第1回 宇宙時代と仏教
現代は宇宙時代だといわれる。1972年にアポロ17号が最後に月を訪れて以来、半世紀以上に亘って人類は月を再訪していない。それ以後の有人宇宙探査は、国際宇宙ステーションなどの地球低軌道に止まっている。1970年の大阪万博では、アポロが持ち帰った月の石を見ようとアメリカ館の前には長蛇の列ができ、旧ソ連も、無人探査機がサンプルリターンした月の石を展示して対抗した。ところが2025年の大阪・関西万博では、目玉として「火星の石」が展示されたが、ほとんど話題にならなかった。これは探査機がサンプルリターンしたものではなく、南極で発見された火星由来の隕石だったからである。
それにも拘わらず、現代が宇宙時代といわれるのは、通信衛星やGPSなどを使用したビジネスが実用化され、現代社会に必要不可欠なものになったことが挙げられる。いっぽう科学的には、1990年に打ち上げられたハッブル宇宙望遠鏡は、これまで天候や大気の揺らぎに妨げられて鮮明な画像が得られなかった天体観測に革命をもたらした。じつは打ち上げ直後、ハッブルが送信した画像は不鮮明で、20億ドルもかけてピンボケの望遠鏡を打ち上げたと大きな批判にさらされることになった。ところがその後、鏡面の歪みを補正するプログラムが開発され、さらにスペースシャトルを使用した改修工事が成功したこともあり、驚異的な解像度で鮮明な画像が地球に届けられるようになった。
さらに2021年には、その後継機であるジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)が打ち上げられた。ハッブルの主鏡が2.4メートルであるのに対し、ジェイムズ・ウェッブの主鏡は口径6.5メートルにも達し、集光能力は7倍以上となる。また可視光ではなく、様々な波長の赤外線を利用するため、星間のチリに妨げられて見ることができなかった領域を明瞭に観測することができようになった。これにより所謂ビッグバン以後、誕生間もない世界の姿を捉えることが期待されている。
これに対して天候や大気の揺らぎに妨げられていた地上望遠鏡も、ハワイのマウナ・ケア山頂やチリのアタカマ砂漠など、低緯度の高地に巨大な望遠鏡を建設し、大気の揺らぎ等によって生じる星像の乱れをレーザー光を用いて補正する補償光学を導入することによって、従来にない鮮明な画像を得ることができるようになった。さらに2025年には、これら最新技術に32億画素の世界最大のデジタルカメラを搭載したベラ・ルービン天文台が、チリのパチョン山で観測を開始した。
いっぽう現代天文学最大のニュースの一つが系外惑星、つまり太陽以外の恒星を周回する惑星の発見である。我々の住む銀河系には2000億の恒星があるといわれるが、これまで地球や火星のように、その周りを周回する惑星は一つも発見されていなかった。
ところが1990年代に入って、スイスのミシェル・マイヨールとディディエ・ケローによって、ペガサス座51番星を周回する惑星、ペガサス座51bが、はじめて発見された。これは恒星が周囲を周回する惑星の引力で微妙に位置を変えることに着目し、恒星が太陽系に近づく時の光の青方変移、遠ざかる時の赤方変移を測定するドップラー法という方法に基づくものであった。
そしてその結果は、驚くべきものであった。ペガサス座51bは、地球の約149倍もの質量をもつ巨大惑星であったが、主星からの距離は約780万km、つまり太陽から地球までの距離(1天文単位)の20分の1程度しかない。太陽系に当てはめれば、一番内側を周回する水星より内側に、太陽系最大の惑星である木星の半分ほどの惑星が周回していることになる。その後、マイヨールらの研究に触発され、ドップラー法を用いた系外惑星がつぎつぎと発見されたが、それらの多くは恒星の至近距離を、木星や土星のような巨大なガス惑星が周回するというものであった。そこでこれらの系外惑星は、熱い木星という意味でホット・ジュピターと呼ばれるようになった。
ドップラー法を用いた場合、恒星の光の微妙な青方変移、赤方変移を観測しなければならず、恒星に近くて質量が大きい系外惑星でないと、主星のふらつきを検出できないという問題があったのである。
いっぽうこれに対して、系外惑星が恒星の前を通過する時の光度の変化を観測するトランジット法という系外惑星の捜索法も開発された。太陽系でも地球からは内惑星である水星や金星が、太陽面を通過することがある。私も子供の頃、家庭用の天体望遠鏡にフィルターを付けて水星の太陽面通過を観測したことがあるが、太陽に比すれば水星の直径は極めて小さく、太陽黒点とほぼ同じくらいのサイズだったのを記憶している。
ところが天体観測技術の飛躍的な進歩により、系外惑星が主星の前を通過することによる微妙な光度の変化を測定することができるようになった。そしてドップラー法では、系外惑星の質量、トランジット法では系外惑星の大きさが算定できるので、系外惑星が地球や火星のような岩石惑星であるのか、木星や土星のようなガス惑星であるのかも判定できるようになった。
そして2009年に太陽周回軌道に打ち上げられたケプラー宇宙望遠鏡は、このようなトランジット法による系外惑星捜索に特化した宇宙望遠鏡で、10年弱の観測期間を通じて、これまでに確認されただけでも1000個以上の系外惑星を発見した。なおトランジット法では、太陽系から見て主星と系外惑星の軌道が重なって見えるアングルがないと発見できない。またケプラー宇宙望遠鏡の仕様上の問題で、全天の恒星を網羅的に観測することはできなかったが、これまでに知られていた系外惑星の数が飛躍的に増加したことは確かである。これによって私たちが住む太陽系が決して特殊な世界ではなく、恒星の周囲を惑星が周回する惑星系は、宇宙のどこにでも存在しうることが確認された。
これら世界の天文学者の間で、系外惑星の探査がブームを迎えているのは、平たく言えば「第二の地球探し」であるといえる。かつて天体観測が未発達な時代には、地球近傍の金星や火星にも生物が存在し、とくに火星には人類と同じような知的生命体である「火星人」が住んでいると考えられるようになった。1877年にイタリアのスキャパレリが発見した火星の運河(カナリ)は、パーシヴァル・ローウェルによって、水が乏しい環境で生息していた火星の知的生命体が灌漑のために掘削したものだと主張され、大きなセンセーションを巻き起こした。現在では性能の悪い望遠鏡による錯視であることが確認されているが、火星をはじめとする他の惑星、衛星に生命が存在するかは、その後の科学における大問題となった。
従来の地球外生命探索では、地球と同じように生命の源である水が液体で存在しうる領域、いわゆるハビタブル・ゾーンに、これもまた地球と同じように生命体が存在できる固体の地表をもつ岩石惑星を捜索することが基本となった。太陽系では、ハビタブル・ゾーンに存在する惑星は、金星、地球、火星の三つである。ところが金星は、二酸化炭素などの厚い大気による暴走温室効果で地表の温度が400度にも達する灼熱地獄で、生命が存在できる環境ではないことが分かった。これに対して火星は寒冷な気候ながら、夏場には赤道付近の気温が20度に達することもあり、現在もNASAやESA(欧州宇宙機関)が探査機を着陸させ、生命探索の努力を続けている。
これに対して最近では、ハビタブル・ゾーンの外でも、木星の衛星で地下に巨大な海があるとされるガニメデ、土星最大の衛星でメタンとエタンの湖があり、川が流れているタイタン、小さな衛星で南極にある地底湖から間歇泉が吹き出しているエンケラドスなどに生命の可能性が指摘されるようになった。
さらに系外惑星でも、それぞれの惑星系のハビタブル・ゾーン内にある地球型の岩石惑星の中から、生命の兆候を示すバイオシグネチャーを捜索する試みがなされている。これは系外惑星が主星の前を横切るトランジットの時に、系外惑星の大気の吸収スペクトルを調べ、生命活動により生成される酸素・オゾン・メタンなどを検出するというものである。現在の観測技術では精度に問題があるが、いくつか生命が存在する可能性がある系外惑星が発見されている。
また火星でも、大気中に微量のメタンが存在することが明らかになった。これが生命の存在を示すものか、それとも自然現象で発生したものかは、研究者の間でも意見が分かれている。
このように人類のような知的生命体である「火星人」の存在はともかく、地球以外でバクテリアのような原始的生物が発見されるのは時間の問題といわれるようになった。
私は教育・ドキュメンタリー系の海外チャンネルを、しばしば見ることがある。宇宙関係の番組に出演する天文学者や天体物理学者が、もし地球外生命体が発見されれば、人類の歴史上の大発見になるばかりでなく、従来の思想・哲学・宇宙観が一変すると主張する専門家が多いのには驚かされる。
ところが私が専攻する仏教、とくに大乗仏教では、地球外に知的生命体が存在することは一種の教理的前提となっており、とりわけ不思議とするには当たらない。とくに初期の大乗仏典では、これら異なった世界の知的生命体間の交流がメインテーマになっているといっても過言ではないのである。
最近の天文学の飛躍的進歩と物理学の新知見を知れば知るほど、大乗仏典が説いてきた種々の教説と符合する点が多いことに驚かされる。そこで本書では、宇宙時代の到来と大乗仏教が説く不思議な世界との関係について、いくつかの興味深い事例を中心に、紹介することにしたい。
それは科学技術が爆発的に発展した宇宙時代に、私たちが研究してきた大乗仏教が、果たして存続しうるのかという問題に答えることにもつながるであろう。


