インドの各地で、〇〇を叫ぶ
多様すぎる国、インド
これまでに何度も書いてきたことだが、インドという国はたいへん多様性に富んでいる。
ここ日本では、「多様性」という言葉は新しい時代を象徴する価値観のように思われているが、インドではいまさら多様性について議論するのが馬鹿らしくなるほど、大昔からあたり前に存在する社会の大前提なのだ。
たとえば宗教。ヒンドゥー教徒が人口の8割という圧倒的マジョリティを占めているが、他にもイスラーム教、シク教、仏教、キリスト教、ジャイナ教、ゾロアスター教、ユダヤ教など、まるで世界の縮図のように、あらゆる信仰が存在している。
一言で仏教徒といっても、ヒマラヤのふもとでチベット仏教を信仰している人もいれば、インド独立後にカースト差別への抵抗から仏教の平等主義に惹かれて改宗した人もいる。クリスチャンにもカトリックとプロテスタントの両方がいる。南インドのケーララ州には、なんと聖トマスがインドにキリスト教を伝えたとされる1世紀以来変わらずに信仰を続けている人たちまでいる。ケーララには、紀元前に到来したというユダヤ教徒のコミュニティまであるというから、インドの多様性は数千年来の筋金入りなのだ。
それぞれの宗教に、伝統や戒律に忠実に暮らしている人もいれば、かなりリベラルというか、現代的な信仰の解釈をしている人もいる。
インドの場合、信仰という問題をひとつ取っても、単純な多様性だけではなく、3次元的な複雑さを有しているのである。
言語に関しても、インドはじつに多様で複雑だ。28の州と8つの連邦直轄領で公用語に指定されている言語は、22にも及ぶ。日本語では、言語を数えるときに「○ヶ国語」と国の数で数える習慣があるが、インドはこうした1ヶ国1言語という常識がまったく通用しない世界なのである。
ちなみに28ヶ国が加盟するEUの公用語が24言語だから、インドはEU圏と同じくらい多様で広大だと考えることもできる。同じヨーロッパだからといって、スウェーデンとブルガリアとポルトガルを同じ文化圏として扱う人はいないだろう。インドの各州・各地域も、それぞれがひとつの国のように独自の文化と伝統と、その内部でのさらなる多様性を有している。
言語に関してもう少し付け加えると、インドには公用語として扱われていない少数言語もたくさんあるので、国全体で使われている言語の数は、400とも1,600とも言われている。この話は連載のどこかで書いたような気がするが、インドの多様すぎる多様性を示すエピソードとして、何度でも繰り返しておきたい。
ここまで、いくつかの地域の音楽シーンにフォーカスして書いてきたが、本当にインド全土の音楽シーンについて書こうと思ったら、すべての州や地域について1章ずつ、いや1冊ずつ本を書く必要があるだろう。さすがにそういうわけにもいかないので、今回はまだ詳しく紹介できていない地域で生まれた新しい音楽の面白さを、いくつかかいつまんで紹介してみたい。
それぞれの土地にそれぞれの言語があり、リズムがあり、伝統があり、その土壌をベースに新しい音楽を作り出しているアーティストたちがいる。それを日本にいながらインターネットを介して見て聴いて楽しむことができるなんて、こんなにぜいたくなことはない。
前置きはこのへんにして、さっそくインド各地の新しい音色を探す旅に出てみよう。
タミルの強烈な3連ビートと映画への愛情
一般的に南インドと言われているのは、タミルナードゥ州、ケーララ州、カルナータカ州、アーンドラ・プラデーシュ州、テランガーナ州の5つの州だ。これらの地域では、北インドの言語とはまったく異なる系統のドラヴィダ語族の言語が話されている。南インドは気候、食文化、生活様式など、あらゆる面で北インドとは別世界だ。
南インドのなかでも地域による差異は大きく、南国ムードの漂う美しいビーチから高原のIT都市まで、インディペンデント音楽のシーンもそれぞれの土地で独自の発展を見せている。
まずはインド南端の東側に位置するタミルナードゥ州から見てみよう。州都はチェンナイ、公用語はタミル語だ。
タミルのポピュラー音楽に特徴的なのは、パライ(片面太鼓)という打楽器を使った強烈な3連のビートだ。北西部パンジャーブのバングラーも3連に近いシャッフルのリズム(チャンカ、チャンカ、チャンカ、チャンカ)を持っているが、バングラーの飛び跳ねながら上昇するようなグルーヴに対して、「ダカタ、ダカタ、ダカタ、ダカタ」と打ち鳴らされるタミルのビートには、ぐんぐんと突き進んでゆくような迫力がある。
この力強いビートは、もともとは下層カーストの大衆音楽だった「ガーナ」にルーツがあると言われている。この特徴的な3連のビートが、ヒップホップなどの新しい音楽ジャンルにも広く取り入れられているのが面白い。
若手ラッパー、パール・ダッバの「カートゥ・メラ(Kaathu Mela)」(風に乗って)を聴いてもらえれば、タミルのリズムとラップのフロウがどのように一体化しているのかが分かるだろう。プロデューサーはタミル随一のビートメーカーのオフロー(ofRO)。疾走感のある四つ打ちのリズムに乗ってたたみ掛ける3連のフロウは、ヒップホップのインドにおけるローカライズの最高の例のひとつだ。
アサル・コラル(Asal Kolaar)の「シグマ・パイヤン(Sigma Paiyan)」(イカした男)ではアフロ/ラテン風のリズム、ダカルティ(Dacalty)の「ドウ(Daw)」ではハードコア・テクノ的なビートと3連のタミル風フロウが融合していて、それぞれがタミル的かつ現代的な、他にはないクールさを体現している。
インド人は総じてとても映画好きだが、タミル人の映画への愛情はその中でも段違いで、もはや常軌を逸したレベルに達している。
人気俳優の新作の公開前日には、初回上映を見るために映画館に徹夜の行列ができ、太鼓を打ち鳴らし、花火を打ち上げて盛り上がる。私設ファンクラブはときに高さ10メートルにもおよぶ巨大なスターの看板を作り、牛乳をかけて祝福する。企業が人気映画の公開日に社員に有給を促したことさえあるという。
さらにスター俳優の誕生日には、ファンクラブが献血や貧困層への炊き出しなどの社会奉仕活動を繰り広げたりもする。「推し」が生まれたことを、社会への善行を通して祝福するというわけだ。タミルナードゥでは、映画は単なる娯楽の枠をはるかに超え、宗教心にも似た「共同体の儀式」と化しているのだ。
こういう土地柄なので、タミルではふだんはドラッグや反社会的な内容についてラップしているようなラッパーでも、映画に起用されれば大喜びで参加する。
今では数えきれないほどのラッパーが映画音楽に参加しているが、個人的にクラシックだと思っているのが、タミルのスーパースター、ラジニカーントが主演した2018年の映画『Kaala』(『カーラ 黒い砦の闘い』)の主題歌「Semma Weightu」(「超ヤバイ」的な意味のスラングらしい)だ。この曲には、映画の舞台でもあるムンバイのダラヴィ出身のタミル語ラップグループ「ドーパデリクス(Dopeadelicz)」のメンバーが参加している。
普段は大麻をテーマにしているストリートラッパーの彼らが、ほとんど神のような扱いを受けているスーパースターの映画に起用されたということに、まず驚かされる。タミル人たちの故郷であるタミルナードゥ州ではなく、ムンバイのタミル語コミュニティで暮らす彼らにとっては、「故郷に錦を飾る」ような感覚だったことだろう。
メンバーの身内には、わけのわからない音楽に打ち込み、大麻を礼賛する彼らを快く思っていなかった人たちもいたのではないか。だが、ラジニの映画に起用されたとなれば、親族内での評価は180度変わり、彼らは末代まで語り継ぐべき一族の誇りになったはずだ。
この曲、ラップが出てくるのは中盤だが、トチ狂った必殺仕事人みたいなイントロに続いてプリンスの「Musicology」みたいなリズムに入る冒頭部分がめちゃくちゃかっこいい。
ヒップホップ以外のジャンルにも目を向けると、タミルには優れたロックバンドもいて、なかでも英語詞で歌うF16sはとてもセンスが良い。
音楽だけではなく、彼らのミュージックビデオを手掛けているレンドリック・クマール(Lendric Kumar)の映像センスにも注目だ。ケンドリック・ラマーをアナグラム風にした名前からして人を食ったセンスだが、彼が手がけたF16sのミュージックビデオでは、全身金色の衣装に身を包んだメンバー(全員男性)が巨大な金色の卵を産んだり、その卵を使って森の中でラグビーを始めたり、リクシャーが飛ぶ宇宙空間で謎のダンスを踊ったりと、とにかくシュールでブッ飛んでいる。
こうした「わけのわからなさ」がほどよく入ってくるのが、タミルの作品の何よりの魅力だと私は思っている。
洗練と洒脱のケーララ
タミルの西隣のケーララ州は、ビーチやバックウォーター(汽水域にある運河や河川、湖)などの自然が豊かで、またインドのなかでも識字率や教育レベルが高い州として知られている。ケーララは、海の向こうからやってきた多様な文化の影響を受けながら、独自の伝統をはぐくんできた土地柄だ。アラビア海に面したケーララの人々は、古くからアラビア人やユダヤ人と交易しており、大航海時代にはヨーロッパとの貿易港としてコチやカリカットといった街が繁栄した。
インド独立後は州政府が教育や医療・福祉に力を入れ、識字率、乳幼児死亡率、女性の社会進出などで全国トップクラスの指標を誇っている。大都市や大きな産業はないものの、ケーララはインドの「優等生」と呼べる地域なのである。
何度も書いてきた通り、インドでインディペンデント音楽が発展したのは、インターネットが普及した2010年代以降だ。その時期にはロックはすでに音楽シーンのトレンドから退いていたので、一般的にインドではロックよりもヒップホップやEDMのほうが人気が高い。それにもかかわらず、ケーララは例外で、昔から数多くのロックバンドが存在してきた。
その理由はケーララ州の歴史にあるようだ。ケーララでは人口の約2割がキリスト教徒で、インドのクリスチャン・コミュニティでは以前から西洋のポピュラー音楽が好まれており、伝統的にロックの人気が高いのだ。
古いところでは1977年結成のインド最古級のハードロックバンド、13ADが現在も活動を続けている。近年では「耳で味わうインド料理」の回でも紹介した英国風フォークポップバンドのウェン・チャイ・メット・ザ・トースト(When Chai Met Toast)や、魚が好きな地元民をレペゼンする「フィッシュ・ロック」のタイクダム・ブリッジ(Thaikkudam Bridge)、スラッシュメタルバンドのケイオス(Chaos)ら、多彩なバンドがシーンで活躍中だ。
映画について言うと、ケーララの公用語であるマラヤーラム語映画は、商業娯楽作品が主流のインド映画の中でも、芸術性や社会性に富んだ作品が多いという特徴がある。近年では家庭内での女性蔑視に切り込んだ『グレート・インディアン・キッチン』や、暴走する牛を追う人々を通して人間と社会を皮肉的に描いた『ジャッリカットゥ 牛の怒り』といった作品が日本でも公開され、話題となった。
こうした好みが反映されているのか、ケーララのインディペンデント系音楽のミュージックビデオにも、陰影の濃い芸術映画のような映像を使った作品が多い。代表作をひとつ挙げるとするならば、タイクダム・ブリッジの「One」を推したい。美しい映像でケーララの自然と文化の多様性を描いたこのミュージックビデオは、そのまま観光プロモーションに使えそうなほどに土地の魅力を映し出している。
ヒップホップシーンも成長著しい。Spotifyでは、2019年から2023年にかけてマラヤーラム語ラップの再生回数は5,300パーセントという驚異的な増加を見せている。ティルマリ(ThirumaLi)、タドワイザー(Thudwiser)、フェジョ(Fejo)、ダブジー(Dabzee)というケーララのシーンを代表する4人が共演した「サンバル(Sambar)」は、南インドを代表する料理をテーマにしたローカルグルメラップのケーララ代表とも言える曲で、四者四様のフロウや活気に満ちたビートから、マラヤーラム語ラップの勢いが感じられる。
キリスト教文化に基づいた欧米カルチャーの受容と、高い教養に基づいた社会性、芸術性の高さがケーララのインディペンデント音楽シーンの特徴と言えるだろう。
英語・カンナダ語・ダッキニー語――冷静と情熱のベンガルール
今ではIT産業の街として有名なカルナータカ州の州都ベンガルール(旧名バンガロール)。デカン高原に位置し、過ごしやすくて緑豊かなこの街は、「ガーデンシティ」の異名を持つ。近年の急速な発展の結果、今ではすっかり交通渋滞が名物になってしまったが、かつては過酷なインドの気候に倦んだイギリス人たちが好んで居を構える小都市だった。
こうした歴史からか、この街のインディペンデント音楽シーンには英語で歌うアーティストが多い印象を受ける。
ベンガルールのヒップホップシーンを代表するラッパーのブロダV(Brodha V)は、まるでエミネムのような90年代風の英語ラップにヒンドゥーのマントラ(お経のようなもの)を融合した曲で注目を集めた。ラップとマントラの融合は唐突に思えるが、自分のリアルを語るヒップホップでは、信仰をリリックのテーマにするのはごく自然なことである。アメリカにはヒップホップのいちジャンルとして、キリスト教をテーマにした「クリスチャン・ラップ」があるが、彼の場合は「ヒンドゥー・ラップ」というわけだ。
英語+マントラのヒンドゥー・ラップの代表曲「アートマ・ラーマ(Aatma Raama)」は、まだインドでラップが一般的ではない2012年にリリースされた曲だが、かなり洗練された英語ラップのフロウに驚かされる。
「いつもは金やラップミュージックやハイになることについて語る俺だけど、今は神について語ろう」というセリフから始まるこの曲で、彼は若くて不良だった過去について、静かにラップし始める。ヴァースでは、道を踏み外しそうになったこと、ラップを自分のキャリアとして選んだこと、さまざまな試練や誘惑があったことが語られ、「そんなとき俺は静かに目を閉じて神に話しかけるんだ」というリリックから、サビのヒンドゥー聖歌へとつながってゆく。
この曲は、ヒップホップというカルチャーのインド的換骨奪胎として、ほとんど完璧だ。ヒップホップを単なるパーティー音楽として消化するのではなく、自身の内面や伝統的信仰と結びつけた曲が、インドのラップの歴史のかなり早い段階で作られていたということに驚かされる。
ベンガルールでは、ブロダVの他にも、この連載に何度も名前が出てきたハヌマンカインドやスモーキー・ザ・ゴースト(Smokey The Ghost)が小慣れた英語ラップを聴かせてくれる。
地元の言語であるカンナダ語ラップのシーンも人気があり、オールOK(All OK)、やラーフル・ディットO(Rahul Dit-O)、グビ(Gubbi)、MCビジュ(MC Bijju)といったラッパーたちがその代表格だ。スタイル的にはトラップ以前のオーセンティックな曲調が多く、ミュージックビデオも前述の英語ラッパーたちと比べると、ぐっとローカル感あふれる印象だ。
英語やカンナダ語のヒップホップに加えて紹介したいのが、南インドのムスリムたちの言語「ダッキニー語(南インドのウルドゥー語)」でラップするパーシャー・バーイ(Pasha Bhai)の「クンバカルナ」(Kumbhakarna)という曲だ。曲もシブいのだが、夜の屋台や食堂で撮影したミュージックビデオがすばらしく、個人的に「インドのB級グルメラップ」の最高傑作だと考えている。
ムスリム居住区らしく、夜のにぎわいの中、屋台の裸電球に照らされているのはビーフ・パエ(骨付きの牛の足の煮込み)やシーク・カバーブなどの牛肉・羊肉料理。映像からスパイスの香りや男たちの体臭まで伝わってきそうだ。
「耳で味わうインド料理」で「ビリヤニ・ラップの最高峰」として紹介したハイデラーバード(テルグ語を公用語とするテランガーナ州の州都)のルハーン・アルシャドもダッキニー・ラッパーだ。同じ地域にさまざまな言語のラッパーが存在しているという事実は、まさにインドという国の多様性を象徴していると言えるだろう。
南インドといえば、北インドのヒンドゥスターニー音楽と並び称される古典音楽であるカルナーティック音楽でも知られている。カルナーティック音楽と新しいジャンルを融合した斬新なフュージョン音楽もあるのだが、このジャンルについては、あらためて紹介の機会を設けることにする。
インドのロックの首都――北東部のロックミュージシャンと謎のJ-Popバンド
インドの地図の東側に目を向けると、ネパールとブータンとバングラデシュに挟まれて、ちぎれそうなほどに領土が細くなっている場所がある(シリグリ回廊という)。その東側に位置しているのが、インド北東部の「7姉妹州」(セブン・シスターズ・ステイツ)だ。
日本の3分の2ほどの面積のなかに、アッサム、アルナーチャル・プラデーシュ、トリプラ、ナガランド、マニプル、ミゾラム、メガラヤの7つの州がひしめきあい、約4,500万人が暮らしている。この7姉妹州に、シリグリ回廊の北に位置するシッキム州を加えたインド北東部には、我々がインドと聞いて想像するイメージとはまったく異なる人々が数多く暮らしている。
彼らは南アジアのマジョリティとは異なる東アジアや東南アジアの人々によく似た外見をしており、彼らの民族衣装も台湾の原住民の伝統的な服装を思わせる色使いだ。ひと目見てわかる通り、彼らはインドの他の地域とはまったく別のルーツを持っているのである。
「耳で味わうインド」のなかで、ナガランド州の「納豆が出てくる讃美歌」を紹介したように、インド北東部では多くの人々がキリスト教を信仰している。この地域ではもともとヒンドゥーやイスラームと関係のない精霊信仰が盛んだったが、19~20世紀にかけてこの地を訪れた欧米の宣教師たちによって、多くがキリスト教徒へと改宗した。
ゴアやケーララにはカトリック信者が多いが、北東部のクリスチャンはほとんどがプロテスタントである。それでも「クリスチャンが多い土地ではロックが盛ん」というインドの法則は、ここ北東部にもあてはまる。
北東部のロックシーンを代表的するアーティストが、シンガーソングライターのアロボ・ナガ(Alobo Naga)だ。インド北東部では、各言語の話者数が少ないためか、英語で歌うアーティストが多く、彼も地元言語のナガ語(ナガミーズ)と英語の両方で曲をリリースしている。英語で歌われた「Painted Dreams」や「Come Back Home」は、往年の洋楽ヒット曲のような、どこか懐かしいポップさを持つ曲だ。
ナガの伝統歌の要素をポップスに取り入れたテツェオ・シスターズ(Tetseo Sisters)も面白い存在だ。彼女たちが2019年にリリースしたアルバム「A Slice of Li」では、伝統歌の要素を取り入れつつ、まるで「ナガランドのPerfume」と呼びたくなるようなダンスポップが楽しめる。
彼女たちがカバーした「ウィンター・ワンダーランド」や、アロボ・ナガと共演した「ジングル・ベル」といったクリスマスソングもすばらしくナガの伝統と洋楽ポップス的な洗練、そしてキリスト教の信仰が融合したナガランドの音楽文化を感じ取ることができる。
北東部はロックが盛んと書いたが、なかでも「インドのロックの首都」とまで呼ばれているのが、世界でもっとも降雨量の多い地域として知られるメガラヤ州の州都シロンである。メガラヤ州も19世紀以降の宣教によってクリスチャンが人口の7割を占めるまでになっており、ビートグループ(「インドにビートルズがやってきた ヤァ!ヤァ!ヤァ」でも紹介したインド版グループサウンズ)の時代からロックが人気を博してきた。
この街を代表するバンドを挙げるとしたら、女性ヴォーカルのブルースロックバンド、ソウルメイト(Soulmate)だろう。70年代ロック風の演奏にソウルフルな歌声が絡む彼らの音楽は、決して今っぽくはないがとても完成度が高い。クラシックなロックが好きなら間違いなく気に入るはずだ。
ミャンマーにほど近いミゾラム州のAvora Recordsは、なぜかインドのメディアで「J-Popバンド」として紹介されたことがあるという不思議なバンドだ。彼らに尋ねてみたところ、自分たちでJ-Popバンドと名乗ったことはないそうで、なぜそう呼ばれているのかは謎のままだが、彼らの代表曲ある「23:00」を聴けば、洋楽を消化した90年代の渋谷系ポップスのようなサウンドに、なるほどJ-Pop的だと思わされる。
この曲のミュージックビデオに見られるやわらかい日差しを活かした映像もかなり90年代のJ-Popっぽく、彼らの音楽を最初にJ-Popと呼んだインド人のJ-Pop解像度の高さにびっくりする。
彼らはこうしたイメージのとおり90年代の音楽からの影響が強いようで、「If You’re Not Sweating To This Then Honey You’re Not 90’s」(「この曲で盛り上がれないなら、90年代を全然知らないんだね」みたいなニュアンスか)という長いタイトルの曲もリリースしている。このミュージックビデオに出てくる女性が、女優の鷲尾いさ子の若い頃にそっくり。インドにはこういうタイプの美人もいるのかとまた驚かされる。
まったく関係ないが、ミゾラム州の前首相ゾラムタンガ(Zoramthanga)氏は、大阪府知事だった横山ノック氏にたいへんよく似ていた。
洋楽懐メロからオルタナティブまで――インド北東部のフェス文化
インド北東部は、地元の伝統文化と新しい音楽を融合したフェスがさかんな地域としても知られている。
ナガランドのホーンビル・フェスティバルはそうしたフェスの一つで、ナガの各部族の伝統舞踊のパフォーマンスなどとともに、国内外のバンドやシンガーのライブも行われる。コロナ禍の前にはボン・ジョヴィのカバーバンドやボニーM(70~80年代に「バハマ・ママ」「ラスプーチン」などのヒット曲を飛ばしたドイツのディスコ・バンド)、メタルバンドのハロウィンなど、微妙に懐かしい海外アーティストを招聘していた。
メガラヤ州のシロンでは、毎年11月にチェリーブロッサム・フェスティバル(Cherry Blossom Festival)というフェスが行われる。この地域では秋に咲く桜の開花時期に合わせて、やはり地元や海外のアーティストがパフォーマンスする。海外からは、これまでにセネガル系アメリカ人R&Bシンガーのエイコンや、人気DJのディプロ、そしてここにもまたボニーMが出演している。かつてボリウッド・ソングにも起用され「ビッグ・イン・インディア」的な存在になりつつあるエイコンはまだ分かるが、日本ではほとんど忘れ去られているボニーMには、北東部の人を惹きつける何かがあるのだろうか。
北東部のフェスは単に懐メロ志向なだけではない。インドのなかでも究極とも言える野外フェスが、アルナーチャル・プラデーシュ州の谷間の小さな村で行われるジロ・フェスティバル(Ziro Festival)だ。
会場は、北東部の玄関口であるアッサム州のグワーハーティー空港から乗合いジープで約8時間、山の民アパタニ族が暮らす静かな谷間の地、ジロ・ヴァレー。このフェスには、誰もが知るビッグネームではなく、国内外のオルタナティブで尖ったセンスを持つアーティストが数多く出演している。かつては元ソニック・ユースのリー・ラナルドとスティーヴ・シェリーがヘッドライナーを務めたこともある。
日本からもポストロックバンドのMONOやサイケデリックバンドのAcid Mother Temple、さらには伝説的ジャーマンロックバンドCANのヴォーカリストだったダモ鈴木らが出演したことがあり、主催者の感度の高さに驚かされる。
ジロ・フェスティバルはステージを地元の竹や木材で組み立てたり、飲食ブースでもいっさいプラスチックを使わないようにするなど、自然との共生にも徹底してこだわり、単なる音楽フェスを超えた体験の場となっている。会場にアクセスするだけでも一苦労だが、それだけに一度は訪れてみたいフェスである。
ここまでロックとフェス文化を中心に北東部のアーティストを紹介してきたが、インド全土から見ればマイノリティでもある彼らは、進学や就職で大都市圏に出てくると、過酷な差別に直面することもある。そうした偏見に対するプロテストを表明しているラッパーたちもいるのだが、彼らについてはまたあらためて触れてみたい。
砂漠に映える極彩色――ラージャスターニー・ラップと宮殿フェス、禁酒州グジャラートのインディペンデント音楽シーン
今度は目線をぐっと西に移して、パキスタンと国境を接し、広大なタール砂漠が広がるラージャスターン州に注目してみよう。褐色の砂漠に点在する街にかつて王侯たちが暮らした宮殿や城塞がそびえ立つラージャスターンは、異国情緒にあふれ、インドを訪れる観光客にも人気の高いエリアだ。
石造りの建築が並ぶ旧市街は、街ごとに異なる色に塗られており、ジャイプル(別名ピンクシティ)、ジョードプル(ブルーシティ)、ジャイサルメール(ゴールデンシティ)といった街がよく知られている。
ラージャスターンのインディペンデント音楽は、インド国内でも全国区のメディアで紹介されることはほとんどないが、ときにローカルな民謡の要素が取り入れられ、独特の魅力的なサウンドを持っている。
また、モノトーンの砂漠に囲まれているからこそなのか、ラージャスターンの人々はとてもビビッドな色彩感覚を持っていて、ミュージックビデオでもそのセンスを存分に楽しむことができる。
ジョードプルのラップ・デュオJ19スクワッド(J19 Squad)とシンガー/ラッパーのラッペリヤー・バーラムが共演した「ラージャー(Raja)」のミュージックビデオは、砂漠の移動遊園地や地元のバザールを舞台にした映像のローカル感がたまらない。パンジャーブのラッパーたちが彼らの誇りの象徴である農場のトラクターをミュージックビデオに登場させるように、砂漠のラッパーたちは、驚くべきことに華やかに飾り立てたラクダに乗ってラップする。その様子がなんともラージャスターンらしくて、彼らがヒップホップを大胆にローカライズするセンスに痺れてしまう。
J19スクワッドがホームタウンをレペゼンした「マロ・ジョードプル(Mharo Jodhpur)」(「俺のジョードプル」という意味)も、「ブルーシティ」の魅力と彼らの地元愛が伝わってくるおすすめの一曲だ。
ラージャスターンでも、この地域ならではの音楽フェスが開催されている。デリーの西200kmほどに位置するアルシサルで開催されるMagnetic Fields Festivalは、17世紀に作られた宮殿を舞台に、電子音楽を中心としたアーティストたちがパフォーマンスを行うというインドでも珍しいコンセプトのフェスだ。
EDMのような人気の高いパーティー系の音楽ではなく、エレクトロニカやアンビエント、テクノなど、よりオルタナティブな電子音楽にフォーカスしているのが面白い。これまでに国外からはフォー・テットやハドソン・モホーク、グラス・ビームス(中心メンバーはインド系だが)、国内からはデュエリスト・インクワイアリー、(Duelist Inauiry)、サンデューンズ(Sandunes)らが出演している。
残念なことにこのフェス、2026年からはアルシサル宮殿とは別の会場での開催となるようだが、土地の魅力と新しい音楽の刺激というコンセプトはぜひそのまま維持してほしいところだ。
ラージャスターン州の南西に位置するグジャラート州は、禁酒州(ドライ・ステイト)として知られる厳格な土地柄だ。インド現首相のモディ氏の地元でもあり、州の最大都市アーメダーバードとムンバイを結ぶ高速鉄道に日本の新幹線が採用されることになったというニュースを覚えている人もいるかもしれない。
このグジャラート州、不思議と先鋭的な音やセンスの良い音楽性を追求しているアーティストが多いという印象がある。
代表格はポストロックバンドのアズウィーキープサーチング(Aswekeepsearching)。エレクトロニカ的な静謐さとロックのダイナミズムを兼ね備えた演奏にヒンディー語ヴォーカルが乗り、ときにタブラ、シタールなどの音色が彩りを添える。瞑想のような深い感覚と解放感が両立した彼らの音楽は、やはりインド的と呼べるものなのかもしれない。
アーメダーバードのチラーグ・トーディ(Chirag Todi)もセンスの良いジャジーなポップセンスでシーンの評価が高いアーティストだ。
ヒップホップ界からは、生演奏やダブの要素を取り入れたDhanjiが強烈な個性を放っている。自身のインスピレーションとして「プッシー、インターネット、ルイCK(メキシコ系アメリカ人のコメディアン)、LSD、ドストエフスキー、そして野心」と嘯く彼は、インドの他のどのラッパーとも似ていない音楽を作っている。
カシミールで自由を叫ぶ
インドはすこしいびつな菱形をしている。ここまで、菱形の南端(タミルナードゥ州、ケーララ州)、東端(インド北東部七姉妹州)、西端(ラージャスターン州、グジャラート州)の音楽シーンを紹介してきたが、その北端に位置しているのが、パキスタンや中国との領土紛争を抱えるカシミール地方だ。
カシミールが抱える問題はあまりにも複雑だが、ごく簡単に説明すると、その起点はインドとパキスタンが分離独立した1947年にまで遡る。カシミールの住民の大多数を占めるムスリムに対して、この地を統治していたのはヒンドゥーの藩王(マハーラージャ)だった。
このとき、カシミール藩王国の選択肢は3つあった。ヒンドゥー教徒がマジョリティを占めるインドに帰属するか、イスラームを国教とするパキスタンに帰属するか、それとも独立するか、である。
だが、藩王国としての決断が下される前に、パキスタンが武力介入してきたため、藩王はインドへの軍事支援を求め、インド帰属を表明する。結果的にカシミールは北西部をパキスタン、南部をインドが実効支配することになった。さらにもともと国境があいまいだったカシミール北東部の統治圏を中国が主張し、実効支配するに至り、この地をめぐる状況はますます混迷していった。
以降、カシミールでは、インド帰属に反対する住民たちによる抗議運動と、それに対する弾圧、それに抵抗する過激派による暗殺やテロ行為、そしてさらなる弾圧……と悲劇が繰り返され、多くの市民が犠牲になってきた。泥沼化したカシミール情勢は、印パ両国の対立の激化や、ヒンドゥー至上主義やイスラーム原理主義の台頭といった時代の流れに絡め取られ、もはやどう転んでも誰かの逆鱗に触れてしまうという、まったく出口の見えない状況に陥ってしまった。
そんなカシミールの中心都市スリナガルで、自由を求めて活動をするラッパーがいる。カシミールからその名を取ったMCカッシュ(MC Kash)だ。彼は故郷が置かれた状況をより広く世界に訴えるため、母語であるカシミーリー語ではなく、英語でラップすることを選んだ。
スリナガルでは、2010年に起きた抗議行動への鎮圧で、10代の若者を含む100人を超える犠牲者が発生するという悲劇が起きた。このあまりにも理不尽な状況に抗議して、カッシュは自由を求める気持ちを綴った「I Protest」という曲をリリースする。彼もこのときに友人をうしなっていたのだ。
静かで不穏なビートに乗せて、カッシュは組織的な暴力のもと、人の命がいとも簡単に奪われる現実へのプロテストをラップする。この曲の最後に読み上げられるのは、弾圧のなかで命を落とした60人以上のカシミール市民たちの名前である。
この楽曲をリリースしたことで、彼は過激派との関係を疑われ、スタジオにいたところを警察に連行されてしまう。だが、彼の曲を注意深く聴けば、なんら過激なことをラップしているわけではなく、彼が自由と公正と平和を求めているだけだということが分かるはずだ。
地元のスーフィー歌手と共演した「Like a Sufi」では、自由を求める彼のラップと祈りを乗せた歌声が、切実な響きを持って重なり合ってゆく。
MCカッシュは、インタビューで、あまりにも過酷な環境のなかでヒップホップだけが自分を解放できる場所であり、自分が育ったスリナガルのストリートの現状を伝える手段だと語っている。
彼が「I Protest」をリリースしてから15年以上が経過したが、カシミールは今なお不安定で緊張した状況が続いている。彼をはじめとするカシミールのラッパーたちが、純粋に故郷の名物料理や美しさについてラップしたり、無邪気なパーティーソングをリリースできる日はやってくるのだろうか。
インドという小宇宙
インド各地のインディペンデントな音楽シーンを、地域や言語別にいくつかピックアップして、急ぎ足で紹介してみた。今回触れることができたのはインド全土のなかのごく一部に過ぎないが、いずれのシーンでも、その土地の歴史や文化に根ざした個性が、音色やリズムに色濃く反映されている。
「インドはひとつの国ではなく、亜大陸だ」という言葉がある。インドはひとつの国として捉えるにはあまりにも多様で、まるでひとつの大陸のようだ、という比喩である。言語、宗教、民族、食文化などの多様性に加えて、貧富の格差、宗教的リベラリズムと原理主義、平和と紛争、資本主義と俗世を離れた精神性、等々……あらゆる両極が混在するインドは、私にとっては亜大陸どころか、ひとつの惑星にも思える存在である。インド世界のあまりの広さと深さに、惑星というよりもひとつの小宇宙と呼んだほうがふさわしいと思う時さえある。
この小宇宙には、人間の美しさと醜さ、希望と絶望、寛容と偏狭など、いくつもの矛盾が驚くほどの密度で詰め込まれている。その混沌のなかには、およそ世界に存在するあらゆる問題と、その答えを探るための手がかり、そして、想像を超えたエネルギーが内包されている。
この混沌から生み出される新しい音楽は、今この瞬間にも誰かを楽しませ、また孤独や憂鬱にそっと寄り添っている。インドという小宇宙はあまりにも広いが、それだけに、どれだけ探求しても尽きない魅力がある。
そしてそこで鳴らされている音にも、永遠に飽きることがない。
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