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宇宙時代と大乗仏教 田中公明

第12回 量子もつれ――ダライラマのサイエンス・グルになった物理学者

 1805年頃、トーマス・ヤングは光源からの光を平行な2つのスリットに通すと、スリットと反対側のスクリーンには干渉縞が投影されることを発見した。これによって光が波の性質をもつことが明らかになった。これが有名なヤングの実験である。
 光については、ホイヘンス(1629~1695)による波動説と、ニュートン(1642~1727)による粒子説の二つの流れがあったが、ヤングの実験などによって、しだいに波動説が有力になった。しかし20世紀に入ると、光の粒子性を示すいくつかの事実が明らかになり、現在では光を量子と見る光量子説が定説となっている。
 1961年、クラウス・イェンソンが複数の電子を用いて、ヤングが光で行った二重スリット実験を行ったところ、やはり反対側の写真乾板には干渉縞が現れた。さらに1974年に、ピエール・ジョルジョ・メルリらが1回に1個の電子を用いた実験を複数回行ったところ、やはり写真乾板には干渉縞が現れた。
 このように極微の世界においては、物質は波動と粒子の両面をもつことが明らかになり、量子(Quantum)と名づけられた。第4回で見たように、唯識派ゆいしきはでは外界の物質存在の実在を否定するのに極微ごくみのパラドックスを用いたが、波動と粒子の両面をもつことで、量子は極微のパラドックスを逃れていると見ることができる。
 ところが電子がスリットを通過するとき、どのように振る舞うのかを観察したところ、実験者が観察している時は、電子銃から発射された粒子は、どちらかのスリットを通過して写真乾板に像を結ぶことが確認された。ところが実験者が観察していない時は、波として干渉縞を作ることが分かった。つまり実験者が観察しているか、観察していないかによって、量子はその振る舞いを変えることが明らかになったのである。
 このように観測者が介在することによって、微細な物質が振る舞いを変えるという現象は、これまでの自然科学では説明のつかないことであった。また量子力学では、前回で取り上げた「シュレディンガーの猫」も、蓋を開けて確認しないかぎり、生きているのか死んでいるのかが確定しない重ね合わせ状態(superposition)であると考える。
 このような量子力学に対し、叛旗はんきを翻したのが有名なアインシュタインである。「神はサイコロを振らない」は、彼が量子力学の不確定性を批判したものといわれる。また「私が見ていなくても月はそこにある」は、彼が1930年にラビンドラナート・タゴールと対談した時の言葉だとされるが、科学的な真理は普遍的・客観的なもので、観測者が存在するか否かに左右されないという、彼の思想を表明したものである。
 そのアインシュタインは1935年に、ポドルスキー、ローゼンとともに、論文「物理的実在の量子力学的記述は完全だとみなせるか?」(Can Quantum-Mechanical Description of Physical Reality Be Considered Complete?)を発表し、量子力学を強く批判した。これは共著者の頭文字を取ってEPR論文と呼ばれるが、その内容はアインシュタインが得意とした思考実験を用いて、前回でも見た「量子は確定した運動量と位置を同時には持ち得ない」とする量子力学の正統的理解に疑問を呈したものである。
 いっぽうオッペンハイマーのマンハッタン計画に参加し、プリンストンで晩年のアインシュタインとともに研究を進めたデヴィッド・ボーム(1917~1992)は、1951年に最初の著書『量子理論』(Quantum Theory)を刊行し、アインシュタインをはじめとする当時の学界に好意的に迎えられた。同著の中でボームは、EPR論文で指摘された量子力学の問題点を、量子のスピン(十分に粗大な物質の自転とは異なる)に注目して説明した。
 2電子系で一重項(singlet)関係、つまり電子の総スピンが0の量子状態にある2つの電子AとBが反対の向きに飛び去り、それぞれaとbの検出器によって電子のスピンが計測された場合、Aが+½であった場合、Bは自動的に-½となる。ところが量子力学的には、実験者が観測するまではAとBのスピンは――前回で扱ったシュレディンガーの猫の生死と同様――不確定になってしまう。
 たとえ電子AとBが無限の彼方に飛び去った場合でも、2つの粒子のスピンは観測されるまでは不確定で、片方が測定された瞬間に、もう一方の量子のスピンも確定する。2つの電子の距離が数kmほどであれば問題がないが、もし数億光年離れた宇宙の果てから果てまであると、どうして遙か彼方でスピンが連動するのか理解できなくなる。相対性理論によれば、光速を超えたコミュニケーションの手段は存在しないからである。
 これを専門的には「非局所性」というが、アインシュタインは、これを「不気味な遠隔作用」(Spooky Action at a Distance)と呼び、量子力学が不完全な体系である証拠とした。
 そしてこのような量子の不可解な性質は、「量子もつれ」(quantum entanglement)と呼ばれる。なおentanglementには「もつれる」という意味があるので、このように訳されるが、「巻き添えにする」という意味もあり、私はむしろそちらの意味に取るべきではないかと考えている。
 アインシュタインやボームは、「量子もつれ」の問題を思考実験で指摘したが、この「非局所性」あるいは「不気味な遠隔作用」なるものが実際に存在するか、科学的に検証することは極めて難しかった。
 ところが欧州原子核研究機構CERNに勤務していたジョン・ベル(1928~1990)は、1964年に「アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンのパラドックスについて」(On the Einstein-Podolsky-Rosen Paradox)と題する論文を発表し、「ベルの不等式」と呼ばれる定理を提唱した。この不等式は、局所性と実在性という2つの仮定を満たす任意の物理理論において成立するが、量子力学ではこの不等式が成り立たないことを示すものであった。つまりベルの不等式が成り立てばアインシュタインが正しく、不成立ならば量子力学が正しいということになるのである。ただしジョン・ベルは実験が専門ではなかったため、自らこれを検証することはできなかった。
 ジョン・ベルの論文は学界からは全く無視されていたが、当時ゴダード宇宙センターで学んでいたジョン・クラウザーによって注目され、世界ではじめて「量子もつれ」を検証する実験が行われ、その結果は1972年に「局所的隠れた変数理論の実験」(Experimental Text of Local Hidden-Variable Theories)にまとめられた。その結果はベルの不等式は成り立たない、つまり「量子もつれ」が存在することを示唆するものだった。
 なおベルもクラウザーも個人的にはアインシュタインを尊敬しており、量子力学に納得できないものを感じていたので、この結果は皮肉なものとなった。またクラウザーが使用した実験装置は、カリフォルニア大学バークレー校の地下室で、寄せ集めの機材を用いて自作したものだったため、精度にかけると批判されることになった。
 その後、サクレー大学のアラン・アスペがより精密な実験を行い、「ベルの不等式」の破綻を立証した。さらにウィーン大学のアントン・ツァイリンガーは、実験装置を宇宙のかなたにあるクェーサーの明滅と連動させることにより、アインシュタインが批判したように光速での情報伝達が全く不可能な宇宙の果てと果ての間で「量子もつれ」が存在する確率を、99.999999999999999999%と算出した。
 このようにしてアインシュタインが提起した量子力学へのチャレンジは失敗に終わったが、これによって量子力学の諸前提が完全に理解されたとはいえない。
 なお前述のボームは若い頃に政治活動に関わったため、マッカーシズムによるレッドパージの対象となり、プリンストンを去ってブラジル、イスラエルなどで教鞭をとり、最終的にはロンドン大学バールベック校の教授になったが、その晩年は学界の主流から外れ、不遇だった。「量子もつれ」などの形而上学的問題や、科学と哲学の問題に深入りしすぎたせいだといわれる。またインド哲学、仏教にも関心を示し、インド哲学者のクリシュナムルティと親交を結び、チベット仏教の最高指導者ダライラマ14世とは科学顧問(Science Guru)のような関係にあった。
 このように観測者の観測によって量子は波と粒子に振る舞いを変えるとか、「私が見ていない時には月はそこにはない」といった量子力学的問題は、世間一般の常識と著しく乖離かいりしていたため、物理学者にもなかなか理解されないものであった。それはちょうど第10回で見た仏教の無我説が、世間一般の常識と著しく乖離していたため、その一部を修正してより常識的な教理にしようという動きが興ったことに似ている。
 しかし仏教の立場から見れば、量子力学における観測者の問題は、物理的因果律が例外なく一切に適用される物質世界と、それとは別個の自由意思をもった個我の二元対立によって世界を解釈する認識自体が、誤りであるということになると思う。これはまさに、第9回で論じた凡夫の誤った認識には所取しょしゅ能取のうしゅの二があるが、悟りの世界には所取・能取の二元対立がないという思想に通じるものである。
 つまり「量子もつれ」の問題を扱った思考実験や実際の実験には、対象となる量子と、それとは別個の自由意思をもった観測者が登場する。しかし観測者自身も、実際には量子の集合体であり、万物に普遍的に適用される因果律の支配を受けている。
 つまり観測者に自由意志を認めると、観測者は物質世界に普遍的に適用される物理的因果律が適用されない特異点のようになってしまうのである。
 なおボームはダライラマ14世と数次に亘って対論を行ったが、残念ながら手許に資料がないので、一々のやりとりは分からない。ただし私がダライラマ14世の講話を聞いたところでは、ダライラマ14世は仏教学博士(ゲシェー)の修学中、『現観荘厳論げんかんしょうごんろん』の偈頌げじゅを全部覚えさせられた。仲間でも記憶力のよい者は全部覚えてしまったが、自分は全部は覚えられなかったと述懐している。もしダライラマが『現観荘厳論』の「主観と客観の二元対立は、本当は存在しない」というテーゼを、この対談で持ち出していたなら、ボームがどのような反応を示したのか、是非知りたいと思っている。

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著者略歴

  1. 田中公明

    1955年、福岡県生まれ。1979年、東京大学文学部卒。同大学大学院、文学部助手(文化交流)を経て、(財)東方研究会専任研究員。2014年、公益財団化にともない(公財)中村元東方研究所専任研究員となる。2008年、文学博士(東京大学)。ネパール(1988-1989)、英国オックスフォード大学留学(1993)各1回。現在、東方学院講師、富山県南砺市利賀村「瞑想の郷」主任学芸員、東京国立博物館客員研究員、チベット文化研究会会長。密教や曼荼羅、インド・チベット・ネパール仏教に関する著書・訳書(共著を含む)は70冊以上。論文は約140編。くわしくは個人ウェブサイト(http://kimiakitanak.starfree.jp/)を参照。

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