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言葉の舞台裏 演劇翻訳の悩ましき日常 小田島創志

書き直しと稽古場の日々

 

「1作品訳すのにどれくらいかかるんですか?」とよく聞かれる。体感的に「楽天ポイントはお持ちですか?」と同じくらいの頻度で聞かれる気がする。楽天ポイントだったら「持ってません」と即答できるのだが、翻訳にかかる時間は作品の長さと難しさ次第でかなり変わってくるため、「○○日かかります」と一概には言えない。ただし、これが「○○という作品を訳すのにどれくらいかかったんですか?」というピンポイントな質問だったとしても、私は答えに窮してしまう。というわけで、今回は翻訳作業の舞台裏をお見せしつつ、一見すると簡単そうなこの質問がどうして答えづらいのかお伝えしたい。

 

 

 そもそも翻訳に至るまでの経緯だが、演劇翻訳者は、面白そうな戯曲を自分で見つけて、演出家やプロデューサーに売り込む――もしくは、自分の所属団体の企画に上げる――場合と、特定の作品の翻訳を依頼される場合がある。さらに後者は、上演されることが既に決定している場合と、先方でいくつか浮上している候補作の1つとして依頼される場合に分かれる。また、研究や読書会、ワークショップのために自主的に翻訳することもある――後々上演されることを願いながら。こうした経緯は、多くの演劇翻訳者に共通しているだろう。

 では具体的に、どのように翻訳第1稿を作っていくのか。ここの部分は翻訳者の流儀次第で変わるかもしれない。最初から丁寧に訳していくかたもいらっしゃるだろうが、私の場合はまず作品を一読後、最後まで一気に訳してみる。これは、自分の言葉で戯曲の見取り図を製作する、という感覚に近い。全体の見取り図と原文を往還することで、シーン1つひとつ、台詞1つひとつの解像度が上がっていく。それで初めて、第1稿としての訳文がうっすらと見えてくる。

 ざっと訳すのにかかる時間は、冒頭で述べたように戯曲によって変わってくるものの、だいたい数日~10日間くらい。もっともこれは、いろいろと例外があって、その期間に他の仕事が重なっていたり、低気圧にやられたりすると、さらに日数を必要とする。1日10数時間ぶっ通しで翻訳できる日を数日間確保するのが理想的なのだが、そんな期間はなかなか訪れないし、翻訳にひたすら没頭していると、完全に昼夜逆転してしまうので、今度は健康面で理想的な生活とは言えなくなってくる。以前、睡眠時間を削って数日間ぶっ通しで作業し続け、訳し終わった後で力尽きて爆睡し、目覚めた後で見た景色が朝焼けなのか夕焼けなのか、混乱しすぎて一瞬分からないことがあった。良い子は絶対マネをしないでね。

 その後にあらためて最初から精査したものを「第1稿」として仕上げていく。一気に訳していたときは「今日訳イイじゃん」と思っていた箇所も、改めて検討して修正を重ねる。この修正期間もかなりばらつきがあって、だいたい1カ月~2カ月くらい、場合によってはそれ以上かかることもある。ここで改めて、「訳すのにどれくらいかかったんですか?」という質問を考えると、答えとして「ざっと訳す」期間を答えればいいのか、はたまた修正を加えた「第1稿」にかかった期間を答えればいいのか迷ってしまう。ざっと訳しただけのものは、あまりにも粗いときもあって「訳した」と言えるかどうか微妙だし、かといって「第1稿」の前に一通り訳してはいるんだよな、とも思ってしまい……。次に聞かれたらどう答えよう。悩みすぎて夜も眠れない。あ、やっぱり夜型コース……。

 いやいや、ざっと訳すとか、第1稿とか、迷ってないでさっさと説明したらいいじゃない――そう思われるかもしれないが、ことはもう少し複雑なのだ。

 

 

 上演が既に決まっていると、多くの場合この「第1稿」をもとに演出家やプロデューサーとの打ち合わせが始まる。その作品を演出家がどう表現したいか、キャラクターの性格をどのように色づけしていくかといったビジョンを共有しながら、第1稿の言葉を確認する。この打ち合わせは、複数回に分けて細部まで相談を重ねる場合と、全体的な課題を洗い出したうえで、細部の修正はこちらで引き取る場合があるが、いずれにしてもここからは、演出家、プロデューサーとコラボする気持ちで修正稿を作っていく。稽古場で使う台本となるまでどれだけ改稿を重ねるかは、これも現場によってまちまちだが、第2稿以降はメールでやりとりしながらブラッシュアップしていくことが多い。

 修正稿へのアクセルを踏み込む前に、いわゆる事前稽古のような形でキャスト・スタッフが集まり、出演者に実際に読んでいただくこともある。演劇翻訳者にとっては、実際の役者の声を通して台詞の響きを確認できる貴重な機会であり、今後の修正の方向性を探るうえでも大変ありがたい。ときにはこの段階で、役者の皆様とキャラクター像を話し合う。

 こうした事前稽古に関して、一生忘れないであろう現場がある。2019年12月に上演されたラジヴ・ジョセフ作『タージマハルの衛兵』(主催:新国立劇場)では、同年の7月あたりから複数回、読み合わせを行った。演出の小川絵梨子さん、出演者の成河さん、亀田佳明さんとともに、台詞の意味・意図を1つひとつ検証し、全員の解釈をすり合わせながら台本の訳語を決めていくという、非常に贅沢で豊かな時間。その時間があったおかげで発見できたことが山のようにある。たとえば『タージマハルの衛兵』の終盤、「大きな金切り声」が聞こえた後に、以下のような会話が続く。

 

   BABUR. What was that?!

   HUMAYUN. (Smiles.) That was a bat.

 

これは第1稿では、「いまの何!?」「(微笑む)コウモリだよ」というように、わりとそのまま訳していたのだが、どうにもすっきりしなかった。原文では、このやりとりの後に「2人は一緒になって笑う」というト書きがあり、私一人ではなぜ2人が笑うのか分からなかったのだ。だが全員で話し合っていくなかで、「意味というより言葉のリズムで笑っているのではないか」という解釈が浮上した。この2人、バーブルとフマーユーンは幼い頃からの親友という設定なので、2人にとってこうした「リズムネタ」はある種の定番だった可能性がある。そうなると、2人が笑い合うような仕掛けが、翻訳においても必要だ。それを踏まえて全員で話し合い、結果的には、「いまの何?!」「(微笑む)いまのワニ」というように、敢えて意味をずらして、言葉のリズムを優先させた台詞となった。

『タージマハルの衛兵』では、現場の皆様から数えきれないほど多くの学びを得た。こうした経験があるからこそ、修正作業や読み合わせ、話し合いを経てようやく、「この作品を訳しました」と胸を張って言える気分になってくる(「胸を張って」と言いつつ、皆様のお力をお借りしています)。というわけで、個人的には「訳すのにどれくらいかかったんですか?」の答えに修正過程を含めたい、質問者は想定していないだろうが……。

 

 

 演劇翻訳者の仕事はまだまだ終わらない。翻訳劇の稽古では、最初の数日間はテーブルに向かって座ったまま、事前稽古と同じような形で「読み合わせ」を行うことが多い。ここで本格的に、台詞の意味や意図、シーンのエッセンスを共有していくのだが、演劇翻訳者としても細かい修正に関して話し合う重要な期間となる。演劇の翻訳は、演出家のビジョンに基づき、役者の身体を通すことで、はじめて「演劇の翻訳」として、お客様に届けられる。そのための調整が、稽古に入っても続くのだ。

 稽古場ではかなり細かい部分も練っていく。2023年2~3月に上演された、サマセット・モーム作『聖なる炎』(主催:俳優座劇場)の事例をご紹介したい。この作品の舞台はタブレット家の邸宅で、タブレット夫人の息子モーリスは、飛行機事故で半身不随。モーリスの弟コリンは、普段はグアテマラで農園を運営しているが、今は一時的にイギリスに滞在している。そのコリンがもうすぐグアテマラに戻ってしまう、という話をしている会話で、モーリスの主治医である医師ハーヴェスターは以下のように言っている。

 

Harvester. I’m sorry to think Colin is going away so soon, Mrs Tabret. I think his being here has done Maurice a lot of good.

 

これを稽古前は以下のように訳していた。

 

ハーヴェスター:コリンさんがもうすぐ帰ってしまうのは残念ですね。あの人がいてくれたのは、モーリスさんにとって心強かったんじゃないでしょうか。

 

ただ、読み合わせ稽古を進めるうち、後半部分のセンテンスが気になる、という話が持ち上がった。やや冗長に感じるというか、「~いてくれたのは」という読点前の言い方が、「丁寧に状況を整理して説明している」印象を醸し出す。また、「~にとって」も、視点をしっかり明示している反面、説明的な要素を強めてしまう。あらためて原文に戻ってみると、因果関係を示す接続詞なしに、I think his being here has done Maurice a lot of good.と一気に言っている。やはり、翻訳でも「説明しています」という感じを少しだけ減らしたい。ということで、演出の小笠原響さんや、ハーヴェスターを演じた加藤義宗さんと相談したうえで以下のように修正することになった。

 

ハーヴェスター:コリンさんがもうすぐ帰ってしまうのは残念ですね。あの人がいてくれて、モーリスさんも心強かったんじゃないでしょうか。

 

大きな違いはないかもしれないが、「くれたのは」を「くれて」に、「モーリスさんにとって」を「モーリスさんも」に言い換えることで、敢えて「丁寧さ」を減らした。こうした細かい修正を、演出家や出演者と相談しながら、読み合わせの期間内に適宜行っていく。もちろん、台詞の解釈そのものを変えることもあったり、ときには誤訳に気づいたり……大変申し訳ありません……。読み合わせ期間が終わり、立ち稽古に入っても検討箇所は出てくるのだが、主だった調整はできるだけこの読み合わせ期間に終えたい。というわけで、「訳し終わった」と思えるタイミングは、この読み合わせ期間もしくは立ち稽古で修正が出なくなったときだ。

 

 

 いや、正直言って、劇場に入って、初日の幕が無事に開いても、「訳し終わった」とは思えない。もちろん、実質的な作業は終わっているものの、先ほども述べたように、お客様に届いてようやく、演劇翻訳の言葉は完結する。ようやく迎えた初日、演劇翻訳者はものすごくワクワクしているが、不安と緊張に襲われてもいて、心臓がバクバク言っている。そう、「訳し終わった、あー良かった」という気分に全然なっていないのだ。そう考えるとますます、「訳すのにかかった期間」が答えづらい。無我夢中で一気に訳したときから、公演期間が終わるまで、気持ち的にはずっと訳し続けている。そんなわけで、日々ずっと翻訳のことを考えてしまいがちだ。切り替えのためにも、何か別のことをしたほうがいいかもしれない。でも出費が怖い。まずは節約かポイ活か。楽天ポイント貯めようかな……。

 

 

 


小田島創志さん翻訳作品 上演情報

 ❖俳優座劇場プロデュース公演 No.124『聖なる炎』

 2026年7月1日(水)14:00開演
会場:たましんRISURUホール(立川市市民会館)
   東京都立川市錦町3-3-20

作=サマセット・モーム
翻訳=小田島創志
演出=小笠原響

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著者略歴

  1. 小田島 創志

    1991年生まれ。翻訳家・演劇研究者。武蔵大学、共立女子大学ほか非常勤講師。著書に『ハロルド・ピンター―〈間〉の劇作家』(水声社)、共著に『ジョージ・オーウェル『一九八四年』を読む―ディストピアからポスト・トゥルースまで』(水声社)。舞台翻訳作品に『タージマハルの衛兵』『ブレイキング・ザ・コード』『ドクターズジレンマ』『嵐 THE TEMPEST』『白衛軍―The White Guard』『スリー・キングダムス』など。一川華との共訳作品に、ミュージカル『ケイン&アベル』など。

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