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人生というクソゲーを変えるための仏教 ネルケ無方

ウィトゲンシュタインの遊戯

 人生とは、ゲームだろうか。同じゲームでも、人生は「クソゲー」なのか、それとも「神ゲー」なのか。あるいは人生はクソゲーであったとしても、仏教にそのクソゲーを変える可能性は潜んでいるのだろうか。

 

 これらの問いに答えるのがこの連載の狙いです。専門外の話に挑むのは身の引き締まる思いが致しますが、ここからは「ゲームとは?」という問いに答えるため、哲学という切り口から考えたいと思います。

 思えば、30年前に大学院を修了するために提出した修士論文のテーマの一つも、「ウィトゲンシュタインの言語論と道元における修証一等の考え」でした。後期ウィトゲンシュタインの結論をまとめれば、言葉の意味と、その言葉の使用とは不可分である。つまり、意味が最初からあって、言葉がその意味をあとから追うように言い表そうとしているのではない。むしろ逆にまず日常において様々な形で使用される言葉があり、その言葉の使用にこそ、その意味がある、というふうになると思います。そこで「言語の意味」を「人生の意味」に置き換え、「言語の使用」を「実際に生きる」ことに置き換え、ウィトゲンシュタインの哲学から何らかの生きるヒントを引き出そうとする人も少なくないでしょう。ウィトゲンシュタイン自身はそうしていたと思いますし、私もそれを見習ったつもりです。

 

 ウィトゲンシュタインのロジックに従えば、「人生の意味の問題」の答えは「人生の意味を見つけること」でもなければ「人生に意味を与えること」でもなく、一つの人生の形に過ぎない(ウィトゲンシュタインは作品の中でLebensformという用語を使い、それは日本語には「生活形式」とも「生の形」とも訳されます)。そしてその形とは、禅的に言えば「無形の形」であり、「ただ生きるという生き方」である。つまり「人生の意味は、ただ生きることだ」と、ウィトゲンシュタインを読み込んだ私は結論づけました。

 

 道元は、悟りをつかむために修行するのではないと主張しています。日常における生活実践こそ修行であり悟りであり、日常の実践を離れて修行も悟りもないというのが道元の修行論すなわち悟り論ではないでしょうか。そして修行とは何かと言われれば、やはり「ただすること、ただ生きること」に尽きるのではないでしょうか。大学院生の私が到達したこの答えがあまりにも短絡的で、時代と文化がはるかに隔たっているウィトゲンシュタインと道元の類似性も表面的なものに過ぎないと言われれば反論の余地もありません。しかし恥ずかしながら、30年経った今でも、私の考えは当時とそれほど変わっていません。「ゲーム」という概念をはっきりさせるためにも、まずはウィトゲンシュタインの言語論を出発点としたいと思います。

 

本来の自己が問えない

 ウィトゲンシュタインの哲学は大まかに『論理哲学論考』(独: Logisch-Philosophische Abhandlung、英: Tractatus Logico-philosophicus)に代表される前期と、『哲学探究』(独: Philosophische Untersuchungen、英: Philosophical Investigations)に代表される後期に分類されます。ウィトゲンシュタインが1918年、わずか29歳で執筆した『論考』の「序」には、こう書いています。

 

「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない」

(野矢茂樹訳『論理哲学論考』、岩波書店、2003年、9頁)

 

 

 このことだけで、彼は今まで哲学者たちが論じてきた問題について「本質において最終的に解決された」(11頁)と自負しています。そして「これらの問題の解決によって、いかにわずかなことしか為されなかったか」(11頁)とも付け加えています。

 その「解決」を私なりに説明するならば、「哲学はそもそも要らない、理工学で十分だ」というものです。そもそも言い表せる命題は「地球は丸い」や「トマトは赤い」と言ったような事実表明で、それを見つけそしてそれを明晰に言い表すのが科学者の仕事である。哲学者に残された仕事があるとすれば、それは「語られうること」と「沈黙せねばならない」領域の境界線を引くことくらいしかない。あるいは過去の哲学命題について「言い得たつもりで、実は言い得ていなかった」ことを証明することも哲学の仕事の一つでしょう。

 

 ウィトゲンシュタインのこの分類に従い、語り得る文と語り得ない文について少し考えてみたいと思います。

 「山は山ではない。ゆえに山と名付ける」……鈴木大拙は大乗仏教の『金剛経』などに現れる空の哲学をそう要約し、それに「即非の論理」という名を与えましたが、ウィトゲンシュタインの目からすれば「山」という言葉の誤用であり、ナンセンスでしかないでしょう。この命題を例えば次のような形で説明すれば、ウィトゲンシュタインは許してくれたのではないでしょうか?

 

 「あらゆる物事は縁起によって、関係性の中でしか成り立たないから、私たちの目に山として映っているあのものは、山としての本質がなく、実は「山である」とは言えない。しかし、私たちを含む全ての事柄がそうである以上、一応の方便として「山」や「川」、「私」や「あなた」という言葉を使うしか仕方がない」

 

 いや、しかし、若きウィトゲンシュタインはそういう「一応の方便」を何よりも嫌っていた気がします。「そもそも言い表せることは明晰に言い表せる」と言っている以上、「山は何なのか」がはっきり言えていなければならないはずです。それが言えないならば、山については沈黙せざるを得ない、と。

 

 では、禅が問題にしている「本来の自己」「無我の我」「無位の真人」などはどうでしょうか。世界に誕生し、命名され、今かくかくしかじかの生活を送っている「この人」ではなく、そもそも「私はなぜその他大勢の誰かではなく、なぜよりにもよってこの人なのか」と疑問に思った時、私はまるで世界を外側から眺めようとしているかのようですが、その時の私は何なのか? 「父や母がまだこの世に生まれる前、お前はなんだったのか(父母未生以前本来面目)」という公案がありますが、このような問いかけに『論理哲学論考』を書いた頃のウィトゲンシュタインの哲学で答えうるのでしょうか。おそらく、答えられないと思います。答えられないどころか、ウィトゲンシュタインのロジックに従えば、この公案は問うことすらできないはずです。

 

 「私はネルケ無方である」「私は私である」「私は私ではない」……この3つの文の中、ウィトゲンシュタインは最初の「私はネルケ無方である」だけを許すのではないでしょうか。この文を書いている著者がネルケ無方である、と。「私は私である」というのは、単に当たり前のことでしかありません。論理学では「AはAである」というようなそうでしかあり得ないことをトートロジーと言いますが、ウィトゲンシュタインはそれらについても「語り得ない」と言っています。なぜなら、論理の命題は直接に「示される」のであって、語ることによって表現し得ないのです。

 「私は私である」ということを言い表すためには、まるで私が私ではなかった可能性もあったかのように語り、トートロジーでなくする必要があります。しかし、私が私ではない可能性はそもそもなく、それは私が私であるということによってのみ示されていて、決して「私が私である」と言う、、ことによって語り得ることではないのだ、というのがウィトゲンシュタインの論理です。ですから、「私はなぜ私なのか」といった疑問も、彼からすればそもそも語り得ないし、語ってしまえば単なるナンセンスに過ぎないでしょう。

 

世界のどこにもいない私

それでもなお、ウィトゲンシュタインはまさにその言葉の壁を突き破ろうとしているところがあるのです。例えば「5.6 私の言語の限界、、、、、、、が私の世界の限界を意味する。」(114頁)や「5.63 私は私の世界である。(ミクロコスモス)」)(116頁)で言われている「私」は決して世界内で存在している「この人」ではなく、むしろ世界のどこにも存在しない永井哲学で言えば「世界開闢」を指しているのではないでしょうか。世界の限界としての、あるいは世界が現れるその場そのものとしての私……しかし、言語の限界が世界の限界であるため、世界のどこにも存在しないこの私に言語は決して届き得ないというジレンマがあります。

 その理由について、ウィトゲンシュタインは「序」で考察しています。

 

「思考に限界を引くにはわれわれはその限界の両側を思考できねばならない。(中略)したがって限界は言語においてのみ引かれうる。そして限界の向こう側は、ただナンセンスなのである」(9-10頁)

 

 つまり、「私はなぜ私なのか」と問うためにも、「私は私の世界である」と主張するためにも、思考不可能な領域に立ち入る必要があるのです。しかし、それを指摘することすら、本来思考不可能ではないでしょうか? だって、思考不可能な領域は、それこそ思考不可能なはずです。

 

 さて、ウィトゲンシュタインは論理哲学だけではなく、道徳にも高い関心があったようですが、彼は道徳について(ほとんど)何も語らなかったのはなぜでしょうか? その理由は簡単で、ウィトゲンシュタインは道徳についても「語り得ない」と考えていたからです。つまり、「悪いことをしてはいけない、善いことをすべきだ」と言う人がいれば、その言葉では何も伝達されえないのです。しかしウィトゲンシュタイン自身はその一生涯、自分なりに「善い生き方」を模索し続けていたようですし、「善い生き方」を実践し得ていない自分に苦しんでいたようです。ですから、ウィトゲンシュタインは「悪いことをしないこと」や「善いことをすること」を決して無意味だと思っていなかったようです。そうではなく、それを語ることを無意味と思っていたようです。つまり、善いことは善いことをすることのみによって直接に示され、悪いことをしてはいけないことは悪いことをしないことによってのみ直接に示すことができ、「悪いことをしてはいけない、善いことをすべきだ」を言葉で言うことによってはそれができない。

 道徳を語らないという意味では、ウィトゲンシュタインは非常に潔癖だったと言えますが、論理についてはどうでしょうか。「序」でも引用されている、『論理哲学論考』の有名な最後の一文を例に考えましょう。

 

「7 語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」(149頁)

 

 『論考』の他の命題と同じように、この最後の文も非常に論理的です。語り得ないことについて、沈黙せねばならないこと……日本語訳の細かい点をここで問題にする必要はないかもしれませんが、ドイツ語の原文“...darüber muss man schweigen” は様々な解釈を許します。“muss”には「…しなくてはならない・…すべき」と「それしかない・必ずそうである」という二つの意味があるから、次のようなドイツ語訳はいずれも可能です。

―沈黙すべきである

―沈黙せねばならない

―沈黙せざるを得ない

―沈黙する他ない

―必ず沈黙する

 

野矢茂樹訳の『論理哲学論考』では、読者はややもすると「沈黙しなければダメだ」という道徳の命題として受け止めるかもしれません。しかし道徳は語りえず、行動で示さなければならないのと同じ理由から、「沈黙せざるを得ない」という一文も実は語りえず、沈黙によって直接に示すべきだったのでは?

 ……と、つい私も「べきだったのでは?」と書いてしまったのですが、ここで「べきだ」「しなければならない」といった道徳を持ち込むのはまずいかもしれません。だからこそなのか、木村洋平の新訳では、この文が「語りえないことについて人は沈黙する。」と訳されています。「せねばならない」と「する」とでは、かなり大きな隔たりを感じます。木村訳に従えば、「語り得ないことについては語り得ない(だから沈黙するしかない)」という単純明快なことよりも「どんなにしつこくそのことについて語っても、結局は何も語っていない(つまり沈黙してしまう)ことになる」というニュアンスを感じます。そしてウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』でしようとしたこともまた、まさにそれだったかもしれません。沈黙すべきことについて沈黙し得ず、語り得なかったことをあえて語ってしまうことによって「ナンセンス」として示したのではないでしょうか。

 

沈黙し得なかったウィトゲンシュタイン

 ウィトゲンシュタイン自身は「序」で示した「本の全意義」(つまり「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない」)をまさにその本の一つひとつの文によって木端微塵にしているのではないでしょうか。

 

 もちろん、ウィトゲンシュタイン自身がその矛盾に気づかないはずはありません。『論考』の終わりの方で、こう書いています。

 

「6.54 私を理解する人は、私の命題を通り抜け――その上に立ち――それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行なう。(いわば、梯子(はしご)をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)

私の諸命題を葬りさること。そのとき世界を正しく見るだろう。」(149頁)

 

 ウィトゲンシュタインはここでは、『論考』をくぐり抜け、やがてその無意味さに気づいた人だけが、その『論考』を理解したことになる、と言っています。つまりウィトゲンシュタインが『論考』を書いた意味は、読者にその無意味さを悟らせることにあった、と。仏教徒がこの「梯子」の話を読むと、まず仏教でよく使われている「彼岸に渡るためのイカダ」という比喩を思い出すでしょう。どういうことかと言いますと、迷える者は普段「此岸」という世界で生きていますが、仏教の狙いは生きとし生けるものをそこから「彼岸」という悟りの世界へ導くことです。そのために使われるのが経典に書かれている様々な仏の教えや修行方法です。しかしいったん悟ってしまった者にとってもはやなんの役にもたたないので、それらはあくまでも彼岸に渡るためのイカダ、つまり「方便」に過ぎないというのです。仏教で「方便」と言うと、「真実そのものではないが、真実を悟るために役立つ手段」という意味があります。

 「嘘も方便」と言われるように、それが聞く者の救いに繋がれば少々の方便も許されようというのが大乗仏教です。何にせよ、それは一切衆生の済度を目的とした世界宗教だからです。

 しかしウィトゲンシュタインは、お坊さんがお説教で行うような「不正」を何よりも嫌っていたはずです。「そもそも言い表せることは明晰に言い表せる。そして語りえないことについては沈黙せざるを得ない」という自らの標語に従うならば、そもそも登りきった後に捨てなければならない梯子なんてものを持ち出していいのでしょうか? ニーチェやハイデッガーのような、気分で物書きをしている哲学者ならともかく、20世紀の分析哲学の父とも言えるウィトゲンシュタインがそんな禁じ手を使えるはずがないと私は思うのです。

 

 それ以外にも引っかかるものは山ほどあります。なぜか、6.54には「投げ棄てねばならない」という表現が出てきますが、この場合は原文の“muss”を「(投げ棄て)ざるを得ない」や「必ず(投げ棄てる)」というふうに、道徳命題の匂いがしないように訳し直すのは無理があります。ここだけは、ウィトゲンシュタインはなぜか読者に直接呼びかけるような形で、理解を促しています。「頼むから、この自己矛盾を見抜いてくれよ。本当は沈黙したいのに、お前のことを考えて語り得ないことを語らざるを得ないのだ」、私の耳にはそう叫んでいるようにも聞こえます。

 ところが、「序」の最初にはこう書かれています。

 

「おそらく本書は、ここに表されている思想――ないしそれに類似した思想――をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるだろう。――それゆえこれは教科書ではない。――理解してくれたひとりの読者を喜ばしえたならば、目的は果たされたことになる。」(9頁)

 

 それはつまり、『論考』は理解しようと思えば理解できるものではないということでしょう。そうではなく、最初から『論考』を理解している(少なくともこれに似た考えを、すでに自ら考えたことのある)人でなければ、『論考』を読んでも意味がないというわけです。しかし、最初から理解した人であれば、あえて『論考』を読んでも「無意味なことしか書いていないな」という感想しか持たないはずですから、どんな人がこの『論考』を読んでも、書かれていることが無意味であること、そしてその無意味なことを読むこともやはり無意味であることには変わりないでしょう。

 ウィトゲンシュタイン自身はこの『論考』で何も語っていないことを最初から自覚しているのです。では、彼はなぜこの本を書いたのか? それは思考不可能な領域について思考せずにはいられず、語り得ないことについて沈黙し得ない者同士のいわば遊戯ではないでしょうか。そのことに意味がないと言われれば意味がないのですが、それでもなお、あるいはだからこそ、そういう遊びをするのが仏教でいう「遊戯三昧」です。坐禅修行も、釈迦の説法も、観自在菩薩の救済活動も然り。

 若きウィトゲンシュタインの状況は「全ての仕事をなし終えた」と自負していた釈尊がいったん説法を躊躇った挙句、やはり説法に踏み切ってしまったことに似てはいないでしょうか。

 

 あれだけ、語り得るものと語り得ないことの限界を厳密に引いていながら、本来なら沈黙せざるを得ないことについてどうしても語らずにはいられなかった若きウィトゲンシュタインのジレンマ……晩年のウィトゲンシュタインはむしろ「言語ゲーム」という概念を使うことによって、語り得るものと語り得ないことの限界をほぼ無効にしています。ところが、晩年の彼こそ「なぜか(世界内のこの人としての)私である(いわば世界そのものというもう一人の)私」について、不思議なくらい沈黙を守っています。後期ウィトゲンシュタインこそ完成度が高いと評価する哲学者が多くいる一方、若いウィトゲンシュタインにこそ共感し、晩年の彼に裏切られたと感じる者もいるでしょう。「語り得ないことについて本当に沈黙してしまえば、哲学というゲームまでつまらなくなってしまう!」、と。

 

方便を嫌った道元

 さて、大乗仏教は方便の宗教と言えますが、その方便という考え方に否定的だったのが、道元です。道元にとって、坐禅、読経やその他の修行生活のあらゆる場面は決して「彼岸に渡るためのイカダ」ではないのです。修行は悟るための手段ではなく、そのなんのためでもない、ただする行為こそ悟りの表現なのです。悟るためにはハシゴを登らなければならないが、「登りきった(悟りきった)者は、ハシゴを投げ捨てなければならない」という考え方にも、道元は真っ向から反対するでしょう。そのハシゴ(=日常生活としての修行)をただただ登り続けるその行為の他に、どこに悟りなどがあろうか? と道元は聞くかもしれません。

 道元が31歳という若さで書いた『弁道話』の中には

 

「はなてばてにみてり……かたればくちにみつ」

 

 という表現があります。ずっと探し求めていたあの悟りを手放したら、それが自分の手のひらの上に乗っていたとハッと気づく(「あるいは、自分がその悟りの手のひらの上にのっていたのか?」)。語り得るはずもないそのものについて語ろうとすると、それが言葉として次々と口から溢れ出ている……というふうに、私はこの文章を読んでいます。どうやら、若い道元はウィトゲンシュタイン(や道元以外の多くの禅僧)のように、語ることについての後ろめたさを全く感じていなかったようです。

 43歳の時に、道元には転換期が訪れます。新しい叢林を作るために、道元は都を離れ、自分の活動拠点を移します。それまでの道元は在家・出家を分けることなく、幅広く法を説いてきたのですが、彼の関心は具体的な修行生活に移り、話し相手も修行者ばかりになっていきます。その頃、道元が書き始めたのが『正法眼蔵』の「行持」という、彼の主著の中でも一番長い巻です。それはこの一行から始まっています。

 

「佛祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず、発心・修行・菩提・涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり」

 

 「行持」とは始めもなく、終わりもない修行のことです。凡夫がある日に志を立てて、悟りを目的とした修行生活に入る。そして一生懸命に修行した挙句、やがてその悟りを獲得する。いったん悟ってしまえば、もはや修行をする必要はない……これが自力の修行の一般的なイメージではないでしょうか? いうまでもなく、道元の修行論はこれとだいぶ違います。最初から仏であったからこそ、仏を求め、仏の実践である修行ができる。発心して修行をするのも、これから菩提を得て涅槃に入るためではなく、むしろ菩提すなわち仏の気づきによっていわば背中を押されながら行われている。そうであればこそ、仏について語ることも、何も仏について、、、の語りにとどまらず、そのまま仏語りでもあるのです。悟りという空に浮かぶ月を指すために、仕方なく指を使うのなら方便ですが、道元が『正法眼蔵』で持ち上げているその指自体が「月」なのです。

 

 それはともかく、ウィトゲンシュタインは「遊戯」ともナンセンスの羅列とも言える『論考』を遺稿焼却し(でき?)なかった。語り得ないことについて語ってしまい、またその言い訳として「ハシゴ」という中途半端な比喩を持ち出してしまった。その罪を贖うためか、『論考』を出版した後には何年間も哲学の仕事を一切せず、修道院の庭師のお手伝いをしたり、小学校で教鞭を取ったりしました。今更感は半端ないですが、ウィトゲンシュタインは「沈黙せざるを得ない」ことを言葉ではなく、行動で表そうとしたのではないでしょうか。しかし、それもそれほど長続きはしませんでした。やがてはケンブリッジ大学に戻り、中期の転換期を経て後期の言語哲学を打ち出すことに至っています。

 

 人生もゲームなら、お坊さんの説法も哲学者の考察もゲームだったはずです。あるいは、「それは決してゲームとは言えないよ」という人もいるでしょう。しかし、私からすれば、それがゲームであるかどうかということよりも、そのゲームをいかに楽しめるかがポイントです。ウィトゲシュタインは自分のゲームを楽しめたのだろうか? ブッダはどうか? 道元は? 少なくとも私自身は、仏教・哲学・そして人生というこのゲームをなかなかやめられず、今日も遊ばずにいられない。このことだけははっきりしています。

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著者略歴

  1. ネルケ無方

    禅僧。1968年ドイツ生まれ。高校時代に坐禅と出会い、来日して仏道を志す。1993年、兵庫県の安泰寺(曹洞宗)にて出家得度。京都の名刹や大阪城公園でのホームレス修行生活などを経て、2002年から2020年まで同寺の住職をつとめる。現在、大阪を拠点に講演活動や坐禅指導を行っている。共著に『哲学する仏教』(サンガ、2019年)。

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