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人生というクソゲーを変えるための仏教 ネルケ無方

父を殺し、母を殺す仏教

主人公であったはずの私がなぜ、どうでもいいと言われなければ!?

 私が仏教に惹かれた理由の一つは、神の不在です。仏教の出発点はこの私の生と死の問題。それを解決するためには、神などを信じる必要はない。自分が修行をすればいいだけです。

 私は6歳になるまで、牧師だった祖父の家の中で育ったのです。クリスマスの時に、叔父が白い髭をつけサンタクロースを演じることもありましたが、ある年には堪忍袋の緒が切れたのか、祖父が「クリスマスにはイエスの誕生を祝うのだ。サンタクロースごときが出る幕ではないぞ」と怒ったこともありました。厳格なプロテスタント信者はイエスキリストに並ぶどんな聖者も認めない。聖母マリアすら認めない。

 しかし、サンタさんがいないことに気づいた時から、私は神の存在を信じることもできなくなってしまいました。

 

 私が22歳の時に安泰寺に上山した際、仏や菩薩の他に神々が複数いることに驚きました。日本の他のお寺のように、山門に厳しい顔つきの金剛力士像や、赤いよだれかけをかけた六地蔵こそありませんが、玄関には韋駄天(いだてん)さんという守神、東司(禅寺のお手洗い)には烏枢沙摩(うすさま)明王という「トイレの神様」、浴司(浴場)には跋陀婆羅(ばっだばら)菩薩、そして坐禅堂には文殊(もんじゅ)という智慧の菩薩が祀られていました。修行僧たちのお部屋には、壁に観音さんの絵を飾っている人もいました。そしてお寺の本堂には、得体の知れない本尊さんが居座り、私たちはその前で毎朝参拝をしていたのです。

 仏・菩薩・守護神があまりにも多いため、私が住職に尋ねたのです。

 「安泰寺の仏は何ブツですか?」

 「そのように質問しているお前自身がまず成仏しない限り、仏はどこにもいないぞ」

 その禅僧らしい答えに私がびっくりしたのはいうまでもありません。そういえば、数日前に住職に一喝されたばかりでした。お茶の席で「仏教を学びにきました」と住職に挨拶すると、「このアホ! ここは学校ではない、安泰寺をお前がつくるのだ」と言われていたのです。その住職の発言を今振り返ってみると、「主人公はお前だ」といった人生訓だったと思います。それまで大学で禅について学んだり、「道元における自己と時間」という格好つけた論文を書いたりした私は、仏教に第三者として関わっていたにすぎません。安泰寺の住職に問われたのは、誰にも代行できない私自身の修行でした。いわば一人称の仏教。

 

 ところが、この住職に弟子入りしてからは、まずは数週間お寺の台所で料理の見習いをさせられました。そしていよいよ典座(てんぞ)(料理当番)デビューしました。その日の昼ごはんにスパゲティのつもりで作っていたうどんは先輩たちのお口に合わなかったようでした。

 「硬すぎて、食えたもんじゃないよ!」

 失敗は成功の元と言うではありませんか。次の日には乾麺を30分もゆがきました。しかし、私の創作した「うどんがゆ」は前日の「うどんアルデンテ」よりも不評でした。

 「犬の餌ではあるまい!」

 毎日、台所の失敗で怒られた私はある日、つい本音を言ってしまったのです。

 「私は何も料理の勉強をしに日本に来たんじゃない。禅の修行をしにきたのです」

 それをたまたま横で聞いていた師匠の怒鳴り声を、私は今も鮮明に覚えています。

 「お前なんか、どうでもいい!」

 禅寺では1日の24時間が修行なので、そう怒られるのは当たり前と言えば当たり前です。しかし私は内心で、師匠の指導に矛盾があると感じていたのです。最初には「お前が安泰寺を作るのだ」「お前が成仏しない限り、仏をどこで探しても見つからないだろう」と言っていたのに、なぜ今さら「お前なんかどうでもいい」と言われなければならないのだろう? この私が安泰寺を作る主人公なら、私がどうでもいいはずがないのではないか?

 師匠のこの「矛盾した指導」は私にとって、最初で最大の公案となったのです。仏道修行の出発点は、この私の他にありません。釈尊の実物見本を生かすのも殺すのも、私の日々の修行です。今ここの実践に、仏教の到達点をみなければなりません。しかし、私が安泰寺を作るのだからと言って、安泰寺というステージの上で私が主役を演じているわけではない。修行とはむしろ「縁の下の力持ち」、ステージを下方から作っているのではないでしょうか?

 

神の啓示と覚者の解脱

 さて、キリスト教と仏教の決定的な違いはなんでしょう?

 ある人は、こう答えるかもしれない。

 「神抜きに語り得ないのがキリスト教という宗教だ。世界を創造し、人類を創造した神は啓示を通して自分の存在を顕にした。その神との契約を破った人類を救うために、イエスとしてこの世に受肉し、自らの十字架を背負った神。心を尽くしてその神を愛し、隣人を自分と同じように愛する。それがキリスト教だ。

 生老病死の苦しみを自覚し、自らの解脱を目指すのが仏教だ。解脱者であるブッダは神ではない。だから、仏教とは歴史上のブッダを拠り所としない。自分自身の修行と、その修行の果てに目覚めるべき真実(法)と、それを可能にしている修行仲間(サンガ)またはそのルール(戒律)だけを拠り所とする。

 キリスト教は神の愛を説き、仏教は自覚と自律を説く。一方の物語は最後の審判と神の国の到来で終わり、一方は輪廻転生からの解脱で終わる。両者の間には、架橋できないほどの溝がある」

 

 確かに、神の啓示から始まるアプローチと自らの悟りを目指すアプローチは全く違います。

 キリスト教の聖書に出てくる創造主である神は世界を創造しただけでなく、自らイエスとして受肉し世界内に現れます。契約を破った人類に代わって、十字架を背負うためです。神学者によれば、その神は「父」と「子」、そして両者と世界を結ぶ「聖霊」という三位一体の人格があります。

 初期仏教には、そんな摩訶不思議な話は全く出てきません。ブッダが私たちのために生まれてきたわけでもなければ、私たちに代わって修行したわけでもありません。80歳の時に一生を終えたというのも、たまたま腐っていた食事を食べてしまったからだという理由にすぎません。別に、誰かの罪を贖うためではありません。彼は私たちの父でもなければ、子でも聖霊でもないのです。

 仏教はインドの八百万の神々を否定こそしないが、崇拝もしない。ゲームから降りることは、神々の支配から自由になることをも意味します。そもそも仏教でいう神々は、所詮はゲーム内の存在にすぎないのです。

 

釈尊は救世主ではなかった

 しかし、それが言えるのもブッダが法を説いてから500年ほど経つまでではないでしょうか。その後に誕生した大乗仏教は、見間違えるほどキリスト教と酷似している側面を持っています。初期仏教の釈尊は、私たちと同じように、悩める人間の1人として出発しました。何度も何度も菩薩として生まれかわり死にかわり、36歳のころにようやく真実に目覚め、涅槃を得て、本来なら、そのままこの世を去るはずだった彼は梵天に止められました。もちろん、最高神とされている梵天もブッダに命令を下すような権威など持つはずがありません。彼が釈尊に転法輪(説法活動)をお願いした時、跪いていたことになっています。

 その願いを釈尊は渋々と、それとも慈悲の余り聞き入れたのでしょうか? パーリ経典で描かれている釈尊はそもそも、生きとし生けるものの救いのために出家したわけではありませんでした。彼は自分一人の生老病死に苦しみ、家族を捨て国を捨てた求道者として描かれています。悟った後、一旦躊躇っていた布教活動に踏み切るのですが、それもせいぜい40年余りです。

 何せよ、ブッダはあらゆる執着から解放された存在なので、「1人でも多くの人を救いたい」という思いに燃えるのも、逆に「そんな面倒な」と感じるのも解脱者に相応しくない。あくまでも言われるがままに、いわば無為自然に布教活動という新たなゲームは始まったわけです。悟る以前のゲームと悟った後のゲームの違いは、一言で言えば「有為(何かのために)」と「無為(何のためでもない)」の違いでしょう。悟った後の釈尊は何らかのゴールを達成するためではなく、いわば「遊び」だけでゲームの世界に戻ったのではないでしょうか。そして80歳の時に食中毒で亡くなった後、再びこの世(=ゲームの世界)には戻ることがなかったのです。

 つまり、入滅した後の釈尊に何らかのお願いをしても、馬耳東風です。彼は私たちを助けてくれません。なぜならば、釈尊はゲームを完全に終えているからです。つまり、今はどこにもいないのです。

 「しかし……」と言う人はいるかもしれません。「そのまま入滅していてもよかったはずのブッダは、なぜかそのまま入滅しなかったらしい。彼がもし「遊び」で涅槃を40年余りも先延ばししたなら、死後の般涅槃(はつねはん)も同じように「遊び」でさらに後回しにして、菩薩として再びこの世界に戻って来てもよいのでは?」

 この問いに対する仏教の正当な答えは、おそらく「ノー」でしょう。解脱者であるブッダは輪廻転生の対象ではないからです。菩薩は生まれ変わっても、ブッダだけは生まれ変わってこないのです。しかし、ブッダと菩薩の境界線は、大乗仏教の教えによって「あってないようなもの」ほどに透明化されてしまいました。 

 

大乗仏教のキリスト教化

 ギリシャ文明とインド文明の出会いによってか、パーリ経典の物語は大乗仏教の誕生とともにガラッと変容してしまいました。その代表的な例が、法華経の教えです。このお経には、釈尊が80歳で亡くなったのがなんと嘘だったと書いてあります! 

 その理由は、法華経では次の比喩で説明されています。ある父には、病気の子供たちがいた。彼は医師だったため、懸命に彼らの看病にあったが、ある日、用事ができて家を留守にしなければならなかった。その時、「これを飲むように」と子供たちに薬を渡して出かけた。ところが、子供たちは父の帰りを待つばかりで、自分たちでその薬を飲もうとしない。それを知った父はお使いを通して、彼らに「お父さんは死んだ」というメッセージを届けた。それを聞いた子供たちは大いに悲しんだが、初めて自分たちで薬を飲まなければならない必要を悟った。

 この比喩に出てくる医師はいうまでもなく釈尊のことで、子供たちは彼の弟子たちのことです。釈尊がこの世にいた頃、弟子たちはどうして師匠に甘えて、自分たちで本気で実践しようと思っていなかったため、釈尊はいわば一芝居を打って死んで見せたというのが法華経の主張です。法華経の中の如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)によれば、ブッダの正体は「久遠仏(くおんぶつ)」、つまり永遠の仏だというのです。彼は入滅などしておらず、いまだにこの世に存在し続けているのだそうです。では、ブッダはいまどこにいるのでしょうか? 霊鷲山(りょうじゅせん)を拠点に、この世で生きとし生けるもののために説法をし、私たちの目に見えない形であらゆるところで大いに働いています。如来寿量品の偈は次の力強い言葉で結ばれています。

  「毎自作是念、如何令衆生、得入無上道、速成就仏身」(私はいつもこう思う、「どうすれば生きとし生けるものを、仏道に導き、一刻でも早く仏身を得てもらえるか」)

 解脱したはずのブッダは、まさにこの瞬間にも菩薩のような思いに燃えているのだそうです。

 

マラソンからチームプレイへ、チームプレイからゲーム観戦へ

 大乗仏教が誕生するまでの仏道修行はまるでマラソンのような種目でした。自らが修行に励み、自らが涅槃を得るという個人プレイ。大乗仏教はその個人プレイを否定し、一切衆生を一つの大きなチームと見なしました。生きとし生けるものが救われなければ、個人の救いはあり得ないというわけです。

 同じゲームとはいえ、大乗仏教の救済ゲームは解脱マラソンより壮大なスケールを持っています。自分だけでゲームを降りるのではなく、みんなで一斉に脱出しよう、というのが大乗仏教の新しいゲームのモットーです。そして時には、一切衆生というチーム全体のために、自分を犠牲にするのが菩薩の精神です。

 

 大乗仏教特有の連帯感からは、「生死即涅槃(しょうじそくねはん)」という全く新しい発想も生まれました。それまではゲーム内の世界が「生死」すなわちサンサーラ(苦しみのある世界)、ゲームが終了した後がニルヴァーナ(苦しみが消滅した状態)と見なされていたのです。ところが、大乗仏教では「まず自分一人が救われなければ」という思いこそ、このゲームを苦しくしているのだと喝破しました。その思いに駆られてどこまでも修行しても、苦しみの世界から出ることはない。むしろ「私なんか一番最後に救われてもよい」と思ったその瞬間から、今まで苦しいだけだったゲームが面白くなるのだ。それまでの個人プレイが、勝ち負けに囚われない無邪気な子供の遊びに変わる。敵に勝つRPGから、この世で観音さんと共に遊んでみるゲームへとシフトする……。人生というクソゲーを一刻でも早く終わらせるのではなく、勝ち負けを忘れることによってそのゲームを楽しくする。「生死即涅槃」という言葉には、そういう意味があったと思います。

 

 法華経の中の釈尊の背景に、キリスト教と同じ三位一体の構造が見出せる気がします。超越者のような久遠仏が生きとし生けるものを心配するあまり、2500年前にインドの王子として受肉し、発心・修行・菩提・涅槃の実物見本を私たちのために示してくれた。そして再び入滅したかに見えた仏は実は、今もこの世の中で働き続けている。父と子と聖霊の三角関係にそっくりではありませんか? 

 仏教には法身(ほっしん)・報身(ほうじん)・応身(おうじん)という三身説があります。簡単に説明すると、法身とはこの世を超えた真実、あるいは空なる存在そのものです。法身には名前も形もない。応身は2500年前に生きていた歴史上のブッダのことです。彼にはゴータマ・シッダールタという名前があり、釈迦族の一員、男性、インド人、80年の寿命といった属性がありました。キリスト教の救世主イエスとは正反対に見える属性ではありますが、仏教の法身は父に、応身は子に綺麗に対応しているように見えます。

 そして仏教の報身はキリスト教の聖霊に対応していると私は思うのですが、この場合は状況がもう少し複雑です。

 キリスト教は一神教ですから、神はひとりしかいませんが、大乗仏教の特徴のひとつは、それぞれの宗派がそれぞれの経典を拠り所とし、釈迦如来の他に様々な如来を「発明した」ことです。大日如来や薬師如来、阿閦(あしゅく)如来や阿弥陀如来の物語が次々と編み出されてきました。宇宙の根源と同一視されている大日如来は、旧約聖書の創造主に近い気がします。一方の薬師如来、阿閦如来や阿弥陀如来の役割は、自らの力で救われない人々を助けることです。キリスト教には天国が一つしかありませんが、大乗仏教には仏国土も複数存在します。

 如来たちの救済活動を助けるためには、さらに膨大な数の菩薩たちが現れます。観音さん、地蔵さん、普賢さん、文殊さん、弥勒さんといった、やさしい顔を持ったり、怖い顔を持ったりする菩薩チームが発足しました。いうまでもなく、これらの仏菩薩は全て架空の人物です。

 仏や菩薩のインフレが起きた理由の一つは、菩薩の実物見本として釈尊の背中だけではあまりにも頼りなかったからではないでしょうか。パーリ経典で伝わっていた本来の物語では、釈尊はたまたま遊び心でこの世に残っていたにすぎません。しかし、新しく「発明」された仏や菩薩たちはその遊びを本業としています。

 例えば、阿弥陀如来の物語によれば、その昔は法蔵菩薩という若い王子が苦しみに気づき、宮殿を飛び出して出家生活に入ったとあります。ここまでは釈尊の物語のコピペですが、法蔵菩薩は「自分一人では仏界に入らない」という志を立てたそうです。「自分の力で修行ができず、自ら仏になれないような者でも、十回だけ念仏をすれば必ず救ってあげる」という誓願に基づいて、成仏して阿弥陀如来になったのだそうです。そのほかにも、一時期東アジアで人気が高かったのが阿閦如来です。阿弥陀さんは西側に対して、阿閦さんは東側に仏国土を持っているのだそうですが、そこに往生するための条件はそれほど簡単ではないため、いつの間にか「阿弥陀さんの西方浄土はコスパがいい」となってしまったようです。

 法華経では釈尊自身が救世主の位置につきますが、このお経では観音さんにわざわざ観世音菩薩普門品という一章を割いて、その大いなる遊び(「遊於娑婆世界」)を様々な具体例で示しています。底の知れない深淵に落ちた時に観音さんを念じれば、まるで太陽のように自ら浮かぶようになるとか……これらの菩薩たちはカトリック神学の天使に近い存在かも知れません。神ひとりでは間に合わないため、現実的な救済を天使たちにアウトソーシングしたように、大乗仏教の如来の傍にも有能な菩薩たちが力を発揮しています。

 

仏教の主体を取り戻す

 「解脱マラソン」が「菩薩チームプレイ」にシフトしたことによって、仏教の中身はどう変わったのでしょうか。「初期仏教の実践者たちは自分たちの解脱しか考えていなくて、生きとし生けるものの救いは眼中にない」というのが、当初の大乗仏教の批判でしたが、彼ら大乗仏教徒の方には果たして無心で救済活動に遊んでいる者がいたのでしょうか。いや、それがいなかったからこそ、観音さんをはじめ様々な架空の菩薩の物語が必要とされてきたと思われます。大乗仏教の菩薩の理念があまりにも素晴らしすぎたためか、サンガはいつの間にか自ら実践する人たちではなくなりました。それどころか、おそらく初期仏教以上に人々を救う力を失ってしまったのではないでしょうか。

 それぞれの宗派はそれぞれの経典を拠り所とし、それぞれ仏・菩薩に祈祷するだけの信者集団に変わってしまったのです。阿弥陀チームの応援団、釈迦チームの応援団、大日チームの応援団……自らチームの一員としてゲームに参加する人は一人もいません。いつの間にかピッチには誰も立たず、全員がベンチから架空の菩薩たちにエールを送るようになりました。大乗仏教の実践はチームプレイから、バーチャルな観戦ゲームへシフトしました。

 この致命的な欠点を問題視したのが、唐代の中国で誕生した禅です。それは当時の仏教界に対する反動から始まったようです。他のお坊さんは経典を棒読みし、同じ文言を他人事のようにオウム返ししていました。後ほどダルマさんの言葉とされた

 「不立文字 教外別伝」(禅は文字を拠り所とせず、経典を通さずに仏法を伝えている)

 「直指人心 見性成仏」(各自の心に目覚め、仏であったことを自覚する)

はそれに対する反骨精神を表しています。臨済録の中で伝わっている次の言葉は、さらに一歩踏み込んでいます。

 「逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母。」

 仏に会えば仏を殺し、祖師に会えば祖師を殺せ。阿羅漢を殺し、自分の父母まで殺せというのです。これらを仏教では五逆罪という、懺悔して絶対に許されない行為だとしています。五逆罪を犯したものは成仏できないどころか、阿弥陀さんすら救ってくれないことになっています。臨済はもちろん、殺生を勧めているわけではありません。殺佛、殺祖……とは「主人公を取り戻せ!」という意味です。その主人公を臨済は「無位の真人」とも言っています。その真人とは、比較できない、名前も性別も国籍もない、ゲームが始まる前からそこにあった存在ではないでしょうか。

 パーリ経典によれば、釈尊は生まれた直後に七歩歩き出しました。片手では天を、もう片手では地を指して、有名な「天上天下、唯我独尊」と発言したそうです。禅ではこの摩訶不思議な話を実践者本人に引き戻し、自分自身のありようを自覚させようとしています。

 「この世界のどこにも類を知らない、唯一無二の存在とは何か?」

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著者略歴

  1. ネルケ無方

    禅僧。1968年ドイツ生まれ。高校時代に坐禅と出会い、来日して仏道を志す。1993年、兵庫県の安泰寺(曹洞宗)にて出家得度。京都の名刹や大阪城公園でのホームレス修行生活などを経て、2002年から2020年まで同寺の住職をつとめる。現在、大阪を拠点に講演活動や坐禅指導を行っている。共著に『哲学する仏教』(サンガ、2019年)。

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