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軽刈田凡平の新しいインド音楽の世界 軽刈田凡平

踊るインド人と映画音楽


君たちはどう踊るか

 インド人はよく踊る。

 「インド人」という、これ以上ないほど大きすぎる主語を使うのは気が引けるが(なにしろ14億人もいる)、実際、ほとんどのインド人は本当によく踊る。

 前回も少し書いた話だが、30年近く前に初めてインドに行ったとき、ガンジス河の聖地ヴァーラーナシーの路地裏で、子どもたちに「ジャパニ! 一緒に踊ろうよ」と声をかけられた。聖なる河の街で、子どもたちと踊るなんて、良い旅の思い出になりそうだ。ダンスなんてしたことはないが、日本人らしく適当に盆踊りのまねごとでもすればいいだろう。そう思って乗ってみたのが運の尽きだった。

 彼らのひとりが使い古したラジカセの再生ボタンを押すと、次の瞬間、最大音量で音割れした曲が路地裏に響き渡った。ヴォリュームにも驚いたが、その爆音に合わせて彼らがキレキレのダンスを踊りだしたのにはもっと驚いた。恥ずかしそうにお遊戯っぽいダンスをするのかなと思っていたので、そのあまりにも見事な踊りっぷりは完全に予想外だった。全身を音楽と一体化させて弾むように踊る彼らの姿は、イメージでいうと、まるでニューヨークのハーレム地区か、リオ・デ・ジャネイロの子どもたちのようだった。

 あのとき典型的な日本人の(ダンスが苦手な)自分がどんなふうに踊ったのかはもう覚えていないが、心底楽しそうに踊っていた彼らの笑顔は、今でもはっきりと思い出すことができる。

 踊りが好きなのは子どもや若者だけではない。インドでは結婚パーティーにDJが呼ばれることが多いのだが、DJのプレイがはじまると、じいさんもばあさんもみんなガンガンに踊る。「みんなの前で踊るなんて恥ずかしい」とか「踊るのが下手で笑われたらどうしよう」なんて考える人はほとんどいないのだろう。

 ダンス好きというと、我々はアフリカ系やラテン系の人々を思い浮かべがちだが、インド人も彼らに負けず劣らず踊ることが大好きだ。というか、南米やカリブの国々にも行ったことがある私の主観で言わせてもらうと、インド人こそが世界一ダンス好きな国民なのではないか 。

 では、彼らはいったいどんな曲で踊っているのか。もちろん今のインドには、伝統的な舞踊からEDM、ヒップホップまであらゆる音楽が存在しているが、いろんな世代のインド人が集まったときに踊るなら、あの歌って踊るインド映画で使われている曲に尽きる。ヴァーラーナシーで子どもたちがラジカセから流していたのも、当時流行っていたボリウッド映画の曲(『ラージャー・ヒンドゥスターニー』〔1996年〕の主題歌「パルデシ・パルデシ」あたり)だったと思う。

 インドでは、今でも映画音楽が音楽市場の8割という圧倒的なシェアを占めている。だから、連載の本題であるインドのインディペンデント音楽を紹介する前に、この圧倒的なメインストリームの話をしておきたい。


インド映画はなぜ踊る

 インドは多様性の国だ。各州で公用語のように使われているだけでも22もの言語があり、それ以外も含めると、その数は400とも1,600とも言われている。インド映画の代名詞のように言われる「ボリウッド」は、インド映画全体を指す言葉ではなく、ムンバイで作られるヒンディー語映画のことだ。90年代に日本でヒットした『ムトゥ 踊るマハラジャ』は南インドのタミル語映画(コリウッド)だし、2022年にブームを巻き起こした『RRR』はテルグ語映画(トリウッド)。このように、インドには、「なんとかウッド」がたくさんあり、それぞれの地域に、それぞれの言語の映画産業が栄えている。

 地域や言語によって傾向の違いは見られるものの、ほぼ全てのヒット作に共通しているのが、多くの人がインド映画と聞いてイメージする、歌と踊りの絢爛なミュージカル・シーンだ。もちろんインドでも歌や踊りのない映画も作られている。だが年間興行成績の上位に入ってくるようなヒット作品には、必ずミュージカル・シーンが含まれていて、それが観客の大きな楽しみになっている。

 そもそも、インド映画はなぜ歌ったり踊ったりするのだろうか。

 日本人にとっては気になるポイントだが、インドを深く理解するためには、この疑問を掘り下げるのではなく、むしろ考えないことが大切だ。なぜなら、インドの人々は「なぜインド映画には歌やダンスがあるのか」なんて考えたりはしないからだ。インドでは、映画とは本来、歌とダンスを含んだ総合的な娯楽なのである。日本のプロ野球ファンが「なぜ球場でラッパを吹いたり選手ごとの応援歌を歌ったりするのか」と疑問に思わないように、インド人も「なぜインド映画では劇中で歌ったり踊ったりするんだろう」なんて思ったりはしない。

 ただ役者がストーリーを演じるだけじゃなく、歌も踊りもあったほうがより楽しめるじゃないか。そう考えるのが、インド流に映画を楽しむコツだ。(それでもやっぱりインド映画がなぜ踊るのか気になるという人は、アルカカットさんこと高倉嘉男さんのウェブサイト「Filmsaagar 深遠なるインド映画の海へ」の中の「歌と踊り」という記事がたいへん分かりやすいので、ぜひ読んでみてほしい)


映画音楽は誰のもの?

 インド映画で使われる曲は、作品の雰囲気やストーリーにあった曲を専門の作曲家が作り、専門の作詞家が歌詞を書いて、プレイバック・シンガーと呼ばれる歌手が歌う。それを俳優たちが口パクで演じたミュージカルシーンは、映画のプロモーションを兼ねてミュージックビデオとしても使われることが多い。楽曲がヒットすれば、それはそのまま映画の前評判につながるから、製作陣はダンスや演出はもちろん、音楽作りにも真剣に取り組んでいる。

 こうして生まれた映画音楽が、インドのヒット曲の大半を占めてきたというわけである。だから、インドのヒット曲のほとんどは、歌手名とともに記憶されるのではなく、映画のタイトルや主演俳優の名とともに、人々の心に刻まれている。

 「『イエスタデイ』は誰の曲か?」と訊けば、多くの人が「ビートルズ」や「ポール・マッカートニー」と答えるだろう。では、インド映画の楽曲、たとえば「ナートゥ・ナートゥ」について尋ねたらどうだろう? その場合、多くの人は「映画『RRR』の曲」と答えるに違いない。もし訊いた相手がインド映画の熱心なファンなら、そのあとに「主演のラーム・チャランとNTRジュニアが最高だったよね」と続けるかもしれない。しかし「ラーフル・シプリガンジとカーラ・バイラヴァ(「ナートゥ・ナートゥ」を歌っている歌手)の曲」と答える人は、まずいないだろう。映画音楽では、ごく一部の例外を除いて、歌い手の存在感はとても薄いことが多い。

 YouTubeでインド映画音楽を検索すると、動画タイトルが「曲名+歌手名」ではなくて、「曲名+映画名」とか、「曲名+映画名+主演俳優名」となっていることがよくある。歌手名や作曲者名が書かれているとしても、そこにさらに監督やヒロイン役の名前まで併記されていたりするので、いったい誰が歌っているのかよく分からないこともある。

 インドの映画音楽は、単なる映画のイメージソングではなく、ストーリーやキャラクターと一体となったエンターテインメントの一部なのである。

 

進化し続ける映画音楽

 一見すると非常にドメスティックな印象を与えるインド映画だが、制作陣は、世界の音楽シーンのトレンドを鋭敏に捉え、新しいサウンドを積極的に取り入れることに余念がない。とくに都会の若者たちがパーティーを楽しむシーンでは、その時代のグローバルな音楽の流行が色濃く反映されていることが多い。

 たとえば、ロックンロールが流行していた1960年のボリウッド映画『Ek Phool Char Kante』(「ひとつの花、四つの棘」)に登場する「Baby of Bombay」は、「インドのエルヴィス」とも称されるイクバル・シン・セティ(Iqbal Singh Sethi)がターバンを巻いてツイストしながら歌うプレスリー風の曲だ。1960年代のボリウッドには、 アメリカの青春映画『ゴーストワールド』(2001年)の冒頭にも使われた「Jaan Pehechan Ho」(「お互い知り合おう」)など、ロックンロール風の楽曲が数多く存在する。

 1980年代に入ると、インドにもディスコブームが到来し、映画音楽にも独自のテイストを持つ名曲が次々と生まれた。『Disco Dancer』(1982年/ヒンディー語)の「I am Disco Dancer」は、今見るとその垢抜けなさに驚かされるが、それが逆に強烈なインパクトを与えている。また、タミルの鬼才イライヤラージャーが手掛けた「Vikram Vikram」(1986年)は、シンセサウンドを大胆に取り入れた斬新なアレンジが特徴で、一度聴いたら忘れられない個性を放っている。

 ディスコ以降の時代で、インド映画のミュージカル・シーンに最も大きな影響を与えた欧米のアーティストといえば、やはり「キング・オブ・ポップ」ことマイケル・ジャクソンだ。ドラマチックな演出の中、大勢のダンサーが一糸乱れぬ動きで踊る彼のミュージックビデオは、まさにインド映画との親和性が抜群だった。その影響力は絶大で、当時のインドでは「いや、むしろマイケルがボリウッドに影響を受けたんだ」と主張する人までいたほどだ。

 マイケル・ジャクソンの遺伝子は、今でもインド映画の中に脈々と息づいている。たとえば『ムンナー・マイケル』(2017年/ヒンディー語)は、タイトルからしてマイケルへのリスペクトが感じられる作品だ。彼のダンスやパフォーマンスが、いまだにインドに影響を与え続けていることを示す好例といえるだろう。

 90年代に入ると、『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995年/タミル語)の音楽を手がけたA.R.ラフマーンが台頭する。タミル語映画でキャリアをスタートさせたラフマーンは、あらゆるジャンルの楽曲を制作することができる天才で、やがてボリウッドをはじめさまざまな言語の映画にも進出した。ラフマーンの楽曲は映画の中で聴くといかにもインド的に聴こえるが、注意深く聴くと、クラブミュージックっぽい部分があったり、いちはやくラップを導入していたりと、流行を敏感に取り入れていることが分かる。2008年には英米合作の大ヒット映画『スラムドッグ$ミリオネア』の「Jai Ho」でアカデミー賞の歌曲賞を受賞、2011年にはミック・ジャガーやダミアン・マーリーが参加したバンド「SuperHeavy」に参加するなど、ラフマーンは世界に活躍の場を広げている。

 

洋楽スターの起用とヒップホップの流行

 インドの経済成長が進んだ2000年代後半、洋楽のトレンドを追い続けてきた映画音楽(とくにボリウッド音楽)は、これまでのように洋楽の影響を受け入れるだけでなく、「海外のスターを起用する」という新しい段階に入った。『Singh is Kinng』(2008年/ヒンディー語)のテーマ曲では、西海岸の大御所ラッパー、スヌープ・ドッグがインド系イギリス人のヒップホップグループRDBと共演。ターバン姿であの独特のレイドバックしたラップを披露している。続いて『Blue』(2009年/ヒンディー語)では80年代から活躍するダンスポップ・シンガーのカイリー・ミノーグがメインヴォーカルを務め、『Ra.One』(2011年/ヒンディー語)では「ロンリー」などのヒット曲で知られる米国のR&Bシンガー、エイコンが起用された。エイコンの曲については、別に彼じゃなくても良かったんじゃないかと思えるほど、典型的なボリウッド風の楽曲だ。

 彼らはいずれも世界的なヒットを飛ばしたスターだが、国内の映画音楽が強すぎるインドでそこまで人気だったとは思えない。当時のインドではヒップホップはまだマイナーだったので「スヌープが参加するならぜひ見なきゃ」と思う人は多くなかったはずだ 。それでも立て続けに国際的スターが起用された理由は、目新しい曲を作りたい映画産業と、成長を続けるインドの巨大市場で名を売りたい彼らの思惑が一致したからだろう。

 2010年代以降、洋楽スターに代わって映画音楽に起用されるようになったのは、インド国内のラッパーたちだ。とくに、デリーのヨーヨー・ハニー・シン(Yo Yo Honey Singh)やバードシャー(Badshah)のノリの良い楽曲は、ナイトクラブでのパーティーシーンにうってつけだった。彼らのスタイルは、リアルでストリート的なヒップホップというよりもド派手なダンス音楽で、レゲトンやEDMを取り入れた音楽性で2010年代のボリウッドのパーティーチューンを方向づけた。

 映画音楽が世界のトレンドを追う傾向は、もちろん今も続いている。最近では、デュア・リパのようなダンスポップや、スペイン語の歌詞が取り入れられたラテンポップ風の曲がスクリーンを彩っている。

 このように時代とともに進化を続けてきたインドの映画音楽だが、00年代以降、一本の映画の中で使われる楽曲の数は減少を続けている。

 各年代のヒット映画に使われている曲数を調べると、90年代には8曲ほどだったのが、2020年代の映画では軒並み5曲程度にまで減っている。ダンスなしでBGM的に使われる曲も増えてきているので、劇中のミュージカル・シーンについて言えばさらに少なくなっている印象だ。ミュージカル・シーンが減ってきたのと同じ時期に発展してきたのが、この連載の本来の主役であるインディペンデント音楽というわけだ。

 

映画音楽と「インディペンデント」

 インドでインディペンデント音楽が爆発的に発展したのは2015年頃からのことだが、じつはその20年ほど前にも「インディペンデント」な音楽が流行した時代があった。そのムーブメントは、「インドのポップ」と「インディペンデントなポップ」という二重の意味をこめて、「インディ・ポップ(Indi-Pop)」と呼ばれていた。「インディーズ」とか「インディー」といえば、メジャーなレコード会社の傘下ではない、より小規模な「独立系」のレーベルを指すという解釈が一般的だ。インディーズという言葉には、メジャーでは扱わないようなコアなジャンルや、先鋭的なスタイルというイメージがある。しかし、「インディ・ポップ」は、その名とは裏腹に、大手レコード会社が主導したムーブメントで、その音楽性もかなり大衆的なものだった。

 インディ・ポップを代表する曲のひとつに、インドのラップの元祖と言われるバーバー・セーガル(Baba Sehgal)の「Thanda Thanda Pani」(「冷たい冷たい水」/1992年)があるが、これは1990年に世界的なヒットとなったアメリカの一発屋ラッパー、ヴァニラ・アイスの「Ice Ice Baby」をモロにパクった曲だ。そもそも「Ice Ice Baby」自体がクイーンとデヴィッド・ボウイがコラボレーションした「Under Pressure」をそのままサンプリングしているので、「Thanda Thanda Pani」は三番煎じということになる。ここまでどこからも独立していない「インディペンデント」も珍しい。ヒップホップと言うにはコミカルすぎるこの曲は、まるでインド版「俺ら東京さ行ぐだ」(吉幾三)だ。

 では、「インドのインディペンデント」であるはずのインディ・ポップは、いったい何から「独立」していたのだろうか。端的にいうと、インディ・ポップの「インディペンデント」は、「映画からの独立」を意味していた。当時のインドでは、映画とは無関係に作られた音楽だというだけで、十分にインディペンデントな存在だったのである。

 インディ・ポップのシーンでは、他に「Made in India」(1995年)を大ヒットさせたアリーシャ・チナーイー(Alisha Chinai)や、ディスコ・ポップ調の曲で知られるシュエタ・シェッティ(Shwetha Shetty)、のちにボリウッド歌手として活躍するシャーン(Shaan)らが人気だったらしい。

 「らしい」と伝聞で書いたのは、この時代にインドを旅していた私は、当時このムーブメントの存在にまったく気づかなかったからだ。インディ・ポップは、ちょうどそのころ放送が開始されたMTVインディアによって広まったとされている。ミドルクラスの流行は、バックパッカーが泊まる安宿には届かなかった。街中では映画音楽か宗教音楽ばかり流れていた記憶があるので、インディ・ポップの人気はあくまで限定的なものだったのだろう。

 今聴くと、インディ・ポップにはシュエタ・シェッティの「Johnny Joker」や「Q Funk」のように、当時のインドとしてはかなり洋楽的な曲も多く、MTVを視聴していた都市部のミドルクラスが好んだ理由も納得できる。

 インドで本当の意味でのインディペンデント音楽が発展するには、さらなる経済成長とインターネットの普及を待つ必要があった。2014年に13.5%だったインターネットの普及率は、2024年には52.4%にまで達する。まだ半分程度と思われるかもしれないが、これはインドの地方が、都市とはほとんど別世界と言えるほどに発展から取り残されているためだ。

 インターネットの普及によって、インドの音楽環境は劇的に変化した。その気になれば世界中のあらゆる音楽を聴くことができ、自分で作った音楽をYouTubeやSNSを通して発表することも、マイナーなジャンルのファン同士がつながることもできる。インターネットによって、インドの音楽は、映画音楽のような「みんなのもの」から、より個人消費的なものへと変わりつつある。

 また、今ではメインストリームの映画音楽も、インディペンデントなシーンの影響を受けるようになってきた。例えば、ボリウッドの作曲家チーム「ヴィシャル゠シェーカル(Vishal-Shekhar)」のヴィシャル・ダドラニ(Vishal Dadlani)は、元々ペンタグラム(Pentagram)というヘヴィメタルバンドの出身だ。タミル映画では、ストリート出身のラッパーがフィルム・ソングに次々と起用されている。最近では、エレクトロニカを得意とするOAFFも映画音楽を数多く手掛けている。インディと映画の境界線が、あらゆるジャンルで曖昧になってきた。

 インディ・ポップから始まったインディペンデント音楽の潮流は、いまやアンダーグラウンドにとどまることなく、メインストリームに新たな風を吹き込む存在となっている。



ヒップホップ・シーンと映画音楽

 インドのインディペンデント音楽シーンでいまもっとも勢いのあるジャンルといえば、ヒップホップだ。

 かつてはハニー・シンやバードシャーのようなパーティーラップが主流だったインドにも、今ではすっかりストリート・ヒップホップが定着した。そのきっかけとなったのが、ボリウッド映画の『ガリーボーイ』(2019年)だったというのが皮肉だが、この映画のモデルとなったムンバイのネイジー(Naezy)とディヴァイン(Divine)をはじめ、インド各地でさまざまな言語のストリート・ラッパーが人気を集めている。

 こういうストリート系のヒップホップのファンは、メインストリームの映画音楽は好きではないのでは?と思っていたのだが、それは大きな誤解だったようだ。ムンバイのヒップホップ関係者に「最近のボリウッドの曲についてどう思う?」と聞いてみたところ、「最近の映画音楽はイマイチ。やっぱり80年代とか90年代の曲が最高だよ」という意外な答えが返ってきた。

 今の映画音楽のほうがずっと垢抜けていると思うのだが、彼にとっては洗練されたサウンドよりも、大衆歌謡的なノスタルジーのほうが心に響くらしい。考えてみれば、今のヒップホップ世代が子どものころからヒップホップを聴いていたわけではない。昔のボリウッドが好きだというのは、格好つけていない素直な感覚なのだろう。ストリートの音楽を志す彼らにとっても、80〜90年代の映画音楽は、懐かしさを感じる故郷のような存在なのかもしれない。

 それを裏付けるように、近年、インドのヒップホップシーンでは、往年のボリウッド・ソングをサンプリングする流れが出てきている。そのきっかけとなった曲が、ディヴァインが2022年にリリースした「Baazigar」(「ギャンブラー」)だ。この曲では、1993年の同名のボリウッド映画のテーマ曲が大胆にサンプリングされている。ビートを手がけたプロデューサーのカラン・カンチャンによると、映画音楽は権利が複雑で、許可を取るのに1年以上もかかったそうだ。この曲の大ヒットをきっかけに、映画業界が「昔の曲のサンプリングを許可すれば金になる」と気づき、今では許諾を取るのが以前より容易になったという。

 「Baazigar」のヒットに触発されて作られたのが、デリーのラッパーのクリシュナ(KR$NA)の「Joota Japani」だ。タイトルは「日本製の靴」という意味で、サンプリングの元ネタは1955年のボリウッド映画『Shree420』(「詐欺師」)の「Mera Joota hai Japani」(「オイラの靴は日本製」) 。

 この曲のクリシュナによるリリックのアレンジが最高だ。原曲では「僕の靴は日本製、僕のズボンはイギリス製、赤い帽子はロシア製、だけど心はインド製」と歌われるのに対して、クリシュナは「俺の靴は日本製、ズボンはアルマーニ、帽子はグッチ」とラップする。ヒンディー語でイギリス製を意味する「イングリスターニ」を「アルマーニ」に、ロシア製を意味する「ルシ」を「グッチ」に言い変えて韻を踏むセンスが心憎い。日本で撮影されたミュージックビデオでは、この曲のタイトルをヒップホップ的に解釈して、クリシュナはA BATHING APEのスニーカーを履いている。

 2025年には、エミウェイ・バンタイ(Emiway Bantai)が1999年のボリウッド映画『Badshah』(「皇帝」)のテーマ曲をサンプリングした同名の曲をリリースした。かつてアメリカのラッパーたちが往年のソウルやファンクをサンプリングしたように、インドのラッパーたちは、彼らの音楽的ルーツである映画音楽をリスペクトし、そこからインスピレーションを得ているのである。

 ムンバイでは、ヒップホップの現場で映画音楽がもっと直接的に楽しまれている光景も目にした。人気ラッパー/シンガーのカラン・オージュラ(Karan Aujla)のライブでは、なんと終盤にボリウッド名曲メドレーが披露された。原曲がリリースされた頃には生まれていなかった若者たちも、往年のボリウッド・ソングの歌詞をみんな知っていて、オーディエンスは大盛り上がりだった。(ちなみにメドレーには「O O Jaane Jaana」や「Mere Sapno Ki Rani」が入っていた)。

 工学系の名門IIT(インド工科大学)ボンベイ校で行われたヒップホップ・ナイトのDJタイムでも、いちばんの盛り上がりを見せたのは、2007年のボリウッド映画『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』の主題歌だった。トラヴィス・スコットの「Fe!n」やハヌマンカインド(Hanumankind)の「Big Dawgs」にも反応していたので、客層は国内外のヒップホップをチェックしているファンたちだったはずだ。それでも、やはり映画音楽は特別な存在なのだ。

 今回訪れたのがムンバイだったのでボリウッドの曲で盛り上がっていたが、たとえばこれがチェンナイだったらタミル語映画の曲で、ハイデラーバードだったらテルグ語映画の曲で同じように盛り上がるはずだ。

 日本にこれと似た文化はあるだろうかと考えてみると、アニソンが近いかもしれない。『シティーハンター』の「GET WILD」や『タッチ』のテーマ曲は、リアルタイムで見ていなかった若者でも知っていて、盛り上がることができる。映画とアニメという、それぞれの国を代表するポップカルチャーと結びついているという点も共通している。往年の映画音楽は、懐かしいアニソンと同じように「エモい」存在として、インドのヒップホップ世代を惹きつけているのだろう。

 

ローファイ・ボリウッドというノスタルジア

 インド映画とヒップホップの話をしていたはずが日本のアニメの話になってしまったが、アニメとヒップホップとつなぐ音楽ジャンルといえば「ローファイ」(lo-fi, lofi)だ。

 ここでいうローファイというのは、ゆったりとしたビートに落ち着いた雰囲気のピアノやギターの音色を乗せた、いわゆる「チル」なビートのこと。もともとは古いジャズやソウルをサンプリングした「ローファイ・ヒップホップ」から派生したジャンルで、高音域や低音域をカットしたり、ノイズを加えたりして、まるで古いラジオから聞こえてくるようにしたサウンドが、今日ローファイと呼ばれている。

 ローファイ・ヒップホップが世界に広まったきっかけは、日本のビートメーカーの故Nujabesが楽曲を手がけたアニメ『サムライチャンプルー』だと言われている。その影響もあってか、ローファイにはノスタルジーを感じさせる日本のアニメ風のイラストを添えるという文化が定着した。2017年に開設された人気YouTubeチャンネル「ChilledCow」(現Lofi Girl)では、24時間ローファイ・ビートがエンドレスで流されている。このチャンネルのトレードマークである「ヘッドフォンで音楽を聴きながら勉強しているジブリ風の女の子(通称スタディ・ガール)」のアニメーションは、「温かみのあるノスタルジックなサウンド」「落ち着いた作業用BGM」というローファイの特徴を象徴する存在だ。

 話をインドに戻すと、どうやらインドの人々は、こうしたローファイのアレンジをとくに好んでいるようなのだ 。サブスクやYouTubeで「Indian lofi」や「lofi Bollywood」と検索すると、映画音楽をはじめとするインドのさまざまな音楽をローファイ化した動画やプレイリストを無数に見つけることができる。中には数百万回以上再生されているものもあり、ローファイはインドのサブカルチャーとして完全に定着しているといってもいいだろう。

 いったい、なぜインド人にこれほどローファイが刺さるのだろうか? ムンバイ出身の留学生に聞いてみたところ、「インド映画の音楽は派手すぎて、勉強のときにはちょっとうるさいんですよね」とのこと。たしかに、私自身もインドのローファイブームを知る前から、90年代の映画音楽をサブスクやCDで聴いたときに、音がきれいすぎて違和感を覚えることがあった。むしろ、ノイズ混じりの古いラジカセで聴くくらいのほうが、懐かしい気分になれて落ち着く。どうやらインド人も同じように感じているようだ。

 インド的ローファイの世界観を完璧に表現しているのが、YouTubeチャンネルAnime Mirchiの動画「Indian lofi hip hop/ chill beats ft. wodds || Desi lofi girl studying」だ。スタディ・ガールと同じようにノートを広げて勉強するインドの少女の机には、チャイグラスが置かれ、雨が降りしきる窓辺には、インドのお守りである青唐辛子とレモンが吊るされている。本棚に目を映すと、ドラえもんや初音ミクのぬいぐるみと、NARUTOや太宰治の本が並んでいる。ヒップホップのストリート感覚と、日本のアニメ文化のオタク的内省を経ても、インドらしさがしっかりと残っているのが印象的だ。

 インドのローファイをさらに深く探ってみたいなら、「lofi」に好きなインドの地域や言語名をつけて、例えば「lofi Tamil」「lofi Bengali」などと検索してみてほしい。インド各地の音楽がローファイ化されていて、中には「lofi Sufi」なるものまで存在する。まさかカッワーリー(パキスタンからインドにかけて親しまれるイスラーム神秘主義の音楽)のローファイ版まで見つかるとは思わなかった。その中でいちばん人気があるのは、やはり映画音楽のローファイ・アレンジのようだ。

 

 インド人は、踊るときも、勉強するときも、さまざまな形で映画音楽を聴いている。ラップのビートからローファイ・アレンジまで、映画音楽は、インド人のいる場所ならどこにでも響いている。映画のミュージカル・シーンが減少しようが、ストリート文化としてヒップホップが流行しようが、映画音楽は、決して揺らぐことはない圧倒的な存在なのだ。

 インドの映画音楽がインディペンデント・シーンのアーティストを起用し始めたように、インディペンデント音楽の側でも、映画音楽取り入れて、現代的にアレンジして楽しんでいる。インドでは、今後も映画音楽とインディペンデント音楽が互いに影響し合いながら、ユニークな音楽が生まれてくるはずだ。

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著者略歴

  1. 軽刈田凡平

    1978年生まれ、東京都在住。インド音楽ライター。
    学生時代に訪れたインドのバイタリティと面白さに惹かれ、興味を持つ。
    時は流れ2010年代後半、インドでヒップホップ、ロック、電子音楽などのインディペンデント音楽のシーンが急速に発展していることを発見。他のどの国とも違うインドならではの個性的でクールな表現がたくさん生まれていることに衝撃を受け、ブログを通して紹介を始める。
    これまでに、雑誌『TRANSIT』『STUDIO VOICE』『GINZA』などに寄稿、TBSラジオ、J-WAVE、InterFM、福井テレビなどに出演しインドの音楽を紹介している。
    また、インド料理店やライブハウスでインドの音楽に関するトークイベントを行ったり、新聞にインド関連書籍の書評を書いたりするするなどマルチに活躍中。
    国立民族学博物館共同研究員。『季刊民族学』192号(2025年春号)にて、ムンバイのヒップホップシーンを取材して執筆している。
    辛いものが苦手。

    著書(共著)『辺境のラッパーたち 立ち上がる「声の民族誌」』(青土社、島村一平[編])

    ブログ(アッチャー・インディア) https://achhaindia.blog.jp/


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