第10回 仏教はコギトを否定するのか?―和辻哲郎の仏教解釈について―
前章で見たように、仏教の無我説と、大乗仏教に入ってから強調されるようになった主観・客観の二元対立自体が存在しないという思想は、世間一般の常識と著しく乖離していたため、反対派からは論難を浴びせられたし、仏教内部にも、その一部を修正してより整合的な教理を整備しようという動きがあった。
その中でも代表的なものが、部派仏教の一つである犢子部のプドガラ(補特伽羅)説である。これは輪廻の主体として、五蘊と不即不離のプドガラを立てるものである。プドガラは通常は霊魂とか個我という意味で用いられ、これを立てれば、善因楽果、悪因苦果の因果応報や、輪廻転生を説明するのには都合が良い。
しかしこれはバラモン・ヒンドゥー教のアートマン説と変わりがなく、犢子部は部派仏教の中でも最も異端的なものと批判されるようになった。そのためアビダルマの古典である世親の『倶舎論』では末尾に「破我執品」が置かれ、外道のアートマン説と犢子部のプドガラ説が、まとめて批判されている。
また大乗仏教の根本聖典である『般若経』では、我(アートマン)だけでなく、その同義語として使われる有情(サットヴァ)、命者(ジーヴァ)、生者(ジャントゥ)、養者(ポーシャ)、士夫(プルシャ)、補特伽羅(プドガラ)、意生(マヌジャ)、儒童(マーナヴァ)、作者(カーラカ)、受者(ヴェーダカ)、知者(ジャーナカ)、見者(パシュヤカ)、起者(ウッターパカ)、使起者(サムッターパカ)などを列挙し、すべて実在しないと強調するようになった。おそらく犢子部のように、プドガラのような同義語を用いて、アートマン説と同じようなことを主張する学説に予防線を張ったものと思われる。
インド哲学では、14世紀頃にインドの哲学者マーダバが、インド哲学の綱要書として『サルヴァダルシャナ・サングラハ』を著したが、そこではインド哲学の最高峰としてヴェーダーンタ派の不二一元論が位置づけられ、ヒンドゥーの諸学派のつぎにはジャイナ教、そして仏教、唯物論という形で、インド哲学各派のランクが定められている。唯物論より仏教が高いとされたのは、唯物論者と異なり仏教は善因楽果、悪因苦果の道徳律の存在を認めるからであるが、ジャイナ教より仏教が低いとされたのは、ジャイナ教がアートマンの存在を認めるのに対し、仏教はアートマンの存在を認めないからである。
いっぽう西洋では、近代哲学の祖とされるデカルトが『方法序説』において、「我思う。故に我あり」(コギト・エルゴ・スム)と主張し、あらゆるものを疑っても、自分が思考しているという事実自体は疑うことができないとして、自我の存在を出発点として、哲学体系の構築を試みた。仏教の無我説は、これと真っ向から反する主張と思われる。
このように洋の東西を問わず、仏教の無我説は世間一般の常識と著しく乖離していたため、他の思想・宗教の信奉者からは、容易に受け入れられない面があった。そこで近代に西洋哲学が導入されると、従来の仏教を批判的に受容し、近代的な哲学に引き寄せようとする努力が行われた。
その代表的なものとして、西田幾多郎(1870~1945)の西田哲学と、和辻哲郎(1889~1960)の和辻倫理学が挙げられる。
西田幾多郎は、同郷の親友、鈴木大拙の勧めで鎌倉円覚寺の今北洪川に参じた。ところが鈴木大拙は公案が通り、その後も禅学者として海外に仏教を弘めるなど、大活躍することになるが、西田は公案が全く通らなかった。大拙が、「西田は頭が良すぎるから公案が通らないのだ」と言ったのは有名な逸話である。
その後も西田は、金沢洗心庵や京都の花園妙心寺で参禅を続け、「無字の公案」を通った。そのような体験が、主客未分の純粋経験に基づく西田哲学の基礎になったといわれる。
明治から大正にかけて、日本のインテリ層では禅、とくに臨済の名僧に参禅することが流行となっていた。夏目漱石も今北洪川の弟子である釈宗演に参じ、その時の経験が小説『門』に描かれている。しかし漱石自身は、あまり得るところはなかったようである。釈宗演がモデルと思われる老師は、「まあ何から入っても同じであるが」「父母未生以前本来の面目は何なんだか、それを一つ考えて見たら善かろう」と言ったと書かれている。
この「父母未生以前本来の面目」という公案は、ここで論じる「主観・客観の二元対立自体が存在しない」という問題と関係するものと思われる。つまり仏教では、万物は因果律に支配されており、それから独立して自存するものは何一つないと考える。ところが凡夫は、因果律が支配する外界とは別に、自己というものが存在すると考えている。その両親が生まれる前の、本来の自己とは何なのかを考えてみろというのである。
また禅の目的として、「己事究明」(曹洞宗では箇事究明と書く)という言葉もある。これは、自分のプライベートな悩みを解決するということではない。まさに「自分が何者であるか」という問題に必死で取り組むことを指している。
このように明治から大正にかけて、臨済禅は思想界にも影響力をもっていたが、数多い禅のトピックの中で、主観・客観の二元対立という問題を正面から取り上げたのは、西田を措いて他にはないと思われる。
いっぽう東大で倫理学を講じた和辻哲郎は、西洋倫理学だけでなく、名著『古寺巡礼』を著すなど、仏教にも造詣が深かった。
その和辻が提唱したのが、世間一般の常識と著しく乖離する仏教の無我論を再検討することであった。和辻は、仏教でも「外界および他の我に対立して、知り、感じ、意欲する主体である」自然的な立場の自我、これは仏教では「愚痴無聞凡夫」という刺激的な言葉で呼ばれるものであるが、その存在は認められるとした。(『原始仏教の実践哲学』)
和辻によれば、当時の正統バラモン哲学では、自我(アートマン)は永遠不滅の超越的な「個我」であるとともに、「普遍我」である最高原理(ブラフマン)と同一視される。これが有名な「梵我一如」である。ブッダは、このような正統バラモン哲学の自我(アートマン)説を否定するために無我説を採ったのであり、「自然的な立場」での自我の存在まで全否定したものではない。しかし「自然的な立場」における自我は、無常・苦を逃れることができない。そこで「自然的な立場」の自我の存在を部分的に認めつつ乗り越えることで、自我の感じる苦しみからも解放されると考えたのである。
このような和辻の主張は、隣接する東京大学印度哲学科(現インド哲学仏教学科)で行われていた近代的な仏教学の成果を踏まえたもので、『原始仏教の実践哲学』では、とくに東大印哲の巨頭、宇井伯寿を高く評価していたことが知られる。しかし和辻の説は、保守的な仏教学者からは批判されることになる。
つまり和辻がいうところの「自然的な立場」の自我は、犢子部が主張した五蘊と不即不離のプドガラと同じようなものであり、仏教の根本的前提を否定したものに他ならないということである。
私は東京大学印度哲学科の出身であるが、和辻の時代の東大の仏教学は、パーリ語原典による原始仏教の再構成や、サンスクリット原典に基づくアビダルマや大乗仏教研究が中心で、日本への仏教伝来以後に発展したインド後期大乗仏教や、前回紹介したチベット仏教の教理学「般若学」、インド後期密教については、まだほとんど研究がなされていなかった。
そのため和辻の仏教に関する知識は、かなり限定されたものとなっていた。そこで現在では、同じ東大の印度哲学だけでなく倫理学出身者の間でも、和辻の仏教と自我解釈に疑問を呈する研究者がいる。そのうちでも私の気づいた点は、和辻が仏教の「心相続」説を顧慮していない点である。前述のように心相続(チッタ・サンターナ)という術語は『倶舎論』にも出ており、アビダルマ以来の用語であるが、唯識派の心識論では、あまり重視されていなかった。
これに対してインド後期大乗仏教やチベット仏教では、個我や輪廻転生を説明するのに、主として「心相続」を用いるようになった。つまり後期大乗では、中観を了義、唯識を未了義とする見解が一般的となるため、個我を示すのに唯識派のみが用いる用語を避けるようになったのである。
例えばインド仏教最高の論理学者といわれるダルマキールティには、自分とは別の他の個我が存在することを論証する『他相続成就』(サンターナーンタラ・シッディ)という小論があるが、ここでも個我を指す語としては「相続」サンターナが用いられている。また前述のチベット仏教の「般若学」でも、個我を指す時は「ギュー」(サンターナのチベット訳)が用いられる。
このように個体存在を示す術語として「心相続」が脚光を浴びたのは、第8回で見たように、心相続は瞬間・瞬間で生成と消滅を繰り返す識が、等無間縁によって連続しているように見えるものであり、仏教の刹那滅論や諸法無我説と矛盾しないからである。
また「心相続」の存在はアビダルマから中観派まで広く認められていたから、宗派的な偏りを排して仏教教理を整合的に説明するに都合がよかったからと思われる。
さらに和辻は、「自然的な立場」の自我の存在を部分的に認めつつ、これを乗り越えるために、《無我説は五蘊説にもとづかず。ただ現象の無常性に基づく》『仏教倫理思想史』と述べ、五蘊の中の受、つまり眼耳鼻舌身意による外界認識が無常であることから無我が結論づけられるのであり、五蘊説から無我が導き出されるのではないと論じている。これは我々仏教学を学んだ者にとっては、容易に承認し難い結論である。
私は和辻の仏教に関する著作を完全に理解できた訳ではないが、和辻は、デカルトのコギトから出発する西洋の哲学・倫理学に対して、コギトを正統バラモン哲学のアートマンのようなものとみなし、それに対決したブッダの思想を取り入れた新しい哲学・倫理学の創出を目指したように思われる。
しかしそれは、仏教の無我説についての独自の新解釈となってしまい、屋上屋を架すような陥穽に陥ってしまったように感じている。冒頭で述べた鈴木大拙の「西田は頭が良すぎるから公案が通らないのだ」という言葉は、和辻にも当てはまるのではないだろうか。
上掲の『仏教倫理思想史』は、未刊に終わった京都大学での講義録であるが、そこに後で付された序文には「西洋哲学だけでよいか」「しかし西洋人になり切れぬものあり。西洋もよいが、東洋もよい。東洋を捨てるのはもったいない」との言明が見られる。これは西田幾多郎や鈴木大拙にも言えることであるが、圧倒的な西洋近代の文明を前にして、何とか独自の思想を作り上げようとした当時の日本の文化人、とくに知的エリートの苦悩を物語るようにも思われる。


