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軽刈田凡平の新しいインド音楽の世界 軽刈田凡平

インド産の「洋楽」――英語で歌うインド人

 

英語圏としてのインド

 「インドでは多様な言語が話されている」という話は、すでにこの連載で何度も書いてきた。

 ここで忘れてはいけないのは、インドでは、ヒンディー語やタミル語、ベンガル語、テルグ語などのインドの言語だけではなく、英語も広く話されているということである。

 インドでは、同じ母語話者同士でも、母語と英語を切り替えながら会話しているのを見かけることがある。例えば、インド人はインドの言語で「ありがとう」(ヒンディー語ならダンニャワード)を滅多に言わないが、英語の「Thank you」は日常的に口にする人が多い。英語が得意なインド人の場合、トピックやフレーズによっては英語で話すほうが自然なのだろう。

 インド人にとって、英語は日本人が思うよりずっと身近な言語であることは間違いない。

 ムンバイで長く活動しているラッパーから聞いた話だが、彼の世代のヒップホップファンは、アメリカのラッパーの曲を聴いて、耳でリリックの内容を理解していたという。彼のキャリアは2010年頃からで、インドのストリートラッパーとしては第一世代にあたる。

 日本のヒップホップファンで、英語のラップを聴いてリリックまで理解できるという人はほとんどいないだろう。インドには「Big Dawgs」を世界的にヒットさせたハヌマンカインドや前回紹介したブロダVのように、英語で流暢にラップすることができるほどのスキルを持ったラッパーもたくさんいる。ヒップホップをはじめとする現代のポピュラー音楽に関して言えば、インドは日本よりもずっと「本場」に近いのである。

 ヒップホップ以外のジャンルでも、インドには英語で歌う優れたシンガーがたくさんいる。彼らのなかには、いわゆる「洋楽」として、アメリカやイギリスの優れたアーティストと比較しても、遜色のないクオリティを備えた者も多い。それなのに、ここ日本では、いやインド国内でさえも、彼らが作る音楽はほとんど注目されていない。

 音楽好きにとって、国籍や先入観を理由に素晴らしい音楽を聴く機会を逸するのはあまりにももったいない話である。

 というわけで、今回は「英語圏のインド」で作られる、洋楽としてのインド音楽に注目してみたい。

 

「上がり成り」デュオとインディーポップアーティストたち

 まず紹介したいジャンルは、インドのインディーポップだ。ここでいうインディーポップは、かつて紹介した「非映画音楽のインド風ポップミュージック」〔Indi-Pop〕ではなく、本来の意味の「インディペンデント・ポップ」――商業主義的ではない、よりアーティストの世界観を重視したポップ――のことである。

 インドのインディーポップシーンを代表する存在が、コルカタの二人組パレク&シン(Parekh & Singh)だ。彼らの音楽はとにかくオシャレでセンスが良い。

 イギリスの名門インディペンデント・レーベル「ピースフロッグ」と契約し、日本でも高橋幸宏に紹介されるなど、彼らは海外でも一部の音楽ファンからの注目を集めていた。

 ウェス・アンダーソンを彷彿とさせる色彩感覚のミュージックビデオをはじめ、彼らはサウンドだけでなく、ファッションや映像などを含めた全ての表現に高いこだわりを持つアーティストだった。

 これは完全に余計なお世話なのだが、彼らのミュージックビデオを見るたびに、かなり予算がかかっていそうな映像の制作費用がきちんと回収できているのか、心配になっていた。趣味の良い衣装や小道具、豪華なセットや大邸宅などの高くつきそうなロケ地、美しい映像の撮影と編集など、ここまでこだわっていたら、いくら彼らがそこそこの人気者だとはいえ、すぐに赤字になってしまうのではないか。

 このおせっかいな疑問に答えてくれたのは、デュオの片割れであるニスチャイ・パレクと同じ時期にバークリー音楽大学に通っていた別のインド人シンガーだった。アメリカの名門音大に留学していた彼女もかなりの富裕層なのだが、ニスチャイはその彼女から見てもとんでもない大金持ちで、何人もの使用人を抱える大富豪の息子なのだという。

 つまり、彼らがびっくりするくらい趣味の良い音楽や映像を作り続けられるのは、みうらじゅんが言うところの「上がり成り」――好きなことをとことん続けられるほどに裕福だったから――というのだ。彼らはその音楽的才能で成り上がり、稼いだお金で作品制作を続けていたのではなく、初めから理想を形にするだけの富を持っていたのである。

 誤解してほしくないのは、別に彼らの音楽を金持ちの道楽だと批判しているわけではないということだ。仮に同じくらい経済的に恵まれていても、彼らのように質の高い音楽を作り続けるには、たゆまぬ努力と並外れたセンスが必要なことは疑いがない。

 世の中には、スラム出身のラッパーにしかできない表現があるように、経済的な豊かさと文化的な毛並みの良さがなければ辿り着けない表現だってあるはずだ。裕福に生まれたからこそ作れる上質な音楽を作るという役割を、彼らは真摯に果たしているのだ。

 かつてインドの王侯や大地主たちは、職能としてではなく、教養としての詩や音楽を嗜んでいた。パレク&シンがありあまる富と才能を惜しみなく費やして作り上げている音楽も、ある意味では極めてインド的なアートだと呼べるのかもしれない。

 彼らと同じような「育ちの良いポップネス」を感じさせてくれるアーティストに、デリーのピーター・キャット・レコーディング・カンパニーがいる。彼らの曲には、バート・バカラックのような60年代風ポップスを思わせるところがあり、どんな時代や都市にもハマりそうな無国籍で洗練された響きがある。

 またマハーラーシュトラ州の古都プネー出身のバンド、イージー・ワンダリングス(Easy Wanderlings)も上質なインディーポップを作っているバンドだ。彼らのサウンドは、どこまでも優しく、柔らかく、温かい。最高傑作のEP「My Place to You」に収録された「Beneath the Fireworks」と「Madeline」の2曲はミュージックビデオも秀逸で、最小限の動きのアニメーションで、不思議な都市で虚無感を抱えて生きる人物を詩的に描き出している。イージー・ワンダリングスの中心人物のサンヤント・ナロートは宮崎駿からの影響を語っており、スタジオジブリっぽいセンスが垣間見えるところも注目したいポイントだ。

 インドのインディーポップの最高峰だったパレク&シンは昨年惜しくも活動終了を表明したが、ニスチャイ・パレクはTV Dinnerという名義で変わらずに洗練された楽曲を発表しつづけている。

 

「インド人が英語で歌う曲を誰が聴くのか」問題

 インドには、バンドやグループではなく、英語で歌うシンガーソングライターもたくさんいる。

 その頂点に位置付けられるのがプラティーク・クハル(Prateek Kuhad)だ。彼が2018年にリリースした「cold/mess」は、通好みな選曲をすることで知られるバラク・オバマ元大統領の年間お気に入り楽曲リストにも選ばれ、2020年にはアメリカの名門レーベルであるエレクトラ・レコードと契約を結んでいる。

 英語はインドの共通語であるから、理論上は、英語で歌えば言語で分断されたシーンの壁を越えて、インドじゅうに音楽を届けることができるはずだ。さらには国境を越えて、世界中のリスナーにアプローチすることもできるかもしれない。

 プラティークの活躍を見ていると、思わずそんなふうに夢見たくなってしまうが、現実はそれほど甘くはない。彼らの前に立ちはだかっているのは、「英語で歌うインド人シンガーの曲をいったい誰が聴くのか」という根源的な問いである。

 インドには英語が得意な人が多いといっても、その数は全人口の1割ほどに過ぎない。

 世界最大の人口を持つインドでは、人口の1割でも1億5千万人もの巨大マーケットになるが、この「1割」という根拠は、国勢調査で英語を「母語」もしくは「第二言語」、「第三言語」として答えた人の合計である。英語を第一言語(母語)だと答えた人の数は、たったの0.02%しかいない。

 いくら英語が得意でも、人々は基本的に母語で歌われている曲を好む。洋楽指向のリスナーもいるものの、彼らは概して「本場」であるアメリカやイギリスの音楽を好む傾向があり、インドのアーティストが英語で歌う曲にはほとんど注目しない。

 このように、インド国内には英語で歌われるインド人の曲がヒットになりにくい構造が存在するのである。

 国内で受け入れられなくても、インドよりもさらに大きなグローバル市場でヒットする可能性があるのではないか、と思いたいところだが、実際にはそれもなかなか難しい。

 海外の音楽ファンは、古典音楽マニアやインド映画のファンでもないかぎり、インドの音楽にまったくと言っていいほど注意を払っていないからだ。ほとんどの人は、インドにも英語で歌うシンガーがいるということすら知らないだろう。

 先ほど名前を挙げたプラティーク・クハルは、2022年にエレクトラから「The Way That Lovers Do」という素晴らしいアルバムをリリースしているのだが、インド国外ではこの作品はほとんど注目されなかった。

 Spotifyで彼の曲の再生回数を調べてみると、興味深いことが分かる。

 英語でリリースしている曲のほうが多いにもかかわらず、再生数の多い上位10曲のうち、8曲をヒンディー語の曲が占めているのだ。彼のメロディーは英語でもヒンディー語でも変わらずに素晴らしいと思うのだが、リスナーの圧倒的多数がインド人で、彼らが母語の曲を好むという理由から、ヒンディー語の曲の再生回数のほうが多くなってしまうのだ。

 同じような例として、デリーのラッパーのKR$NA(クリシュナ)の「Say My Name」という曲が挙げられる。

 この曲は、まったく同じビートに乗せて、ほぼ同じフロウのヒンディー語バージョンと英語バージョンがリリースされているのだが、Spotifyの再生回数を比較してみると、ヒンディー語版が1400万回以上再生されているのに対して、英語版の再生回数は130万回ほどに過ぎない。同じ曲の再生回数が、言語によって10倍以上違うのだ。

 このように、英語で歌うインド人アーティストの曲は、遠慮のない言い方をすれば、国内にはあまり需要がなく、海外からも注目されていない。たとえ内容が良くても、リスナーの関心のエアポケットに位置しているのである。

 だからこそ、インドのシーンから生まれてきた優れた英語の楽曲を、言語にこだわらずにきちんと掬い上げて紹介したい、というのは常々思っていることである。

 

少数言語話者と英語音楽

 需要が少ないにもかかわらず、インドのアーティストたちが英語で歌う理由はさまざまである。

 前回紹介した北東部ナガランド州のロックシンガー、アロボ・ナガ(Alobo Naga)のように、そもそも母語である言語の話者数が少なく、マーケットが小さいために英語を選ぶというのも、その理由のひとつである。

 インド北東部は異なる言語を持つ少数民族がモザイクのように共生している地域で、彼らの言語は話者数の多いヒンディー語やベンガル語とはまったく異なる系統に属している。また北東部にはキリスト教が普及しているため、インドのマジョリティよりも西洋の文化に親しみを感じている人が多く、英語で歌うことに対する距離感がさほどない。彼らが自分たちのコミュニティを超えて音楽を聴いてもらおうと思ったら、英語で歌うのが最良の選択肢なのだ。

 北東部出身の英語で歌うアーティストには、昭和的な哀愁のあるシッキム州出身のシンガーソングライターのアヌーシュカ・マスキー(Anushka Masky)、ナガランド州のポップシンガーのアブドン・メッチ(Abdon Mech)、メガラヤ州シロンのフィメール・ラッパーのレブル(Reble)など、個性あふれる才能がそろっている。

 彼らのなかでもっとも成功しているのは、アルナーチャル・プラデーシュ州出身のシンガーソングライター、タバ・チャケ(Taba Chake)だろう。アコースティックなフォークポップを歌う彼は、もともと母語である少数言語の「ニシ語」や英語で歌っていたが、活動拠点を故郷から遠く離れたムンバイに移し、2019年にリリースしたアルバム「Bombay Dreams」をヒットさせた。

 ヒットといっても人気映画の主題歌のように何億回も再生されたわけではないが、彼のような派手さのないインディーズ系シンガーの曲がSpotifyで1,000万回以上再生されているのは、スタイルを考えれば大ヒットと呼んでいいだろう。

 このアルバムにはヒンディー語、英語、ニシ語の曲が収録されているが、もっとも人気があるのはヒンディー語で歌われている「Shaayad(もしかしたら)」と「Aao Chalein(一緒に行こう)」の2曲で、Spotifyでの再生回数はいずれも1,200万回を超えている。

 英語で歌われた曲では「Walk With Me」がもっとも多く再生されており、1,000万回弱。これでもかなり多いが、やはりヒンディー語の曲には及んでいない。ニシ語で歌われている「No Dama Lo(心配しないで)」の再生回数となると、130万回程度とぐっと少なくなる。

 アルバムのタイトルにある「ボンベイ・ドリームス」を叶えるには、母語でも英語でもなく、ヒンディー語で歌うことが必要だったのかもしれない。

 

コアな音楽に国境はない

 ポピュラー音楽では母語で歌われる曲が好まれるというのは、インドに限らず国や地域を問わない傾向と言えるだろう。その反面、マニアックでコアな音楽ジャンルになると、言語や国境の壁はぐっと薄くなる。

 コアなファンを持つジャンルの代表と言えるのがヘヴィメタルだ。ヘヴィメタルはヒットチャートに登ることの少ないサブカルチャー的なジャンルだが、世界中のどこにでも熱心なファンやバンドが一定数存在しており、インドもその例外ではない。

 ベンガルール(旧名バンガロール)では、ドイツで行われる世界最大級のメタルフェス「ヴァッケン・オープンエア」への登竜門とも言えるフェス「バンガロール・オープンエア」が開催されている。毎年国内外のバンドが数多く出演し、数千人のコアなメタルファンが熱狂的な盛り上がりを見せている。フェス前夜に行われる「メタルバトル・インディア」も見逃せない。ここで優勝したバンドは、バンガロール・オープンエアの「本家」であるヴァッケンへの出場権が得られるのだ。

 これまでにEccentric Pendulum、Zygnema、Plague Throatといったバンドが優勝し、ヴァッケンのステージでパフォーマンスを披露した。いずれもデスメタル系のかなりヘヴィな音楽性を特徴とするバンドで、歌詞は英語だが、グロウル(いわゆるデス声)でひたすら叫んでいるため、こうなると言語はあまり関係なさそうではある。

 ヴァッケン出場権をかけた「メタルバトル」は、インドの他にもインドネシア、中東、アフリカ、アイスランドなどでも行われており、まさに「コアなジャンルに国境はない」を体現している。

 彼らの他にも、シンフォニック・デスメタルのDemonic Resurrection、オーセンティックなメタルサウンドに乗せてダミ声でシャウトするスタイルのKryptos、スラッシュメタルのSystemHouse33、古典的ハードロックのGirish and the Chroniclesといったインドのバンドがヨーロッパでのツアーを経験している。

 一般的に、インドのアーティストが海外ツアーを行う場合、観客は現地に暮らす南アジア系住民が中心であることが多いが、メタルバンドの場合、主な客層はツアー先の国のローカルなメタルファンとなる。

 彼らはかっこいい音を出してさえいれば、国籍やルーツに関係なく興味を持ち、盛り上がるのだ。とかく硬直化したジャンルだと思われがちなヘヴィメタルだが、サウンド至上主義的であるがゆえに、先入観や国籍の壁から自由なのだろう。たいへん素晴らしいことだと思う。

 インド産のヘヴィメタルは、ここ日本でもコアなファンの注目を集めている。『デスメタル・インディア』(水科哲哉著、パブリブ、2023年)という南アジアのヘヴィメタルバンドを657組も紹介した世にも稀な本まで出版されているほどだ。いまや世界的ビッグネームとなったブラッディウッド以外にも、インドのメタルバンドは来日していて、黒ターバンでベースを弾くグルディップ・シン・ナラング率いるデスメタルバンドのGutslitや、ケーララ州出身のスラッシュメタルバンドAmorphiaが、ライブハウスを回る日本ツアーを何度も行っている。

 

内と外をつなぐ在外インド系アーティストたち

 英語で歌うインド系アーティストについて書くうえで留意しなければならないのが、どこまでを「インドの音楽」として捉えるかという問題である。

 インドや南アジアにルーツを持つ人々は世界中にたくさん暮らしている。インド国内で英語で歌うシンガーがいるかと思えば、イギリスやカナダで生まれ育ってもインドの言語で歌っているアーティストも多く、インド世界の音楽シーンでは、内と外を隔てる境界がかなりあいまいなのだ。

 2000年代に活躍したパンジャーブ系イギリス人R&Bシンガーのジェイ・ショーン(Jay Sean)や、2020年前後にアメリカで2枚のアルバムをチャート1位に送り込んだパンジャーブ系カナダ人ラッパーのナヴ(Nav)は、インドの要素がまったくない音楽でグローバルな評価を得たインド系アーティストの代表格だ。いくらインドにルーツがあるといっても、彼らのヒット曲を「インドの音楽」として扱うのは無理があるだろう。

 2002年に「ムンディアン・トゥ・バチュ・ケ」を世界的にヒットさせたパンジャビMCのように、母語と伝統的な歌唱スタイルを変えずに成功した例もある(余談だが、例に挙げた3人が全員パンジャーブ系であることに、彼らのポピュラー音楽における「地肩の強さ」を感じる)。

 ポピュラー音楽の「本場」であるアメリカでの成功を足がかりに、よりルーツに根差した音楽へと転向したアーティストもいる。カリフォルニア出身の女性ラッパーのラージャー・クマーリー(Raja Kumari)がその人である。

 十代のころからラッパー/シンガーとしての活動を始めた彼女は、ソングライターとして、フォール・アウト・ボーイやイギー・アゼリア、グウェン・ステファニといった人気アーティストの楽曲制作に関わるなど、輝かしいキャリアを築いていた。

 しかし彼女は、「本場」での成功よりも、遠く離れた祖国での音楽活動を選ぶ。2017年にディヴァインと共作した「City Slums」をきっかけに、徐々に活動の舞台をインドへと移していったのだ。インド本国の女性にはないタフなイメージと力強い英語ラップのスキルを兼ね備えた彼女は、ボリウッド・ソングにもたびたび起用され、今ではすっかりインドを代表するフィメール・ラッパーとなった。

 アメリカでも高い評価を得ていた彼女が、「本場」でのキャリアに執着しなかった理由は、急成長を続けるインドの市場に魅力を感じたからだけではないだろう。

 彼女はカリフォルニア生まれではあるが、幼い頃からインドの古典舞踊を習い、伝統を大事にする家庭で育てられてきたという。古典音楽のリズムにラップを乗せたり、サリーやインド風のアクセサリーにストリート的なデザインを取り入れたりする彼女のスタイルは、インドとアメリカという二つの祖国からの影響を独自のセンスで融合したものだ。

 アメリカで自身のルーツから離れた音楽を作り続けたり、逆にエキゾチックなアーティストとして見られ続けるよりも、彼女は自分のスタイルを新しい女性像として受け入れてくれるインドで活動したかったのではないだろうか。

 そんな彼女がインドに拠点を移して間もない頃、自身のルーツを強調したはずのリリックが、デリケートな問題に触れてしまい非難を浴びたことがあった。

 ディヴァインとコラボレーションした「Roots」という曲のリリックの「Untouchable with the Brahmin flow from motherland(母なる大地から生まれたブラーミン・フロウには触れることができない)」という一節が、インドで大きく批判されたのだ。

 「ブラーミン(バラモン)」とは、カースト制度の頂点に位置する聖職者階級を起源に持つ人々のことだ。問題になったのは、ここで一緒に使われている「アンタッチャブル」という表現である。

 カーストによる序列や差別は、清浄とケガレの概念に基づいている。インドでは「アンタッチャブル(触ることができない)」は、「触れるだけで穢れが移る」としてカーストの最下層に位置づけられてきた被差別階級の「不可触民」を指す言葉だ。カースト制度が身近ではない海外で育った彼女は、この二つの言葉を混ぜて使う危うさを認識できていなかったのだろう。

 自身のアイデンティティとヒップホップ的ボースティングを融合したリリックが、ヒンドゥー教が克服すべき差別意識に基づくものと捉えられてしまったのは、皮肉というほかない。

 批判を受けて、彼女は「ブラーミン・フロウ」は「ヒンドゥーの伝統的な知恵や哲学に基づく(ラップの)フロウ」という意味であり、差別的な意図はなく、自身の無理解にもとづく表現だったとSNS上で釈明している。

 こうしたトラブルも経験したが、彼女は2025年にリリースした「Kashi to Kailash」で、インドの古語であるサンスクリット語を英語ラップに取り入れてヒンドゥーの神々への帰依を表現するという、新しい試みにチャレンジしている。アメリカ生まれのヒップホップカルチャーとヒンドゥーの信仰との融合は、彼女にとって表現の中核をなす大事なテーマなのだろう。

 

 ラージャー・クマーリーと同じようにカリフォルニアで育ったシンガーに、タミル系のシッド・スリーラムがいる。

 小さい頃からカルナーティック音楽とR&Bの両方を歌ってきた彼は、アメリカの音楽シーンではなく、タミル映画のプレイバックシンガーとして、2013年にキャリアをスタートさせた。

 『I』(タミル語、2015年)や『Geetha Govindam(ゴーヴィンダの歌)』(テルグ語、2018年)などの南インドの話題作に起用されて評価を高めた彼は、映画のために作られた音楽を歌うだけでは満足しなかった。

 2019年にリリースした「Entropy」と2024年の「Sidharth」は、彼がいつも歌っている映画音楽とは似ても似つかない、全曲英語詞のR&Bアルバムだ。彼にとっては、英語で洋楽的な楽曲に乗せて自身を表現することが、もっともリアルなスタイルだったのだ。

 それでも、彼の音楽には確かにタミルのルーツが息づいている。

 シッダーントは英語でR&Bを歌う時も、カルナーティック音楽の節回しを取り入れており、またYouTubeでは、純粋な古典音楽をパフォーマンスする映像をアップしていたりもしている。ラージャー・クマーリーとはまた別のやり方で、彼はインドのルーツとアメリカ育ちというバックボーンを融合しているのだ。

 インドの音楽シーンは、ゆるやかに世界と繋がっている。インド国内外のアーティストが英語で何かを表現しようとするとき、そのスタイルはさまざまだが、そこには「本場」への憧れだけではなく、彼らなりのアイデンティティと必然性が存在しているのである。

 

インド製K-Pop、インド製アイドルは成立するのか?

 世界のポピュラー音楽は長らく英語圏を中心に回ってきたが、その構図にアジアから変化をもたらしたのがK-Popだ。

 インドでもその人気は絶大で、K-Popに特化したフェスティバル「K-Town」や、BTSらが所属する大手事務所の映像コンテンツ上映会「Hybe Cine Fest」が多くのファンを集め、盛り上がっている。

 BTSやBLACKPINKのようなトップグループの公演こそまだ行われていないものの、K-Pop界はインドでも草の根的とも言える地道なプロモーションを行なってきた。

 2018年にナガランド州で行われたホーンビル・フェスティバルには、デビュー前だったK-PopグループのMONTが出演。ナガランド州が位置するインド北東部は東アジア的な見た目の民族が暮らしており、外見的な親しみからかK-Popの人気がとくに高い地域で、観客たちは当時まだ無名だった彼らを熱狂的に歓迎した。

 また、かつて活動していたZ-Girls、Z-Boysという多国籍K-Popグループには、インド人のメンバーが在籍していた。今となっては多国籍のダンスヴォーカルグループは珍しくないが、韓国、日本、中国、台湾といった東アジアだけではなく、南アジアからもメンバーを起用するというのは、かなり意欲的な試みだったと言える。

 残念ながらMONTやZ-Boys、Z-Girlsはたいして話題にならないまま活動を休止してしまったが、次世代を担うグループまでもが新しい市場を狙ってゆくという姿勢からは、K-Pop界の本気が見て取れる。こうした積極的な海外指向は、K-Pop人気が定着した近年ではさらに進化しており、今ではなんとインドに特化して活動するK-Popシンガーすら存在している。

 かつてAA(ダブルA)というグループに在籍していたパク・ミンジュンは、アウラ(Aoora)という名前でインドを舞台に活動するシンガーだ。

 彼はK-Popの流行に甘えることなく、ボリウッド・クラシックをK-Pop風にアレンジしてカバーしたり、マラヤーラム語やアッサム語などの比較的話者数の少ない言語でも歌ったりするなど、インド全土を見据えた活動を展開している。

 彼の音楽スタイルは典型的なK-Popとインド風ポップスの折衷で、グローバル化したK-Popをインド向けにローカライズするという非常に興味深い試みである。人気曲のYouTubeでの再生回数は数百万回に達しており、まだ大人気とまでは言えないまでも、それなりの支持を集めているようだ。

 ところで、同じく東アジア初のポップカルチャーである日本のアイドル文化については、インドではどのように受容されてきたのだろうか。K-Popと日本のアイドルは、男女どちらかに限定された多人数グループであること、歌とダンスを融合したパフォーマンスを行うこと、多くの場合パフォーマーとソングライターが別々であること、そして熱狂的なファンベースに支えられていることなど、数多くの共通点がある。

 かつて日本のAKB48がアジアのさまざまな国で姉妹グループを結成し、ジャカルタやバンコクなどでも高い人気を集めていたことを覚えている人もいるだろう。日本的なアイドルの在り方は、東アジアや東南アジアでは一定の認知度と人気を獲得していると言えるようだ。

 だが、インドでは大きく事情が異なっている。インドには日本のアイドルのような歌手やグループは存在しておらず、そもそも日本の「アイドル」というカルチャー自体が、ごく一部の日本好き以外には認識すらされていないのが現状だ。

 インドで日本的な「アイドル」を広めようという活動が、これまでになかったわけではない。かつてAKBグループは、インドでの姉妹グループ結成を試みたことがあった。

 1度目の挑戦は2017年末に発表されたムンバイを拠点とするMUM48の構想である。しかしこのプロジェクトはまったく動きを見せないまま、2018年には消滅してしまう。

 2度目の挑戦は2019年。デリーを拠点としたDEL48とムンバイを拠点とするMUB48の2グループの結成が発表され、デリーでは実際にオーディションも開催された。2019年末の紅白歌合戦では、DEL48の中心メンバーとして活動する予定だったグローリーという芸名のメンバーが、アジア各国の姉妹グループの代表メンバーと一緒に「恋するフォーチュンクッキー」のパフォーマンスに参加し、歌詞の一節をヒンディー語で歌っている。

 しかし、彼女たちの活動が軌道に乗る前に、世界は新型コロナウイルスの猛威に襲われてしまう。インドでもコロナは多くの犠牲者を出し、全国レベルでのロックダウン(外出制限)は日本でも大きく報道された。結局、DEL48とMUB48は、一曲も楽曲をリリースすることなく、コロナ禍を理由に2022年に活動終了を宣言することとなった。

 日本とインドのポップカルチャーをつなぐ試みは、感染症に翻弄されて泡と消えたわけだが、私はコロナ禍がなくても、このプロジェクトの成功は難しかったのではないかと考えている。

 インドのエンタメにおいて、日本のアイドルのような「未完成な歌手の成長過程を応援する」というスタイルが大衆的な成功モデルとして定着した前例はない。インドでもリアリティーショー形式のオーディション番組の人気は高いが、そこで評価されるのは、すでにプロフェッショナルと呼び得る表現力を備えた実力者である。

 2000年代前半に人気を集めていた「インディ・ポップ」(非映画音楽のポップス)の女性グループ「Viva!」はアイドルグループ風とも言える雰囲気を持っていたが、彼女たちはイギリスのスパイスガールズを参考にしたような、ポップでありながらも主体的な女性像を売りにしていた。

 また、インドには、東アジアや東南アジアの諸国のように日本の歌謡曲やJ-Popが現地語カバーなどで受け入れられていたという素地がなく、日本発の音楽というだけで注目されることは難しい。彼らの目は、完全にアメリカやイギリスといった英語圏に向いており、K-Pop以外の東アジア音楽は注目の対象外である。唯一の例外はアニメ主題歌だが、アイドルとはまた別のカルチャーだ。

 AKBグループがそれなりの成功を収めた東アジアや東南アジアとインドをはじめとする南アジアの間には、ポップカルチャーの分水嶺があるのだ。

 しかしながら、K-Pop以降、インドでも、ガールズグループやボーイズグループを売り出そうという動きが見られるようになってきた。

 2024年デビューの女性ダンスヴォーカルグループW.i.S.H.は、K-Popやラテンポップなどの要素を取り入れ、新しい時代のインド風ポップミュージックを作ることに挑戦している。また2025年には、オーディションで集められた十代の男性グループOutstationがデビューした。

 こうしたダンスポップグループは、商業的な映画音楽と個人としての表現を追求するインディペンデント音楽の中間に位置するジャンルとして、変わりつつあるインドの音楽シーンを象徴する存在とも言えるかもしれない。

 

ハヌマンカインドの成功は起爆剤になりうるか

 話を「英語で歌うインド人」に戻そう。

 2024年、ベンガルールを拠点に活動するラッパー、ハヌマンカインドによる英語ラップ「Big Dawgs」が世界のチャートを席巻した。

 ビルボード・グローバルチャートでの最高位は9位。南アジア出身のラッパーとしては、2008年に旋風を巻き起こしたスリランカ系のM.I.A.以来の世界的な成功となる。

 「インドでは英語の曲はウケない」という法則のとおり、この曲でブレイクする前の彼は、インドのヒップホップシーンでも比較的地味な、知る人ぞ知る存在だった。

 私がハヌマンカインドの存在を最初に知ったのは2019年のことだったが、そのとき彼は「スーパーマリオブラザーズ」の曲に乗せて、スーパーサイヤ人がリリックに出てくるネタっぽい内容のラップをしていた。彼がインドのローカルラッパーから一足跳びに世界的ブレイクを成し遂げるとは、誰も想像していなかっただろう。

 「Big Dawgs」がヒットした要因は複合的なものだ。

 ハイデラーバードのプロデューサー、カルミ(Kalmi)による荒々しいビートとハヌマンカインドの堂々たるラップの相性が抜群だったこと。名門レーベルのデフ・ジャム(インド支部のデフ・ジャム・インディアではあるが)からのリリースであり、拡散力があったこと。インドで「死の井戸」と呼ばれるバイクのスタントをモチーフにしたミュージックビデオが強烈な印象を与えたこと。そして、テキサス育ちの彼が、現在のヒップホップのトレンドの中心であるサウスのビートやラップに以前から親しんでいたことが、世界的ヒットの理由として挙げられるだろう。

 彼のサウス風のラップのフロウが、ありがちなトラップ系ではなく、シブいメンフィス・ラップ系であることも、コアなヒップホップファンの注目を集めたポイントだった。インドから本格的なサウス風ラップをするラッパーが出てくるという意外性は、注目を集める理由として十分すぎるものだった。この曲のリリックで、彼は南インド出身であることと、アメリカ南部のヒップホップに影響を受けていることを「サウス」という言葉のダブルミーニングで表現している。

 「Big Dawgs」以降のハヌマンカインドは、Netflixの『イカゲーム2』のために「The Game Don’t Stop」を書き下ろしたり、ボリウッドの大作映画『Dhurandhar』の主題歌にラッパーとして起用されるなど、国内外の大作への参加が続いている。タイアップなしでリリースされた「Run It Up」はケーララ出身という彼のルーツを打ち出した意欲作で、国営放送でモディ首相に取り上げられるなど、国内で高い注目を集めた。

 インド人が英語で歌う(ラップだが)インディペンデント音楽が、世界で高く評価されうることを証明した彼の功績は大きい。世界的ヒットを飛ばした南アジア系ラッパーの先輩であるM.I.A.の場合、スリランカの内戦を逃れて難民としてイギリスに渡ったという来歴や、南アジア的な要素を最新のダンスミュージックに導入した音楽性が注目を集めたが、ハヌマンカインドに関しては、これといった社会的メッセージのないリリックに、インドらしさのないUSヒップホップ的な曲調でヒットを飛ばしたということに、むしろ意義があったと見ている。

 テキサス育ちというバックグラウンドはあるものの、インドのラッパーが国内のプロデューサーと作った曲が、音楽性のみで評価されたという事実は、インドのミュージシャンたちに自信と勇気を与えたことだろう。

 「Big Dawgs」のインパクトがあまりにも強すぎたためか、世界的な人気という点では、ハヌマンカインドは「一発屋」に終わる可能性もありそうだが、インドには、彼に続く可能性がある才能あふれるアーティストが、あらゆるジャンルに控えている。

 もちろん現実は甘くなく、彼のような世界的なブレイクを成し遂げるには、実力や才能だけではなく、運やタイミングなど、さまざまな条件がパズルのように組み合わさることが必要だ。そうした条件は、必ずしもすべてのアーティストに平等に与えられるわけではない。

 だからこそ、たとえ世界が注目しなくても、インドの優れた才能を、こうして微力ながら日本に紹介し続けたい。彼らの中から次の世界的ヒットが生まれることを願いつつ。

 

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著者略歴

  1. 軽刈田凡平

    1978年生まれ、東京都在住。インド音楽ライター。
    学生時代に訪れたインドのバイタリティと面白さに惹かれ、興味を持つ。
    時は流れ2010年代後半、インドでヒップホップ、ロック、電子音楽などのインディペンデント音楽のシーンが急速に発展していることを発見。他のどの国とも違うインドならではの個性的でクールな表現がたくさん生まれていることに衝撃を受け、ブログを通して紹介を始める。
    これまでに、雑誌『TRANSIT』『STUDIO VOICE』『GINZA』などに寄稿、TBSラジオ、J-WAVE、InterFM、福井テレビなどに出演しインドの音楽を紹介している。
    また、インド料理店やライブハウスでインドの音楽に関するトークイベントを行ったり、新聞にインド関連書籍の書評を書いたりするするなどマルチに活躍中。
    国立民族学博物館共同研究員。『季刊民族学』192号(2025年春号)にて、ムンバイのヒップホップシーンを取材して執筆している。
    辛いものが苦手。

    著書(共著)『辺境のラッパーたち 立ち上がる「声の民族誌」』(青土社、島村一平[編])

    ブログ(アッチャー・インディア) https://achhaindia.blog.jp/


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