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アルス・ピヤニカ――鍵盤ハーモニカの楽堂 南川朱生(ピアノニマス)

震える鍵盤ハーモニカ

 前回は、リードの「ド」君が震え「ドーーー」と叫ぶまでの、鍵盤ハーモニカ自体のメカニズムをちょっぴりファンタジーホラーストーリー仕立てでご紹介しました。また構造的なデメリットに打ち勝つための知恵や、時空を越えた内部構造のロマンについても熱く語ってきました。

 ところで前回、巨人さんが楽器に息を吹き込んだ際に、リード家族たちが「苦しいよう」と発するシーンがありました。実はあのとき、鍵盤ハーモニカの内部では、実に複雑な目に見えない圧力の発生、すなわちリード家族への「エアーハラスメント」が起こっていました。今回は、まず「圧力」が発生する様子を「ブラック企業」に見立てたストーリーでお届けしてまいります。

(注)鍵盤ハーモニカの構造や、発音のメカニズムには、様々な要素が複雑に関わっており、まだ学術的に解明されていないことも多数あります。本連載では、その中でも骨格を成す要素に絞って解説を行います。解説の都合上、音を左右する要素であっても、単純化したり、省略しているものがあることをご了承ください。

 

株式会社ブラックケンハモのケース 〜横行するエアーハラスメント〜
※本ストーリーはフィクションであり、実在の企業・人物とは関係ございません。

 

「株式会社ブラックケンハモの社内で、エアーハラスメントが横行しているようだ。」

内部社員からの密告を受け、監査局が社内に立ち入ることになりました。

監査員が長いトンネルのような入り口を通りたどり着いたオフィス内は、なんだか湿っぽく、真っ暗で、窓はたまに開く程度、しんとしています。

 

――ピンポーン。「お忙しいところ失礼します。エアー監査局のものです。視察に参りました。」

監査員が受付に到着するや否や、一瞬、室内に強い風が吹き荒れます。受付のスタッフが風に煽られ、苦しそうに半目を開けながら、張り付いた笑顔で答えます。「い、いらっしゃいませ……」

 

監査員は長年の勘ですぐに気がつきました。この受付スタッフは、目に見えない圧力を日常的に受けていることに……


▲P1:空気(息)の圧力=入り口の圧力

※ 以下P1〜P5は圧力を示す表記

受付スタッフに案内された監査員は、まずはオフィスフロアを拝見。そこには同じ金色の制服に身を包んだ社員たちが、一列にずらりと背の順で並び、ちょっぴり猫背の姿勢で仕事をしています。「なんだこの異常な光景は……」監査員が到着するや否や、オフィスフロアの空気がピリッと張り詰めます。


▲P2:空気室内の圧力

そのときです、オフィスの外から大きな声が聞こえました。

「おい! おまえら! ちゃんと働いてるのか?!ちょっと出てこい!」

バン……という音がして、扉がいくつか開いたかと思うと、数名の社員が突然ブルブルと震え始めました。

「どうやら日常的に社長からハラスメントを受けているようだ……」監査員は察しました。


▲P3:リードの隙間を通り、リードの下を通過する高速の空気の圧力

「おい! お前! お前だ! 俺が呼んでるんだ! さっさと外に出てこい!」

社長に呼ばれた社員達は、震えながら外へ出ようとします。

 

しかしそのときでした。

「え……この忙しい時に、あなた外へ行くつもり……?」

「あの……社長からのお呼び出しなので……」

「それって今じゃなきゃだめなの?」

「社長がさっさと出てこいと……」

「だからぁ、それって今じゃないとだめなの?」

 

そう、隣の「お局さん」からの圧です。


▲P4:空洞内(スリット下)の圧力(背圧のこと)。

監査の結果、社内の合計4箇所で、卑劣かつ陰湿なエアーハラスメントが起こっていたことがわかりました。

監査員は外に出て、オフィスを見上げながらふと呟きました。

 

「この会社も、国や社会というもっと大きなところから、目に見えない圧力を受けているのかもしれないな……俺のような監査員が立ち入ることも、また一つ社員達のストレスであり、エアーハラスメントになっているのかもしれない。」


▲P5:楽器外の圧力(大気圧のこと)

企業内の「目に見えない圧力」を制御することは、決してたやすいことではありません。しかしそれが上手く制御できた先には、風通しの良いワークライフが待っており、より生きやすい社会の実現に繋がるのかもしれません。

――完――

このように、鍵盤ハーモニカの内外では、様々な種類、様々な大きさの圧力(P1〜P5)が発生したり関わっていることがわかります。この空気の圧力の変化と、楽器内の各部署で発生するその「不均衡」こそが、リードが振動し、鍵盤ハーモニカが発音する理由なのです。


▲楽器の内外部で発生している圧力(P1-P5)を簡略化した図

(この圧力変化がどのようなプロセスで起こり、発音につながっているのかは、後の見出しでご説明させていただきます。)

 

なぜ「ド」君は震えるのか

 お話の中では、恐怖に恐れ慄いたリードが震えている、という設定になっていましたが、実際の鍵盤ハーモニカは特に怯えているわけではございません(笑)。一体なぜ、リードというものは息(空気)で振動し、なぜそれによって特定の音(高い音や低い音)が出るのか? その理由について、物理学的な観点からのご解説を、鍵盤ハーモニカマガジン『鍵盤鼠の会』で連載コラム「レイノルズが音に出会ったら(2018-2019)」を執筆された、電子制御開発エンジニアの服部真氏にお願いしました。

服部氏「物理の目からは、リードは『バネの復元力を利用した振り子』とみることができます。バネに重りをぶら下げて振ると、一定の周期で振れます。これがバネ振り子です。『振り子』の定義は、①おもりがあること②位置の変化に対して、中央に戻ろうとする力(復元力)が常に働くこと、この2点です。」

 
▲振り子およびバネ振り子と、その復元力を表した図

服部氏「リードの場合は、その金属板の重さ自体がおもりです。たとえば低音のリードでは、リードの先端が太く肉を盛られているのが判りますが、これなどは積極的におもりを重くしたバネ振り子といえます。」



▲鍵盤ハーモニカの低音リード(通称お父さんリード)の拡大図。お父さんリードは先端がほんの少し嵩ましされて、分厚くなっているのが肉眼でも確認できる。

服部氏「また、これらのリードは、外から力が加わって曲がると、金属板の弾性によって元の位置に戻ろうとする力が働きます。つまり、リードというのは、板状のバネと、そのバネ自身の重さを利用した『バネ振り子』といえるわけです。このような振り子をカンチレバー型と言います。」


▲カンチレバー型のバネ振り子を表した図。前回の、「リード兄弟が、吹き飛ばされぬよう負けじと体を元に戻そうとする様子」を思い出していただきたい。彼らは体が真っ直ぐの状態(=真ん中)に戻りたがっている。



▲リードが振動する様子を記録したGIF画像(提供:ブランカズィオ氏)

服部氏「振り子の最大の特徴は、『大きく振れても、小さく振れても、基本的に振動の周期(周波数)が殆ど変わらない』ことです。なので、リードは音(振動)が大きくても小さくても、同じ音程を安定して出せるわけです。そして、その(振動の)周期は、『おもりの重さ』と「中央に戻ろうとする力(=復元力)』のバランスで決まります。すなわち、リードが長くなると、重さが重くなり、復元力が弱くなるため、音程が低くなります。」

上記をまとめると、リード家族の場合
・お父さんリード=重い=復元力が弱い=振動の周期が長くなる→低い声(低音)
・赤ちゃんリード=軽い=復元力が強い=振動の周期が短くなる→高い声(高音)
という理屈で音程が決まるということになります。

 鍵盤ハーモニカのリードは、とても律儀なリード家族の性格や、それぞれの体重差、身長差、そして「常に真っ直ぐでありたい」という強い思いによって、楽器であり続けることが出来るのですね。

 ここで新たな疑問が湧いてきます。「鍵盤ハーモニカのリードが、『振り子』のように振動するには、一番最初は『グイッ』と誰かがリードを押し込むか持ち上げるかしないと、振動しないのでは?」その最初の『グイッ』は誰がやっているのでしょうか? 透明人間……? リードの意思? 空気の力で押されたりしている……?

服部氏「物理学の世界には『流れは速いほど圧力が下がる』という、とても有名な法則(ベルヌーイの法則)があります。『飛行機はなぜ飛ぶのか』という話の時に話題になるあの法則です。空気はリードの先端部分の下側に流れ、スリット(前回第6回で登場した、地下通路へと続く細い隙間)を通過し勢いよく流れます。するとそのベルヌーイの法則によって、リード表面の地下室側にかかる圧力が下がり、リードは地下室側へと吸い寄せられ、曲がるのです。曲がると今度は空気が通りづらくなり、流れが遅くなり、リード表面の地下室側の圧力が上がります。するとリードがバネの復元力により元に戻るんですね。これはフリーリードのみならず、その他のリード楽器にも共通する仕組みです。」


▲リード振動の仕組みを簡略化した図

①リードの隙間(スリット)からリード下(地下室)へと、リード下面に沿うように空気が通過する(流れは速い)。
②リード下面(地下室側)の空気の圧力が下がり、リードが下(地下室側)に吸い寄せられる。
③リードとスリットの隙間が狭くなり、空気が通りにくくなる。
④リード下面(地下室側)の空気の流れが遅くなり、今度は圧力が上がる。
 リードを下に吸い寄せる力が弱まり、リードは元に戻る。

また、リード振動時の圧力発生箇所(P1-P5)との関係を既出の図と対応させると

①P1の圧力がP5よりも強くなり、空気はリード下の地下室内へと流れ込みます。
②早い空気の流れによって、P3が低下する。P2がP3より大きくなり、リードが下向きに曲がる。
③空気の流れが遮断され、P2とP3の差が小さくなり、リードは自身の復元力により元に戻る。
のようになります。


▲ベルヌーイの法則によって、紙の下に空気を吹き付けると、紙が上に引っ張られる様子を記録したGIF画像。(提供:ブランカズィオ氏)

鍵盤ハーモニカをはじめとするフリーリードの振動については、1990年代になってから特に関心が高まった分野で(1)、かつてはフリーリード全般について専門的に研究するニューヨーク市立大学傘下施設でも積極的な研究がなされ(現在は閉設)、2000年代になってからも国内外で多くの論文が発表されております。しかしながら、フリーリードの全てが解明されているわけではなく、現在も学術的によくわかっていないことが沢山あります。


▲Neville Fletcher・Thomas Rossing著『楽器の物理学(The Physics of Musical Instruments)』 (1998)には、第2版になってからフリーリードの要旨が加筆された。

中でも、ハーモニカのピッチベンド(音の高さを滑らかに下げたり上げたりする奏法)のメカニズムについては、関心が高まっている分野です。

 


▲バス鍵盤ハーモニカを使用し、音の高さを下げるピッチベンド(ベンドダウン)を行う筆者。

※こちらの奏法はリードに負担がかかり、リードにヒビが入ったり折れることがございます。実施は自己責任にてお願いします。

音楽畑の人だけではなく、物理畑の人も魅了してしまう鍵盤ハーモニカは、本当に不思議な楽器です。なぜ鍵盤ハーモニカのリードが振動するのかが分かったところで、次はいよいよ、「なぜ振動すると音が鳴るのか」を分子レベルで見ていきたいと思います。

 

なぜ「ド」君が震えると「ド」の音が鳴るのか

 皆さんは消防時や緊急時などに使う、サイレンの仕組みをご存知でしょうか? 様々な仕組みのサイレンがありますが、代表的なものは、固定された円筒の内側に、回転する別の円筒を設置したものです。両方の円筒には複数の穴が開いており、ハンドルを回すと、二重になった円筒の内側のみが回転し、穴が開いたり塞がったりします。

 また、円筒の内側は扇風機のような羽根が付いていて、円筒が回転すると、内部の空気は穴から外に押し出されます。中の空気は、穴が開いたときは通過できますが、塞がった時は通過できません。通過できる……できない……できる……できない……を繰り返すことによって、「圧力の高い状態」と「圧力の低い状態」が、交互に発生します。するとなぜか「ウーーーー!」というサイレンの音が発生します。実はこの時、空気の流れが一定の周期で「寸断」されています。「寸断」というとイメージしづらいかもしれませんが、パスタマシーンからパスタがどんどん流れていくのを、カッターで「ザッ!」と裁断されている様子を想像してみてください。この現象を本記事では「空気のブツ切れ」と命名します。

 さて、今度は円盤型のおもちゃを例にとり、この「空気のブツ切れ」を考えていきましょう。

 回転する円盤には一定の間隔で円周状に穴が開いています。そこにホースで息を吹き込むと、ホースの開口端の前に穴が来た時は息が通過できますが、穴が外れている時は通過できません。そう、ここでもまた「空気のブツ切れ」が起きています。これが連続すると、また「圧力の高い状態」と「圧力の低い状態」が交互に発生し、またもや「ウーー」と音が鳴ります。


▲80年代の子供番組「Mr.Wizard’s World」で解説されるサイレンの仕組み。動画前半では穴のあいた円盤を高速で回転させ、ストローで息を当てると音が鳴る様子が説明されている。動画後半ではモーター式のサイレンを回して発音させる様子が見られる。なおサイレンの仕組みはこれだけではないが、一般的なものの一例として取り上げた。


▲動画の前半で解説されている、穴のあいた円盤を回転させ息を入れた際のメカニズムを簡略化した図(提供:ブランカズィオ氏)


▲「空気のブツ切れ」現象を可視化したGIF動画(提供:ブランカズィオ氏)

このメカニズムや「空気のブツ切れ」が、鍵盤ハーモニカのリードや発音と、どのように関わっているのでしょう。

 第6回でご紹介した「モイスチャーバスティングメロディカ」の作者であるデイヴィッド=ブランカズィオ氏に、なぜリードが振動すると音が鳴るのかをインタビューしてみました。

ブランカズィオ氏「鍵盤ハーモニカのリードでも、実はサイレンや円盤型のおもちゃと同じことが起きています。空気の分子を『小人の乗った小さな車(以下「Marvin」と命名)』としましょう。圧力がパンパンにかかり、空気が外にでたがっている(しかし出られない)状態は、狭い道路で車が「交通渋滞」を起こしている状態とよく似ています。下のイメージ図を見てください。長いトンネル(鍵盤ハーモニカのホース)を通って鍵盤ハーモニカの内部にたどり着いたMarvin達は、リードの周辺で渋滞を起こしています。」




▲鍵盤ハーモニカの内部を道路に見立てた図。リードの周辺で空気の分子「Marvin」達の渋滞が発生している。

ブランカズィオ氏「今度はリードを『穴のあいた道路を塞ぐ、奇妙な光る巨大な金属屋根』に見立てて見ましょう。

『Marvin』達は我先へと、道路の穴を目掛けて発車していきます。後ろからは後続車が次々とやってきます。

あまりに多くの『Marvin』達が通過したため、屋根に限界がきたようです。屋根がピシャリと閉まってしまいました。この時、屋根の下では圧力低下(参考:前項『なぜド君は震えるのか』)が起きていたためです。

一時的に渋滞は緩和されますが、また1〜3のような状態が起きます。屋根が閉じては開き、閉じては開き……Marvin達の『ギュウギュウ』状態と『スカスカ』状態が交互に繰り返されます。このMarvin達に起きている現象こそが、『空気のブツ切れ』なのです。そしてこの現象は、引き目で見ればまさに空気の波、すなわち『音波』なのです。さて、この『屋根の開閉』は、例えば『ラ』のリードであれば、一秒間に440回開閉します。『ド』の場合は261回です。この『音波』が最終的に我々の耳に届くのです。」

(注)「ではなぜ音波が耳に届くと音として聞こえるのか」については、鍵盤ハーモニカの話から大きく飛躍してしまうため、本記事では割愛させていただきます。


▲既出の現象を対応させた図。

(注釈)
・鍵盤を押していない時は、内部全体(P2〜P4)は全てP5と同一になる。
・鍵盤を押さずに息を入れると、P1-P4は全て同じくらいの圧力となり、P5よりも大きくなる。
・吹くと同時に鍵盤が押され、振動が始まると、P3が低圧になる


▲リード振動の仕組みを簡易的に表したGIFアニメ。


▲リードの振動によって、音波が生じるメカニズムを簡易的に表したGIFアニメ。

すなわち、鍵盤ハーモニカの音とは、空気の流れによってリードが振動し、それによって空気の流れが繰り返しブツ切れにされ…そこから生み出された空気の分子たちの連続的な「ギュウギュウ」と「スカスカ」……非常に乱暴に言ってしまえば、これこそが音波であり、それらが私たちの耳に届いたものだったのです。ド君が震えた時、1秒あたり261回の波や、その他の様々な波が複雑に絡み合うことで(後述)、鍵盤ハーモニカの「ド」の音に繋がっていたのです。

 

「ド」君は、どのように鍵盤ハーモニカの「ド」君になれたのか

 ここまでの項では、リードが振動し「ドーーー」と発音するためのメカニズムを解説してまいりました。それでは、その「ドーーー」が、「ザ・鍵盤ハーモニカの音」として認識されるための要素は何があるのでしょうか? 言い換えると、同じフリーリード楽器は他にもたくさんあるのに、どうして鍵盤ハーモニカはあの独特の音色を持っているのでしょうか?

 長年、他に類を見ない独自の楽器製作と、それらを用いたアーティスト活動を行ってきた「明和電機」の土佐正道氏は、このように解説します。

土佐氏「鍵盤ハーモニカのリードは、金属板の根元の『片側』だけが固定されている(=片持ち)がゆえに振動する、という特徴があります。似たような仕組みの楽器はカリンバなど。こういった『片持ち』の楽器だと、振動の幅が撥弦楽器などに比べて安定しません。さらには、その支点にあたる『固定端』の位置によっても発音が変わります。鍵盤ハーモニカは笙などとは違い、固定端が少しだけ外側にあります。するとリードの根本がプレートに接触しているので、ビリビリとした音が発生します。この現象を『ザワリ』と呼びます。」


▲笙など、アジアのフリーリード楽器に見られる振動(図上側)と、鍵盤ハーモニカに見られる、「ザワリ」の発生する振動(図下側)。

土佐氏「また、鍵盤ハーモニカのリードは、振動する際に、スリットを通過した空気が加振力となり、他のリードがつられて共振する、という特徴があります。そういった『共振』に加え、前項のような『リードそのものの振動』、そして発生した『圧力波』、これらの3つは、どれも周波数が違っていますが、タイミングが定常的に続くことにより、人の耳に『鍵盤ハーモニカのドの音』として聞こえてきます。ちなみにシンセサイザーの機能で、このような波の波動が様々に影響しあう関係を利用した音作りのことを『オシレータ・シンク』と言います。」

――今後このような鍵盤ハーモニカのリードの独自性や、可能性を活かした創作は検討されていますか?

土佐氏「明和電機メンバーのヲノサトル氏が弾いてる足踏みオルガンを分解して修理することがあるのですが、仕組みを見ているうちに『これは自作できるのでは?」となり、自分で簡単な模型を作ってみたりすることがあります。フリーリードはパーツのセッティングや素材によって実に色々な種類の音色を奏でるので、いつもなにか新しい楽器に使えるかなと試行錯誤しています。クラヴィオーラという楽器をご存知でしょうか?あのように鍵盤楽器とリード楽器に「共鳴管」がついている形状の楽器は、リード自体の整数次になりにくい点を気柱によって揃え、安定させているんですね。とても興味深いので、あの仕組みを理解して、新しい自作楽器につなげたいと思っています。」


▲共鳴管を持つ、HOHNER社製の「クラヴィオーラ」(オーナー:坂元一孝氏、写真:小西恒夫氏ご提供)。既に廃盤となっており、日本国内で現在も所有していることが判明しているのはおよそ13名ほど。鍵盤ハーモニカの仕組みを利用しつつも、その発音原理は大きく異なる。

 

溺れる鍵盤ハーモニカ

 ここまでは、鍵盤ハーモニカのリードが空気の圧力によって適切に振動し発音する、という前提の話をしてきました。それでは空気のないところで、鍵盤ハーモニカを吹くとどのようなことが起こるのでしょうか?以下に筆者がお風呂の中で鍵盤ハーモニカを演奏した動画がございます。

 


▲お風呂の中で鍵盤ハーモニカを発音させたところ

※各鍵盤ハーモニカメーカーはこのような行動を推奨していません。機種によっては水に濡れると取り返しのつかなくなるパーツなどもあり、自己責任にて実施願います。

 そう、鍵盤ハーモニカが溺れるのです。内部に少しずつ水が浸透していくと同時に、音は徐々に出なくなります。そして沈むほどに水を吸った鍵盤ハーモニカは全く音が出なくなります。息を送ると、その分の空気でかろうじて発音することができます。(人工呼吸!)そして水が内部から流れ出て、少しずつ空気が入ると、再び音が鳴る...という仕組みです。

 第3回でご紹介した野村誠氏(鍵盤ハーモニカ奏者・作曲家)のパフォーマンス作品に「Melodica in a bath」(第4回福岡ビエンナーレ「お湯の音楽会」より)という作品があります。

この作品では溺れそうでギリギリ溺れない鍵盤ハーモニカの魅力や、銭湯ならではの響きを存分に味わうことができます。


▲イギリスの音楽家、Hugh Nankivell氏による、飛び込み遊泳を伴う鍵盤ハーモニカパフォーマンス。


▲筆者による、水中鍵盤ハーモニカ作品。

深い鍵盤ハーモニカの泉に溺れた演奏家たちは、その魅力を探るべく、なおも深く深く潜水していくのでした。

 

次世代職「AI鍵盤ハーモニカ奏者」の可能性

 これで「なぜ鍵盤ハーモニカが鳴るのか」を物理的な観点から説明できました。

 しかし筆者はふと考えました。これだけ鍵盤ハーモニカの発音メカニズムが判明しているのであれば、誰かが「とっても正確な音が出せる電子鍵盤ハーモニカを、精巧な技術で演奏するAIロボット」を作り、筆者の仕事を奪いに来るのではないかと……何とか人間の鍵盤ハーモニカ奏者の仕事は、実に複雑で、どう頑張ってもAIロボットには代替が効かない!ということを主張できないものかと……。

 早速筆者は37鍵盤の鍵盤ハーモニカの最低音である「ファ」だけを抑え、口腔の変化(冒頭のみ押鍵の変化も有り)のみで構成した即興作品を制作してみました。


▲Improvisation piece for Melodica's "F" sound 《Father》鍵盤ハーモニカの「ファ」の音のための即興作品「Father」

そして上記の動画を題材とし、音響学的な観点から分析すべく、楽器メーカーエンジニアの村北泰規氏へ、ご解説をお願いしました。

 

ミニコラム:「鍵盤ハーモニカ奏者の音を音響学的に分析しよう」

まずは上記の動画を見て、鍵盤ハーモニカそのものを電子楽器化し、それを制御するロボットが演奏することは、現実的に可能かと思いますか?

村北氏「一聴して、既存の電子楽器の仕組みでは再現し難い音色や演奏表現のオンパレードですね。現在、世の中には電子ピアノ、電子ドラム、電子アコーディオン、電子吹奏楽器など、既存の生楽器の形状やUIを模し、(一定の使用環境でのある種の)その置換えを意図した製品が複数存在しますが、鍵盤ハーモニカでそのような再現を行うのは、他の楽器とは少し事情が違います。」

ーー鍵盤ハーモニカの音色や奏法は、他楽器とはどのように違っていて、どんな独自の特徴があるのでしょうか?

村北氏「まずは全般的な特徴として、
<特徴1.> 音量の変化と音色の変化はある程度連動するが、奏法によりその連動の具合が変わる
<特徴2.> 奏法の違い(口腔の変化等)により音色は(量的な変化だけでなく)質的にも変化する
といった点を挙げる事ができます。

どの音もすべて鍵盤ハーモニカのF3(一番低音側のファ)鍵盤を押して呼気(+α)を吹き込んで出している点は共通していますが、音量の変化と共に音色も様々に変化している様子が、動画の波形やFFT表示(動画右上)からも確認できます。」


▲音量(黄緑色の2本の縦棒)に応じて、波形が変化していく様子の一例

村北氏「例として、0:05〜0:30に見られるピッチベンドがありますね。
・音程が下がると共に音色もかなり明瞭に変化する
・鍵盤の押込みの深さと呼気の量の配分により、音程・音色の変化の仕方が微妙に異なる(0:12〜, 0:26〜)
といった点が電子的な再現を難しくしている特徴となります。

また、基本的には呼気の量を増やす事で音量が大きくなり音色も変化しますが、ある時点でリードが振動しなくなる状況などもおきています。(0:38〜, 0:47〜)

さらには、F3鍵盤(約174Hz)を押さえているが、呼気のコントロールによって3オクターブ上のF6鍵盤(約1397Hz)を出すフラジオレットと呼ばれる奏法(2:54〜)などもみられます。」


▲F3鍵盤(約174Hz)を抑えているのにF6鍵盤(約1397Hz)の音がでている状況。倍音の構成など、通常のF6鍵盤を押して出す音とは大きく異なっている。

村北氏「鍵盤ハーモニカは、本連載第1回でもご紹介の通り、楽器の構造上は足踏みオルガンやアコーディオン属の楽器などにも近い特徴を持ちますが、それらの楽器と比較した場合、呼気を用いるメリットとして『リードへの圧力のかけ方の自由度が高い(吹奏楽器のテクニックを応用できるケースが多い)』という点が挙げられます。具体的には、複数のタンギング表現が可能(0:53〜1:19, 2:25〜2:50)であり音色も多彩に変化します。呼気と共に、歯擦音(1:20〜)や有声音(1:42〜2:23)を混入させる事で音色を変化させる事もできますね。しかし、ボイパしながらの吹奏は圧巻ですねえ(3:15-3:23)。3:28〜あたりの音なんてホラー映画の効果音でも使えそうな気がします(笑)。鍵盤ハーモニカを電子的に再現する事を想定する場合、上記の<特徴1>については、既存技術の応用/発展で比較的近い挙動を実現できそうですが、<特徴2>については、UIや音源の方式について新しいアプローチが必要であるように感じますね。」

ーーでは筆者より、とても大切な質問をさせてください。近々、「超精巧な鍵盤ハーモニカ演奏ロボット」が発明されてしまう可能性はあるのでしょうか?

村北氏「もし『人間が行う行為のみを代替/制御する装置 』によって、鍵盤ハーモニカを演奏する仕組みを作ると考えた場合、コントロールすべきパラメータ(=制御するべき物理量)は、

1. 鍵盤の押込み量
2.(呼気に相当する)気圧
3. 上記パラメータの時間方向のタイミング

等が考えられますが、有声音/歯擦音を使った音も再現する場合には、さらに

4. 声帯を模した何らかの発音機構

とその発音タイミング制御が必要となるでしょう。(自動演奏装置作成の課題)

『特定のプレーヤー(この場合筆者)の演奏を記録/再生する装置』を想定した場合、その精度を高めようとすれば、マウスピース以降〜楽器内〜楽器から排出される所までを流体解析するといったアプローチも必要になるかもしれません。

いずれのアプローチも、技術/研究視点では非常に面白い内容/課題だと思いますが、『できるようになるまで練習したほうが100倍早いかも』と感じるくらい難度の高い課題であるように思います。」

ーー明確なお答えをいただき、少しほっとしております。まだまだ鍵盤ハーモニカ奏者の仕事がAIロボットに奪われる日は遠そうですが、気を抜かず毎日真面目に練習していきたいと思います。

 

エピローグ

 今回は、鍵盤ハーモニカの音がいかにして鳴るのかを、物理学・音響学的な観点を中心に、ミクロな目で追っていきました。では最後の問いです。「鍵盤ハーモニカの音を最後に決定づけるものは何か?」。

 それは、ここまでの記事を振り返る限り、空気の流れであり、空気の分子であり、圧力であり、振動であり、復元力であり、共振であり、ザワリであり、周波数であり、音波であり……しかしながら、その本質は吹く人(動物、機械等も含む)の身体であり、哲学(無い人も含む)であり、心(無い人も含む)こそが、鍵盤ハーモニカの音を鍵盤ハーモニカたらしめる……という仮説はいかがでしょうか。

 最後に以下の動画を紹介したいと思います。


▲ベルリン在住のハーモニカ奏者による、風に靡き発音するハーモニカのリード「WIND WALL」による作品、「Blowing in the wind - The real weather forecast」

※ラジオ番組のため、語りが入っています。

「風」という、その強さも行く先も頭も心も読めない、摩訶不思議な現象が起こす音楽は、「風の制御史」がまだまだ続き、その先は未知であることを教えてくれます。奏でる側のみならず、聴く側もまた鍵盤ハーモニカの音を鍵盤ハーモニカたらしめるのでしょう。

 

▼詳しく知りたい方は以下の文献や動画などもご参照ください。

・月刊うちゅう2021年1月号、12-13頁「物理化学者が発明した楽器」(大阪市立科学館公式ホームページより)

・「コンサーティーナリードのすべて

・阿部淳「衝撃波と音波は何が違うのか? ~衝撃波を体験してみよう!~」(Engineering-Eyeより)

・鈴木則宏「フルートと脳のおはなし――音楽家のための脳神経生理学入門」(春秋社、2021年)

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ご取材・執筆ご協力者様(あいうえお順)

足立 庄平 様/東海楽器製造株式会社会長

あまやん 様

新井 恵美 様/宇都宮大学准教授

アラン=ブリントン 様/ボイシ州立大学哲学科名誉教授

大隅 観 様/ハーモニカカスタマイザー

オスカー=ヴェルドゥーゴ 様/国際鍵盤ハーモニカ博物館館長

加藤 徹 様/明治大学 教授

カニササレアヤコ 様/雅楽芸人

小西 恒夫 様/クッキーハウス

瀧川 淳 様/国立音楽大学 准教授

佐藤 芳明 様/アコーディオニスト

坂元 一孝 様/ウェブサイト『素晴らしき鍵盤ハーモニカの世界』管理人

設樂 健 様/作曲家

柴田 俊幸 様/フルーティスト

蛇腹党

デイヴィッド=ブランカズィオ 様/鍵盤ハーモニカ奏者・サイエンティスト・エンジニア

武田 昭彦 様/有限会社セレクトインターナショナル

谷口楽器店 様(4Fリード楽器フロア)

土佐 正道 様/明和電機会長 

成田 宗芳 様/アートマネージャー

野沢 真弓 様/アコーディオン友の会東京支部副部長

野村 誠 様/鍵盤ハーモニカ奏者・作曲家

服部 真 様/電子制御開発エンジニア

Bellows Works Tokyo

松末克彦 様/organ69オーナー

真野 哲郎 様/株式会社トンボ楽器製作所 取締役営業部長

村北 泰規 様/楽器メーカーエンジニア

八木 隆之 様/コンサーティーナ愛好家

山下 伶 様/クロマチックハーモニカ奏者

山中 和佳子 様/福岡教育大学 准教授

ゆnovation

 (※本連載の画像・情報は、その多くが協力者様の提供によるものです。無断転載はお控えください)

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(1) Acoustics of free-reed instruments」(Physics Todayより)

バックナンバー

著者略歴

  1. 南川朱生(ピアノニマス)

    1987年生、東京都在住、元IT企業の銀座OL。日本を代表する鍵盤ハーモニカ奏者・研究家。世界にも類を見ない、鍵盤ハーモニカの独奏というスタイルで、多彩なパフォーマンスを行う。

    所属カルテット「Tokyo Melodica Orchestra」は米国を中心にYoutube動画が35万再生を記録し、英国の世界的ラジオ番組classic fmに取り上げられる。研究事業機関「鍵盤ハーモニカ研究所」のCEOとして、大学をはじめとする各所でアカデミックな講習やセミナーを多数実施し、コロナ禍で開発したリモート学習教材類は経済産業省サイトに採択・掲載される。東京都認定パフォーマー「ヘブンアーティスト」資格保有。これまでにCDを10作品リリースし、参加アルバムはiTunesインスト部門第二位を記録。楽器の発展と改善に向け多方面で精力的に活動している。趣味は日本酒とテコンドー。

    【オフィシャルサイト】https://akeominamikawa.com
    【鍵盤ハーモニカ研究所】https://melodicalabo.com

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