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人生というクソゲーを変えるための仏教 ネルケ無方

道元の疑問

 今回のテーマは、私にいまだに多大な影響を及ぼしている道元禅師の若い頃の疑問です。道元は12世紀の終わりに貴族階級で生まれ、幼い頃に天台宗の延暦寺で出家得度しますが、まもなく「何のために?」という疑問に取り憑かれていたようです。

 一人前のお坊さんになるためには、合掌の仕方からお袈裟の付け方、お経の読み方などなど、覚えなければいけないノウハウはたくさんあります。しかし、10代の道元はそんな「How?」よりも修行の「Why?」が知りたかったようです。単純に考えれば、修行の目的は悟りを開き、解脱を獲得し、涅槃に入ることです。少なくとも、それが「Why?」に対する仏教の伝統的なアンサーであったはずです。ところが、その当時日本に伝わっていた大乗仏教はもはや「これからは悟るために修行をするのではない」という見解に到達していました。天台宗は森羅万象はありのままで悟りの現れである、という「本覚思想」を打ち出していたのです。修行しようがしまいが、この身このままが仏なのだ、と。反抗期の小僧でなくても、修行の意味が分からないのは無理のない話です。

 若き道元のその疑問は、そのまま「生きること」にも対応していると思います。小学校の頃から「命は地球よりも重い」と聞かされ、自分たちもそのうち文化祭などで「生命の尊厳」について発言をさせられたりするわけですが、結局なぜその命が尊いのかを誰も説明してくれないわけです。そもそも自分がこの世に生まれてしまったことを心から「嬉しい」と思えないのに、人の命を大切と思えるはずもありません。ましてや、自分自身の命なんて。

 

生きとし生ける者がそのまま仏ならば、修行の意味がないのでは?

 ここからは道元の著作を中心に、凡夫の迷いと仏の自覚、修行と悟りそして菩提心と坐禅について検討したいと思います。結論から言えば、道元禅師にとって修行と悟りは表裏一体の関係にあります。つまり道元禅師の場合は、ゲームの内側にも外側にも目的を設定していないのです。ゲームに参加(修行)すること自体がゲームの目的(悟り)であり、さらに言えば、自分がそのゲームに参加しているという現実はすでに目的を達成している証拠というわけです。仏になるために修行をするのではなく、仏だから修行をするのだ。さらに言えば、仏であるという理屈も忘れて、ただ今ここを生きている姿こそ仏の姿である、と。

 それを言うと必ず反論は起こるはずです。例えば……

 

 「人生というゲームに参加している全員が仏ならば、修行する意味がそもそもないのでは?」

 「ゲームがスタートしている時点から誰でも悟っているというのに、なぜこの私がそれに気づけないのか?」

 

 これらの反論は他でもなく、道元自身の求道の出発点だったのです。道元は西暦1200年に生まれ、わずか13歳で比叡山の延暦寺で出家得度しましたが、反抗期もあってか、出家してまもない頃から天台宗の教義に疑問を持ち始めていたようです。そのころの天台宗では、生きとし生けるものが生まれながら仏性を備えているという大乗仏教の教えが主流になっていましたが、「最初から仏性があるのに、なぜ修行をし悟りを求める必要があるのだろうか?」というのが若い道元の率直な疑問だったようです。

 仏性の一つの意味は「仏になるためのポテンシャル」ですから、道元禅師の問いに対して「生きとし生けるものは修行さえすれば、いつかは悟れる可能性を持っている(だからお前も頑張って修行しなさい!)」というようなお答えが返ってきてもおかしくないはずです。あるいは、そういうふうに答えた先輩もいたかもしれませんが、そういう答えが中途半端な方便に過ぎないということに、道元禅師はすでに気づいていたのかもしれません。「いずれ遠い将来に実現するかもしれない仏性なんて、仏性と呼ぶに値しない!」

 しかし、道元の本当の問題意識はむしろ逆方向にあったようです。仏性があるのになぜ修行をしなければならないのかではなく、すでに仏の自覚が現れている(=本覚)というのに、なぜ修行しないのか!? というのが道元禅師の本心であったようです。

 「一切衆生は仏性を備えているという。なるほど、これから修行をして悟りを目指すのではなく、今ここ、ありのままで仏なのだ。しかしそれにしてみれば、この理屈を理由にあまりにも仏らしくない生活にうつつを抜かしている僧侶たちはなんなのか? 本当に『ありのままで仏』と言えるかどうか」

 ところが、この疑問に答えることのできる僧侶は道元の周りに一人もいなかったそうです。17歳の時から道元は京都の建仁寺で、当時の仏教の最先端とも言える禅を明全(みょうぜん)の下で学ぶようになりました。そして、後ほど道元の愛弟子となった懐奘(えじょう)の著した『正法眼蔵随聞記』(5-12)によれば、その明全がちょうど中国の旅を計画していたころに明全が出家得度の頃からお世話になっていた阿闍梨(あじゃり)が病に倒れ、彼に自分の老後の面倒をお願いしたいと言ったそうです。明全が弟子たちを集めて「中国留学を優先させるべきか、師匠の老後の看病を優先させるべきか」と相談を持ちかけたところ、弟子たちは口を揃えて、中国の留学はいつでもできるので、今年計画していた旅を一年ほど先延ばしにし、まずは阿闍梨の看病をすべきと答えたようです。修行歴が一番浅かった道元の意見だけが、ちょっと違っていました。

 

 「あなたの現在の仏法の悟り方に問題がなければ、どうぞ、しばらく日本に留まって阿闍梨の看病をしてください」(仏法の悟り今はさてかふこそありなんと思召さるヽ儀ならば、御留り然あるべし)

 

 道元もまた、計画していた中国旅行は絶対に決行すべきとは言っていないものの、そこには「悟り方に問題がなければ」という重大な条件がついています。師匠にまで「私はまだ十分に悟っていない」と言わせようとする道元禅師がいかに日本仏教に愛想をつかしていたかが伺える気がします。明全禅師は回答に困ったのか、一応「いや、私の悟りに不十分なところはない」としていますが、結局は阿闍梨の看病をそっちのけで道元禅師を連れて中国に向かって出発していくわけです。1223年の春のことです。

 二人は中国で別々に行動しますが、1227年に道元は明全の骨を抱えて帰国します。さて、道元が中国で掴んだものは何だったのだろうか? 当初の疑問を解決することができたのだろうか? 

 

道元の悟り体験神話

 道元の生涯を紹介する作品の多くでは、中国留学のクライマックスとして「身心脱落」なる神秘体験が紹介されています。例えば、2009年に公開された映画『禅 ZEN』では、道元が眠る間も惜しんで中国の慶徳寺で坐禅に励んでいる場面で、住職の天童如浄が道元の隣で居眠りしている一人の修行僧を「一切の執着を捨てねばならぬ坐禅において、眠りを貪るとは何事か!」と叱咤するシーンがあります。

 床においてあった履き物を拾い、それを使って居眠りしていた修行僧の肩を「パーン、パーン」と叩くと、次の瞬間、中村勘太郎が演じる道元がハスの花に鎮座して宇宙空間にワープするというCG映像が流れます。この映画の監督さんは1970年代のサイケにヒントを得たのでしょうか? それはともかく、この「サトリ・シーン」を見ていると、私までがヒッピーたちの世界にタイムトリップした気分になります。あの活字の山とも言える『正法眼蔵』のどの巻にも、そんな神秘体験は書かれていないぞ?

 

 『正法眼蔵随聞記』の中には、道元のした次のような土産話が残されています。天童如浄が坐禅中に居眠りをしている修行僧を見つけると、彼らを履で叩いて「謗言呵嘖」することはしばしばあったが、打たれた修行僧たちは嫌がるどころかその扱いを「喜び讃歎」した。そしてある時、反省を込めて修行僧たちに「慈悲をもてこれを許し給へ」と頼んだ時、集まった弟子たちが全員涙を流した、と。

 つまり、天童如浄が履き物を使って居眠りしている修行僧たちを叩いたシーンはどうやら実話のようです。修行僧たちも師匠の指導にもっぱら感謝していたとは書いてあるものの、ここには「悟り」のサの字も出てきません。

 しかし、お寺で生まれ、仕方なく本山で修行を積んでいる親孝行息子はともかくとして、道元のような求道者に憧れて、自ら仏道を歩もうと志している者からすれば、このようなエピソードはかえって物足りない。

 涙ぐんでいる道元の思い出話はどうでもいいから、どのような実体験によって青年時代の道元の疑問が中国で具体的に解決されたかがやはり知りたいのだ! 道元がそれをあえて活字にしなかったのは、ひょっとして言葉で言い表せないほど素晴らしい体験であったからではないだろうか。そうでなければ、道元の中国留学も無意味になってしまうのでは? 欧米人はもとより、仏教に関心のある一般の日本人の中にも、そう思われている人はいるはずです。だからこそ、『禅 ZEN』のような描き方になったのは、無理もありません。

 問題の映画のシーンは言うまでもなく、脚本家が勝手に想像したものではなく、『越州吉祥山永平開闢道元和尚大禅師行状記』という文献に基づいているものです。その中には次のことが記されています。

 

 天童、五更に坐禅す。入堂し巡堂す。衲子の坐睡するを責めて云く。

 「参禅は必ず身心脱落なり。祗管に打睡して恁麼を作す」

 師、聞きて豁然として大悟す。

 早晨に方丈に上り。焼香礼拝す。

 天童問うて云く「焼香の事、作麼生」

 師、云く「身心脱落し来たる」

 天童云く「身心脱落。脱落身心」

 師云く「這箇は是れ暫時の伎倆。和尚乱りに某甲を印すること莫れ」

 童云く「吾、乱りに儞を印せず」

 師云く「如何なるか是れ、乱りに印せざる底」

 童云く「脱落脱落」

 

 意訳すれば、次のようではないでしょうか。

 

夜明け間近の時に坐禅している修行僧たちの様子を見回った天童如浄が、居眠りしていた一人を叱った。

 「参禅とは身心脱落だ。居眠りばかりしてどうするつもりだ!」

 それを聞いた道元は突然、大いなる悟り(大悟)を開いたので、坐禅が終わった後に師匠に報告をしに行った。焼香礼拝した道元に如浄は「どうした?」と聞く。

 道元「身心脱落して来ました」

 如浄「身心脱落、脱落身心」

 道元「修行のイロハも知らないこの私を、簡単に認めないでください」

 如浄「決して簡単に認めたわけではないぞ」

 道元「どうしてそう言えるのですか」

 如浄「脱落、脱落」

 

 これは映画の脚本の下敷きにもなるくらい、有名な道元禅師の「悟り体験」の元ネタです。しかしこの『行状記』は道元禅師の自伝ではないことを忘れてはいけないでしょう。これは不明なところが多く、成立の過程もはっきりしていない伝記なのです。

 師匠と弟子のやり取りの鍵となっているのが、「身心脱落」という言葉です。面白いことに、中国で伝えられている天童如浄禅師の語録では「心塵脱落」という表現こそ使われていますが、「身心脱落」は一度も確認できないのだそうです。つまり、天童如浄は日頃の指導では、やや二元論的に聞こえる「心のチリを落とすこと」を促し、全ての手放しを意味する「身心脱落」には言及していなかったと考えるのが自然です。そのため、道元禅師が師匠の言葉を間違えて理解し、その結果として悟りを開いたのではないかという学説もあるようです。

 

身心脱落とは?

 後代で作成された「悟り体験」の立脚点となった道元禅師ご自身の言葉を確認しましょう。『正法眼蔵』などに比べるとほとんど知られていない『寶慶記(ほうきょうき)』というのがあります。これは道元禅師がおそらくご自身の覚書として残した、中国留学のノートブックです。その中で、師匠の如浄禅師との45の問答が紹介されていますが、その中では道元禅師の「悟り体験」でも鍵となっている「身心脱落」という表現が5回も出てきます。例えば、15番目の問答では天童如浄禅師はこう言っています。

 

 「参禅は身心脱落なり。焼香、礼拝、念仏、修懺、看経を用ひず、祇管打坐のみ」

 拝問す「身心脱落とは何(いか)ん。」

 堂頭和尚示て云く、「身心脱落とは坐禅なり。祗管打坐の時、五欲を離れ、五蓋を除くなり」

 

 つまり禅の実践は身心脱落であり、そのためには、参拝したり焼香したり、念仏をとなえたりお経を読んだりする必要はないという如浄禅師に対して、道元禅師は「では、身心脱落とは何か」と問う。そしてその答えが「身心脱落とは坐禅であり、ただ坐ることだ。ただ坐っている時、五欲を離れ、五蓋に支配されていないのだ」ということです。

 この問答で使われている「五蓋」は仏教用語で、貪欲(むさぼり)・瞋恚(怒り)・惛眠(眠り)・掉悔(のぼせ)・疑(うたがい)という私たちの煩悩の材料となる五欲とほぼ同じ意味です。実際に坐禅をしていると、五欲を離れ、五蓋を除くどころか、いかに自分がそれらの欲望で展開されている劇場(ゲームの世界)に没頭しているかが自覚されます。そのため、坐禅会などで

 「坐禅中には無心の境地になれると思って参加してみたのですが、全然無心になれませんでした」

 という感想を私自身もよくよくいただくわけですが、「全然無心になれていない」という気づきが生まれるのは、煩悩欲望のゲームから一歩下がっている証拠ではないでしょうか。禅でいう無心の境地は煩悩欲望の劇場が閉店した状態ではなく、劇場が劇場に過ぎないという気づきをいっているのだと思います。

この気づきを道元がどういうふうに日本に持って帰って、どういう形で後進に伝えたかが次回以降のテーマになりますが、その前にはこの「人生というクソゲーを変えるための仏教」(「仏ゲー」?)シリーズの最後にもう一度詳細に検討するつもりの内山興正老師の『進みと安らい』という本で使われている「自己曼画」の一つを紹介したいと思います。6個ある「曼画」の5番目です。

 

 

 ここには、それまで頭の中で展開されている劇場に没頭していた坐禅人がふと我に返っている様子が描かれているのではないでしょうか。いや、仏教は「無我」の教えですから「我に返る」というのもおかしいかもしれません。それまで「私」だと思っていた舞台上の役者を離れ、今ここ現に呼吸し、音を聞き、目の当たりの景色を見渡している当たり前の自分に戻ったとでもいうべきでしょうか。

 実は、この「自己曼画」の第5図の解釈を巡って、以前にも朝日カルチャーセンターで行われていた連載講座で永井均先生の他に藤田一照さん、山下良道さんと私が互いに違った主張をし、それは『哲学する仏教』というタイトルで2019年にサンガという出版社から刊行されました。詳しいことは後述しますが、私は内山老師が『進みと安らい』という一冊の本を自らの意思で絶版にし、その中で使われている「自己曼画」の第5図と第6図をその後二度と使わなかったことに着目しました。その理由は、内山老師がここで言いたかったことが、この図では表せていないどころか、むしろ隠されてしまっていることだと私は思っています。

 それはともかく、この図の解釈は大まかに言えば、二通り可能です。

A) 坐禅(身心脱落)のポイントは世界という舞台から離れ、〈私〉に気づくこと。〈私〉とは永井哲学の用語で、「無内包の現実性」とも「世界の開闢」とも説明されます。身心脱落とはつまり、世界からの解脱である。

B) 坐禅(身心脱落)とは頭からの出口を見つけ、この身体が現に感じている世界へ帰ること。長い間お留守にしていた現実世界に、「ただいま!」と言う。つまり、身心脱落とは世界からの解脱ではなく、世界への帰郷である。

 私はいうまでもなくBの立場ですが、そのことについてはまた次回以降でご説明したいと思います。

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著者略歴

  1. ネルケ無方

    禅僧。1968年ドイツ生まれ。高校時代に坐禅と出会い、来日して仏道を志す。1993年、兵庫県の安泰寺(曹洞宗)にて出家得度。京都の名刹や大阪城公園でのホームレス修行生活などを経て、2002年から2020年まで同寺の住職をつとめる。現在、大阪を拠点に講演活動や坐禅指導を行っている。共著に『哲学する仏教』(サンガ、2019年)。

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