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人生というクソゲーを変えるための仏教 ネルケ無方

坐禅 or 菩提心?――道元のジレンマ

 人生がこのまま続けば、死ぬまでポイント稼ぎ根性の奴隷として彷徨い続けるだろう。そう気づいた私が、ゲームを降りたつもりで今ここに坐ったとする。それがまさに、道元の言う「悟りも求めない坐禅」すなわち只管打坐ではないでしょうか? しかし、修行道場は単なる逃げ場ではありません。坐禅はゲームからの一服でも、それ以外の生活の全ても仏道の実践でなければなりません。ゲームを一旦降りた後には、どうするか。道元はまさにこの問題に着目したようです。

 

大人になった道元 

 1227年に帰国した道元はしばらくしてから伏見で興聖寺という修行道場を開き、自分の布教活動の拠点とします。前回引用した「現成公案」や「弁道話」の他に、今でも哲学好きな日本人に注目されている『正法眼蔵』の「仏性」や「有時」の巻などはこの時期に書かれています。古典をあえて誤読したり、型破りな解釈を加えたりしている初期の道元は、とにかくオリジナリティーに富んでいます。ただでさえ難解な禅問答をいつまでも捏ね回すそのさまは、昔から読み手によっては単なる言葉遊びに過ぎないと評価されることもあったでしょう。

 ところが、道元は1243年に既成仏教の弾圧に負けたためか、都を離れ越前の山奥で永平寺を建てます。その頃から、作風がガラッと変わってしまいます。初期の道元は女性の仏道への参加を力強く勧め、在家や出家の違いよりも志の有無と見返りを求めない実践の誠実さを大事にしました。そのころの道元にとっては、死後の世界もカルマのこともどうでも良かったようです。ところが、晩年の道元は出家主義に傾き、前世や来世の業の話までしてしまいます。悪く言えば、晩年の道元は説教くさい。あの延々と続く経典からの引用のくどいこと! よく言えば、道元は従来の仏教の教えに忠実になりました。あるいは、道元は大人になったのかもしれません。

 

 私一人が坐れば、生きとし生けるものも同時に悟りの光に包まれているというのが道元が「弁道話」を書いた頃の主張でした。したがって、坐禅さえすれば救うべき衆生はもはやどこにも存在していません。連載第12回「〈私〉の気づきと《私》の築き」の終わりで言及した「我と大地有情、同時成道す」という大乗仏教のテーゼも、このように解釈できると思います。

 あるいは、このように解釈することこそ従来の仏教学でしょう。つまり、坐禅の世界において、他者も自己の風景の中に溶け込み、自他が一如となって身心脱落するのです。

 これはいつもの比喩で言えば、私が一人のプレイヤーとして参加していたポイント稼ぎゲームを降りた状態です。これは仏教でいう「勝義諦」つまり言葉で言い表せない絶対真実の世界です。

 「勝義諦」の対語として使われているのが「世俗諦」です。世俗諦では「私は私、あなたはあなた」という分別心が生まれ、私たちが生活している一般常識の世界が構築されています。

 仏教では一般に「勝義諦」を悟り、「世俗諦」を迷いの世界としますが、果たしてそうでしょうか。そもそも「勝義諦=悟り」と「世俗諦=迷い」という分別だって、立派な分別、すなわち迷いではありませんか?

 ゲームを降りた状態で「勝義諦」を得たつもりでも、裏を返せば「ゲームを降りるというメタ・ゲーム」をしているのではないでしょうか? 修証は一等だから、悟りを求めないで坐ることが悟りの表現だと言ったって、ただ単に「悟りを求めない」ふりをしているだけではありませんか?

 

 自他が一如になるという理屈で、本当の意味で他者を救ったことになるのでしょうか。いや、他者を救うどころか、他者の存在を抹消したに過ぎないのではないでしょうか。私一人が坐禅をしても、その坐禅によって救われない者が世界中にたくさんいるというのが「世俗諦=迷い」ですが、禅では絶対の真理を是とし、相対的な真理を否定したりしません。釈迦の成道の際に、生きとし生けるものが同時に成道したのは真理の半分でしかないはずです。「坐禅ばかりしないで、一人でもいいから他人にも救いの真実に気づいてほしい」という願いがもう半分です。

 だからこそ、第12回「〈私〉の気づきと《私》の築き」で紹介した解釈こそ私にとって斬新であり、これこそ大乗仏教が求めざるを得ない読み方と思った次第です。

 「我と大地有情、同時成道す」とは何も、「私と生きとし生けるものと世界全体が皆一つで悟っている」という意味ではありません(あるいは、それが従来の意味であったとしても、それは真実の半分に過ぎない)。そこから欠けているのがもう一つの半分なのです。それは「他でもなく、この私からこの世界が開闢しているように、私の世界内の登場人物にしか見えないあの人からも、この人からも、同じように世界が開闢されている」という大人の見解です。

 

菩提心の意味と変容

 帰国した頃の道元の教えの中心には、坐禅がありました。しかし、道元は初期から晩年に至るまで、菩提心(やその同義語である)道心の重要性も非常に強調しています。

 

 菩提心すなわち道心はサンスクリット語のbodhi cittaの訳語です。覚者の智慧を意味するbodhiは「菩提」として音訳されている一方、「道」としても意訳されています。そのため、両者をことさらに区別する必要はないと思われますが、菩提心と道心は意味が違うという意見もあるようです。

 つまり菩提心を般若心経でお馴染みの「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」(比較不可能な悟り)の境地とした場合、その「悟りを求める心」が道心だというのです。一方は悟り(=道)そのもの、もう一方はそこに至る方法立て(=道)を指していて、それぞれの「道」の意味がまるっきり違ってきます。では道元禅師は菩提心や道心といった言葉をどういう意味で使っていたのでしょうか?

 実は、書物によって菩提心や道心の定義がまちまちなのです。

 

 1233年、道元禅師が34歳のときに京の南に建立した興聖寺の修行僧たちのマニュアルとして著した『学道用心集』では、

 「唯だ世間の生滅無常を観ずる心も亦菩提心と名づく」

 としています。身近な者の死に際して、初めて仏門を志す人は少なくないでしょう。この時の道元禅師に言わせれば、「自分もいずれは死ぬはず……明日だって、生きている保証なんてどこにもない」と気づいたそのときにはすでに菩提心が発(お)きています。

 「名利(みょうり)の念(ねん)起らず、時光の太(はなは)だ速かなることを恐怖(くふ)す。所以に行道は頭燃(ずねん)を救ふ」

 ここでは「見栄やプライドを忘れて、まるで自分の頭が燃えているかのように、一刻も早く解脱を求めて修行に励むこと」が菩提心として位置付けられています。ゲーム・オーバーが目の前にあるのに、世間というゲームに没頭してどうする!

 

 興聖寺の雲堂の内外における心構えが書かれている1239年の『重雲堂式』にも、見栄やプライドに囚われない本物の求道者こそ興正寺に集まって欲しいという道元禅師の願いが現れています。

 「道心ありて名利をなげすてんひといるべし。いたづらに、まことなからんもの、いるべからず。あやまりていれりとも、かんがへていだすべし。」

 ここでは「道心」という言葉が使われていますが、意味合いとしては『学道用心集』の「菩提心」とほぼ同じと思われます。求道心(菩提心)がなくては、何も始まらない。志のない者が間違って入門した場合、(よく考えてから)その人を追い出すべきだ、とまで書いてあります。

 この場合の菩提心とはどちらかといえば、悟りそのものというよりもむしろ、悟りを求める気持ち(求道心)という意味合いが強いのではないでしょうか? この気持ちがなければ、何も始まらないという道元はとても厳しい。

 

 ところが、成立過程も年月も不詳の『正法眼蔵』の「道心」の巻の冒頭にはこう書いてあります。

 「仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし。道心のありやう、しれる人まれなり。あきらかにしれらん人に問ふべし。よの人は道心ありといへども、まことには道心なき人あり。まことに道心ありて、人にしられざる人あり。かくのごとく、ありなししりがたし」

 ここでもやはり、道を求めるのにまず道心がなければいけないという話から始まっていますが、ここは『学道用心集』や『重雲堂式』と違った響きがします。「道心のありやう、しれる人まれなり」や「ありなししりがたし」と言う文言から、求道心(菩提心)を修行の最低条件としているニュアンスは全く感じられません。むしろ、自分自身も他者も、そもそもその人に道心があるかどうかは判断しかねるというような書き方です。道心のない者を門から追い出すなんて、もってのほかです。

 

 1237年に書いた『典座教訓』では、道元は

 「典座は絆(ばん)を以て道心となす」

 と書いています。

 この文脈では、「絆」は典坐が台所で着物の袖を捲り上げるために使っているタスキを指しています。つまり、無常も無我も何も忘れて、典座が料理に打ち込んでいる姿こそ菩提心である、と。同じテキストの最後では、連載第13回「東洋の智慧に憧れて」で言及した「安泰寺へ残す言葉」でも使われている三心(喜心、老心、大心)が出てきます。人間としてこの世界に生まれて、仏道に出会えて、そして修行仲間たちのために食事を料理させてもらえていることを喜ぶ喜心、親のような気持ちで見返りを求めない老心、そして海のようにあらゆる川を抱擁してしまう大心こそ菩提心の内容を日常語を使いながら、より具体的に説明したものです。

 

悟りにスタートラインなければ、修行にゴールはない

 道元禅師の菩提心や道心にまつわる言説がこのように、多くの矛盾をはらんでいることは否めないことです。菩提心という言葉も、道心という言葉も、そのどちらも求道心という初歩的な意味で使うこともあれば、それこそ追及不可能な観世音菩薩の境地のような響きがすることもあります。しかし、そういう矛盾があるのはむしろ当然だと言えると思います。なぜなら、道元禅師はそもそも初歩的な志と最終的な解脱を分けていないからです。

 

 「仏祖の大道、かならず無上の行持あり。道環して断絶せず、発心・修行・菩提・涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり」

 『正法眼蔵』「行持」の冒頭にあるこの一文はまさにそのことを言い当てています。「覚者たちの大いなる悟り(大道)は今ここ、具体的な形で現れている。それは発心・修行・菩提・涅槃という一つの輪っかであり、その実践になんの隙間もない」とでも現代語に訳せるでしょう。そうすると、そこには「初心者の不完全な発心もいずれかは仏の菩提や涅槃につながるであろう」という漠然とした希望があるのではなく、むしろ「このどうしようもない私が自分のゲームの仕方にふと疑問を感じたこと(=発心)自体が、とんでもない気づき(=菩提)の現れである」という確信がここで現れているのではないでしょうか。その確信によって、道元禅師は伝統的な仏教ゲームをひっくり返しています。

 

 仏教の最終目的は解脱であったはずです。そのカラクリは伝統的には、発心・修行・菩提・涅槃という四段階で説かれることが多いのです。生きることは「苦」という気づき(発心)。その苦しみから自由になるための修行。その苦しみから解放された瞬間の菩提。やがてゲームが完全に終了したという涅槃。以下は、それを今まで使ってきた比喩でもういちど簡単に説明したいと思います。

 

 遅かれ早かれ、ゲームは終わってしまうのだ。ゲーム・オーバーの時点から考えれば、自分が稼いでいるポイントにどんな価値があるのだろうか? 何の価値もない! どうして、こんなつまらないゲームに皆が没頭しているのだろうか? この気づきを仏教では「発心」と言います。

 わかっちゃいるけどやめられない……つまらないと気づいていながらゲームを離れることはなかなか難しい。生理的なレベルでは不快より快、不味いよりは美味いものを求める気持ちからゲームが始まっているのでは? 楽したい、得したい、勝ちたい、人に認められたい……そういうゲームを降りるのに、やはり修行が必要だというのが仏教のスタンス。しかし涅槃は歩いてこない。

 長い修行の果てに到達すべき山のテッペン。下界のゲームを離れたところからの見晴らし、それが菩提すなわち悟りの境地です。本来なら、ここから再びゲームに戻る必要は何もない。ところが、我執(エゴの囚われ)から自由になった覚者の深層意識から慈悲が現れれば、しばらくはこの世で「人助け」という新たなゲームをするかもしれません。

 その「人助けゲーム」もやがて終えたところで、涅槃が待っています。生まれ変わることなく、覚者は吹き消された蝋燭のように、この世から消えます。ゲームは終わった。再開はない。

 

迷悟一枚

 さて、四段階のステージを素直に読めば、このように凡夫の最初の気づき(「このゲームはつまらない!」という発心)から完全解脱(涅槃)までの道筋が書かれています。ところが、大乗仏教には「生死即涅槃」という考えがあります。どういうことかと言いますと、自分が今生きている「人生というクソゲー」(生死=サンサーラすなわち輪廻転生の世界)と死後にやがて得られるかもしれないゲームからの脱出(涅槃=ニルヴァーナすなわち仏の世界)を二つに分けていないのです。

 つまり大乗仏教では生と死、迷いと悟り、凡夫と仏を二つだと考えることこそ「迷い」とされ、これらを分けないことが「悟り」だとされています。そうだとすれば、「今の私は苦しみの世界に囚われているが、これから一生懸命に八正道を実践すれば、やがて涅槃を得ることはできるかもしれない。よっしゃ、がんばるぞ!」というその想いこそ、苦しみを生み出しているのです。「悟りたい!」というその思いこそ、迷いの極みとされています。「迷悟一如」という言葉が表しているように、大乗仏教においてそもそも迷いも悟りも別物ではない……。

 ……と、ここまで来ると大乗仏教ではサンサーラもニルヴァーナもごちゃごちゃ、迷いと悟りも有耶無耶にされているのだなあとお感じになられている読者もおられるでしょう。それは無理もない話なのですが、道元はお茶を濁しているつもりはたぶん皆無です。

 

 「生死即涅槃」と並んで、「煩悩即菩提」という言葉も有名です。その一般的な解釈は「煩悩を修行の材料として使い、やがて菩提を獲得するための糧にする」というものですが、道元禅師はそうではなく、「そもそもの煩悩に気づけたことこそ、すでに菩提を得ている証拠」として受け止めている気がします。

 つまり道元禅師は安易に「迷いも悟りもない」と、両者を否定しているわけではありません。むしろ修行の現場では、迷いと悟りこそ自分自身を含め仏教の実践者の切実な問題であったはずです。しかし、そうして迷いと悟りに立脚をしながら、両者を超えた風景を説こうとしているのではないでしょうか。「迷いに気づいて、それを修行によって打破し、ゆくゆくは悟りに至る」ではなく、迷いに気づいているのが悟りの光であれば、現に修行に励んでいるのが悟りの働きである……。

 そう読めば、『学道用心集』の次の一節も頷けるのではないでしょうか?

 

 「識(し)る可(べ)し、行を迷中に立てて証を覚前に獲(う)ることを」

 自らの迷いに気づいて、いよいよ実践しようという志を立てる……その果てにやがて悟るのではなく、本人が気づいていようがいまいが、道元禅師にとってその志自体が悟りの現れに他なりません。まれに夢の中で、「これは全て夢だ!」と気づくことがあります。全てが本当に夢ならば、「全ては夢だ!」という気づきもまた夢と言えなくもありません。しかし、仮にこの気づきも夢であったとしても、それはやはり真実でもあり、だから夢に気づいたことは覚醒していることの逆説的な証拠とも言えるのではないでしょうか? 

 

坐禅と菩提心は両立しない

 道元がやがて活動の中心を京から越前の山中に移してから書いた十二巻本の『正法眼蔵』の中の「発菩提心」の巻では、また概念がガラッと変わってしまいます。

 「菩提心をおこすといふは、おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさんと発願しいとなむなり」

 簡単に言えば、自分が涅槃を得るより先に、まず生きとし生けるものを涅槃へ導こうとするのが菩提心だというのです。『普勧坐禅儀』を書いた頃の道元は、「自分一人のためではなく、生きとし生けるもののために修行しよう」という中国の坐禅儀のスローガンをわざわざ削除していたのに、ここではまさにその理念が蘇っています。

 「観無常」と言う若い頃からすれば、道元はここで菩提心のハードルを高くしていると言えなくもありませんが、この頃の道元にまるで観音さんのような優しさを感じるのは私だけでしょうか? 初期の頃には菩提心のない者をとことん排他していた反省を込めてか、晩年には道心のない人々こそ「自未得度先度他」の気持ちで救おうとしていたのではないでしょうか。

 最も説教くさいともいえる道元の次の和歌はまさにその精神を語っています。

 

 おろかなるわれは仏にならずとも衆生を渡す僧の身なれば

 

 坐禅と菩提心、この二つは道元の教えの両柱ではないでしょうか。坐禅をするために菩提心が必要なのか、それとも菩提心を発しやすくするために坐禅をするのか? あるいは坐禅と菩提心の間には、紙一枚も入れる隙はないのだろうか? 私は、おそらくそのどれでもない気がします。だからこそ、道元は坐禅を論じる文脈で菩提心にいっさい言及しないし、菩提心を説いている際には坐禅の話をしないのです。

 坐禅の世界と菩提心の世界は実は両立しないのです! なぜなら、坐禅は「自他一如」「迷悟一枚」「修証一等」「生死即涅槃」といった標語で代表されるように、無分別の世界です。一方の菩提心は、(おそらく自分自身を含むであろう)救うべき衆生の存在を前提としています。では、道元はどちらの世界に生きていたのでしょうか? 答えは簡単で、私たちと同じように、どちらの世界にも生きていたのです。無分別の世界に安らぎ、ゲームを一服してから普通の世界に戻り、他のプレイヤーと一緒になって人生というクソゲーをより楽しくしようと考えていたのではないでしょうか? 少なくとも私の目には、道元はそう映っています。

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著者略歴

  1. ネルケ無方

    禅僧。1968年ドイツ生まれ。高校時代に坐禅と出会い、来日して仏道を志す。1993年、兵庫県の安泰寺(曹洞宗)にて出家得度。京都の名刹や大阪城公園でのホームレス修行生活などを経て、2002年から2020年まで同寺の住職をつとめる。現在、大阪を拠点に講演活動や坐禅指導を行っている。共著に『哲学する仏教』(サンガ、2019年)。

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