ホラーとメタル
「あんたが自分をサタンだって言うなら、そういうことにしといてやる。ほら、ああいうのは売れるんだよ。(略)ただのマーケティングさ、それだけ」
――レイ・ガートン「The Devil’s Music」(1987)
前回・前々回と、文学を扱ったヘヴィー・メタル曲を紹介してきた。今回は逆に、ヘヴィー・メタルを扱った映画・文学作品を見てみたい。
ヘヴィー・メタルとコメディ映画
今回のタイトルに「ホラー」と付けてはいるが、映画でヘヴィー・メタルが活きるのは、何と言ってもコメディである。
1983年、イギリスのBBCのチャンネル4で放送されたコメディ番組「ザ・コミック・ストリップ」で架空のヘヴィー・メタル・バンド「バッド・ニューズ」が登場し、バンドの突飛な言動や風貌をネタにしたのを始め、1985年には音楽パフォーマンス集団Pookiesnackenburgerがメタル・バンドに扮したコメディ番組「Pookiesnackenburger in Hell Bent」がチャンネル4で放送されている(1985年4月18日)。他にも、これらと同じ路線のアメリカ映画『スパイナル・タップ』(1984)、MTV世代を代表する『ビルとテッド』シリーズ(1989/1991/2020)や『ウェインズ・ワールド』シリーズ(1992/1993)、時代を反映してメタルとオルタナティヴが同居する『ハードロック・ハイジャック』(1994)、2000年代のメタル復活を象徴するような『スクール・オブ・ロック』(2003)、「メタル大国」フィンランドの『ヘヴィ・トリップ』シリーズ(2018/2023)、日本でも『デトロイト・メタル・シティ』(2008)など、ヘヴィー・メタルを扱ったコメディには名作・良作が多い。極端さゆえに浮世離れしたヘヴィー・メタルのイメージは、パロディにするのに向いているからだろう。実際これらの映画で描かれるミュージシャンやファンは、音楽には純粋だが、その分世間の価値観とはズレていて、それが笑いを誘うという造形で一致している。
極端さが似合うという点ではコメディとホラーが双璧である。ホラー映画については後で述べるとして、これらのジャンル以外の映画もないわけではない。が、成功作は多くないように思う。スペンサー・サッサー監督『メタルヘッド』(2011)は、母親の死によって機能不全に陥りかけている家庭が、突如現れたヘヴィー・メタルのファンらしき男の傍若無人な振る舞いによって修復されていくという静謐な人間ドラマで、面白い試みだとは思うが、あまりに説明が少ないのと、メタル=破壊的というステレオタイプを脱していないために、一部の評価に留まっているのも理解できる内容であった。ただ、ここでも世間の価値観とはズレている存在として、この謎の男が描かれている点では前述のコメディ作品と同様である。
ヘヴィー・メタルとホラー映画
ヘヴィー・メタルといえばコメディよりもホラーというイメージが強いかもしれない。そもそもブラック・サバスのバンド名からして1963年のマリオ・バーヴァ監督による同名のホラー・オムニバス映画に由来するものであるし、アリス・クーパーやキッスといったミュージシャンは、ライヴでの衣装や演出でホラー的な要素をふんだんに使っていた。『ファントム・オブ・パラダイス』(1974)、『ロッキー・ホラー・ショー』(1975)、キッスが主演したテレビ映画『地獄の復活』(1978)といった作品ではより直接的にロックのホラー的なイメージがコミカルに扱われている。一連のダリオ・アルジェント監督作品で流れるロック・バンドのゴブリンの音楽も、ロックとホラー映画の結びつきを強めてきた。
しかし、1970年~1980年初頭のホラー映画のサウンドトラックの多くは、いわゆる現代音楽を多く用いた『エクソシスト』(1973)、宗教音楽の壮大なパロディである『オーメン』(1976)、電子音を使ったミニマル/アンビエント風の『ハロウィン』(1978)、「モンド映画」の流れを組む美しく歌謡的なメロディをもった主題曲や耳障りな電子音が印象的な『食人族』(1980)など、ロック的なものは実は多くない。
そんなホラー映画とロック(ヘヴィー・メタル)だったが、1980年代になると両者は急速に接近する。MTVの人気に伴って、ハリウッド映画のサウンドトラックがそれまでの背景音楽からヒット狙いのコンピレーション・アルバムへと変質していく中、ホラー映画の主題歌・挿入歌をヘヴィー・メタル・バンドが担当することで、そのイメージはさらに強まった。
有名なところでは『13日の金曜日 PART6:ジェイソンは生きていた』(1986)でアリス・クーパー「ヒーズ・バック」が、『エルム街の悪夢3:惨劇の館』(1987)でドッケン「ドリーム・ウォリアーズ」が、『ヘルレイザー3』(1992)でモーターヘッド「ヘルレイザー」が使われている。
注目すべきはどれもが続編であることと、使われた曲がヘヴィー・メタル/ハード・ロックがベースにありつつ、妙にポップなのが共通していることである。
1980年の『13日の金曜日』が低予算の独立系映画でありながら大手パラマウントに買い取られて大ヒット、その後続編で予算が倍増し、類似のスラッシャー映画(連続殺人鬼を中心に据えたホラー/スリラー映画)が大量生産されてブームになるという構図は、1980年代のアメリカにおけるヘヴィー・メタル人気と重なる。より多くの観客・聴衆に向けて表現が軟化するのも同様である。ホラーが続編を出す――すなわちヒットが見込まれるジャンルとなってから、同じくヒットが見込まれる主題歌にヘヴィー・メタル・ミュージシャンが起用されているわけである。内容だけでなく、10代の受容層をターゲットとしたマーケティングとしても重なる分野となったのである。[1]
このような主題歌的な扱いだけではなく、ヘヴィー・メタルを直接扱った作品も現れる。
1984年の『スプラッターズ・ロック(原題:Rocktober Blood)』は、ヘヴィー・メタル・バンドのメンバーが大量殺人を犯し死刑になったが、なぜか復活(後に一応合理的な説明がある)、再結成ライヴに乱入してヒロインをステージ上で殺そうとするというストーリーで、話としてはかなり無理があるのだが、ソーサリーという実在のバンドが演奏を担当しており、披露される音楽の質は高い。
このような一応はシリアスなホラーも存在はするが、前述の『ロッキー・ホラー・ショー』などでも明らかなコメディとの相性の良さから、ヘヴィー・メタルとホラーが結びついた作品にはホラー・コメディが多い。
『Hard Rock Zombies』(1985)は、カリフォルニアの、ロックを嫌悪する保守的な街で演奏しようとする「ホーリー・モーゼズ」というバンド(実在のドイツの同名バンドとは異なる)のメンバーが人狼の母子(実はその人狼の父/夫は第四帝国を打ち立てようとするヒトラーである)に殺されるが、ゾンビとして蘇り、しかしその演奏はさらにゾンビを生み出して……という荒唐無稽なもので、スプラッター的な場面はあるが、あらすじからも分かるように99パーセントがコメディである。
『ハロウィン1988 地獄のロック&ローラー』(原題:Trick or Treat)(1986)は、レコードを逆再生して「復活」したメタル・ミュージシャンの物語で、オジー・オズボーンやジーン・シモンズが出演し話題となった。特にオジー・オズボーンは不道徳な歌詞に苦言を呈するテレビ伝道師役で登場して、皮肉なコメディ的描写となっている。オズボーンは実際にテレビ伝道師であるジミー・スワッガートから執拗に標的にされてきたことが背景にあり、それを逆手にとった演出である。なお、スワッガートは買春をしていたことが1988年に明らかになり、オズボーンの「ミラクル・マン」(1988)という曲の題材となった。
1991年の『Shock 'Em Dead』は、悪魔に魂を売って超絶技巧を手に入れたギタリストが、かつて自分を不採用にしたバンドのオーディションに再挑戦、次第に人気を得ていくものの、誰かを殺さねば悪魔との契約を続行できないと知って凶行に手を染め始める、というもの。悪魔に魂を売ってもいきなり大成功するわけでなく(とはいえ、トレーラーハウスから豪邸に住みかえている)、オーディションを経て、さらにレコード会社の大物が来るライヴで実力を見せて、と行動が堅実なのが面白い。この作品では、主演のステーヴン・クアドロス(彼自身は1980年前後にSNOWというバンドでドラマーをしていた)の吹き替えとして、左右に二本のネックをもったギターで両手を使った速弾きを披露するギタリスト、マイケル・アンジェロ・バティオが演奏を録音しているが、映画『クロスロード』(1986)で同じくギターの悪魔を演じたスティーヴ・ヴァイほどの話題にはならなかった(ブルースの探求をテーマにした同作で、突然ヴァイがパガニーニを弾き始める面も違和感のあるものではあるが)。
2009年の『Suck サック』も似たような筋で、売れないロック・バンドが吸血鬼になって人気を得ていくというものだ。アン・ライスの小説『夜明けのヴァンパイア』(1979)以降のヴァンパイア・クロニクルの主人公レスタトも現代でロック・バンドをやっているという設定だったので、そのパロディとも言える。この映画もヴァンパイアでいるためには人命を犠牲にせねばならず……という話で、アリス・クーパーやイギー・ポップ、ヘンリー・ロリンズといった有名ミュージシャンも出演している。
音楽映画の難しさ
だが、そもそもヘヴィー・メタルに限らず、クラシックだろうがジャズだろうが、音楽映画は難しい。時間の制約上、演奏シーンは細切れになることはほとんどだし、作曲や練習の風景は、地味で「絵」になりづらい。
映画という芸術の構造的な問題もある。
映画で流れる音楽(音)は、映像とは異なり、どこかに「本物」があるわけではない。映画に映る鏡は観客を映さないが、映画の音は観客の鼓膜を直接震わせる。ゆえに作品の中の音と、その場で観客が聴く音とに区別をつけがたい、というところに難しさがある。[2]
『パガニーニ:愛と狂気のヴァイオリニスト』(2013)のパガニーニの演奏シーンには観客が失神する描写があるが、映画館でそれを見て――聴いて――失神した現実の観客は皆無だろう。作品の内外で、同じ(だとして鑑賞される)音楽が引き起こす反応に差があればあるほど、そのシーンの説得力は失われる。同じパガニーニをテーマにしたホラー映画『パガニーニ・ホラー』(1989)[3]のパガニーニ(の亡霊)はヴァイオリンで人を殺すのだが、凶器は音楽ではなく、楽器内に仕込まれた短刀であるのは理にかなっている。音楽で失神する描写は観客に「この音楽で失神するか?」という疑問をもたらすが、短刀で人を刺殺する場面であれば、それが稚拙な描写であったとしても「まあこれで刺されたら死ぬだろうな」と納得されるだろうからだ。バラージュ・ベラが「パガニーニの映画の場面がサイレント映画においてのみ可能だった」[4] と指摘している通りである。
ホラー映画で多用される「ジャンプスケア」と呼ばれる、唐突な大音量や場面の切り替えなどで観客を怖がらせる手法の方が、たとえそれがコケ脅しであろうと、物理的な影響を与えるという点ではまだしも効果的である。
コメディやミュージカルのように、もしくはアニメ映画のように、かなりデフォルメして「これは作中の出来事ですよ」というある種の約束を観客と共有していれば――つまり、観客の側から「第四の壁」(現実とフィクションを分かつ境目)を越えて作中の論理に従うのであれば、この問題は解決する。ヘヴィー・メタルを扱った作品にコメディやホラー・コメディが多いのも、このような理由によるのかもしれない。
ヘヴィー・メタルとホラー小説
このような音楽映画の難しさとは無縁なのが、小説である。非現実的な音楽でも文字であれば描くことができる。極端さを指向するヘヴィー・メタルをより極端に描くことができる。
ホラー小説もまた、映画と同じく1980年代~90年代初期にロック/ヘヴィー・メタルとの結び付きを強める。スティーヴン・キングがロック/ヘヴィー・メタル・ファンであることは良く知られているし[5]、彼の子である作家のジョー・ヒルも『ハート・シェイプド・ボックス』(2007)で、オカルトに入れ込んでいる低迷するロック・スターを主人公にしている[6]。キングの作品も収録されている『ショック・ロック』(1991/1994)というホラー短編のアンソロジー・シリーズも出版されている。この『ショック・ロック』はシリーズ一作目の序文をアリス・クーパーが書いている。
よりアンダーグラウンドな例で言えば1990年代末頃に誕生した「ビザーロ(Bizarro)」と呼ばれる、カフカ的な不条理文学とアニメやコミック、そしてホラーを混ぜ合わせたようなサブジャンル[7]にも、ジョン・ローソンやアレックス・S・ジョンソン、ジェレミー・ロバート・ジョンソン、ジナ・ラナッリなど、ヘヴィー・メタルを好む作家が多い(ジョンソンは『Axis of Evil』(2015)というヘヴィー・メタル関連のホラー・アンソロジーも編んでいる)。ウィリアム・バロウズからの影響も強いジャンルであり、第二回で「バロウズの「ヘヴィー・メタル」が、その後の音楽ジャンルとしてのヘヴィー・メタルに与えた影響は間接的」と書いたが、この辺りでバロウズと音楽のヘヴィー・メタルとが接点を見出したとも言える。ちなみに、同ジャンルの旗手の一人、カールトン・メリック三世には『Ultra Fuckers』(2008)という、かつて作家のモブ・ノリオが在籍していた実在の日本のスカム(パンクや電子音楽をごった煮にしたようなジャンル)バンドの名前をタイトルにした作品があり、作中にも日本人の三人組が登場して、永遠に終わらないアメリカの郊外の街並みの中で破壊の限りを尽くす。
ホラーとヘヴィー・メタルの関連についてはアメリカのDecibel Magazineウェブ版内のTales From the Metalnomiconというコーナーが定期的に作品を紹介しているので参照されたい。
スプラッター・パンク
さて、ヘヴィー・メタルとの関連で言えば、このようなホラー小説の「当たり年」は1988年である。この年に、デイヴィッド・J・ショウ『The Kill Riff』(1988)と、ジョン・スキップ&クレイグ・スペクター『The Scream』(1988)というヘヴィー・メタルを扱った、このジャンルを代表する作品が出版されている。これらは「スプラッター・パンク」というジャンル名でくくられることが多い。
この「スプラッター・パンク」は、キングよりも10歳ほど若い世代に属する作家が主で、おどろおどろしい雰囲気ものではなく、映画からの影響を受けた直接的な暴力描写や、予定調和・勧善懲悪にこだわらないストーリーなどで、粗削りな作品は多かったものの、ホラー小説をより先鋭的な表現に導いた。
このスプラッター・パンクについては、日本では『SFマガジン』1990年5月号とアンソロジー『死霊たちの宴』(1998/原著1989)の序文と解説に詳しい。これらによれば、この呼称は1986年の世界ファンタジー・コンベンションでのパネルに由来し、そこでショウが自分たちを冗談交じりにそう呼んだのが始まりとのこと。「パンク」の呼称は音楽ジャンルというよりは、当時流行していた「サイバー・パンク」から来ている。
ではここで、ジョン・スキップ&クレイグ・スペクター『The Scream』(1988)を見てみよう。
主人公はヴェトナム戦争で従軍経験のあるロック・バンドのリーダーで、戦争の記憶のフラッシュバックに悩まされ続けている。彼は、テレビ伝道師を批判する曲で物議をかもし、キリスト教右派からの脅迫まがいの批判にさらされている。彼の企画しているチャリティ・コンサートは、かつてない規模のもので(アイアン・メイデンからジョニ・ミッチェル、U2、デイヴィッド・ボウイまでが出演するという)、メディアから注目を集めているものの、その分だけ批判者からの風当たりが強まっている、という状況である。
そんな中で若者たちの人気を集めているのがそのチャリティ・コンサートにも出演するザ・スクリームというバンドで、作中では「ポストメタル・サイバー・スラッシュ」というジャンルで呼ばれている。狂信的なファンを暴徒に変貌させるこのバンドの「顔」は、ヴォーカルのTaraで、彼女は妙な魔力めいた力をもっているようだ。サディスティックで猟奇的な趣味をもつ同バンドのメンバーは、このTaraがバンド内で目立っていることが気に入っていない。
主人公は、テレビ伝道師批判からも分かるように、これまでロックの反骨性を信じてきたものの、ザ・スクリームのように純粋に反社会的な存在をどう捉えて良いのか分かりかねて、戸惑っている。
そして、件のチャリティ・コンサートが惨劇の場と化す、というストーリーだ。
映画『ランボー』(1982)のようなヴェトナム・トラウマもの、前述のオジー・オズボーンを批判していたテレビ伝道師のようなキリスト教的道徳に基づく規制強化とそれへの反発、バンド・エイド(1984)、USAフォー・アフリカ(1985)やライヴ・エイド(1985)から本格的になったチャリティー企画の流行(ヴォーカリストのロニー・ジェイムズ・ディオの呼びかけでヘヴィー・メタル系ミュージシャンが集まったスターズ「ヒア・アンド・エイド」(1986)というチャリティー企画もあった)など1980年代らしい話題に加えて、バンド・メンバー同士の人間関係の軋みなどの普遍的な問題も含めて、詰め込めるだけ詰め込んだような作品である。結果、登場人物が多くなり、その描き方に濃淡が生じて、正直なところ洗練された作品とは言い難い。ただ、音楽によってファンを変質させるという設定は、映画化して実際の音楽で表現するのはかなり困難であろうし、そう考えると小説の特質を活かしていると言えるだろう。
また、保守vsロックといった二項対立ではなく、ロックの側からもヘヴィー・メタルに疑問を投げかけられる構図は、60年代~70年代にロックが担っていた狭義の政治性・社会性が失われていった、またはそのように映った、1980年代のシーンをよく表している。暴力や攻撃性が権威への反抗という理由付けができる内は良いが、純粋な暴力性・攻撃性だけを表現している時、それをどう評価すべきなのかという問いがそこにはある。
前述のアンソロジー『ショック・ロック』のアリス・クーパーによる序文でも「ロックとホラーってのは完璧な組み合わせだ。両方ともセンセーショナルで、お上品ではなく、反骨精神に支えられている。やりすぎてるバンドもあるけどな――一線を突き抜けちまった悪魔主義みたいなやつさ」[8] とあり、1948年生まれのアリス・クーパーの、ちょうど『The Scream』の主人公と同世代人としての共通の戸惑いのようなものが吐露されている。
危険な音楽か、安全な娯楽か
スプラッター・パンクと、『羊たちの沈黙』(これも1988年の出版だ)にも通じるプロファイリングを駆使したサイコ・スリラーを合わせた、マイケル・スレイドの『グール』(大島豊訳、東京創元社1993/原著:1988)もヘヴィー・メタル・バンドが重要な役割を果たす作品で、やはり同年に発表されている。この「マイケル・スレイド」は弁護士のジェイ・クラークを中心とした複数人のプロジェクトのペンネームで、そのキャリアゆえに、ヘヴィー・メタルに対して一面的な礼賛や批判とは距離を置いた描写を行っている。
ストーリーは、イギリス、カナダ、アメリカを舞台に複数の連続殺人事件が起こり、そこに「グール」というヘヴィー・メタル・バンドのメンバーが関わっているのではないかという疑惑が生じ、捜査を進めていくというもので、第6回で扱ったラヴクラフトのクトゥルー神話も途中から重要な役割を果たすようになる。章のタイトルに「グリム・リーパー」や「モトリー・クルー」といったバンド名が使われ、またアリス・クーパーが手がかりとして登場して、小道具として「アイアン・メイデン」(内側に針のついた棺桶型の拷問器具)も出てくる。
この作品に登場するバンド「グール」は、奇しくも『The Scream』と同じく、ヘヴィー・メタルでは――当時は今よりもさらに――珍しかった女性ヴォーカルである。
さて、この作品の中心的なテーマの一つが、ヘヴィー・メタルやホラー小説/映画は、人に悪影響を与えるのか、というものである。既出のテレビ伝道師の問題もそうであるし、また1985年の設立以降ヘヴィー・メタルを含む音楽に規制をかけようとしていたペアレンツ・ミュージック・リソース・センター(PMRC)の活動や、第4回に登場したメアリー・ホワイトハウスの「テレビ浄化」の活動、またそこからより対象を拡大してホラーやゲームにも矛先が向いた社会全体のモラル・パニックを背景にした問題設定で、先ほどの『The Scream』の主人公の悩みにも通じるものである。アリス・クーパーの言うような「やりすぎ」をどう考えるか、という問題である。
この『グール』には、捜査で彼らのライヴ会場に行った警官同士の、次のような場面がある。
警官の一人がホラー/ファンタジー小説や映画、「暴力的な」ロックは「脳を腐らせる」のかと訊くと、もう一人は次のように答える。
「〔註:暴力的なロックやファンタジー・ファンの〕そういう妄想があいつらの反社会的な方向にある考え方や行動に影響を与えないとは言わせないぜ。実際与えているのを知ってるからな(略)」
それを受けてもう一人は「本や映画の中で犯罪のインスピレーションを得たからって、あるいはロックの歌を殺しの現場のサウンドトラックに使ったとしたってだな、問題なのは狂気そのものであって、著者や映画監督やミュージシャンの想像したものじゃないんだ(略)」[9]と言う。ヘヴィー・メタルが犯罪に全く無関係だとも言いきらず、しかし問題の真の所在は別にあるという会話は、弁護士というキャリアをもち、現実に凶悪事件の裁判に関わった経験のある人物が関わっているがゆえであろう。
「音楽の力」とは何か
さて、ヘヴィー・メタルが特定の犯罪や、それを引き起こす人物の人格形成に影響を与えるという主張は、当然ヘヴィー・メタル・ファンにとっては受け容れがたいものである。ほとんどの事件では主要な要因は他にあり、音楽は特段糾弾されるべき対象ではない。実際、私がヘヴィー・メタルにどっぷりと漬かっていた1997年に神戸連続児童殺傷事件が起こった際、その犯行声明にメガデスの楽曲の引用がある、と報道された際には強い憤りを覚えた(しかもそれは誤報であった)。マイケル・ムーア監督『ボーリング・フォー・コロンバイン』(2002)も、1999年の高校銃乱射事件の影響をマリリン・マンソンの音楽などに求めようとする人々に対して、より本質的な問題に目を向けさせようという意図をもったドキュメンタリーである。
だが――一方でこんなジレンマもある。ヘヴィー・メタルやその他の音楽・文化が無害であると断じることは、その文化のもつ力を減じることになるのではないか。
もちろん、圧倒的に多数の芸術家やファンは、それらを安全に発信し、楽しんでいる。だがそれは、包丁やナイフと同じようなもので、誰もが日々安全に使っているからといって、人を傷つける力が無いわけではない。古来より、人間を戦場に向かわせた音楽が絶えなかったことを思い出しても良い。
世界には、排他的であったり、攻撃的であったりする音楽も多々ある[10]。音楽は人間がするものであり、一線を越える人間がいる以上、音楽も時に一線を越える。良し悪しは別として、そんな排他性や攻撃性が育んできた音楽文化が存在することは否定できない。もちろん、それを受け入れるかどうか、それとも批判や排除をすべきかどうかというのはまた別の問題であるが、ポジティヴな文脈で穏便に使われることの多い「音楽の力」というのは、このようなネガティヴな「力」を抜きには語れないものであると思う。
そのことを読者に思い出させるように『グール』の巻末には、ヘヴィー・メタル・ファンが犯人であった連続殺人・暴行・強盗事件「ナイト・ストーカー」事件(1984-85)をはじめ、ヘヴィー・メタルが関わっているとされる実際の複数の事件の概要が並べて掲載されている。
第2回で、ヘヴィー・メタルが両義的であると述べた。それはヘヴィー・メタルに限らず、そもそも音楽の「力」――ホラー映画/小説の場合は「物語の力」とでも言えるだろうか--というものが、このように両義的であることを思い出させる。人間だけは傷つかない刃物などといった都合の良いものは存在しないのである。
(第8回:終)
[1] スラッシャー映画/スプラッター映画が、大ヒットの見込まれるジャンルとなっていたのは、作中の犯人やゾンビなどのモンスターが作業着姿であったり、チェーンソーや屠畜用の道具などを用いたりするなど、しばしば伝統的な「労働者」像を反映していることを考えると興味深い。このことについては、マーク・スティーヴン、風間賢二訳『スプラッター映画と資本主義:血しぶきホラーの政治経済学』(青土社、2025/原著:2017)を参照。
[2] もちろん現実の鑑賞では、たとえば隣席の観客の咳払いと劇場のスピーカーから流れる音は明確に区別される。美学的な考察は筆者の能力的にも本稿の紙幅的にも控えたいが、このような問題についてはたとえば長門洋平『映画音響論:溝口健二映画を聴く』(みすず書房、2014)の「序」および第一章が簡明に整理している。
[3] ヘヴィー・メタルとは言い難いが『パガニーニ・ホラー』の主人公もロック・バンドである。映画冒頭ではボン・ジョヴィ「禁じられた愛」(1986)を剽窃したような曲が演奏される。
[4] ベラ・バラージュ、佐々木基一訳『映画の理論:新装改訂』学芸書林、1992(原著:1948)、p.289。
[5] スティーヴン・キング、池央耿訳『小説作法』アーティストハウス、2001(原著:2000)。
[6] 作中では、ブラック・サバス風のオカルト的な歌詞を書いていたことや、1975年にレッド・ツェッペリンの前座をしていたこと(現実のレッド・ツェッペリンは前座を付けることが少なく、同年のツアーでも起用していない)が書かれており、ハード・ロック/ヘヴィー・メタル系バンドであることが示唆されている。
[7] ビザーロについての日本での紹介は早川書房『ミステリマガジン』2010年8月号を参照。
[8] アリス・クーパー、小川隆訳「前書き」、ジェフ・ゲルブ編、小川隆他訳『ショック・ロック』扶桑社、1992、pp. 9-12。
[9] マイケル・スレイド、大島豊訳『グール』東京創元社、1993(原著:1988)、pp.212-213。
[10] たとえば、同じ旋律の民謡をもつバルカン半島の近隣国・地域間で、その民謡が自分たちのものである/奴らのものではない、と主張する排他的な態度を捉えたアデラ・ペーヴァ監督の2003年のドキュメンタリー映画『Whose Song is This?』(この映画については伊東信宏『東欧音楽夜話:越えられない国境/未完の防衛線』2021、音楽之友社。を参照)、あるいはメキシコの「ナルコ・コリード」と呼ばれるマフィアの武勇伝を称える歌謡ジャンルを扱ったシャウル・シュワルツ監督『皆殺しのバラッド:メキシコ麻薬戦争の光と闇』(2013)など。殺人や放火事件で悪名高い1990年代ノルウェーのブラック・メタル・シーンから、女性を排除する複数の日本の伝統芸能の舞台まで、程度の差こそあれ、多くの音楽文化は何らかのかたちでの暴力や排除に関わって成立していると言えるだろう。
鋼鉄の音楽室(今回登場したミュージシャン/バンドとその音楽 ※登場順)
①ブラック・サバス Black Sabbath:第一回を参照。
②アリス・クーパー Alice Cooper:第四回を参照。
♪Alice Cooper 「He’s Back」
③キッス Kiss:第五回を参照。
④ゴブリン Goblin:イタリアのバンド。1970年代にオリヴァー、チェリー・ファイヴなどの名前で活動後、映画『サスペリア2』のサウンドトラックのためにゴブリンと改名。その後、オリジナル・アルバムも作成するが、主には同映画の監督であったダリオ・アルジェントの作品を始めたとした映画音楽を多く手掛ける。
♪Goblin「Profondo Rosso」
⑤ドッケンDokken:1979年、ヴォーカルのドン・ドッケンを中心に結成されたアメリカのバンド。派手な衣装とポップな楽曲、そしてギタリストであるジョージ・リンチのテクニカルなギターで「ヘア・メタル」の牽引的なバンドの一つとなった。
♪Dokken「Dream Warriors」
⑥モーターヘッド Motorhead:1975年にホークウィンドを解雇となったレミー・キルミスターが結成したバンド。ホークウィンドのサイケデリックなイメージから一転、バイカー風のヴィジュアルと、パンクとハードロックを融合させシンプルに突進するような音楽で、メタルに留まらないロック・シーンの重鎮的な扱いを受けるようになる。
♪Motorhead「Hellraiser」
⑦ソーサリー Sorcery:1975年結成のアメリカのバンド。1980年代にはビリー・ジョエルやINXSらとテレビで共演するなど、メジャーな活動を行っていた。ロック・バンドとスタントマンのドキュメンタリーを無理やり繋ぎ合わせたようなカルト映画『Stunt Rock』(1978)にも本人役で出演している。
♪Sorcery「Stunt Rock Soundtrack | Official Album Stream」
⑧ジーン・シモンズ Gene Simmons:第五回「キッス」を参照。
⑨マイケル・アンジェロ・バティオ Michael Angelo Batio:1956年生まれのアメリカのギタリスト。1980年代からHolland、Nitroなどのバンドで活躍し、その後ソロ活動を始める。当時の速弾きブームにも後押しされ、「世界一速いギタリスト」と呼ばれた。
♪Michael Angelo Batioのダブルネックギターソロ
⑩スティーヴ・ヴァイ:1960年生まれのアメリカのギタリスト。1980年からフランク・ザッパのバンドに加入しキャリアをスタートする。その後、ソロ活動を経て、アルカトラス、デイヴリッド・リー・ロス・バンド、ホワイトスネイク等に参加し、再びソロ活動を開始。超絶技巧と、オーセンティックなロックともジャズ/フュージョンとも異なる独特の音遣いと感情表現で独自の地位を築いている。
♪Steve Vai「Blue Powder」
⑪ウルトラファッカーズUltrafuckers:1991年から大阪で活動する「スカム」バンド。電子音楽やロック等を合わせた音楽で、アヴァンギャルドと言っても良いが、高尚さを狙わず、スカム(=屑)の名にふさわしい露悪的な音である。
♪同バンドのBandcampページ
⑫グリム・リーパー Grim Reaper:NWOBHM期、1979年結成のイングランドのバンド。後に加入したスティーヴ・グリメットの卓越したヴォーカルで人気となり80年代にはMTV でもビデオが流され、アメリカでも成功した。
♪Grim Reaper「See You in Hell」
⑬モトリー・クルー Motley Crue:1981年結成のアメリカのバンド。けばけばしいメイクやファッションと、ポップさのあるハードロックで人気となる。パーティ、飲酒、ドラッグなど、ロック・ミュージシャンのステレオタイプを地で行くことでスキャンダルにも事欠かなかった。加えて特に初期に六芒星などのオカルト風のイメージを使用していたことで保守派からの反感を買ったこともある。
♪Motley Crue「Looks That Kill」
⑭メガデス Megadeth:元メタリカのデイヴ・ムステインを中心に1983年に結成。複雑に入り組んだリフ等から、インテレクチュアル(知的な)・スラッシュとも呼ばれた。1997年の同事件では、ジャーナリストの有田芳生が犯行声明文とメガデス「Train of Consequences」の類似を主張したが、後に無関係であることが判明した。
♪Megadeth「Train of Consequences」
⑮マリリン・マンソン Marilyn Manson:1989年から活動をするバンド及びその中心人物。コロンバイン高校銃乱射事件の犯人がマリリン・マンソンのファンであったと報道され(後に否定)、バンドに対して強いバッシングが起こった。同映画では、マリリン・マンソン本人にインタヴューを行い「もしコロンバインの子供たちや地域の人々と今ここで直接話をするとしたら何と言いたいですか?」との監督の質問に「何も言わない。ただ彼らが言うことを聴きたい。それは誰もやっていないことだから」と答えている。
♪Marilyn Manson「The Fight Song」


