語り得ないことを語ろうとする人たち
無所得というとんでもないプレイ
あらゆる欲望から自由になりたいと言うのが求道者。
現代人は「どうせなら、息を吸うのも止めてしまえ! そうすれば、お前のカーボンフットプリントも減るだろう」と思うかもしれません。
冗談に聞こえてしまうかもしれませんが、昔からインドではそれくらい真剣に道を求めた者が続出していて、そのほとんどはおそらく後世に憶えられることもなく(?)死んでしまっているのでしょう。経典の中で伝えられている若き釈尊の苦行ぶりからも、まさにそういう真剣さを感じます。現に、死がすぐそこまでやってきたところまで呼吸を止めたこともあったのだそうです。しかし、釈尊はこの苦行ゲームも降りてしまいました。その理由は、苦行は凡夫のゲームとは方向性は逆でも、ゲームであるということには違いがないからです。
釈尊は後に「中道」を説くようになりました。では「中道」とは何か? 成道するまでの苦行はいわば行き過ぎた修行で、その後は「程よい修行」という意味だったのでしょうか? 釈尊が説こうとしたのは、凡夫が思いのままに過ごすという「放逸」ではもちろんなく、自分を苦しめるという、まるで我慢大会のような苦行ゲームでもない。問題は、その「中道」の中身です。中道だからと言って、それは凡夫の放逸と苦行者の我慢を足して2で割ったようなありようではないはずです。そうではなく、凡夫のように「欲望を満たそう」というゲームを相手にせず、苦行者のように「欲望から離れよう」という別のゲームに没頭することもなく、あらゆるゲームに足をつけないことではないでしょうか。ゲームが始まる前のところ、つまり「僕」や「私」、「昨日、今日、明日」と言い出す前の今ここ、当たり前の自分に戻ることではなかったでしょうか。
釈尊は親のゲーム、家族のゲーム、国のゲームを降りて出家をし、しまいには苦行のゲームも止めて菩提樹の下で腰を下ろしました。ゲームすることなく、ただ坐っていたのでしょう。成道を果たしたのは、その後だったと言われています。ゲームの出口を厳しい修行の果てにようやく掴んだのではなく、その厳しい修行を降りた途端「今ここ」に見出したのです。ゲームを降りるため、まず「修行」という別の脱出ゲームを果たさなければならないなら、その脱出ゲームから脱出するさらに一段上のゲームをしなければならない。釈尊の成道はそうではなく、最初のゲームが始まる前の地点、つまり「今ここ」に戻ることでした。
大乗仏教の経典の中には「無住処涅槃、無所得無所悟」という言葉があります。涅槃という場所があちらとか、こちらとか、どこかにあるのではなく、何も求めず、得るところも悟るところもない、今ここ、この自分の足元にこそあったという意味ではないでしょうか。明治時代から昭和にかけて生きていた禅僧、澤木興道老師はよく「坐禅しても何にもならん」とか「仏法は無味無色」とか言っていて、現在の私たちも坐禅のことをよく「何も求めないで、ただ坐ることだ」と言ったりします。それはその通りですが、そこにはもはや「無味無色」という異臭がし、「何もならん坐禅」を、しっかりと求めてしまう心があるのではないでしょうか。釈尊が菩提樹の下で腰を下ろしたそのとき、「ただ坐る」ことなどを狙っていなかったことは言うまでもありません。
さて、今ここ、「ただ坐ろう」ともなんとも思わず、ただ坐ることだけでよかったはずなのに、釈尊はしばらくしてその座から立ち上がり説法をし始めたのは前回見た通りです。その理由について、梵天の勧請に従ったというのが経典の説明ですが、自らの国を滅ぼしてしまうような釈尊がバラモン教の神のお願い一つを断れなかったのでしょうか?
主体性のない釈迦
説法を決心するきっかけとは直接的に関係しませんが、経典の中では釈尊はしばしば「押しに弱い」キャラとして描かれています。例えば、80歳のご高齢で釈尊はいっぺん大病をされていますが、弟子たちにまだ説法したいことがあったためその病を(自らの生命力で)治します。愛弟子のアーナンダにもその話をし、「諸行は無常であり、私もいずれこの世を去らなければならない。あなたも、そのことはわかっているよね」ということを言います。アーナンダはそのとき、「はい、分かっております」と答えています。
そのしばらく後、たびたび釈尊に問答をかけているマーラ(悪魔)が現れ、釈尊に問います。
「あなたはいったい何歳まで生きるつもりだ? 多くの国々を旅し、多くの弟子たちに説法をした。布教ゲームも十分に楽しんだはずだ。そろそろ死んでもいいのでは?」
悪魔の存在などを信じない現代人の私は、ここで釈尊の内心の声が聞こえる気がします。釈尊とはいえ、お疲れになっていたのではないでしょうか。「死にたい!」というその声が釈尊のいわばラスボスでした。
ところが、釈尊はこう応対しています。
「そう慌てるな。あと3ヶ月以内で、私は死ぬだろう」
仏教の教えによれば、ブッダには少なくとも百年ほどの寿命があったはずです。つまり、まだ死ぬ必要のなかった釈尊がこのラスボスを倒そうと思えば、簡単に倒せたと仏教では考えられています。しかし、釈尊はそれをしなかったのです。
もちろん、釈尊がラスボスに負けるわけがありません。それでも経典の描かれ方が少しでも歴史的事実に忠実であるならば、釈尊は少なくとも弟子たちが思っていたより早く亡くなってしまったのです。その理由は「死にたい!」というマーラの命令に従ったわけではもちろんありませんが、死に「打ち勝とう」とも思わず、いわば自分の身体との相談の結果として「そろそろ死のうかな」ということになったのではないでしょうか。
そのとき、釈尊がかつて成道したときと同じように、大きな地震が起きたのだそうです。それが本当かどうかはともかく、仏教史にとって、この時に死ぬ覚悟を決めたことが大きな意味を持っているようです。逆にいえば、それまでの釈尊にはまだ生命力というエンジンがあって、その力で生きていたのですが、この時にそのエンジンを切ってしまい余力だけで生きるステージに入ったのではないでしょうか。
地震に驚いたアーナンダが釈尊にそのわけを尋ねると、釈尊が3ヶ月以内に亡くなることを告げます。ところが、先日に師匠もいずれかは亡くなることを了承していたはずのアーナンダが急に寂しくなり、「どうか、もう少し長生きしてもらいたい」といったことをお願いするわけです。
梵天にもマーラにも耳を貸す釈尊です。いっぺん、命を危うくするような大病をも自ら治せるほどの師匠が、弟子のお願いを聞かないはずはないと思いきや、釈尊はなんと「今はもう遅い」と言っています。
「先日、あなたと二人で無常について語ったあの時にそれをいえば、私はやはり断ったかもしれないが、もしそこで3回も同じようにお願いすれば、私は最後にあなたのお願いを受け入れたであろう」
マーラよりもアーナンダが先に「もう少し長生きして」と言えば、釈尊はもう少し長生きしていた可能性もゼロではない、と。「もう少し早く、もう少ししつこく私を誘ってくれれば……」、まるで別の男と結婚してしまった乙女が初恋の相手に言うセリフではありませんか。私が読むと、不謹慎ながら「なんと芯のないやつだ!」という思いをなかなか抑えられません。なぜか説法に踏み切った際に、それを自らの意思ではなく「梵天勧請」のせいにし、死ぬときもマーラの小言と空気を読めないアーナンダのせいにする必要があったのでしょうか。
釈尊がまるで主体性のない人のように描かれていることに理由があるとすれば、それは「無常・無我・縁起」を悟ったブッダにむしろ主体性があってはいけないからだとしか思えません。自らの意思で説法に踏み切り、自らの意思でこの世を去ったのであれば、その釈尊にはやはり「意思」とその意思に伴う「自我」が残っていたことになります。しかし、自我も意思も手放した覚者であればこそ、たかが神の勧請にも乗り、悟っていない弟子たちのお願いにも答え、その一方でマーラ(自らの自然要求など)にも応じられたのではないでしょうか。つまり、成道したブッダは有為(何かの「ため」に)ではなく、無為に生きていたのです。後ほど詳しく紹介したいと思いますが、この無為の生き方こそ禅の理想とされています。求道者は「悟るために」修行をしても、かえって悟りから遠ざかってしまう。なぜなら、そういう有為の修行が「悟りゲーム」に過ぎないからです。本来の修行は「無為のはたらき」であり、そこには悟りといった金賞や涅槃というフルスコアも必要ない。ですから、修行とは有為のゲームから無為のプレイへの切り替えです。
釈尊の背中から伝わったもの
前回まで見てきた通り、釈尊は菩提樹の下で悟りを得てから、本来ならそのまま入滅(つまりブッダが死んでから得られる完全な涅槃に入ること)してもよかったはずなのに、それをしなかった。いったん躊躇っていた説法活動に、梵天の勧請を受けて踏み切ったのです。ところが、その説法の中では、その説法活動自体の意味づけは全くと言っていいほどされていません。
確かに、初期仏教の中でも菩薩の修行の有意味性は説かれています。しかし、それはあくまでも成道するまでの階段を上り詰めるための準備段階でしかなく、悟った後には菩薩として生きることは無意味であるはずです。それを「有意味」な行動として位置づけたのが500年後に誕生した大乗仏教で、決して釈尊ご自身ではなかったのです。
釈尊の説法は「慈悲の心」からされてきたと言う人はいますが、仏教で言う「慈悲」は所詮「四無量心」のうちの最初の二つです。つまりメッター(慈)とカルナー(悲)です。わかりやすく言えば、生きとし生けるものを父のような気持ちで導き、母のような気持ちでその苦しみを共有すること。しかし、それに続くのがムディターすなわち「喜」です。他者の幸せを喜ぶこと。他者の「得」を自分の「損」と考え、他者が損しただけでも自分が得した気分になるのが凡夫の性ですが、悟った者はもはや自分をこのように他者と比較しないし、損得という概念自体を手放しています。禅的な言い方をすれば、ありのままの現実を受け入れることから「喜」の心が生じるのではないでしょうか。
しかし、この段階では仏教の実践が消極的な方向に転じるのも致し方ないことです。損得の概念がなければ、他者をいい方向(得)に導こうという「慈」も、他者の苦しみ(損)を共有しようという「悲」も薄れてくるのでは? ましてや「四無量心」の最後と見なされているウペッカーすなわち「捨」……それは自他を区別することなく、今ここに完全に落ち着いている、平穏な心と説明されています。つまり、ゲームの勝ち負けにはなんの興味もなく、そのゲームをいわば外側から眺めているのが「捨」の目線です。慈悲があったにせよ、「捨」という境地で余生を生きているブッダはどうして再びゲームに参加し、生きとし生けるもののために救済ゲームを始めたのだろうか、というのが前回の終盤で取り上げた問題でした。
少なくとも、釈尊の教義の中では、その答えを見つけることができない気がします。釈尊の説法では、各個人の解脱に至るための智慧(四聖諦の気づきや十二因縁の理解)などとその実践(八正道など)を支えるための戒律が中心で、イエス・キリストが「一人でも多くのものにこの教えを広めるように」と言ったような使命感がほぼ皆無です。釈尊の説法スタイルも「聞かれたら答える」という受動的なもので、自ら進んで人を説得しようとしません。ましてや、イエスのように神殿で物売りをしていた商人たちの屋台をひっくり返すような行為など、釈尊の場合はあり得ないことです。釈尊の前世として伝えられているジャータカという数々の物語の中には、求道心に燃えているかなりやんちゃな「お釈迦さま」も登場します。しかし、それはあくまでも釈尊の前身でしかないのです。前世の「お釈迦さま」は悟りに向かっている途中とはいえ、まだ悟っていない者とされています。初期仏教では、菩薩の活躍とブッダの行為ははっきりと区別されています(後ほど詳しく説明しますが、「前世における菩薩」と「成道した後の釈尊」の区別も、大乗仏教によって次第に曖昧にされてきました)。
釈尊は口では解脱に向かう個人プレイしか説いていません。いわば脱出ゲームとしての仏教です。しかし、背中ではそういう個人プレイと相反するようなノーサイドのゲームを遊んでいるようにも見えます。イエスほど激しくないにせよ、生きとし生けるものという「全チーム」のために40年以上プレイしたその理由は?
ウィトゲンシュタインっぽく言えば、釈尊は語り得ないことについて沈黙せざるを得なかったのです。しかし、口で語り得ないことを行為で示すことはできる。その語り得ないものを背中でうるさいほど示してくれたというのが大乗仏教の受け止め方です。
大乗仏教のステージ
大乗仏教の中にもブッダになるための様々なステージがあります。華厳経などでは菩薩がブッダになるために通過しなければならない「五十二位」すなわち52段階の悟りが詳しく述べられていますが、ここまで来ると大乗仏教も完全にゲーム化してしまい、無為の遊び心も何もなくしてしまったように見えます。
それはともかく、「五十二位」よりもよほど簡素なのが「十界」と言われるブッダに至るためのステージです:
1)地獄界
2)餓鬼界
3)畜生界
4)阿修羅界
5)人間界
6)天上界 (ここまでが凡夫のゲーム)
7)声聞界
8)縁覚界
9)菩薩界 (ここまでが修行者のゲーム)
10)仏界 (ゲームを終了した者の世界)
六道とも言われる最初の6つのステージは、衆生(生きとし生けるもの)が輪廻転生している世界です。煩悩欲望の奴隷として、地獄と天上を行き来しているのがそのゲームのつまらなさにまだ気づいていない凡夫です。輪廻転生説を信じれば、六道の世界を前世や来世に当てはめて、「前世に功徳を積んだから、今生は良いところに生まれてきた」「今生の行いはイマイチだったから、来世は犬として生まれ変わるかもしれない」「下手をすれば、地獄に落ちるのでは?」という風に受け止めることももちろん可能です。カルマに支配されている仏教の六道の世界とキリスト教の死生観の大きな違いの一つは、仏教にも地獄や天上界があるものの、どちらも永遠に続かないことです。言ってみれば、天上界を含む仏教の六道全体は悟るための煉獄なのです。
私のように、輪廻転生説に拘らない仏教徒にとっても、六道は決して無意味な話ではありません。毎日まいにちが苦しすぎるあまり、「仏の教えどころじゃない!」という人々はこの現実世界にもたくさんいます。いや、人類規模で考えれば、そういう人が今も昔も(そしてこれからも?)大多数だったかもしれません。地獄とまで言わないにしても、「あれが欲しい、これが欲しい」という思いに支配されながら、その思いを満足させることがなかなかできないお方も多いでしょう。クリックしてから荷物が届くまでは楽しみだが、箱を開けた瞬間は「これじゃなかった」というそのがっかり感……それがまさに餓鬼道です。食欲、性欲と睡眠欲だけに支配されているのが畜生道。自分には思い当たりがないというお方がいれば、お目にかかりたい。
「お前のせいだ! そこが間違っている!」仕事場でも、家庭内でも、余暇で楽しんでいるSNSでも、怒りに駆られて発言し行動しているのが阿修羅道。坐禅してまで「またあいつにあんなことを言われた……今度あったら、こう言い返してやろう!」という思いが頭から離れない時がある。私たちも1日の大半をこの世界の中で過ごしているのではないでしょうか。
「おれはひとりの修羅なのだ」(宮沢賢治『春と修羅』)
こうして阿修羅である自分に気づけるのは何故か? それは、人間だからです。人間は阿修羅以下の4つの世界と違い、冷静になることができます。苦しみの原因は何か? 冷静に考えると、自分にこそ、その原因があった。今までのゲームの仕方があまりにも短絡的だった、盲目的だった。人生の物足りなさを変えるためには、ゲームのプレイの仕方を変えるしかない。そう気づくことができるのが、人間の特権です。
しかし、そう気づけるのも、ほとんどはゲームに何らかの形で躓いてしまった時です。ゲームが思うように進んでいる間は、自分は人間界というよりも天上界にいるからです。仏教でこの天上界をあまり芳しくない境遇、むしろ悟りから一番遠い世界とみなしているのもそのためです。
何せよ、六道の世界は凡夫のゲームです。その中でゲームのつまらなさに気づいて、ブッダという解脱者の教えに出会い別の解脱ゲームを始めたものたちが声聞・縁覚・菩薩という3つのステージです。厳密に言えば、縁覚はブッダの教えに出会うことなく、ブッダと同じように自ら苦しみの原因に気づき、ゲームの出口を見つけた人です。しかし、縁覚はブッダと違い、ゲーム内に残っているプレイヤーたちのためにその出口を教えようとしない。いわば完全に「無慈悲」です。しかしウペッカー(捨)に到達した覚者からすれば、慈や悲といった無量心すら必要ない。前回で書いたように、むしろそういう「慈悲ゲーム」にも付き合わない方が潔いとすら言えます。ゲームが終わった後には、ゲーム内の他のプレイヤーの存在も消滅してしまう。むしろ彼らに「出口を教えよう」という思いが、まだ完全にゲームを降りていなかったことの証明です。歴史上の釈尊よりも、成道した後に絶対に口を割らなかった無数の縁覚たちこそトップステージだと言えないでしょうか?
少なくとも大乗仏教はゲームに戻った釈尊の方を上位に位置づけます。そのように「位置づけ」を行った時点で、新たな凡夫のゲームを始めていると言われても反論の余地はないように思います。
「釈尊はたまたま、いわば遊び心で、しばらくゲームの中に残った。しかし、それをしなかったその他大勢のブッダたちもいたはずだ」と言えばよかったものの、「その他大勢」を菩薩の下位、声聞より一つ上のステージに置いたことはやはり大乗仏教のエゴでしょう。
ましてや、声聞とはかつての修行仲間のことです。大乗仏教が初期仏教の教団から独立するまでには一つのサンガ(修行者の集いである叢林)しかなかったのですが、独立した後には初期仏教に忠実であろうとした僧侶たちを「声聞」と貶したわけです。「声聞」とはつまり、「釈尊の口から出た教えだけ聞いて、その背中から学んでいない」という意味です。自らの解脱のためには修行するが、一切衆生というチーム全体は視野にない。つまり、「自分さえ良ければ(救われれば)いい」というのが初期仏教の教えに忠実な僧侶たちに向けられた批判で、また「小乗仏教」(自分たちしか入らない、小さな乗り物)が彼らに貼られた差別的なレッテルだったのです。
それに対して、新たに誕生した大乗仏教は「私たちは釈尊の背中から学んでいる菩薩たちだよ。菩薩は自分の救いを後回しにして、苦しむ者たちを助けようとするのだ。各自の個人解脱ではなく、生きとし生けるものの救いが私たちの目的さ」と自負しました。そのスケールと目的は違うとは言え、自称の菩薩らはこうして自分たちのゲームを始めたのです。
しかし、あらゆるゲームを降りることが仏教の目的ではなかったのか? 最後のステージの仏界にはどうやって行けるのか? そう聞きたくなるお方もおられるでしょう。今回は紙面の都合上で詳しく説明する余裕はなくなってしまいましたが、ブッダになるための準備段階に過ぎなかった菩薩は、大乗仏教では声聞や縁覚を飛び越しただけではなく、仏のステージに限りなく近づいています。あるいは逆に言えば、大乗仏教はせっかく凡夫のゲーム(そして修行ゲームも菩薩ゲームも!)を卒業したあと、単なる遊び心で説法をしていたはずのブッダを無理矢理にゲームに戻して、解脱者というよりもスーパー菩薩のような立場を与えてしまったのです。次回で詳説しますが、大乗仏教の仏は一神教の神に近い存在になってしまったと言えなくもありません。
大乗仏教の問題点
私はもちろん大乗仏教徒です。大乗仏教徒として、その理念を依怙贔屓しているつもりです。冗談ではありません。観音さんの下働きでも良いから、菩薩として生きたいと私だって願っているのです。
しかし、大乗仏教のこういう自負からかなり嫌な匂いがすることに、自分で気づかないわけではありません。
「自分自身すら凡夫のゲームから自由になっていないくせに、人の救いなんて何様のつもりだ!」そう言われれば、その通りだとしか言いようがありません。
また、反対側からこのような声も聞こえてきそうな気がします。
「お前は、ボケーと坐禅している以外に人のためには何もしていないじゃないか!?」
大乗仏教は生きとし生けるものの救済を目標としてあげながら、特にキリスト教などと比較した場合、現に目の前で苦しんでいる者のために果たしてどれほど救いの手を差し伸べているかと自問した時、やはり答えに苦しみます。
次回に向けて大乗仏教の問題点を自分の備忘録という意味もこめて箇条書きしたいと思います:
1)釈尊は慈悲を口で語ったのではなく、行動で示していたのだ。その背中に気づいた大乗仏教徒たちが、「慈悲の心」や「菩薩の実践」について、ベラベラと語り出してしまったこと。
あることを言語化することによって、そのことがよっぽど伝達しやすくなる。と同時、その言語化がそのことに対する背信行為でもある。
2)本来なら語り得ないことを語ってしまったことによって、釈尊の「無為の働き」としての説法活動が有為な行動になってしまったこと。つまり余裕のプレイが、新しいゲームのルールに変わってしまったこと。ブッダの遊びが、菩薩の義務に。
3)慈悲を語ることによって、ついに肝心な慈悲の実践自体を裏切ってしまったこと。「ゲームの勝ち負けは関係ない」と言いながら、その物言いでしっかりとポイントを稼ごうとしているのでは? 「私は自分をあなたのために犠牲している」という自称菩薩のエゴは丸見え(だが、本人だけはそれに気づいていないこと)。
4)「新しいゲームはノーサイドで、皆楽しく!」と言いながら、従来のゲームのプレイヤーたちを差別し、彼らに勝つために戦略的にルールを変えているだけなのではないかということ。 「小乗」よりも「大乗」ルールで、僧侶として商売しやすいと考えただけという可能性。
例えば、初期仏教でも布施行為の利益を説くが、それは六道輪廻の中でしか効果がない。布施行為は出家や「戒・定・慧」(規則正しい修行生活、瞑想やマインドフルネスとその結果として得られる智慧・悟り)の代わりにならないので、本当に救われるためには布施行為は何のためにもならない。一方の大乗仏教では六波羅蜜の第一が「布施」とされ、それが第六の「般若」と直接している。「布施とは自分の手放しだ、般若と同等だ」というふうに、その意味づけは簡単になる。大したご利益を約束しない初期仏教よりも、大乗仏教では「シノギ」がしやすい?
あるいは、初期仏教では僧侶の積極的な社会参加は想定されていない。出家とはゲームを降りること、その後には再びゲームに参加しないことが理想。一方の大乗仏教では、僧侶たちは新しいルールでゲームに再参加し、「生死即涅槃」理念に基づいてより良い社会の構築に献身することが理想。社会に寄生する初期仏教よりも、大乗仏教はその時代の権力者からの支援も得やすかったのでは?
5)大乗仏教徒たちは本気で「勝ち負けは関係ないよ! ノーサイドで皆楽しく!」と言った。それは仏教という商いをするためのレトリックに過ぎなかった可能性は否定できない。しかし、一部の仏教たちは本気でその新しいゲームをプレイしようとしたと思いたい。
「チームのためなら、自分を犠牲にしなければならない時だってある」「負けるが勝ち」それはそれまでの個人プレイより一見優しいゲームに見える。しかし、全員が進んでそのゲームに参加していない以上、自分だけが(戦略的な見せかけではなく)本気になってそのゲームに参加することは、想像を絶するほどしんどいことだ。
自分一人のために修行をするのもなかなか大変なのに、自分の救いを後回しにし、まず生きとし生けるものを救おうと、誰が本気で思えるのか?
このことに気づいた時、修行の代行を頼むしかない。
6)「皆でゲームをしよう」となったのは良いとして、ゲームの主役がいつの間にか架空の仏菩薩に変わったこと。
釈迦牟尼如来、阿弥陀如来、大日如来、薬師如来……の登場だ! 「仏国土」という名のディズニーランド! 如来も数が多いほど良い!
7)仏菩薩のインフレ現象に伴い、仏教が単なる観戦ゲームに変わったこと。「自分のゲームは自分でするしかない、自分のゲームを止めるのも自分しかできない」というスタンスが「〇〇仏推し」になり、実践者は傍観者に成り下がった。
観音さん、地蔵さん、普賢さん、文殊さん、不動さん、弥勒さん……お寺は菩薩に会いに行ける場所として賑わうようになった。