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宇宙時代と大乗仏教 田中公明

第2回 他土仏信仰の成立―大乗仏教は地球外知的生命体を認める―

 日本の仏教は、西暦紀元前後にその原初形態が現れ、2~3世紀のクシャン帝国時代に盛んになった大乗仏教が、中国・朝鮮半島を経て我が国に伝来したものである。そして大乗仏教の特徴として、我々が住んでいる娑婆しゃば世界とは別の世界にも、人類と同じような知的生命体が存在しており、そこにも娑婆世界の釈迦牟尼と同じような仏がいて、衆生に教えを説いているという他土仏たどぶつ信仰がある。
 仏教では、仏教の真理(ダルマ)の普遍性を強調する。そこで釈迦牟尼しゃかむに以前にも、彼と同じように出家修行し、悟りを開いた仏がいたと考えて、過去仏信仰が生まれた。さらに大乗仏教では、ダルマを時間的だけでなく空間的にも普遍な原理と考え、娑婆以外の世界にも、釈迦牟尼と同じように出家修行し、悟りを開いた仏がいると考えるようになった。
 なお近年の研究では、すでに若干の進歩的な部派が、他土仏の存在を認めていたことが明らかになっている。大衆部だいしゅぶ系の出世間部が伝えた『マハーヴァストゥ』(大事)には、大乗仏典とは尊名が異なるが、東西南北に四つの中間方位、そして上下の世界に住む十方仏の名が列挙されている。またタイ在住の研究者ピーター・スキリングの報告によれば、タイのテーラヴァーダ仏教にも、大乗仏教のものとは異なる十方仏の名が伝えられている。しかしテーラヴァーダ仏教では、これら他土仏の像を造ったり、独立して信仰することはない。
 ところが大乗仏教では、他の世界の仏を信仰する他土仏信仰が興った。この問題については、前著『仏菩薩の名前からわかる大乗仏典の成立』(春秋社)で詳しく論じたが、その要点をまとめてみよう。
 ブッダの入滅後、時が経つにつれ、信徒の間ではブッダを追慕する機運が高まり、何とか生身しょうじんのブッダに会って、直接教えを受けたいと考える者が現れた。しかし娑婆世界の釈迦牟尼仏はすでに涅槃ねはんに入ってしまったので、その代わりに現在も他の世界に生きている仏、つまり他土仏を信仰する他土仏信仰が興った。
 大乗仏典の中でも、最初期に属する『般舟三昧経』では、他の世界に現在も生きている仏を、あたかも眼前にいるかの如く観想し、この娑婆世界に居ながらにして教えを受ける般舟三昧はんじゅさんまいが説かれた。しかし『般舟三昧経』の「行品」に、「是の菩薩摩訶薩ぼさつまかさつ天眼てんげんを持って徹視せず、天耳てんにを持って徹聴せず、神足じんそくを持って其の仏刹ぶっせつに到らず、是の間に於いて終って、彼の間の仏刹に生じてすなわち見るにあらず、便ち是の間に於いていながらに阿弥陀仏を見たてまつり、所説の経を聞いてことごとく受得す。三昧の中に従って悉く能く具足して人の為めに之を説く」とあるように、この段階では、まだ神通力で他の世界に瞬間移動したり、死後、他の世界に生まれ変わって他の世界の仏にまみえるということは考えられていなかった。
 そして『般舟三昧経』では、眼前に観想すべき他土仏の例として、阿弥陀仏あみだぶつが挙げられている。大乗仏教の理論上は、他に知的生命体が生活している世界は無数にあり、そこで釈迦牟尼と同じように出家修行し、悟りを開いた仏も無数にいることになるが、そこで阿弥陀仏という特定の他土仏の名が挙げられたのには、意味があると思われる。
 つまり釈迦牟尼ではなく、他の世界で現在も教えを説いている仏に会おうと思っても、その仏の寿命が釈迦牟尼と同じように80年しかなかったら、すぐに涅槃に入ってしまう恐れがある。これでは般舟三昧の対象にならないし、その浄土に往生しても、すでに仏は涅槃に入ってしまっていた後だったということになりかねない。
 そこで大乗仏教では、娑婆世界の釈迦牟尼仏に比して寿命が著しく長く、事実上涅槃に入らない仏が、代表的な他土仏として信仰されるようになった。このような他土仏の代表者として、初期大乗の時代から信仰を集めたのが、東方妙喜みょうき世界の阿閦あしゅく如来と、西方極楽浄土の阿弥陀如来である。
 初期大乗仏教を代表する他土仏経典としては、阿閦信仰を説く『阿閦仏国経』、阿弥陀信仰を説く『無量寿むりょうじゅ経』と『阿弥陀経』が挙げられるが、『無量寿経』の阿弥陀仏は原語がアミターバ(無量光)であるのに対し、『阿弥陀経』の阿弥陀仏は原語がアミターユス(無量寿)であり異なっている。教理的には無量光仏と無量寿仏は同じ仏の異名であり同躰どうたいとされるが、歴史的に見た場合には、『無量寿経』は『阿弥陀経』に先行するとされるので、アミターバ(無量光)の方がアミターユス(無量寿)より古いと考えられていた。
 ところが『般舟三昧経』に説かれる阿弥陀仏の原語は、チベット訳からアミターユス(無量寿)と推定される。つまり般舟三昧の観想対象となる他土仏としては、寿命が著しく長く、事実上涅槃に入らないことが必要となるため、「無量の寿命をもつ」という名前の他土仏が、他土仏信仰を代表する阿弥陀如来の原型になったと考えられるのである。
 それでは阿閦如来や阿弥陀如来のような他土仏は、どうして寿命が極端に長く、事実上涅槃に入らないとされたのであろうか? それは大乗仏教では、アインシュタインの相対性理論と同じく、異なった世界間では時間の経過が相対的に異なるとされることによると思われる。
 初期大乗経典の一つ『華厳経けごんきょう』の「寿命品」によれば、この娑婆世界が誕生してから消滅するまでの一劫は、安楽世界つまり阿弥陀仏の極楽浄土では一日一夜である。しかし安楽世界の一劫も、金剛仏の聖服幢しょうふくどう世界の一日一夜に過ぎない。さらに聖服幢世界の一劫も、善楽光明清浄開敷仏の不退転音声輪世界の一日一夜であり、不退転音声輪世界の一劫も、法幢仏の離垢世界の一日一夜であり、離垢世界の一劫は師子仏の善灯世界の一日一夜、善灯世界の一劫は、盧舎那仏の善光明世界の一日一夜。善光明世界の一劫は法光明清淨開敷蓮華仏の超出世界の一日一夜。超出世界の一劫は、一切明光明仏の荘厳慧世界の一日一夜、荘厳慧世界の一劫は、覚月仏の鏡光明世界の一日一夜に過ぎない。このようにして百萬阿僧祇あそうぎの世界の最後の世界の一劫も賢首仏の勝蓮華世界の一日一夜に過ぎないという。
 このように『華厳経』によれば、我々が住む娑婆世界から見れば、途方もなく時間の経過が遅い阿弥陀如来の極楽浄土でさえ、広大な宇宙に当たる蓮華蔵れんげぞう世界の中では、時間の経過が比較的早い世界であるということになる。
 それでは数多い他土仏の浄土の中でも、なぜ阿弥陀如来の極楽浄土が信徒が往生すべき理想の国土とされたのであろうか。それは極楽浄土より時間の経過が遅い世界が、必ずしも極楽浄土のような快適な国土とは限らないことによると思われる。
 また我々が極楽に往生するのは、娑婆世界では三大阿僧祇劫さんだいあそうぎこうという途方もなく長い期間かかる修行を、極楽に往生して速やかに完成させ成仏するためとされている。これもよく誤解されているが、極楽浄土に往生した衆生は、そこで成仏するのではない。極楽に往生して、阿弥陀如来から「汝は○○世界で、××という名前の仏になるであろう」という予言(授記じゅき)を受け、それぞれの世界で成仏することになる。
 その時、阿弥陀如来から授記を受けて速やかに所定の国土で成仏する者もあるが、再び娑婆のような穢土えどに戻って、有縁うえんの衆生を救済してから成仏することもできるとされた。これが浄土門でいうところの還相げんそう往生であるが、極楽浄土より時間の経過が著しく遅い国土に生まれ変わると、成仏する頃には娑婆世界では三大阿僧祇劫が経過してしまい、すでに有縁の衆生は皆、成仏した後だったということにもなりかねない。これでは他土仏の浄土に生まれ変わる意味がない。
 このように大乗仏教では、アインシュタインの相対性理論のように、異なった世界間では時間の経過が異なると考える。そして他土仏信仰は、数多い他土仏の世界の中から、娑婆世界に比して仏の寿命が著しく長い世界が選ばれ、その浄土に生まれ変わることが推奨されるようになった。
 ただしこれも仏の寿命が単に長いだけでなく、速やかに修行を完成させ、成仏が可能になる快適な環境を備えた世界の仏が選ばれ、他土仏信仰が成立したと考えられる。
 なお阿弥陀信仰などの他土仏信仰は、『般若経はんにゃきょう』に説かれるくう思想などの深淵な大乗仏教思想が理解できず、六波羅蜜ろくはらみつなどの菩薩の基本的徳目を実践できない者のために説かれた方便説であるとの理解がある。例えば龍樹(ナーガールジュナ)に帰せられる『十住毘婆沙論じゅうじゅうびばしゃろん』「易行品いぎょうぼん」などは、そのような目的で書かれ、後の法然ほうねん親鸞しんらんにも大きな影響を及ぼした。
 しかし拙著『仏菩薩の名前からわかる大乗仏典の成立』で指摘したように、他土仏信仰の先駆をなす『般舟三昧経』は、大乗仏典の中でも西暦紀元前後に遡りうる最古のテキストの一つである。そしてその内容が、他の世界に現在する仏を目の当たりに観想し、その説法を聴くことができるだけでなく、聴聞した教えを他に広めてもよいとされたことは、その後爆発的に発展する大乗仏典成立の契機になったと思われる。
 そしてそれに続く『阿閦仏国経』、『無量寿経』、『阿弥陀経』などの大乗仏典が、初期大乗の中でも、とりわけ古い層に属することは示唆的である。つまり大乗仏典の中でも最古である『般舟三昧経』の実践者が、眼前に観想した他土の仏から受けた啓示の中には、その他土仏が成仏するに至った因縁譚や、その浄土の有様が含まれていた筈である。そしてその内容を整理したものが初期の他土仏経典に反映されたと考えるなら、『阿閦仏国経』、『無量寿経』、『阿弥陀経』などの他土仏経典が、なぜ大乗の中でも古い層に属するかを合理的に説明できると思われる。
 しかも『法華経』『華厳経』といった大部の大乗仏典も、『阿閦仏国経』、『無量寿経』、『阿弥陀経』などを参照していたことが確認できるので、他土仏信仰は、大乗仏教を特徴づけるだけでなく、その成立当初から存在していた重要な要素であったと考えられる。
 そしてその典拠が、仏教が説く真理が時間と空間を超えた普遍性をもつという主張と、異なった世界観で時間の経過が相対的であるという理論に裏づけられていることは注目に値する。つまり大乗仏教は、その成立当初から宇宙的な宗教だったのである。
 それでは2世紀から5世紀にかけて、なぜ大乗仏教がシルクロードを経由して爆発的に流行したのだろうか? それは当時のアジアの政治状況にあると考えられる。
 大乗仏教が発展した頃のインドは、イラン系の遊牧民族が北インドを征服して樹立したクシャン帝国に支配されていた。その領土内には、本来のインド・アーリヤ系の住民だけでなく、征服者であるクシャン族をはじめ、それに先駆けて中央アジアから北インドに入ってきたサカ族、さらにアレクサンダー大王の東征によって現在のアフガニスタンから北インドに定住したギリシャ人など、多くの民族が居住していた。
 いっぽう大乗仏教が伝播した中国も、4世紀から5世紀にかけて、北方の異民族が華北に侵入し、五胡十六国という小国分立の時代を迎えていた。そして十六国を統一して華北を制圧した北魏は、五胡の一つ鮮卑せんぴが樹立した帝国だった。
 つまりクシャン帝国と北魏では、領内の様々な国民が民族の垣根を越えて幅広く信仰できる宗教が必要とされていた。異なった世界が、普遍的な真理である仏教を通じて交流することを説く宇宙的宗教=大乗仏教は、そのような要請に応えるものだったと思われる。

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著者略歴

  1. 田中公明

    1955年、福岡県生まれ。1979年、東京大学文学部卒。同大学大学院、文学部助手(文化交流)を経て、(財)東方研究会専任研究員。2014年、公益財団化にともない(公財)中村元東方研究所専任研究員となる。2008年、文学博士(東京大学)。ネパール(1988-1989)、英国オックスフォード大学留学(1993)各1回。現在、東方学院講師、慶應義塾大学講師、東洋大学大学院講師、高野山大学客員教授(通信制)[いずれも非常勤]、富山県南砺市利賀村「瞑想の郷」主任学芸員、チベット文化研究会副会長。密教や曼荼羅、インド・チベット・ネパール仏教に関する著書・訳書(共著を含む)は50冊以上。論文は約140編。くわしくは個人ウェブサイト(http://kimiakitanak.starfree.jp/)を参照。

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