坐禅を学ぶ、坐仏を学ぶ
【宮川敬之】身読コラボ⑬
南嶽、またしめしていはく、汝為学坐禅、為学坐仏。
この道取を参究して、まさに祖宗の要機を弁取すべし。いはゆる学坐禅の端的いかなりとしらざるに、学坐仏としりぬ。正嫡の児孫にあらずよりは、いかでか学坐禅の学坐仏なると道取せん。まことにしるべし、初心の坐禅は最初の坐禅なり、最初の坐禅は最初の坐仏なり。
坐禅を道取するにいはく、若学坐禅、禅非坐臥。
いまいふところは、坐禅は坐禅なり、坐臥にあらず。坐臥にあらずと単伝するよりこのかた、無限の坐臥は自己なり。なんぞ親疎の命脈をたづねん、いかでか迷悟を論ぜん、たれか智断をもとめん。
南嶽いはく、若学坐仏、仏非定相。
いはゆる道取を道取せんには、恁麼なり。坐仏の、一仏二仏のごとくなるは、非定相を荘厳とせるによりてなり。いま仏非定相と道取するは、仏相を道取するなり。非定相仏なるがゆえに、坐仏さらに廻避しがたきなり。しかあればすなはち、仏非定相の荘厳なるがゆえに、若学坐禅すなはち坐仏なり。たれか無住法におきて、ほとけにあらずと取捨し、ほとけなりと取捨せん。取捨、さきより脱落せるによりて坐仏なるなり。
南嶽がさらに教えて言われた。「おまえが坐禅を学ぼうと思うなら、「坐仏」に学ばなければならない〔汝坐禅を学ばんとすれば、坐仏に学ぶべし〕」
この言い取りを参究して、祖師の教えの急所をまさに修行せよ。それはつまり、「坐禅を学ぶ」ことがらの本質が自分自身にはわからないことが、「坐仏に学んでいる」ことだ、ということである。このことを正式に継承する子孫でないと、どうして「坐禅を学ぶ」ことが「坐仏に学ぶ」ことだと言い取れるだろうか。心底よりわきまえよ。初心の者の坐禅は、「はじまり」の坐禅なのであり、「はじまり」の坐禅とは、すでに「坐仏」に「はじめて」参じていることなのだ、と。
ここで、「もし坐禅を学ぶならば、禅は坐臥を乗り超えたものだ〔もし坐禅を学ばば、禅は坐臥に非ず〕」と言われている。
いま言われているのは、「坐禅とは坐禅であり、坐臥ではない」ということである。坐禅をたんなる坐臥ではないと(「坐仏」に出会って)継承することによってはじめて、(尽大地という)無限の坐臥こそが、まぎれもなく自己であるとわかるのである。その場合には、教えの深さ浅さの理由を探ることがどうして必要だろうか、どうして迷いや悟りを論じてみたりすることがあるだろうか、だれが頭でっかちの論断を必要としようか。
南嶽が言われた。「もし坐仏に学ぶならば、仏は固定されたすがたをしていないと知るのである〔若し坐仏に学ばば、仏は定相に非ず〕」。
この「坐仏は固定されたすがたをしていない」という言い取りを言い取ることは、自らも「坐仏の行〔恁麼〕」を行うことによってなされる。坐仏が、(「坐仏の行〔恁麼〕を行う」)仏と仏との出会いによる継承であるために、「固定されたすがたをしていない」という「荘厳のしかた」がわかるのである。つまり「仏は固定されたすがたをしていない」と言い取ることとは、(自ら仏の行を行って)「仏のすがた」を行い取ることだ。「固定されたすがたをしていない仏」を自ら行い取るには、坐仏にかならず出会うことである。そのようにして、(行のうちに)「仏は固定されたすがたをしていない」という「荘厳のしかた」がわかることが、(仏と仏が出会うことすなわち)「坐禅を学ぶこと」なのであり、それが坐仏なのである。(すでに坐仏の行を行い、)固定されたすがたのない法〔無住法〕のありようのさなかでは、これは仏であり、あれは仏ではないなどという取捨選択がもはや意味をなさない。取捨選択がそもそも脱け落ちた坐禅の行において出会う仏こそが坐仏であるからだ。
〈 「なにか」から「だれか」へ〉
今回の箇所は、「坐仏」についての考察が中心となります。「坐禅を学ぶならば坐仏を学ばねばならない」という南嶽懐譲が馬祖道一に告げたことばが問題とされるからです。
このことばを聞くと、私たちはすぐさま、ごく自然に「では、「坐仏」とは何だろう?」と訊ねたくなります。その場合、「坐仏」のありようについて、あるいはその構造について、あれこれと詮索して考え始めようとします。私もこれまでずっとそのようにして、この箇所から「坐仏」とはなにかを考え、その構造を解読しようと読んできました。
しかし今回、あらためて読んでみて、ここで道元禅師が想定されているのは、「坐仏」の構造などではなく、むしろその具体的なありように出会うことなのではないか、と思うようになりました。そして、大事なのは坐仏とは「なにか」ではなく、「だれか」が問われているのではないか、と思うようになったということです。『正法眼蔵註解全書』などを見ても、そのような点を強調した解説はなされていないようですが、私は自分なりに納得する解釈として、坐仏とは「だれか」ということを中心に、今回の箇所を解説してみたいと思います。
さて、「坐仏」とはまず、文字通りには「坐禅のすがたをしているブッダ」のことです。そのように理解すると、まず思い浮かぶのは、悟りを得た折の釈尊のすがたです。釈尊は悟られたときに、菩提樹下に坐禅を行じられていました。道元禅師は、たとえば『永平広録』巻三の240でつぎのように言われています。
上堂、釈迦牟尼仏大和尚。菩提樹下にあって金剛座に坐し、明星を見て悟道して云く、「明星出現の時、我と大地有情と同時成道す」と(原漢『道元禅師全集』第三巻160-161頁)。
坐禅を行じていた釈尊は、12月8日の明け方、明けの明星を見て、悟りを開かれました。その際、「明星が出現するときに、わたしと大地におけるすべての衆生とが同時に悟りを得た」と言われたのでした。これは大乗仏教では非常に大事な場面であって、菩薩行を志すすべての仏教者にとっての出発点であり、また帰着点ともなる重要な場面だといえます。道元禅師の「坐仏」ということばの源泉の一つは、確実にここにあるといえると思います。
ここで注目しておきたいのは、金剛座(しっかりと坐禅三昧に入っているすがた)に坐っている釈尊が悟りを開いているすがたは、坐禅をしつつ同時に悟っているすがたとして描かれていることです。もし、坐禅が悟りを得るための手段にすぎなければ、悟りを得た後に、もはや釈尊は坐禅をする必要はないはずです。しかし、釈尊は、悟りつつ坐り続けていますし、だから多くの仏像は、坐禅しておられるお姿として表されているわけです。坐禅する多くの仏像は、悟りつつ坐り続けていることを表していると思います。それはつまり、釈尊が坐禅を手段ではなく、悟りとともに保たれるべき態度として、悟りながら坐禅のなかで生きている、ということです。
もう一つ大事なのは、この悟りながら坐禅のなかで生きている釈尊は、「大地におけるすべての衆生」と、同時に悟りを開いてもいるということです。「坐仏」とは、「大地におけるすべての衆生とともに悟り続けている釈尊」でもあるのです。
坐仏としての釈尊は、このように、「悟りつつ坐り続けている」方であり、「大地のすべての衆生とともに悟り続けている」方です。これはともすると、釈尊という主体が、坐禅という方法によって、悟りという経験を得て、大地のすべての衆生とともに悟りを開いた、というように分解して私たちは理解しがちです。しかし、そのように考えるのは、私たちが「坐仏」に出会っておらず、「坐仏」に学んでいないことを示してしまっています。「坐仏」という具体的なありようにおいては、これらの要素は分離しておらず、すべて一つのことであるからです。「坐仏」は、大地のすべての衆生とともに悟りつつ坐禅を行うブッダという方です。その坐仏に出会うには、私たち自身が、やはり坐仏の行を行う以外にはないのです。
〈「はじまり」の「坐仏」〉
南嶽が「坐仏」と呼ぶときにも、こうしたブッダが前提にされていると考えてよいと思います。それがそもそもの馬祖への警句として示されたことばでした。
「おまえが坐禅を学ぼうと思うなら、「坐仏」に学ばなければならない〔汝坐禅を学ばんとすれば、坐仏に学ぶべし〕」
「もし坐禅を学ぶならば、禅は坐臥を乗り超えたものだ〔もし坐禅を学ばば、禅は坐臥に非ず〕」
「もし坐仏に学ぶならば、仏は固定されたすがたをしていないと知るのである〔若し坐仏に学ばば、仏は定相に非ず〕」
このような南嶽のことばをうけて展開される「坐仏」についての道元禅師の考察を見てみましょう。
この道取を参究して、まさに祖宗の要機を弁取すべし。いはゆる学坐禅の端的いかなりとしらざるに、学坐仏としりぬ。正嫡の児孫にあらずよりは、いかでか学坐禅の学坐仏なると道取せん。まことにしるべし、初心の坐禅は最初の坐禅なり、最初の坐禅は最初の坐仏なり。
この言い取りを参究して、祖師の教えの急所をまさに修行せよ。それはつまり、「坐禅を学ぶ」ことがらの本質がわからないそのままに、「坐仏に学んでいる」ことがわかるということだ。「坐仏」を正式に継承する子孫でなければ、どうして「坐禅を学ぶ」ことが「坐仏に学ぶ」ことだと言い取るだろうか。心底よりわきまえよ。初心の者の坐禅は、「はじまり」の坐禅なのであり、「はじまり」の坐禅とは、すでに「はじまり」の「坐仏」なのだ、と。
「「坐仏」を正式に継承する子孫でなければ、どうして「坐禅を学ぶ」ことが「坐仏に学ぶ」ことだと言い取るだろうか〔正嫡の児孫にあらずよりは、いかでか学坐禅の学坐仏なると道取せん〕」と、道元禅師は言われています。「正嫡の児孫」とは、「坐仏」に 出会い、自らも「坐仏」の行を行おうとしている修行者のことでしょう。つまり「正嫡」とは、なにかの知識や地位や物品などを与えられ継承することではなく、「坐仏」の行を自らも行うことそのこと以外にはありません。
「坐仏」をそのように理解してこそ、「初心の坐禅は「はじまり」の坐禅であり、「はじまり」の坐禅はすでに「はじまり」の「坐仏」である」という一節がわかります。「初心」という言葉で通常考えられるのは、未熟な者、熟練しない者がもつ心のことであり、熟達して克服すべき状態とされることです。しかし道元禅師はそうした「初心」の考えを否定します。この「坐禅箴」巻でも、すでに見たように、「初心」を、仏教を学びはじめた者が持つ未熟な心のことだとする考え、さらに、そのような「初心」者のための修行が坐禅であって、熟達すれば(あるいは悟ってしまえば)坐禅を止めてしまってよいという考えを、両方とも否定しました。その理由として、たとえば「説心説性」巻では、つぎのように言われています。
仏道は、初発心のときも仏道なり、成正覚のときも仏道なり、初・中・後ともに仏道なり。たとへば、万里をゆくものの、一歩も千里のうちなり、千歩も千里のうちなり。初一歩と千歩とことなれども、千里のおなじきがごとし(『道元禅師全集』第一巻453頁)。
仏道は、初めて発心したときも仏道であり、悟りを得て仏となるときも仏道である。はじめも中間もさいごも仏道である。それをたとえるなら、万里を歩むものにとって、最初の一歩も千里のうちにあって、千歩も千里のうちにあり、最初の一歩と千歩とは異なっているにしても、どちらも千里の同じ道のうちにあるようなものだ。
万里を行く修行者にとっては、一歩も千里のうちの一歩であり、千歩も千里のうちの千歩であり、一歩も千歩も千里と同じ道であることに変わりがありません。仏道を歩む中にすでに入った場合には、道のうちに歩んでいるという点において同一です。「初心」を単に未熟なありようとするのは、仏道の外から判断しようとしているときなのであり、だから道元禅師は否定されるのです。仏道の中に入ることにおいて、「初発心(修行のはじまり)」は、不十分な仏道による未熟なスタートではないのと同様に、「成正覚(悟ってブッダとなること)」も、完全な仏道を熟達させたゴールでもないのです。仏道は、達成されるなにかではなく、修行をし続ける者全体とその世界を包みこむ世界(尽大地)のことだからです。「坐仏」はその世界(尽大地)のなかで「坐禅しつつ悟っているブッダ」であり、それを知るのは、自ら仏道を歩み続ける修行者になる以外にはありません。この知り方は、客観的な対象としては知ることができず、ブッダと同じ行に「参じる」ことによってのみ知ることができます。「「坐禅を学ぶ」ことがらの本質がわからないそのままに、「坐仏に学んでいる」ことがわかる〔学坐禅の端的いかなりとしらざるに、学坐仏としりぬ〕」とは、客観的と内行的な、この知り方のちがいを指しているのでしょう。
〈尽大地のなかに〉
繰り返せば、「坐仏」は、大地のすべての衆生とともに悟りつつ坐禅を行うブッダです。その坐仏に出会うには、私たち自身が、やはり坐仏の行を行う以外にはないのです。それを「参じる」といいます。坐仏に参じる場合、われわれもまた仏道に入ります。そしてその際に、私たちは、坐仏である「みづから」と出会う、と道元禅師は言われます。つぎのようです。
いまいふところは、坐禅は坐禅なり、坐臥にあらず。坐臥にあらずと単伝するよりこのかた、無限の坐臥は自己なり。なんぞ親疎の命脈をたづねん、いかでか迷悟を論ぜん、たれか智断をもとめん。
ここで、「もし坐禅を学ぶならば、禅は坐臥を乗り超えたものだ〔もし坐禅を学ばば、禅は坐臥に非ず〕」と言われている。
いま言われているのは、「坐禅とは坐禅であり、坐臥ではない」ということである。坐禅をたんなる坐臥ではないと(「坐仏」に出会って)継承することによってはじめて、(尽大地という)無限の坐臥こそが、まぎれもなく自己であるとわかるのである。その場合には、教えの深さ浅さの理由を探ることがどうして必要だろうか、どうして迷いや悟りを論じてみたりすることがあるだろうか、だれが頭でっかちの論断を必要としようか。
「坐仏」というブッダに参じている修行者が出会うのは、尽大地という無限の自己である、と道元禅師は言われるのです。この示唆については驚かされます。しかしたとえば、『眼蔵』「唯仏与仏」巻でも、つぎのように言われています。
また、尽大地はみづからの法身なり、ときくべし。みづからをしらんことをもとむるは、いけるもののさだまれる心なり。しかあれども、まなこのみづからをば、みるものまれなり。ひとり仏のみ、これをしれり。そのほかの外道等は、いたづらにあらぬをのみ、われとおもふなり。仏のいふみづからは、すなはち尽大地にてあるなり。しかあれば、みづからとしるもしらぬも、みなともにおのれにあらぬ尽大地はなし(『道元禅師全集』第二巻523頁)。
また、地上の世界すべて(尽大地)自らの仏のからだである、という言葉を聞き取れ。自分とはなにかと求めるのは、生ける人間が必ず思う思いである。けれども、自分の眼を自分で見ることが出来る者は、ほとんどいない。それはブッダだけができることなのだ。その他の外道たちは、まったくの見当違いのものを自分だと勘違いする。だが、ブッダが言われる「自ら」とは、まさしく尽大地のことである。自分が知覚できるできないに関わらず、自分でない尽大地はない。
尽大地とは、文字通りには地上の世界すべて、という意味ですが、それは縁起ですべてが繋がっている世界のことです(奥村正博師は相依生起〔interdependent-origination〕と呼ばれました)。日常の世界では、私たちは世界を見るときに、観察者である自分に特権的な視点を与え、世界の外からその世界を見ようとしてしまいがちです。しかし世界は私たちを包括しているのであり、私は内部からしか世界を見ることはできません。つまり私たちが世界を見ることとは、正確に、自分の目玉で自分の目玉を直接見るようなことであるのです。それは通常は不可能です。それをできるのは、仏だけである、と道元禅師は言われます。仏だけが、尽大地すなわち縁起のなかで、自分と全世界とが繋がっていることを知り、さらに、そこに行じていくからです。しかし私たちも、坐仏に出会い、参じるときに、尽大地そのものとしての自分自身に出会うことができます。しかし、それは、すでに私ではなく仏なのであり、仏として尽大地に出会うこととなるのです。このことを、おそらく「無限の坐臥こそが、まぎれもなく自己であるとわかる」と言われました。
このときの知覚は、仏であっても、やはり「自分の目玉で自分の目玉を直接見る」ようなこととして現れます。それがつぎに言われるような知覚です。
南嶽いはく、若学坐仏、仏非定相。
いはゆる道取を道取せんには、恁麼なり。坐仏の、一仏二仏のごとくなるは、非定相を荘厳とせるによりてなり。いま仏非定相と道取するは、仏相を道取するなり。非定相仏なるがゆえに、坐仏さらに廻避しがたきなり。しかあればすなはち、仏非定相の荘厳なるがゆえに、若学坐禅すなはち坐仏なり。たれか無住法におきて、ほとけにあらずと取捨し、ほとけなりと取捨せん。取捨、さきより脱落せるによりて坐仏なるなり。
南嶽が言われた。「もし坐仏に学ぶならば、仏は固定されたすがたをしていないと知るのである〔若し坐仏に学ばば、仏は定相に非ず〕」。
この「坐仏は固定されたすがたをしていない」という言い取りを言い取ることは、自らも「坐仏の行〔恁麼〕」を行うことによってなされる。坐仏が、(「坐仏の行〔恁麼〕を行う」)仏と仏との出会いによる継承であるために、「固定されたすがたをしていない」という「荘厳のしかた」がわかるのである。つまり「仏は固定されたすがたをしていない」と言い取ることとは、(自ら仏の行を行って)「仏のすがた」を行い取ることだ。「固定されたすがたをしていない仏」を自ら行い取るには、坐仏にかならず出会うことである。そのようにして、(行のうちに)「仏は固定されたすがたをしていない」という「荘厳のしかた」がわかることが、(仏と仏が出会うことすなわち)「坐禅を学ぶこと」なのであり、それが坐仏なのである。(すでに坐仏の行を行い、)固定されたすがたのない法〔無住法〕のありようのさなかでは、これは仏であり、あれは仏ではないなどという取捨選択がもはや意味をなさない。取捨選択がそもそも脱け落ちた坐禅の行において出会う仏こそが坐仏であるからだ。
非定相や無住法などという言葉は、『金剛般若経』に出るものです。仏は通常のすがたをしていない、と概念的に単純に済ませてしまいがちなところを、道元禅師は注意を促しています。それは、私たちが「坐仏」の行を行い、大地のすべての衆生とともに悟りつつ坐禅を行うブッダに出会い、自分もまたブッダであることによって見えるような知覚です。それは通常では、「自らの目玉で自らの目玉を見るような」知覚である、と言われます。これは「恁麼」とも言われます。『眼蔵』「恁麼」巻によれば、「直接に無上菩提を行じる、これを恁麼という〔直趣無上菩提、しばらくこれを恁麼といふ〕」(『道元禅師全集』第一巻203頁)のであり、そのありようは「自らの身と心とが全世界に出現し、同時にそれがもはや私のものではないと知る〔身心ともに尽界にあらはれて、われにあらざるゆゑに、しかありとしる〕」ような知覚です。この知覚は、すでに仏の行の内にあること、尽大地の中にある自らに出会う知覚であるということです。そうした坐仏に出会うには、私たち自身が、やはり坐仏の行を行う以外にはないのです。
【藤田一照】身読コラボ⑬
このところずっと、師である南嶽と弟子の馬祖との間で繰り広げられる坐禅をめぐる問答を参究しています。さらに先へ進む前に、ここで彼らの問答の概略を振り返っておきましょう。
彼ら二人が一貫して問題にしているのは、坐禅という行と作仏(成仏)との関係でした。通常は、悟りへと向かう努力が修行であり、その修行を因とし、その結果として得られるのが悟りとか成仏という証果であると考えられています。しかし、修行とその成果を別々に見る、こういう常識的・二元論的な見方は、道元禅師によれば「外道の見(見解)」です。仏法においては修と証は相即不離であり、一つである(「修証一等」)という道元禅師の基本的立場は、初期の著述である『弁道話』において、次のように明快に説かれています。
それ、修・証はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法には、修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆえに、初心の辨道すなはち本証の全体なり。かるがゆえに、修行の用心をさづくるにも、修のほかに証をまつおもひなかれ、とをしふ。直指の本証なるがゆえなるべし。
すでに修の証なれば、証にきはなく、証の修なれば、修にはじめなし。ここをもて、釈迦如来・迦葉尊者、ともに証上の修に受用せられ、達磨大師・大鑑高祖、おなじく証上の修に引転せらる。仏法住持のあと、みなかくのごとし。すでに証をはなれぬ修あり、われらさいはひに一分の妙修を単伝せる、初心の辨道すなはち一分の本証を無為の地にうるなり。
修と証を因と果として別々に考えるというのは、それぞれの実態から離れて思考のレベルで両者を抽象化して捉えるからではないでしょうか? 修と証の具体的な事実においては、証の要素をまったく含まない修行はあり得ないし、修行とまったく無関係な証もあり得ないでしょう。そのような修や証はリアリティを持ち得ませんし、修が証をもたらすということも起こり得ないでしょう。修証は実態としてはつねに修証一如であり、表裏一体であり、一面から見れば修と見え、他面からは証と見えるに過ぎないのです。事実は常に修証という一つのプロセスがあるのみなのです。しかも、その修証のあり方を、修証のプロセスを生きている当事者の立場から離れず、主体的に明らかにしようとしているのが道元禅師のアプローチの特徴です。それを喩えて言うなら、雲から雨が降っているという現象を、その現象の外側に立って、雲の下には入らず自分は雨に濡れることなく記述しようとするのではなく、雨の降っている現象の内側に入って、雲の下に立って雨に濡れながらその体験を記述しようとしているようなものです。道元禅師の書いたものを読み解く上では、このような視点の取り方を念頭に置くことが必要なのです。
さて、南嶽と馬祖の問答は、表面的に読めば、一生懸命に坐禅をしてこれから仏になろうとしている弟子の馬祖を師の南嶽がいろいろと諫めているように一見見えますが、道元禅師の読みはまったくそうではないことを見てきました。
まず、「しるべし、大寂の道は、坐禅かならず図作仏なり、坐禅かならず作仏の図なり」という一文の「図」という漢字は、「図る」というように未来に仏になろうとする意図の意味に解するのではなく、「図く」と理解しなくてはなりませんでした。「図る」では、坐禅して一定の時間が経過すると、坐禅の功が積もってそのうち仏になるというように、現在の修と未来の証という修と証の分裂が生じてしまうからです。しかし、作仏を「図く」なら、坐禅をすることがそのまま成仏の絵を描いていることになっているわけですから、坐禅の図=作仏で、まさに「一超直入如来地」、時間的なギャップなしに坐禅した途端に作仏が図かれていることになります。
次に二人の問答は「磨塼」の話へと移り、磨塼がそのうち成鏡になるという時間的な推移の話ではなく、ここでも徹底的に磨塼(坐禅)であるということがそのままとりもなおさず成鏡(成仏)になっていることが解明されています。
そして、さらに「牛車」が問答のテーマになります。「車はすでに不行であるから、車に乗りさえすれば(坐禅さえすれば)、車を打つのも是であり、牛を打つのも是である」という南嶽の言葉に馬祖は沈黙をもって応えます。それに対して、南嶽がさらに言葉をもって説きます。ここからが、今回のパートです。
まず原文を数回音読してから、細かく検討していきましょう。
南嶽、またしめしていはく、汝為学坐禅、為学坐仏。
この道取を参究して、まさに祖宗の要機を弁取すべし。いはゆる学坐禅の端的いかなりとしらざるに、学坐仏としりぬ。正嫡の児孫にあらずよりは、いかでか学坐禅の学坐仏なると道取せん。まことにしるべし、初心の坐禅は最初の坐禅なり、最初の坐禅は最初の坐仏なり。
坐禅を道取するにいはく、若学坐禅、禅非坐臥。
いまいふところは、坐禅は坐禅なり、坐臥にあらず。坐臥にあらずと単伝するよりこのかた、無限の坐臥は自己なり。なんぞ親疎の命脈をたづねん、いかでか迷悟を論ぜん、たれか智断をもとめん。
南嶽いはく、若学坐仏、仏非定相。
いはゆる道取を道取せんには、恁麼なり。坐仏の、一仏二仏のごとくなるは、非定相を荘厳とせるによりてなり。いま仏非定相と道取するは、仏相を道取するなり。非定相仏なるがゆえに、坐仏さらに廻避しがたきなり。しかあればすなはち、仏非定相の荘厳なるがゆえに、若学坐禅すなはち坐仏なり。たれか無住法におきて、ほとけにあらずと取捨し、ほとけなりと取捨せん。取捨、さきより脱落せるによりて坐仏なるなり。
「汝為学坐禅、為学坐仏」という南嶽の語りかけは「あなたが坐禅を学ぼうとするのは、坐仏を学ぶためだ」というように普通に読んでしまうと、坐禅と坐仏と二つになってしまいますから、くれぐれも注意を要します。ここはあくまで、学坐禅がそのまま学坐仏そのものでなければなりませんから、この一文は「汝、坐禅を学するは、為坐仏を学するなり」と読んで、「汝の学んでいる坐禅は坐仏を学んでいるのである」と単純明快に理解するべきです。学坐禅即学坐仏なのです。この南嶽の言葉に対して、道元禅師は、この南嶽の言葉を深く参究することによって、歴代祖師がたの教えの要としての機用(つまり、坐禅のこと)をはっきりとわきまえ、飲みこまなければならないと強調しています。
道元禅師の頃に広まっていた「坐禅弁道は初心晩学の要機なり、かならずしも仏祖の行履にあらず」という間違った見解を斥け、ここでも坐禅は「祖宗の要機」であるとはっきり断言しています。
全身心を挙げて坐禅をしている(これが「学坐禅」)その当人には、その学坐禅の当体がいかなるものであるのかは絶対に覚知することもできず理解することもできません。坐禅をしている当人がその坐禅の全貌を外からうかがい見ることはできないのです。それは、現に熟睡している者が自分の熟睡の様子を横から観察できないようなものです。ただ純粋に熟睡しているということがそこでは起きていて、その限り当人にはそのことを客観的に知ることが不可能になっているわけです。もし「私はこのように熟睡している」と知ったり、言ったりすることができるとすれば、そのこと自体が、その人が熟睡していないことを証拠立てることになります。坐禅に関してもそのようなことが言えるわけです。坐禅をしている当事者にとっては見渡す限りどこを見ても坐禅一色、坐禅ばかりなので、これが何であるかということは絶対に分かり得ないという事情があるのです。
そのように、理解の対象とはならない坐禅であるにもかかわらず、この南嶽の言葉によってはじめて、学坐禅が「学坐仏」であることを知ることができるのです。これが教えのありがたいところです。正しい仏法の系統を受け継いでいる者(正嫡の児孫)でなければ、どうして学坐禅が学坐仏であるとはっきり言ってのけることができるだろうかと、道元禅師は南嶽のこの言葉を讃えています。仏道に入ったばかりのときにおこなう初心の坐禅は最初の坐禅ですが、その最初の坐禅ですでに最初の坐仏になっているというのは、坐禅が坐仏である以上、初心であろうと後心であろうとそこにはまったく差がないことが確認されているのです。
「若学坐禅、禅非坐臥」の一文は「若に坐禅を学べば、禅は非坐臥なり」と読んで、そのままが坐仏であるような坐禅を行じているのだから、それは日常生活の行住坐臥の坐臥を超越したものだと理解します。坐禅はどこまでも坐禅であって、日常の生活姿勢としての坐臥と同列のものではありません。『普勧坐禅儀』や『正法眼蔵 坐禅儀』にも「坐臥を脱落すべし」という一文があります。それは、一見同じような姿勢に見えますが、坐禅は日常生活(自己満足の追求)を放棄しての絶対的仏行であり、日常生活の中の一つの坐という相対的な形と混同してはならないからです。この区別は非常に重要なポイントです。だからこそ、道元禅師は、坐禅について述べる時、このことを繰り返し強調しているのです。
坐禅は坐禅であって、単なる一生活姿勢としての坐臥ではない、そういう坐禅がずっと人から人へと伝わってきていて、その坐禅は「無限の坐臥」とも言い換えることができます。「無限に展開する坐臥」である坐禅は、単なる「私」という一個人の行為である「有限の坐臥」とは質を異にしているのです。そのような無限の坐臥である坐禅が本来の自己であるというのが「無限の坐臥は自己なり」ということの意味でしょう。「坐はすなわち仏行なり。坐は即ち不為なり。これ即ち自己の正体なり、この外、別に仏法の求むるべきなきなり。」(『正法眼蔵随聞記』)とある通りです。
無限の坐臥なのですから、親密であるとか疎遠であるとか、迷っているとか悟っているとか、そういう相対的、人間的な情量の話は、坐禅においてはまったく問題にならないのです。そのようなことを云々する余地は生まれようがありません。また、智断、すなわち般若の智によって煩悩を断ずるというような人間的な営みもここではまったく不要なのです。
南嶽はさらに「若学坐仏、仏非定相」とも言います。この一文は、「若に坐仏を学ばば、仏は非定相なり」と読んで、坐禅が坐禅であるとき、つまり坐仏がそこに徹底実現しているときには、その坐っている仏にはこれといって決まった定相(固定したすがた)はない、と解します。本当の仏というものには、定相、決まった姿がないというのは大事なことで、『金剛般若経』にも「若し、色をもって我を見、音声をもって我を求むるときは、この人邪道を行じ、如来を見ることあたわざるなり。」という一文があります。固定的な姿(定相)によって仏を理解してはいけないという教えです。坐仏という仏を理解するにあたっても、固定的なものがあってはいけないのです。もし、坐仏が坐仏に固執していたら、真に坐仏とは言えなくなるので、非定相という他はないのです。それが「いわゆる道取を道取せんには恁麼なり(言うべきことを言うには、このように言うしかない)」ということです。
われわれ一人一人が坐禅をすると、そこに坐仏が一つ二つと現れます。その坐仏は坐仏であることにおいては同じですが、具体的な姿はすべてユニークに異なっています。そのどれもが非定相を荘厳(飾り)としているわけです。南嶽は仏非定相と言いましたが、それは仏は非定相を相としているということでもあります。どのような制約も固定化も排除するものとしての非定相仏だからこそ、坐仏でないわけにはいかないのです(「坐仏さらに廻避しがたきなり」)。ですから、坐禅は仏非定相の荘厳に他ならず、坐禅をするということはそのまま坐仏であることになるのです。
「たれか無住法におきて……」のところですが、道元禅師の引用元である『景徳伝灯録巻五 南嶽章』によると、南嶽の「若学坐仏、仏非定相」の後には「於無住法、不応取捨(無住法において、まさに取捨すべからず)」とあります。道元禅師がうっかり書き落としたのでしょうか。他の文はすべて漢文で引用されていますが、この部分は漢文の引用として別に取り扱われておらず、地の文と同じように取り扱われています。無住法というのは、固定したもののない法のことで、絶対無限の事実のことです。非定相とほぼ同じ意味と理解していいでしょう。坐禅はそのような事実を行じることですが、そのようなところにおいては、これは仏であるといって取ったり、これは仏ではないといって捨てたりすることは一つもあり得ません。すべてあるがままに受け入れるのみです。「諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪を思はず、是非を管すること莫れ。心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図ること莫れ」である坐禅では、そのような取捨をはじめから通り越しているからです。だからこそ坐禅は坐仏なのです。
今回のキーワードは「学坐禅」でした。これは、「坐禅を対象として、それについて知的に学ぶ」ということではなく、「坐禅を行ずることそのもの」と理解すべきでしょう。坐禅を学ぶというのは、自分が坐禅をすることを通して坐禅から直接に学ぶことなのです。そして、それが「学坐仏(坐っている仏を学ぶこと)」に他ならないというのが今回のテーマです。そして、学坐禅は日常の生活行為としての坐臥を超越したものであること、その坐仏のありようは非定相であることが説かれました。以上の考察を踏まえて、次のような現代語訳にしてみました。
南嶽がまた示して、このように言った。「おまえが坐禅を学ぶ(実践する)ということは、とりもなおさず坐仏を学ぶということだ」。
この言葉を参究することによって、歴代祖師がたの教えの要としての機用(=坐禅)をはっきりとわきまえ、会得しなければならない。ここで言われている「学坐禅」そのものがいったいどのようなことであるのかは坐禅をしているその当人には絶対に理解することができないが、にもかかわらず、この南嶽の言葉のおかげで、それが「学坐仏」であることを知ることができた。正しい仏法の系統を受け継いでいる者でなければ、どうして学坐禅が学坐仏であるとはっきり言ってのけることができるだろうか。次のようなことを本当に知らなければならない。すなわち、仏道に入ったばかりのときにおこなう坐禅は最初の坐禅であり、最初の坐禅は最初の坐仏であるのだから、坐禅には初心でも後心でもまったく差がないのだ、ということを。
坐禅について語る言葉として「若に坐禅を学す、禅は非坐臥なり」ということが言われている。道元禅師の文章では若は「もしIf」と読まないで「すでに」と読むこと、非は単なる否定ではなく「超越」の意味として理解しなければならない場合が多いことは前に述べた。ここでの用法もそれに当たる。この一句が言わんとしていることは「坐禅はどこまでも坐禅であって、日常生活におけるさまざまな生活姿勢のひとつとしての坐ではない」ということだ。すでに坐禅をしている以上、それは日常の相対的な姿勢としての坐を超越しているから、それを単に「坐っている」と言うべきではなく「坐禅」と言うべきなのだ。そういう意味合いにおいて、坐禅は日常の坐と同列に論じられるべきものではない。臥についても同じことが言える。臥も臥仏であるときには臥禅というべきで日常生活の臥と同列に論じるべきではない。つまり、禅というときには坐禅に限らず、すべての活動に「非」という質が備わっているのだ。
だからこの言葉が言っているのは「坐禅は坐禅であって坐臥でありながら坐臥を超越・解脱・脱落している」ということだ。このような洞察を純粋に相伝ししっかりと身につけたのちには、無限に展開していく坐臥(=坐禅)が本来の自己そのものなのである。そのときには坐臥と自己とが親密であるとか疎遠であるとかといった相対的な分け隔てを見つけようとしたり、迷いとか悟りの区別を論じたりする必要はさらさらない。ましてや智慧によって煩悩を断じようとする人間的な営みなど入り込む余地は無い。断ずるべき対象そのものがないからだ。
南嶽が言った。「若に坐仏を学す、仏は非定相なり」(ここでも若は「すでに」、非は「超越」の意に解するべきであって 通例のように「若し坐仏を学せば、仏は定相にあらず」と仮定形・否定形には読まない)。言われるべきことをキチンと言い取るということはまさにこのような見事な表現のことを言うのだ。この言葉が言わんとしているのは「坐禅を学しているときそれは坐仏を学しているのであり、その仏は非定相という仏の相をしている」ということだ。坐禅をしている仏は一つの仏、二つの仏とそのときそのときで個々いろいろなあり方をしているが、それはみな非定相(固定的に定まった形がないことをその形としている)を荘厳(かざること)、すなわち実現しているからだ。いま「仏は非定相である」と表現したのは仏の相のありようを端的に言い表しているのだ。いかなる決めつけや制約からも自由で、融通無碍であるのが仏なのであるから、「非という定相」の実現である坐禅が坐仏であることを回避することができないのは至極当然である。このようであるから、坐禅はある特定の形への限定なのではなく、自由無碍なる仏が具体的形として立ち現れた姿として理解されなければならない(横山祖道老師は「坐相降臨」と言った)。つまり坐禅は、仏(という)非定相の具体的現われ(荘厳)なのであるから、「若学坐禅はとりもなおさず坐仏(坐禅を学べばそれがそのまま坐禅している仏にほかならない)」ということになる。「無住法(非定相と同類のことば 固定的な特定の場所に住することがないあり方)」においては、仏ではないといって捨てたり、仏であるといって取ったりする余地はありえないのだ。そういった取捨が始めからぬけ落ちているからこそ坐仏なのである。