ポリヴェーガル理論で考える安全と仲間(後編)【花丘ちぐさ】
さまざまな要因によるさまざまなトラウマ
自然災害や戦争、犯罪被害、性被害など、大文字の「T」で始まる大きなトラウマ(big-T)は誰にでもトラウマを引き起こす可能性があるものです。一方、私が注目しているのは、小文字の「t」(small-t)で表されるような慢性的なストレス体験や、幼少期の養育環境に由来する「発達性トラウマ」です。たとえば、生まれる前後の困難の有無や、虐待、不適切な養育などで起こる可能性があります。
また、「医療トラウマ」と呼ばれるように、医療処置の過程でトラウマが生じることもあります。たとえば、子どもが歯科治療を受ける際、親がそばで「大丈夫だよ、すぐ終わるよ」と優しく寄り添い、支えてくれると子どもは安心感を得られます。しかし、「言うことを聞きなさい!」などと無理に押さえつけられるような状況になると、子どもにとっては逃れられない脅威となり、それが神経系にトラウマとして刻まれてしまう可能性があります。
さらに、現在、専門家の間で注目されているのは、「世代間伝播のトラウマ」です。私たちは何もないところに生まれてくるのではなく、家族や社会、歴史の中で積み重ねられたさまざまな出来事の影響を受けています。カインとアベルの物語のように、人類の歴史においては、殺し合いや憎しみがたえず続いてきました。戦争、暴力、貧困、迫害や差別などの歴史的なトラウマの体験が、私たちの世代や私たち一人ひとりにも何らかの影響を及ぼしている可能性があるという視点に基づく研究が盛んに行われています。
発達障害と発達性トラウマ
近年、発達障害と診断される人が増えています。子どもだけではなく、成人になってから発達障害の診断を受ける人も数多くいます。
文部科学省が2022年に、公立の小中学生と高校生約8万8500人を抽出し、学習や対人関係で困難を抱える子どもの数を集計した結果によると、「知的発達に遅れはないものの学習または行動面で著しい困難」を示し、注意欠如・多動症(ADHD)など発達障害の可能性があると推定された小中学生は8.8%で、前回調査(6.5%)より増加しており、全国の公立小中学校で推計すると70万人を超えるということです*。このように、発達障害と診断される人や、その可能性があるとされる人が急増しています。
発達障害(神経発達症)にもさまざまな形がありますが、広く知られているものには、自閉症スペクトラムやADHDがあります。
自閉症スペクトラムを持つ人は、社会交流やコミュニケーションの仕方において多くの人とは異なる特徴があり、ひとりで過ごすことを好む傾向があったり、やりとりが受け身、あるいは一方的になりすぎたりする場合もあります。また、相手の気持ちに配慮したり意図を読み取ることに難しさを感じることもあります。
ADHDでは、「不注意」「多動」「衝動性が高い」という特徴があります。たとえば、授業中にじっと座っていることができず、立ち歩いたり、友達の邪魔をしたり、忘れ物が多かったり、落ち着いて話し合うより先に手が出てしまうなど、衝動的な行動がみられる場合もあります。
急増の背景には、発達障害に関する知識が普及し、特性が認識されやすくなっている面もあるでしょう。いっぽうで、過剰診断ではないかと懸念する声もあります。発達の途上にある子どもは、言葉による指示がうまく理解できなかったり、自分の衝動をコントロールするところまで発達が至っていないために、言うことを聞いてくれないのも、自然な成り行きです。
就学前の子どもたちが遊んでいる様子を見ると、神経系の発達について、興味深いことがわかってきます。子どもたちは「群れ」を作って遊び、おやつを用意しておくと、一度にたくさん食べられませんので、一口つまみます。そしてまた遊びに行き、しばらくすると戻ってきて、少し食べます。この様子を見ていると、「多動」のように見えますが、単に神経系の発達が年齢なりのパターンを見せていると言えます。
こうした神経系の未熟さは、日常の中でもよく目にします。
とある日の夕方、駅から自宅に向かって歩いていると、小さな子どもを連れたお母さんが、怒鳴っていました。子どもは2歳くらいかと思われます。その子に向かってお母さんは、「なんで泣くのよ、毎日毎日っ!」と怒っています。
2歳の子どもは毎日泣きます。なぜなら腹側迷走神経系が未発達なため、交感神経系の興奮を抑えることが難しいのです。ですから、話し合ったり、自分のニーズを言語化して伝えたり、ソリューションを自分で工夫するより先に、事態に対処できなくて泣いてしまうのです。
しかし、それを強く叱ってしまうことが重なると、場合によっては子どもは凍りついたような状態になり、言葉がうまく出なくなったり、目を合わせなくなったりすることがあるかもしれません。こうした特徴は、自閉症にも見られますので、自閉症であるという印象を与えてしまうこともあるでしょう。しかし、こうした場合は、養育者の子どもとの関わり方を変えていくことで、子どもとの安心安全な関係を作っていくことができます。
また、愛着形成がうまくいかないと、さびしさから、かまってもらいたいと思うあまり、周囲に迷惑になるような行動を取ってしまうこともあるでしょう。妥当な理由があるとは思えないのに、怒りを爆発させたり、あるいは、不安な様子で落ち着かなかったりするかもしれません。さらに、人とのかかわりを避け、人の気持ちを汲むことがなくなり、言外の意味や、話の裏を読むことが苦手になることもあるでしょう。
ですから、生来的な発達特性によるものなのか、あるいは愛着形成がうまくいかず、不適切養育や虐待があって、トラウマを負っているために、発達障害に酷似した行動パターンを見せるのか、あらためて吟味してみる必要があると思います。
しかし、いっぽうで、発達障害の診断を下してほしいというニーズもあると聞きました。子どもが学校で行動面の困難を抱えているため、特別支援学級に入れたいと思っても、発達障害の診断が必要であり、診断書がなければ支援が受けられず、保護者が仕事を続けることが難しくなることもあります。そうするとさらに経済的に困窮してしまい、親子共倒れになってしまうこともあるそうです。
過酷な生育環境のもとで慢性的なストレスにさらされた子どもは、神経系がつねに警戒した、交感神経系優位の過覚醒状態におかれている場合があります。そうすると、落ち着きのなさや、衝動的な行動といった行動パターンがあらわれやすくなります。こうしたトラウマを負った子どもに対しては、トラウマケアの視点からの援助が必要ですが、今の時点では十分な支援がありません。
いっぽう、発達障害については一定の受け皿、つまり支援体制が整えられています。そのため、支援につながるための手段として発達障害の診断が必要とされ、保護者が診断を強く望むケースもあるのです。このような状況に対しては、今後、発達障害へのケアと同様に、発達性トラウマへのケアも充実させていく必要があります。
発達障害と発達性トラウマは、非常によく似た症状を示す場合があります。近年は、虐待や家庭内機能不全などによる「逆境的小児期体験(ACE)」が、その後の発達や行動に影響を及ぼすことも指摘されています。そのため、発達障害なのか、逆境体験によるトラウマ反応なのかを慎重に見極めることが重要で、今後の研究が待たれます。
さらに、発達障害の診断を受けた方の中で、自分は「発達障害だから、人生がうまくいかなくても仕方がない」という人がいます。でも、話を聞いてみると、逆境的小児期体験の履歴がみられることがあります。辛い体験が重なり、家庭で安心させてくれる存在もないために、神経系が安心・安全を感じられない状態となり、困難の特性がより強くあらわれるようになっているのかもしれません。
もし発達性トラウマであれば、発達障害の治療ではなく、トラウマ解放が必要になります。これは、今後の社会において非常に重要な点になってくると思います。
ニューロセプション——神経系は知っている
ポージェス博士は、私たちにはニューロセプションという機能が備わっているといいます。「ニューロセプション(neuroception)」は、ポージェス博士による造語で、しいて日本語にすれば、「神経受容」ということになります。
ポージェス博士によると、私たちの神経系は、意識していなくても、常に周囲の状況を検知しているといいます。
たとえば、こうしてお話をしていても、ドアがガタンと音を立てて開けば、思わずそちらを見ます。キッチンから焦げ臭いにおいがしてきたら、慌てて立って異常がないか確認するでしょう。さらには、初めて会った人について、「なんとなく感じがいいな」とか、「気難しそうでやりにくいな」と無意識に感じ取ります。あるいは、毎日会っている家族でも、歩き方やドアの開け方で、「今日は機嫌がいいな」と感じたり、「何か怒っているのかな?」と察したりします。
このように私たちは、無意識に「安全であるか否か」を常に判断しているのです。
この評価が厳しすぎると、あらゆることが脅威に感じられてしまいます。ポージェス博士は、これを空港のセキュリティシステムにたとえています。空港での手荷物検査があまりにも厳しすぎると、あらゆるスーツケースを開けてすみずみまで調べなくてはならなくなり、空港はスムーズに機能しなくなってしまいます。じつは、トラウマに苦しむ人も、このニューロセプションが過剰に働きすぎて、同じように不自由な生活を送っている場合があります。
ニューロセプションの誤作動
ポージェス博士によると、私たちのニューロセプションは誤作動することがあるといいます。特に、トラウマの影響を受けていると、安全であるか、危険であるか、うまく判断できないことがあります。
たとえば、交通事故を起こしてケガをした経験のある交差点には、なるべく近寄りたくないと思って、遠回りをすることもあるでしょう。ふつうに生活しているうえではもう危険はないにもかかわらず、近づかなくなる。これはトラウマの症状の一つ、回避といわれていますが、回避がひどくなると生活に支障が出てきます。あるいは、過覚醒の状態では、少しのことでも不安がかき立てられてパニックになることがあります。さらに、相手に悪意がなくても、ちょっとした表情や言葉の意味を取り違えて、「嫌がらせをされた」と腹を立ててしまうかもしれません。
特に、ニューロセプションが検知した危険の原因が、養育者などの愛着対象にあった場合、問題はより複雑になります。
愛着対象から加害行為を受けると、「好き」「そばにいたい」という思いと、「怖い」「離れたい」という思いが同時に起こり、混乱してしまいます。アメーバのような単細胞の生物でも、生命を維持するために滋養のある水には接近し、身体に悪いものからは離れようとします。生きるということは、良いものに近づき、悪いものから遠ざかるという基本的な行為から成り立っているといっても過言ではありません。
ところが、愛情を与えられるはずの相手から、憎しみ、暴力、侮辱を受け、しかもそれを「これはあなたのため」とか「あなたが悪いから」と正当化されながら成長すると、接近と回避の健全なパターンを育てることができません。こうした状態では、ニューロセプションも健全に作動することができなくなってしまいます。
ポージェス博士は、お互いに安全の合図を送り合うことが大切だと述べています。社会生活を円滑にし、心の触れ合いのある幸せな時間を過ごすためには、安全を伝える合図が必要不可欠です。安心・安全の合図によって、傷ついて不調をきたしているニューロセプションも、再び健全さを取り戻すことができます。
安全の合図を学ぶ
安全の合図とは、具体的には、社会交流システムを活発に用いたコミュニケーションを指します。穏やかで韻律に富んだ声、優しいアイコンタクト、思いやりに満ちたジェスチャーなど、いろいろな形を取って表現することができます。
私たちはまず、相手に安全の合図を伝える練習をする必要があります。同時に、相手から送られてきた安全の合図を受け取る練習も必要です。
私は、1980年代にアメリカの大学、大学院で学びました。そのころはまだ古き良きアメリカの習慣が残っていました。見知らぬ人同士でも、道ですれ違う際には相手の顔を見て、にっこり笑って「Hi !」と声をかけ合うのです。慣れていなかった私は、「どこかで会った人かしら?」「なにか用かしら?」と戸惑いました。しかしそれは、自分たちのコミュニティを安全なものにするために、互いに安全の合図を出し合い、相手を尊重していることを知らせる合図だったのです。
安全の合図の出し方や受け取り方は、文化的な価値観に支えられており、周囲との関わりの中で学んでいくものです。
日本であれば、お辞儀や控えめな微笑みが大切です。あまりまっすぐ目を見るのは失礼にあたるので、適度に視線を外す配慮も必要です。名前は呼び捨てにせず、苗字に敬称をつけて呼び、相手への敬意を伝えます。いっぽうのアメリカでは、目を見て握手、ハグ、ファーストネームで呼び合うことが礼儀です。名前の発音がわからなかったら何度でも聞いて覚えます。それが相手を大切にしているというメッセージです。
さらには、思いやりのこもった言葉や、穏やかな声、優しいまなざしなども、実際の体験を通して学んでいくものです。たとえば、子どもが食器を割ってしまったとき、「何やってるの! ダメでしょう! 何をやっても失敗するんだから。これ高かったのよ!」と頭ごなしに強く叱られるのと、「大丈夫? ケガしなかった? 失敗は誰にでもあるよ、今度は気をつけようね。ケガがなくてよかったよ。大事なお皿だから残念だけど、あなたのほうがもっと大切だから仕方ない。ママも気にしないよ」と気遣いのある言葉をかけられるのでは、どうでしょうか?
不適切養育、虐待的環境では、安全の合図の出し方を学ぶことはできません。そして、ニューロセプションを健全に育てることも難しくなります。私たちは、あくまでもお手本から学ぶのです。
トラウマ性ストレスとさまざまな疾病・不調
トラウマによって、神経系が慢性的に警戒状態に置かれることを「トラウマ性ストレス」といいます。このトラウマ性ストレスの影響は全身に及びます。なぜなら、トラウマ性ストレスは自律神経系に影響を与えますが、その自律神経系は全身をめぐっているからです。
ストレスにも、いわゆる「良いストレス」と「悪いストレス」があるといえます。良いストレスは、たとえば、筋トレで筋肉に負荷をかけるようなものです。一時的に苦痛も伴いますが、その結果筋肉が育ち、代謝や血流が改善し、食欲や体調も整っていきます。重要なのは、自分に選択権があり、負荷の量をコントロールできる点です。
これに対し、強制され、自分でコントロールができない負荷は、「悪いストレス」になる恐れがあります。悪いストレスは、ときに逃れがたい攻撃となり、トラウマを引き起こすことがあります。また、こうした「悪いストレス」は、自律神経系に影響を及ぼし、その結果、心身の健康を損なうさまざまな不調につながることがあります。
身体的な不調としては、身体表現性障害、睡眠障害、性機能障碍、慢性疲労症候群、線維筋痛症、消化器疾患、生殖障害、片頭痛、自己免疫疾患、心血管疾患、顎関節症、肺疾患、化学物質過敏症、がんなどが考えられますし、心の不調としては、気分障害/うつ病/自殺傾向、強迫性障害、解離性障害、境界性パーソナリティー障害、パニック/不安障害、PTSD、恐怖症、薬物乱用、依存症、発達障害、発達性トラウマ、自閉症スペクトラム、学習障害、摂食障害、愛着障害など、さまざまなものがトラウマ性ストレスと関連する不調や症状としてあげられます*。
できるだけはやく専門機関へ
トラウマ性ストレスによる不調が疑われる場合は、トラウマへの理解のある医師やカウンセラーを探すことが大切です。
片頭痛、慢性疲労性症候群、線維筋痛症、過敏性腸症候群など、いわゆるシンドローム(症候群)の場合、医師の診察を受けても、明確な原因が特定できないこともあります。すると、メンタルの不調による影響の可能性を考え、カウンセリングを勧められることもあります。ところが、疼痛や下痢、便秘に苦しんでいる人に対して、いわゆる「話を聞く」傾聴スタイルのカウンセリングをしても不調は改善しませんし、「考え方を変える」認知行動療法を試しても、はかばかしい変化は見られません。すると再び、医療機関を受診する……といったように堂々巡りに陥ってしまいます。原因不明の不調を抱え、カウンセリングを受けても一向に良くならないと苦しみを訴える患者さんを前に、医師も困り果て、「不定愁訴」という結論に至り、結果として対症療法的な薬物治療が行われる場合もあります。
私のところにいらっしゃったクライアントさんで、過敏性腸症候群と片頭痛に悩まされている人がいました。医療機関にもかかりましたが、医師からはなるべくストレスを減らすこと、刺激物を避けるなど食生活の指導を受け、必要に応じて抗不安薬や入眠導入剤を処方することも可能だと説明されたそうです。そこで、まずは薬に頼る前にカウンセリングを試してみようと思い、認知行動療法を受けました。そこでは、ストレス低減のための工夫と、リラクセーションスキルを学びました。おなかのことが過度に気になるパターンを断ち切るために、他のことに意識を向ける練習や、呼吸法、マインドフルネスなどにも取り組みました。こうした実践によって、いくらか楽になったと感じられたものの、片頭痛や突然の激しい腹痛、下痢といった症状そのものには、大きな変化は見られなかったそうです。
私の専門はトラウマへの介入です。そこで、その方のこれまでの生育歴や、トラウマ体験について、丁寧に聞いていきました。すると、幼少期から慢性的な逆境体験が幾重にも重なっていたことがわかりました。そのあまりのひどさに、よくぞここまで生き抜いてこられたと、そのクライアントさんの勇気と英知に、深い敬意をおぼえました。
心身にいろいろな不調が出ていて、その状態を安定させるために、短期間薬を使うことは有効です。認知行動療法も、トラウマへの適切な介入によって安定した心身を取り戻した後で、社会性を高め、やりたいことができる自分になっていくためには大いに有効です。
しかし、トラウマを抱えた人に対し適切なトラウマ治療を行わないことは、虫歯の痛みに苦しんでいる人に、痛み止めを処方するだけと同じです。原因である歯の治療を適切に行わなければ、虫歯を治すことはできません。それと同じように、トラウマで損なわれた神経系に働きかけ、自律神経系も健全な働きができるようにすることが大切なのです。そのためにも、症状のみを扱うのではなく、トラウマに対する理解と知識のある専門医やカウンセラーの支援を受けることが望まれます。
マインドフルになりたいけれどなれない理由
マインドフルな状態とは、どのような状態でしょうか。マサチューセッツ大学医学大学院教授で、同大マインドフルネスセンターの創設所長であるジョン・カバット・ジン氏は、マインドフルネスを「意図的に、今この瞬間に、価値判断することなく注意を向けること」と定義しています。
マインドフルであるとは、「今、この瞬間」に意識を集中させ、雑念が湧いたときにはそれに気づき続けながら、自分の心身の状態をしっかりと意識できる状態と言ってもよいでしょう。私たちの心は、他者からの評価に対する不安、仕事のプレッシャーなどを感じ、日常的に波だっています。そうした心の動きを抑え込むのではなく、「今、この瞬間」だけに集中できるような精神状態へと導いていくのがマインドフルネスです。
では、トラウマを抱えた人はどうでしょうか? トラウマを抱えていると、交感神経系が優位な過覚醒状態に陥りやすく、慢性的な苛立ちや不安を感じることがあります。あるいは、そのような興奮状態が過剰になると、背側迷走神経優位となり、抑うつ状態に陥ったり、心身ともにシャットダウンし、人とのつながりを絶って、閉じこもった状態になることもあります。これは、その人の「性格」の問題ではなく、生理学的な部分に原因があるのです。神経系が安全を感じられない状態では、頭ではマインドフルであろうと考えても、身体の状態がそれに対応できないことがあるのです。
マインドフルネスを実践できるような心身の状態に持っていくためには、ソマティックなアプローチが必要です。ソマティックとは、「身体の」という意味です。つまり、「考え方を変える」のではなく、「身体の生理学的状態を変化させる」ことであり、トラウマによってパターン化してしまった神経系の反応を、解きほぐしていくことでもあります。では、どうしたら、神経系を解きほぐすことができるのでしょうか?
ソマティックなアプローチと神経エクササイズ
私たちセラピストが今注目しているのは、凍りつき状態から、交感神経の可動化――「動き」を通して、社会交流へと入っていくプロセスです。凍りついたままの状態や、戦ったり逃げたりという不安やパニックの状態に留まるのではなく、安心感をもって人とつながり、関わり合う方向に進むことが大切です。そのため、身体から神経系に働きかけるソマティックなアプローチが重要なのです。
哺乳類である私たちは、安全な環境で、他者とともに互いの神経系を落ち着かせ合い、安全を取り戻す「協働調整」を練習することが大切です。
韻律に富んだ声、穏やかな笑顔で話しかけ、話しかけてもらったほうも、笑顔を返します。相手のことを思いやって、相手を慰めたり、喜ばせたりするような、心地よい会話を心がけます。境界線に侵入したりせず、相手を尊重しながら、必要なことがあったら手を差し伸べます。こうやって、「あなたのことを思っていますよ」「ありがとうございます」という、思いやりに富んだやり取りを心がけていくことで、協働調整が深まります。江戸時代の落語に出てくる長屋の愉快な住人たちも、「人情」を軸にして、涙あり、笑いありの生活をしています。当時の長屋の人たちは、「協働調整の練習」を意識していたわけではないでしょうが、結果として、お互いに協働調整が深まるようなコミュニケーションをしていたことが想像できます。
災害によって被災した際、コミュニティがバラバラに分断されると、深いトラウマを負うことがあります。いっぽうで、コミュニティの仲間と一緒に過ごすことができれば、回復に向かう力が高まることもあります。
ポリヴェーガル理論が示唆しているのは、お互いに安全・安心の合図を出し合い、社会交流することによって、互いに「大丈夫」と安全を確認し合うことが回復にとって重要だということです。ポージェス博士はこれを「神経エクササイズ」と呼んでいます。社会交流を重ねることによって、凍りついた神経系も、徐々に「安全」の感覚を取り戻すことができるのです。ポリヴェーガル理論が教えてくれるのは、社会交流、つまり「他者とともに安全を確認し合い、安心の合図を出し合う」ことが、哺乳類である私たちにとってとても重要だということです。
自己および世界に関する新たな知覚
私たちが目指しているのは、「もうあの恐ろしかった出来事は過去のことだから忘れるべきだ」とか、「自分は怖がりだから、性格を改善しよう」と頭で考えるのではなく、心理、神経系、内分泌系が落ち着いた、安定した状態へと持っていくことです。
トラウマを抱えていると、「自分には価値がない」「早く人生を終わりにしたい」「消えたい」といった感情に苛まれ、誰もが自分のことを悪く言っている、騙そうとしている、といった世界観にとらわれがちです。
私たちはそうした状態から、深い呼吸を感じることができ、身体の「快」の感覚がきちんとわかり、「自分として生きていくのも悪くない」、「100%安全ではないけれど、今この瞬間を生きることには価値がある」「確かに嫌な人もいるが、善意を持った人もいる」と感じられるよう、自己と世界に対する、新たなより安定した知覚を得ることができるようにサポートしていくことに焦点を当てています。
これらのことは、おそらくマインドフルネスが目指す方向性とも重なる部分があると感じました。ウィマラ先生の講演資料を拝見しながら、神経系のメカニズムに着目している点に共通性を感じ、非常に納得しました。
今回は、ポリヴェーガル理論やトラウマについてご紹介しました。私たちが本来の健やかさや活力を失ってしまう背景には、神経系の働きが関係しています。こういった神経系の不調に対して、社会交流を通じて回復する道筋を明らかにしてくれたのが、ポージェス博士によるポリヴェーガル理論なのです。
*参考文献
文部科学省(2022)「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」https://www.mext.go.jp/content/20230524-mext-tokubetu01-000026255_01.pdf
Anda, R., Brown, D. W., Dube, S. R., Bremmer, J. D., Felitti, V. J., & Gile, W. H. (2008). Adverse Childhood Experiences and Chronic Obstructive Pulmonary Disease in Adults. American Journal of Preventive Medicine, 34(5): 396-403.
Anda, R., Tietjen, G., Schulman, E., Felitti, V. J., & Croft J. B., & Jiles, W.H. (2010). Adverse Childhood Experiences and Frequent Headaches in Adults. Headache, 50(9): 1473-81.
Bernet, C.Z. & Stein, M.B. (1999). Relationship of childhood maltreatment to the onset and course of major depression in adulthood, Depression and Anxiety, 9(4): 169-174.
Bremner, J.D., Vermetten, E., & Mazure, C.M. (2000). Development and preliminary psychometric properties of an instrument for the measurement of childhood trauma: The Early Trauma Inventory. Depression and Anxiety, 12: 1-12.
Brown, D.W., Anda, R. F., Felitti, V.J., Edwards, V. J., Malaracher, A. M., Croft, J.B., & Jile, W.H. (2010). Adverse Childhood Experiences are Associated with the Risk of Lung Cancer: A prospective Cohort Study. BMC Public Health, 10: 20.
Brown, M.J., Th acker, L.R., & Cohen, S.A. (2013). Association between Adverse Childhood Experiences and Diagnosis of Cancer, PLOS ONE, 8(6): 1-6.
Chartier, M, Walker, J.R., & Naimark, B. (2010). Separate and cumulative effects of adverse childhood experiences in predicting adult health and health care utilization, Child Abuse and Neglect, 34(6): 454-464.
Chapman, D. P., Whitfi eld, C. L., Felitti, V. J., Dube, S. R., Edwards, V. J., & Anda, R.F. (2003). Adverse Childhood Experiences and the Risk of Depressive Disorders in Adulthood. Journal of Affective Disorders, 82(2): 217-225.
Dube, S.R., Anda, R.F., Felitti, V.J., Chapman, D.P., Williamson, D.F., & Giles, W.H. (2001). Childhood Abuse, Household Dysfunction, and the Risk of Attempted Suicide Th roughout the Life Span-Findings from the Adverse childhood Experiences Study. Journal of American Medical Association, 286(24): 3089-3096.
Dube, S. R., Fairweather, D., Pearson. W.S., Felitti, V. J., Anda, R.F., & Croft, J. B. (2009). Cumulative Childhood Stress and Autoimmune Diseases in Adults. Psychosomatic Medicine, 71(2): 243-50.
Fellitti, V. J., & Anda, R.F. (2010). The Relationship of Adverse Childhood Experiences to Adult Medical Disease, Psychiatric Disorder, and Sexual Behavior: Implications for Health care. in The Impact of Early Life Trauma on Health and Diseases: The Hidden Epidemic. Edited by Lanius, R., Vermetten, e., Pain, C., New York: Cambridge University Press.
Felitti, V. J., Anda, R.F., Nordenberg, D., Williams, D.F., Spitz, A. M., Edwards, V., Koss, M.P., & Marks, J. S. (1998). Relationship of Childhood Abuse and Household Dysfunction to Many of the Leading Causes of Death in Adults. American Preventive Medicine, 14(4): 245-258.
Goodwin, R. D., & Stein, M.B. (2004). Association between Childhood Trauma and Physical Disorders Among Adults in the United States. Psychological Medicine. 334(3): 509-20.
Huang, H., Yan, P. P., Shan, Z., Chen, S., Li, M., Luo, C., Gao H., Hao, L., & Liu, L. (2015). Adverse childhood experiences and risk of type 2 diabetes: A systematic review and meta-analysis, Metabolism, 64(11): 1408-1418.
Nanni, V., Uher, R., & Danese, A. (2011). Childhood Maltreatment Predicts Unfavorable Course of Illness and Treatment Outcome in Depression: A Meta-Analysis. American Psychiatric Association Publishing, 169(2): 141-151.
Shonkoff, J.P., & Garner, A. S. (2012). The Life Long Effects of Early Childhood Adversity and Toxic Stress, Science of Neglect. Pediatrics, 129(1): e232-e246.
Voellmin, A., Winzeler, K., Hug, E., Wilhelm, F., Schaefer, V., Gaab, J., … & Bader, K. (2015). Blunted endocrine and cardiovascular reactivity in young healthy women reporting a history of childhood adversity. Psychoneuroendocrinology, 51: 58-67. doi: 10.1016/j.psyneuen.2014.09.008


