなければ、坐禅は伝えられてこなかった。(坐仏が坐仏を)直系として継承してきたことによって、この坐禅の正統的なありようがある。この坐禅の正統的なありようが、(みずから坐仏の行を行じて)直接に伝えられていなければ、それは仏祖とはいわれない。行のうちにはいって行じる坐仏というありように知悉しなければ、あらゆる仏法のありさま、修行のありようも、知悉できない。仏法の一つ一つを知悉せずに、「明眼」の者とも、さとり=救いを得た者とも、仏祖の後継者とも、言われるだろうか。以上のように、仏祖と言われるものは、かならず坐禅を、自らが行じることで直接に伝えられたのだと、しっかり思いを定めなければならない。

 

〈殺の問題〉

 禅門において有名な言葉に、「殺仏殺祖(せつぶつせっそ)」があります。これは、臨済義玄(りんざいぎげん)の言葉として『臨済録』に伝えられている言葉で、つぎのように言われています。

 

仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得、物と拘らず、透脱自在なり(岩波文庫『臨済録』97頁)。

 

 ここで「殺仏殺祖」とは、「なにものにも束縛されず、自在に突き抜けた生き方〔物と拘わず、透脱自在〕」を得るために、いかなる束縛――たとえ仏や祖師へ逢う事すら――をも振り払わなければならない、ということの、極端な表現にすぎません。とはいえ「殺」という言葉の強烈さに、どうしても目を奪われてしまいがちです。

 実際、たとえば南泉普願(なんせんふがん)は、猫に仏性があるかどうかを言い争う僧侶たちの前で、猫を斬殺して見せました。「南泉斬猫(なんせんざんみょう)」と呼ばれる有名な公案になる話ですが、殺という問題が、単なる比喩ではなく、実際の暴力として起動する可能性が示唆されているともいえます。この、比喩だけにとどまらず、実際の、生命体を殲滅する暴力として殺の問題があることから、目を離さないようにしたいと思います。今回は、この「殺」が使われている、「殺仏」と呼ばれる問題が提起されます。坐禅を行じている江西馬祖道一に対し、師の南嶽懐譲が「汝若坐仏、即是殺仏」と言ったことがらとはなにか、ということです。

 通常の読み方であれば、南嶽は馬祖に対し、「もし坐って仏になるのなら、仏を殺してしまっているぞ」という警告であると読まれるべきでしょう。しかし、道元禅師はこう読まず、おそらくは次のように読まれました。

 

「お前が、坐仏であれば、それは殺仏でもあるぞ〔汝、若し坐仏せば、即ち是れ殺仏なり〕」。

 

 先回、私は、坐仏について、坐仏とは「だれ」かという問題として読みました。坐仏という言葉を見ると、すぐさま私たちは、それは「なに」かと問うてしまうのですが、むしろ必要なのは、「だれ」かという問いでないかと思ったからです。坐仏とはまず第一に、さとりつつ坐禅している釈尊のことであると読みました。坐仏である釈尊に具体的に出会うこと、言い換えれば、修行者に坐仏=釈尊を見、自らも坐仏の行のなかに入ること、それが仏教の根底だと、道元禅師は考えたと読みました。この具体性を手放してはいけない、と思います。この読み方をくりかえすならば、私は、殺仏についてもそれが「だれ」かという問題として読むべきでしょう。つまり「殺仏」という、なにかを殺しつつさとっている仏という、やや物騒な存在を具体的に考えるべきだということです。

 殺については、『正法眼蔵』「春秋」巻で、洞山良价(とうざんりょうかい)のつぎの言葉が引かれ、それに対して道元禅師の解説が示されています。

 

 洞山悟本大師、因みに僧問う、「寒暑到来、如何んが廻避せん」。師云く、「何ぞ無寒暑の処に向って去かざる」。僧云く、「如何なるか是れ無寒暑の処」。師云く、「寒時には闍梨を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺す」。

(……)僧問の寒暑到来、如何廻避、くはしくすべし。いはく、正当寒到来時、正当熱到来時の参詳看なり。この寒暑、渾寒渾暑ともに寒暑づからなり(『全集』第一巻409頁)。

 

 洞山悟本(洞山良价)大師に、あるとき僧が問うた。「暑さ寒さが到来するとき、どのように避けるべきでしょうか」。師が言った。「暑さ寒さが無いところへ当然行くべきだろう」。僧が言った。「暑さ寒さが無いところとはどこでしょうか」。師が言った。「寒いときには、お前自身を寒さで殺し、暑いときにはお前自身を暑さで殺せ」。

(……)僧が問うた「暑さ寒さが到来するとき、どのように避けるべきか」という問題の参究を精密に行わなければならない。それは、「まさにさとりとして寒さが到来する時」「まさにさとりとして暑さが到来する時」についてくわしく参究することであるのだ。この暑さ寒さは、暑さのうちに入りすべて暑さになること、寒さのうちに入りすべて寒さになることであり、それは、ただ寒さのほうから到来し、暑さのほうから到来するということなのだ。 

 

ここで「殺」は、「渾」と同じことがらと考えられています。「渾」は、『正法眼蔵』「摩訶般若波羅蜜」巻に「観自在菩薩の、行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり」とあるように、観世音菩薩が、行のなかに入り込むことで、境界に触れることのない、したがって無限の、自他がつながる全体(摩訶般若波羅蜜)となるようなありようとしてあります。それが「渾身」です。道元禅師は「殺」についても、おそらくは同じように考えていると思います。つまり、殺仏とは渾身仏と同じであり、それは具体的には観自在菩薩が坐禅を行じているそのすがたでしょう。殺仏がなにかを殺しつつさとっている仏であるとするならば、そこで殺害しようとしているのは、外部的な対象ではなく、坐禅修行者(観自在菩薩)自身であり、もっと正確には、坐禅修行者の自と他を区別する分別心です。この分別心を、行の中に、すなわち、境界に触れることのない無限のなかに入り込むことで、殺害しようとしている、といえます。しかし、分別心を殺害する、ということは、いっぽうで、分別しない世界をまるごと肯定するということです。だからこそ、分別心を殺すことが、渾身という実際の身体性をともなう、修行の身体のまるごととして現れるのです。この点について、今回の箇所に、「いったいいくつに切れているのか(什麼の形段にか有らん)」と言われていたことに注意を向ける必要があるでしょう。これはさきの「南泉斬猫」の話を取り上げたときの道元禅師のコメントの一つとつながっていると解釈できます。『正法眼蔵随聞記』につぎのように記録されています。

 

 亦大衆に代て云ん、和尚只一刀両断を知て一刀一段を知らずと。奘云く、如何是(いかなるかこれ)一刀一段。師云く、猫児是(みょうじこれなり)(岩波文庫『正法眼蔵随聞記』21頁)。

 

 「また修行僧たちにかわって私(道元)が言うならば、『南泉和尚は、ただ一刀で二つに斬ることはご存じだが、一刀で一つに斬ることはご存じないのですな』と言うだろう」。私(懐奘)は言った。「一刀で一つに斬るとはどういうことでしょうか」。師が言われた。「ネコまるまる一匹のことだ」

 

 殺すとは本質的に、個体の生命体の連続性を断ち切り、いくつかのモノへと還元してしまうことです。その意味で「一刀両断」とは「殺」の本質を衝いています。しかし道元禅師はここで、個体の生命体の連続性を断ち切りつつも、同時に個体の生命体をまるまる残すと言われているのです。これが「一刀一断」の意味するところです。これは要するに、一刀する者の意識をかえ、客体を両断するための一刀から、主体みずからの分別心(一刀)への一刀を振り下ろすということです。そのときに、殺と活とが、相互に矛盾しつつも、その両方が成立するといえます。仏法における「殺」とは、このような「活」との矛盾的な一致にあり、みずからの分別心=一刀への一刀であるべきだと考えていると解釈します。そして、これが後出の「一切仏」や「一切人」にも響いていると解釈します。ですから「一切仏」は、一切(いっせつ)仏と読むべきであり、「作仏の行に入りこんだ仏〔分別を一切(いっせつ)にしている仏〕」という意味に、また「一切人」は、「作仏の行に入りこんだ人〔分別を一切(いっせつ)にしている人〕」という意味に読むべきだと思います。

 

〈坐相を捨て、坐相にこだわる〉

 このようにして、殺仏という仏のすがたにおいては、一刀する者の意識をかえ、客体を両断するための一刀から、主体みずからの分別心(一刀)への一刀を振り下ろしているのであり、そのときに、殺と活とが、相互に矛盾しつつも、その両方が成立することであったと説明しました。この殺と活との矛盾的な一致が重要になります。つぎの「若執坐相、不達其理」についても、通常であれば、「坐相に執着すれば、かえって坐禅の真髄には到達しない」という、坐相(坐っているすがたのこと。手足の形、組み方、背筋の伸ばし方、視線の落とし方、舌の位置などのデティールをさす)にこだわりすぎてはならない、という警告の意味にとるべきです。しかし道元禅師はべつの読み方をして、坐相に執着しつつ、同時に、坐相の境界のない無限の世界に入れと言われます。

 

 「坐相に執着するときに、一方では、坐相の理に達しないというありようにもなる(若し坐相に執すれば、其の理に達するにあらず)」。

 

 これは、坐相に執着することは、坐相を捨て、同時に、坐相にこだわる、ということである。この真理のありさまとは、ひとたび坐仏のうちに行じるときに、「坐相に執着しない、のではない」、ということとしてある。「坐相に執着しない、のではない」というありようだから、坐相に執着するということに透徹しながらも、同時に、坐相の理には達しないということにもなるのだ。こうした坐相のうちにある長所こそを、脱落身心とよぶのである。

 

 「若執坐相、不達其理」は、坐相を捨てつつ同時に坐相にこだわる、という矛盾的な一致を教えている言葉として読むべきだ、と道元禅師は教えます。その教えは「坐相に執着しない、のではない〔不執坐相なることえざるなり〕」という言葉に凝縮しているといえます。これは、『正法眼蔵』「現成公按」巻の、麻谷宝徹(まよくほうてつ)の言葉、そしてその道元禅師の解釈と響きあっていると思います。次の箇所です。

 

 麻浴山宝徹禅師、あふぎをつかふちなみに、僧きたりてとふ、風性常住、無処不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。師云く、なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらず、と。僧曰く、いかならんかこれ無処不周底の道理。ときに、師、あふぎをつかふのみなり。僧、礼拝す。(『全集』第一巻6頁)。

 

 麻谷山の宝徹禅師が、扇を使っている。一人の僧がやってきて彼に問うた。「風の性質は常に存在し、あらゆるところに浸透しています。なんで扇をあおぐのですか。」師は言った。「お前は、風の性質が常に存在していることだけは知っているが、あらゆるところに浸透しているということは知らないな。」

僧は言った。「風があらゆるところに浸透しているとはどんなことでしょうか。」

師はただ扇をあおいでいるだけであった。

僧は深く礼をした。(奥村正博『現成公按を現成する』後9-10頁)。

 

 「あらゆるところに浸透している」と訳した言葉の原文は、「無処不周」です。これは文字通りには、「浸透していない、ところがない〔周せざる処なし〕」という意味です。この言い方は「風の性質が常に存在している〔風性常住〕」という意味と、ほとんど同じなのですが、決定的に違う点があります。それは、二つの側面、つまり「風が浸透していないので扇を使う」という側面と、「風そのものは常に存在している」という側面とを、両方保持しているという点です。「風の性質が常に存在している」という単声の主張に対して、いわば複声の主張になっているのです。

 同じように「坐相に執着しない、のではない〔不執坐相なることえざるなり〕」もまた、坐相を捨てるという側面と、坐相にこだわる、という側面とを同時に保持しています。坐禅は、坐相、すなわち、手足の形、組み方、背筋の伸ばし方、視線の落とし方、舌の位置などのデティールの集積なのではありません。しかし、同時に、そうしたデティールに還ってゆくということでもあるのです。これは言い換えれば、釈尊をはじめ、歴代の仏祖がなされた坐禅でありつつも、私固有の身体的特徴、精神的傾向を踏まえたうえでの坐禅でしかない、ということです。この両方の側面が、論理的には矛盾しながらも、修行者のうちに現成するということが、「脱落身心」と呼ばれます。片方だけの主張で染めてしまうのは簡単であり、力が強く、希求力があります。それに対して、相矛盾する二つの側面を同時に成立させるのは、複雑であり、力が弱くなり、実際にその両側面を成立させようとしている人にしか分かりません。坐仏は坐仏にしか伝えられないという主張は、ここから来るものでしょう。道元禅師の脱落身心の坐禅とは、いわばそのような矛盾した複数の側面を、同時に成立させようとする側に立とうとするものであることを、私たちは肝に銘じておかなければなりません。

 

【藤田一照】身読コラボ⑭

 

 今回身読する箇所の原文を下に記します。理解できる、できないはとりあえず横において、まずはここに書かれている道元禅師の言葉に、眼ではなく、耳を傾けてください。ですからぜひ、黙読ではなく声に出して音読してみてください。それも一度きりではなく、繰り返し音読されることをお勧めします。そして、それを通して自分の方に何か伝わってくるものがないかどうかを繊細に感じ取ろうとしてみてください。もちろん、一つ一つの言葉の定義とか意味についてはある程度まで理解している必要があります。しかし、日本語をある程度のレベル以上で習得している人なら、繰り返し音読しているうちに辞書的な意味とは別な何かがそこに立ち上がってくるはずです。

 この連載で何度も繰り返し書いていますが、道元禅師の『正法眼蔵』を本当の意味で読むには、書かれていることを字義的なレベルで知的に解釈し納得していこうとする普通のやり方に留まらず、それを踏まえて、さらに原文を繰り返し音読することによって著者である道元禅師の肉声を聞き届ける作業が必要です。音読しているうちに、道元禅師が自分の前にいてこの『正法眼蔵 坐禅箴』をこちらに向かって語り聞かせてくれているような感じが少しでもしてきたら、それは儲けものと言わなければなりません。書き残されたものを通して、そこに込められた道元禅師の思いに、ほんの少しではあってもまのあたりに触れることができたからです。私がたまたま日本に生まれて日本語を母国語とすることができたというこの偶然をありがたいことだと思う大きな理由の一つは、『正法眼蔵』を翻訳ではなく原文のままで音読できることです。この連載のタイトルに「身読(しんどく)」という言葉を入れているのは、そうやってこのテキストを身に染み込ませるようにして読んでいきたいと思っているからです。

 

 さあ、では原文です。読みにくい漢字には()のなかにふりがなを入れてあります。何度か音読して味わってから、私の解説を読んでください。そして、その後もう一度音読してください。

 

 南嶽いはく、汝若坐仏、即是殺仏(にょにゃくざぶつ、そくぜせつぶつ)。

 

 いはゆるさらに坐仏を参究するに、殺仏の功徳あり。坐仏の正当恁麼時(しょうとういんもじ)は、殺仏なり。殺仏の相好光明(そうごうこうみょう)は、たづねんとするに、かならず坐仏なるべし。殺(せつ)の言(ごん)、たとひ凡夫のことばにひとしくとも、ひとへに凡夫と同ずべからず。又坐仏の殺仏なるは、有什麼形段(うしもぎょうだん)と参究すべし。仏功徳すでに殺仏あるを拈挙(ねんこ)して、われらが殺人(せつにん)・未殺人(みせつにん)をも参学すべし。

 

 若執坐相、非達其理(にゃくしゅうざそう ひたつごり)。

 

 いはゆる執坐相とは、坐相を捨(しゃ)し、坐相を触(そく)するなり。この道理は、すでに坐仏するには、不執坐相なることえざるなり。不執坐相なることえざるがゆえに、執坐相はたとひ玲瓏(れいろう)なりとも、非達其理なるべし。恁麼(いんも)の功夫(くふう)を脱落身心といふ。いまだかつて坐せざるものに、この道(どう)のあるにあらず。打坐時にあり、打坐人(たざにん)にあり、打坐仏にあり、学坐仏にあり。ただ、人の坐臥する坐の、この打坐仏なるにあらず。人坐(にんざ)の、おのづから坐仏・仏坐に相似なりといへども、人作仏(にんさぶつ)あり、作仏人(さぶつにん)あるがごとし。作仏人ありといへども、一切人は作仏にあらず、ほとけは一切人にあらず、一切仏は一切人のみにあらざるがゆえに、人、かならず仏にあらず、仏、かならず人にあらず。坐仏もかくのごとし。

 

 南嶽・江西(こうぜい)の師勝資強(ししょうしきょう)、かくのごとし。坐仏の、作仏を証する、江西これなり。作仏のために坐仏をしめす、南嶽これなり。南嶽の会に恁麼の功夫あり、薬山の会に向来(きょうらい)の道取あり。しるべし、仏仏祖祖の要機とせるは、これ坐仏なりといふことを。すでに仏仏祖祖とあるは、この要機を使用せり。いまだしきは夢也未見在(むやみけんざい)なるのみなり。おほよそ西天・東地に仏法つたはるるといふは、かならず坐仏のつたはるるなり。それ要機なるによりてなり。仏法つたはれざるには、坐禅つたはれず、嫡嫡相承(てきてきそうじょう)せるは、この坐禅の宗旨のみなり。この宗旨、いまだ単伝せざるは、仏祖にあらざるなり。この一法、あきらめざれば、万法あきらめざるなり、万行あきらめざるなり。法法あきらめざらんは、明眼といふべからず、得道にあらず、いかでか仏祖の今古ならん。ここをもて、仏祖かならず坐禅を単伝すると一定すべし。

 

 前回第13回において参究した箇所には、「南嶽、またしめしていはく、汝為学坐禅、為学坐仏」、「南嶽いはく、若学坐仏、仏非定相」という二つの南嶽の説示がありました。坐禅を行じていること(「学・坐禅」)自体がとりもなおさず坐仏を修行していること(「学・坐仏」)であるということ(ここでは「学坐仏」を「学・坐仏(坐仏を学する)」と読む)、そして、まさに学坐仏の仏(ここでは同じ「学坐仏」を「学坐・仏(学坐の仏)」と読んで、「学坐している仏」の意に解する)には、これといって固定的に決まった相(すがた)があるわけではない(さらに言えば、非定相を相とする仏がそこに実現している)ということです。

 南嶽のこの二つの説示は非常に重要なポイントを突いています。まず、坐禅することによってぼちぼち仏に近づいていくというのではなく、坐禅を学しているそのまま(これが「磨塼」という行為)が直ちに坐仏になっている(これが「作鏡」という事実)ということです。しかもこの場合、坐禅している当人はその事実を覚知(知覚と分別)の上で意識する必要はないというのが道元禅師の強調するポイントです(「諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず」『正法眼蔵 現成公案』)。次に、そのような坐禅を学している主体のことを「(学)坐仏」と呼び、その仏は非定相という仏の相をしているのです。これは、坐仏のありようが、人間の側からの理解や納得を絶しているということを意味しています。坐禅の偏向や歪曲(坐禅の病い)は、すべてのことを覚知の上の意識にもたらしたい、理解や納得の中に持ち込みたいというわたしたちの中に根深くある欲求から発生してくるのです。南嶽の坐仏についての説示は、そのような坐禅の病いの発生原因に対する治療の箴(はり)として理解することができるでしょう。

 今回の箇所でもこの「坐仏」をめぐって、馬祖に対する南嶽の説示がさらに続けられます。

 まず、南嶽の言った「汝若坐仏、即是殺仏」という説示は、普通の読み方なら「汝もし坐仏せば、即ち是れ殺仏なり」と読み下しますが、ここではそのように読むべきではありません。これまでにも言及してきたように、道元禅師独特の中国語の読み方には注意が必要です。ですから、『正法眼蔵』の中で引用されている中国語の文章は、われわれ日本人が中国語を日本語として読めるように発明した漢文の読み下し方で読んでしまってはまずい場合が多いことを念頭におかなければなりません。この南嶽の言葉の中にある「若」という文字は、道元禅師的には「もし〜なら if」という仮定ではなく、「すでに〜である」という現在完了の意味に理解しなければなりません。未来のいつかにおいて実現するかもしれないあやふやな可能性の話ではなく、すでに現在において完全に到来している厳然たる事実(現成公案)を語るのが道元禅師なのですから、この南嶽の言葉は「汝若(すで)に坐仏す。即ち是れ殺(せつ)仏なり」と読むべきなのです。

 ここで、「汝」という二人称の代名詞が使われています。つまり、これは現に今、そこで坐禅をしている馬祖その人に向かって言われていることなのです。つまり、「おまえ(馬祖)はまさに今そのように坐禅してすでに坐仏そのものになりきっている。だから、いまさらあらためて仏になるということは必要ない。そこにはいまさら仏を入れる余地はない。仏にとって仏は不要であり、仏は不在である。だから坐仏はそのまま(即是)で『殺仏』していることなのだ」と南嶽は馬祖の坐禅を証明しているのです。

 「殺仏」という物騒な表現は、臨済の言った「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し」という言葉でよく知られています。その文脈においては、殺とは仏や祖に対する依存や執着を打破することを意味しています。しかし、南嶽がここでいう殺仏は坐仏という形での殺仏のありかたを提示しているのです。われわれ凡夫は仏というものを遠くに見て、それに憧れたり、それを目標にしたりしていますから、仏があります。しかし、坐仏の当処にはもはや仏を向こう側に見るということがありません。目指すべき仏、なるべき仏というものが無いところで安坐しているのが坐仏であるという意味で殺仏という表現を使うのです。坐禅をしていることがそっくりそのままとりもなおさず殺仏になっているというわけです。『正法眼蔵』の註として最も古い『御抄』には「坐禅の親切なる道理が殺仏と云はるるなり」とあります。その殺仏がどういう姿格好(相好光明)をしているかといえば、「坐禅」という姿をしているのです。

 有什麼形段(うしもぎょうだん)という表現ですが、普通なら「いかなる形段か有らん(どのような形・様相をしているのか?)」と疑問文として読まれるところです。しかし、ここでは殺仏には「これといって決まった形段がないこと」を言おうとしているのですから、「什麼(なに=いかなる限定をも超えた無相のものを指す)という形段が有る」と読まれるべきです。什麼というのはもともとは疑問詞なのですが、禅の文脈では、われわれがこれはこうだと言って限定した形にして解釈したり、何かとして取り扱ったりすることが一切できない絶対の事実を指す言葉として使われています。坐仏が殺仏であるというのは、ある特定の固定的な姿(形段)への閉じ込め・限定ではないことに注意を促しているのです。ですから、これは先に使われていた「非定相」という言葉と同じ意味になります。

 このような坐仏はどこまでも坐禅ぎりで、仏不在の殺仏なのですから、当然のこととしてそこには人も不在です。ここで言う人とは個人的な自己意識(吾我)のことを指します。

 道元禅師は「殺仏」という表現を援用して、それを「殺人」と表現しています。われわれが普通に使う「誰かを殺す」とか「誰かに殺される」という意味の「殺」ではなく、人間がいなくなってしまうということを「殺人」と言っているのです。坐禅は、世間で通用している“藤田一照”という個人としての人間がやっているのではありません。その意味での“藤田一照”は坐禅においては不在となっていて、消えて(殺されて)しまっているのです。坐禅はただ坐禅であって仏とか人とかが入り込む余地がないことを殺仏、殺人と表現しているのです。

 一切の衆生は例外なく「大いなる力に生かされて、〜として生きている」という二重の構造において存在しています。それが縁起ということに他なりません。普段の私は“藤田一照”として生きていますから、「大いなる力に生かされて」という側面はまったく隠れています。しかし、坐禅中はこの「〜として生きている」という側面が「殺」されてしまって、大いなる力の働き(それを「仏」と呼ぶ)によって「生かされている」という側面が前面に出てきます。その姿が、ここでは坐仏、殺仏、殺人などさまざまな表現で呼ばれているのです。

 「殺人、未殺人をも参究すべし」というのは、「坐禅においてこの意味で人間を殺しきっているかどうかということも参学せよ」ということです。坐禅に人間性(=凡夫性)の入り込む余地が残っていないかどうかをよくよく調べよと道元禅師は言うのです。現実の坐禅においては、時節因縁にしたがって殺人の状態もあれば未殺人である状態もあるからです。

 南嶽の次の説示「若執坐相、非達其理(にゃくしゅうざそう ひたつごり)」は、普通なら「若し坐相に執すれば、其の理に達せず」と読んで、坐相に執着することを戒めるような意味に解されるのですが、ここではそうではなく、「若(すで)に坐相を執す、其の理に達するにあらず」と読むべきでしょう。ここでの「執」は執着の執ではなく、先ほどの「殺仏」、「殺人」の殺とおなじく「親切=そのものと一つになって余物のないこと」の意です。ですから、「執坐相」とは、坐相を正してひたすら坐禅をしていることです。内山興正老師の表現を借りれば「骨組みと筋肉で正しい坐相をねらい、あとはすべてそれに任せること」、それを真摯に継続していることが執坐相です。それが同時に坐仏であり殺仏なのですから、それでもう充分であり、行き着くところに行き着いているのです。それ以外に「其の理」にあらためて達するというようなことは問題になりません。執坐相(坐禅)はどこか外にある到着点にいつか達することをめざしておこなわれるような目標追求の営みではないのです。その意味では、「非達其理」を「非達の其理」と読んでもいいかもしれません。執坐相(坐禅)は非達(達する・達しないを超越している無限性をこのように言う)を原理・原則としているということです。

 執坐相とはどのようなことかというと、「坐相を捨し、坐相を触する」ことだと道元禅師はさらに詳しく述べています。無所得無所悟の態度で、なにものにもとらわれず、坐相を修行し(それを「捨」という)、実際に身体をもって正確精密に坐相を修行する(それを「触(そく)」という)のです。執坐相=捨坐相=触坐相ということになります。捨と触という一見相反する営みが坐禅における執の努力の中で両立していることがわかります。この辺りが坐禅の妙味と言えるでしょう。すでに坐仏としてそこで現に坐禅しているのですから、不執坐相、つまり坐らないということはあり得ません(不執坐相なることをえざるなり)。

 「人作仏」、「作仏人」はどちらも坐禅している当人のことで、それぞれ「人が仏に作(な)ること」、「仏に作(な)る人」という意味です。一切人も作仏人も人という点においては同じですが、道元禅師は一切人は作仏ではないという厳密な区別をつけています。坐禅でなければ作仏にはならないのです。人と言うときはどこまでも人ぎり、仏と言うときはどこまでも仏ぎり、混じり合うことがないというのが道元禅師のロジックです。

 最後の一段は、これまで評釈してきた薬山非思量の話と南嶽磨塼の話の締めくくりをしているところです。坐仏が作仏であることを証明したのが馬祖であり(「坐禅かならず作仏の図なり」)、作仏が坐仏であることを示したのが南嶽であった(「古鏡も明鏡も磨塼より作鏡をうるなるべし」)というのが道元禅師の結論です。南嶽と馬祖の問答は、師が弟子の修行の誤りを諌めているというような性質のものではなく、二人が対等の立場に立って、坐禅についての説示をそれぞれ逆方向から提示し合っているという解釈なのです。そして、仏法が伝わるということは坐仏(坐禅が坐仏であること)が伝わることであるという道元禅師の基本的立場が強調されます。

 以上のような考察に基づいて、私なりの現代語訳を作ってみました。参考にしていただければと思います。

 

 南嶽が言った。「汝若(すで)に坐仏す。即ち是れ殺(せつ)仏なり(おまえは坐禅して坐仏そのものになりきっている。それはそのままで殺仏である)」

 これまで坐仏ということについていろいろ論じてきたが、さらに一歩すすめて坐仏を参究してみると、坐仏には殺仏という功徳がある。坐仏がまさしく坐仏になっているまさにそのときには、まちがいなく殺仏という仏(仏を殺し切った仏)である。殺仏という仏の具体的な姿かたちをしらべてみようとすれば、それはかならず「坐仏」でなければならない。「殺」という言葉は凡夫の世界で用いられる言葉と文字の上では同じであるけれども、意味の上においても同じであると思ってはならない。また坐仏が殺仏でもあるということは、「什麼(=限定を超えたもの)という形段が有ること」として参究しなければならない。仏の功徳のなかには殺仏という功徳もあることをよくよくこころにとどめて、殺人・未殺人ということ(坐禅に人の入り込む余地が残っているかいないか)についても参学すべきである。

  (南嶽が言う)「若(すで)に坐相を執す、其の理に達するにあらず(坐相を正して坐禅をしているのなら、それでもう充分であり、それ以外に『其の理』にあらためて達するというようなことは問題にならない)」

 ここでいうところの「執坐相」とは、坐相を無所得無所悟の態度で、なにものにもとらわれず修行し(「捨」)、実際に身体をもって坐相を正確精密に修行する(「触」)ことである。ここには、坐仏するには正しい坐相をどこまでも徹底して坐禅するしかないという道理(すじみち)がある。坐相を正しくしないで坐禅するということはありえないのだから、坐相を正すということがたとえ透明な玉のように純粋無雑に見事にできたとしても、それはいつまでも到達点に達するということがない道理でなければならない。このような方向性をもった修行に努力することを「脱落身心」と言う。いまだかつて正しい坐禅をしたことのない者が、このようなことを言うことはあり得ない。しかし、打坐する時、打坐する人、打坐仏、学坐仏にはそういう表現が生まれてくる。凡夫がふつうにあぐらをかいて坐っているのが打坐仏だというのではない。人(凡夫)の坐った形姿がたまたま坐仏・仏坐に似通っていることはあっても、この両者はまったく違うものだ。結跏趺坐の坐禅には人が仏に作(な)ること(人作仏)があり、仏に作(な)る人(作仏人)ということがあるからだ。しかし、仏に作る人があるといっても、すべての人が坐禅とは別個に、はじめから作仏しているというわけではない。坐禅抜きに作仏ということはないからだ。また、坐仏している仏になっている以上、それはもうすでに一切人ではない。一切仏はどこまでも一切仏であって、決して一切人ではないからだ。人(凡夫)はそのままでは決して仏ではないし、仏は決して人ではない。このことは坐仏に関しても同様である。

 南嶽と馬祖という師弟は、師もすぐれ弟子も立派で同じ力量を持っていた(師勝資強)ことはこのようである。坐仏が作仏であることを「図作仏」という言葉で見事に証明していたのは江西馬祖である。また、作仏のためには坐仏でなければならないことを「磨塼作鏡」によって示したのは南嶽であった。南嶽の指導していた修行者の集まりにおいてはこのような工夫参究がなされていたのだ。また、薬山の指導していた修行者の集まりにおいては、先に述べたような「思量箇不思量底」云々という表現があった。

 このことからよくよく知らなければならない。どの仏もどの祖師がたも大切な契機(要機)とされたのは、あくまでも坐仏であるということを。すでに仏とか祖師であると言われる以上、かれらはかならず坐禅という大切な契機を使用している。いまだ仏祖たり得ていない者はそのことをいまだ夢にも見たことがない。いやしくも仏法がインドや中国に伝わるということは必ず坐仏が伝わるということなのだ。それこそが仏法のもっとも肝心要のポイントだからだ。仏法が伝わらなかったら坐禅は伝わらない。仏祖から仏祖へと代々親しく伝えられて受け継がれてきたのは、このような坐禅の根本的な趣旨だけなのである。この根本的な趣旨をまだ純粋に伝えていない者は仏祖ではない。この坐禅という一つの法をはっきりと明らめていないならば、それ以外のすべての法もまた明らめていないし、すべての行も明らかになっていない。さまざまな法を明らかにしていない者は「明眼(聡明でものごとに精通した人)」と呼ぶことはできないし、「得道(道を得た人)」でもない。どうしてそのような者が古今を通じての仏祖に等しいと言えるだろうか。であるから、仏祖はかならず坐禅を単伝(先人から坐禅をひとえに純粋に混じりけなく伝えられ、またそれを次に伝えること)するのだということをはっきりと決定(けつじょう)しなければならない。

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著者略歴

  1. 宮川敬之

    1971年鳥取県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士過程単位取得。大本山永平寺に安居修行。現在、鳥取県天徳寺住職。主な論文に「中国近代佛学の起源」「異物感覚と歴史」など。著書に『和辻哲郎――人格から間柄へ――』(講談社学術文庫)。

  2. 藤田一照

    禅僧。1954年愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程を中退し、曹洞宗僧侶となる。1987年、米国マサチューセッツ州西部にある禅堂に住持として渡米、近隣の大学や仏教瞑想センターでも禅の講義や坐禅指導を行う。2005年に帰国。曹洞宗国際センター前所長。Facebook上に松籟学舎一照塾を開設中。

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