第5回 物理的な因果律と仏教―『時輪タントラ』の因果論―
第4回で見たように、仏教全般に通底する根本思想として、時間・空間を超えて普遍的に適用される因果律を承認することが挙げられる。そしてそこから、大乗仏教を特徴づける他土仏信仰が興起した。またその傾向が、とくに顕著に見られるのは、初期大乗の経典群であることが分かった。
また仏教が説く因果律には、①物理的因果律の他に②道徳的因果律と③救済論的因果律が含まれることを指摘した。ところが科学が未発達だった古代においては、①物理的因果律の存在は、今日ほど自明なことではなかった。
そこでインドの仏教者が、物理的因果律の存在を、どの程度、明確に認識していたかが問題になる。私が仏教と物理的因果律の問題を考える契機となったのは、インドで最後に成立した後期密教聖典(タントラ)、『時輪タントラ』の研究を通してである。
そこで本章では、拙著『超密教 時輪タントラ』(東方出版)の内容を要約する形で、仏教と物理的な因果律の問題を考えてみたい。
一般に後期密教聖典では、題名が重要な意味をもっている。それぞれのタントラの教理体系は、そのタイトルによって集約され、タントラの本尊は、タントラのタイトルと同じ名前で呼ばれるからである。
したがって『時輪タントラ』でも、「時輪」(カーラチャクラ)という術語が何を意味するかが重要になってくる。そして従来のインド仏教の概説書では、大註釈『ヴィマラプラバー』に従って、「時輪」(カーラチャクラ)を、時(カーラ)と輪(チャクラ)に分けたり、カー・ラ・チャ・クラの四字に分解する説を紹介するものが多かった。
前者の説では、時(カーラ)とは、『時輪タントラ』の生理学的ヨーガによって成就すべき「最高の不変大楽」の瞬間(クシャナ)あるいは相(ラクシャナ)を意味し、輪(チャクラ)とは、それ(最高の不変大楽)によって生起した無障碍の蘊界等であるという。
一般読者には、何を言っているのか分かりにくいだろうが、最高の不変大楽については、私が『シリーズ密教1 インド密教』(春秋社)に寄稿した論文「『時輪タントラ』―最高の不変大楽とは何か―」を参照されたい。それから「無障碍の蘊界等」というのは、インド密教のカテゴリー論で、我々の自我を構成する五要素、色受想行識を「蘊」、外界の物質世界を構成する地水火風空の五大(『時輪』では、これに智を加えて六大とする)を「界」と呼び、これに自我が外界を認識する六つの感覚器官と、それに認識される六つの感覚対象を「処」と呼ぶ。したがって「蘊界等」とは、我々が経験しつつある世界のすべてを「蘊・界・処」(第8回参照)というカテゴリーで整理したものであり、それが無障碍になるとは、『時輪』の修道体系によって最高の不変大楽を成就すると、煩悩にまみれた「蘊・界・処」が浄められて悟りの世界に転化する。しかもこれらの「蘊・界・処」は、『時輪』の曼荼羅に描かれる仏菩薩に配当され、幾何学的パターンに配置されるから「輪」となる。そしてカーラチャクラとは、このような「時」(カーラ)と「輪」(チャクラ)を身体として持つ者、つまり『時輪タントラ』の本尊の密教仏を意味すると説かれている。
これは日本密教でいえばタントラの題名の「秘密釈」に当たるものだが、私はむしろ「浅略釈」にあたる「時間のサイクル」という本来の意味に注目している。
本連載で「カーラチャクラ」をカタカナで音写せず、「時輪」と意訳することにしたのも、このためである。つまり『時輪タントラ』は、宇宙の統一原理として「時間のサイクル」に注目し、これを中心に仏教の全体系の統合を試みたといえる。
それならば『時輪タントラ』を編集した仏教徒は、なぜそこまで時間的周期にこだわったのだろうか? それは『時輪タントラ』のもう一つの特徴である、天文暦学と関係があるように思われる。
再三に亘って述べているように、仏教は、唯一絶対の最高神を認めず、万物に普遍的に適用される理法=ダルマを中心とする信仰である。しかし従来の仏教では、因果応報説に見られるような道徳的因果律や、四諦・十二因縁に代表される救済論的因果律を強調することが多かった。
しかしダルマには、道徳的因果律や救済論的因果律だけではなく、物理的因果律という側面もあった。『時輪タントラ』は、この物理的因果律の側面を最高原理として強調したように思われる。
現在でもチベット仏教圏では、宗教行事の日取りは『時輪タントラ』に基づく時輪暦によって定められている。このように『時輪タントラ』の編集者は、天文暦学についての高度な知識を有していた。
彼らの天文暦学は、現代天文学とは似ても似つかない須弥山世界説に基づく天動説であった。しかし須弥山世界の周りにプトレマイオス的な惑星の周転円軌道を設定し、惑星の軌道が楕円であることから生じる中心差を補正する方法を知っていたので、天体の運行を正確に分析するだけでなく、かなりの確度で予測することもできた。
コペルニクスによる地動説の導入、いわゆるコペルニクス的転回以前、ヨーロッパではユークリッドの幾何学と並んで、プトレマイオスの天文学が古代ギリシャ科学の最高の成果として尊重されてきた。それは一見不可解に見える惑星の運動を、見事に数理的に解析、予想することができたからである。
それと同様にインド仏教は、『時輪タントラ』によって、はじめて外界の物理的因果律を数理的に解析するツールを手に入れたといえる。このような知識が、彼らに「万物は時間的周期にしたがって運動する」との確信を懐かさせ、宇宙の最高原理「時輪」(カーラチャクラ)を構想させる一因となったのではないかと考えられる。
それはちょうどニュートンによる「万有引力の法則」の発見が、ヨーロッパにおける自然観を一変させ、やがてカントにはじまる近代哲学の発展を促したという歴史的事実に比せられるだろう。
『時輪タントラ』が成立した頃のインドでは、シヴァ派、ヴィシュヌ派、シャークタ派など、有神論的なヒンドゥー教諸派の隆盛に押され、仏教が衰退に向かっていた。いっぽう西北の中央アジアでも、イスラム教徒の侵攻により、仏教が壊滅の危機に瀕していた。このような状況の中、金剛乗つまり密教の旗のもとに、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教などのインドの伝統的宗教を統合し、来るべきイスラムの侵入に備えることが『時輪タントラ』の重要なテーマとなった。
そのため『時輪』の本尊であるカーラチャクラには、ヒンドゥー教の最高神と同じエピテットが与えられている部分がある。しかし『時輪』の世界観は、宇宙の生成と消滅を説くといっても、天地創造に始まり最後の審判に終わるキリスト教的な閉じた時間論ではないし、神々が遊戯として行うヒンドゥー教的な創造と破壊でもないのである。
そのことは『時輪』の本尊であるカーラチャクラが、左手の一つに首を切られた梵天(ブラフマー)の頭を持つことで示されている。梵天はヒンドゥー教の創造神であり、首を切られた梵天の頭は、梵天が宇宙の創造者ではないことを象徴しているのである。宇宙の生成と消滅は、最高神の恣意ではなく「時間的周期」によって生起する。むしろ因果律自体が、最高原理「時輪」だといってもよいように思われる。
『時輪タントラ』の第五章「智慧品」では、如来の智慧は、感覚器官を超えた自覚(スヴァサンヴェードヤ)智であることを論じる。もしこれが感覚器官に依存する智であるなら、部分をもつものとなり、一切に行きわたることができない。したがって如来の智慧は、感覚器官を超えた自覚智であるとする。それなら天体の運行の数学的分析や、それに基づく暦学では、最高の智慧を得られないことになるが、最高の智慧に到達する方便としては認められると説いている。
現代の思想界では、宇宙論(コスモロジー)あるいは宇宙の哲学的解釈が流行している。そしてビッグバンに始まる一回性の創造と、それと逆方向の収束、ビッグクランチあるいは無限の彼方への拡散、すなわちビッグリップを考える「アインシュタイン的宇宙論」は、ある意味でユダヤ教あるいはキリスト教的ということができよう。このようなビッグバンの一瞬は、あらゆる物理法則が適用されない特異点となり、最高神による創造の手を想定することが可能になるからである。
これに対してヒンドゥー教と仏教は、永劫回帰的な宇宙論をもつ点では共通している。しかしヒンドゥー教では、宇宙の創造と破壊が創造神ブラフマー(梵天)の遊戯とされ、因果律より最高神が上に置かれている。ヒンドゥー教には種々の潮流があり、より理神論的な解釈もあるが、古典的なヒンドゥーの宇宙観を現代の術語で表現すれば、特異点が無限にある体系といえよう。
これに対して仏教の立場では、たとえ神々であろうと因果律の適用を免れることはできない。そしてこの世界が空劫に入っても、他の世界は異なった「時間のサイクル」で生成と消滅を繰り返すから、物質と衆生のトータルな量は不増不減である。そしてこの原則は、『時輪タントラ』でも守られているように思われる。
したがってキリスト教的な宇宙論をアインシュタイン的ということが許されるなら、『時輪』の宇宙論は特異点の存在を認めないという点で、ホーキング的であるといえるように思われる。
また『時輪』系のテキスト、とくに大註釈『ヴィマラプラバー』では、ヒンドゥー教の有神論に対する批判が、執拗に繰り返されているのを見ることができる。これらを読むにつけても、『時輪』の宇宙論は、予想以上に仏教の正統的立場に忠実だったように思われる。インドの大乗仏教と密教の混淆形態が最後まで残存していたネパールのカトマンズ盆地で『時輪タントラ』のサンスクリット原典が発見された時、それを最初に解読して紹介したのはインドのバラモン出身のパンディットたちであった。そのため彼らはヒンドゥー教に引き寄せた解釈を行ったのだと言われている。このように『時輪タントラ』は、長らく有神論的に曲解されていたのである。
残念ながら『時輪タントラ』は、イスラム教徒の侵入という外的原因によってインドの思想界に後継者を得ることができなかった。したがって仏教と、数理的に解析可能な物理的因果律の最初で最後のスリリングな出会いは、後世に実りある成果を遺すことができなかった。しかし『時輪タントラ』の研究は、現代人が、仏教と科学的な自然観の共存を考える場合、多くの興味深い示唆を与えてくれると思われる。


