web春秋 はるとあき

春秋社のwebマガジン

MENU

アルス・ピヤニカ――鍵盤ハーモニカの楽堂 南川朱生(ピアノニマス)

国産鍵盤ハーモニカの産声

 前回の記事では、戦後の器楽教育におけるハーモニカが、いかにして「一人一台所有」の地位を手に入れたかについて、その歴史を追っていきました。そしてそんな華やかなるハーモニカバブルの真っ只中、静かに日本国内に漂着した鍵盤ハーモニカ。国内の主要メーカー3社(東海楽器・トンボ楽器・鈴木楽器)がそれぞれ自社開発に励む中、鍵盤ハーモニカは少しずつ、少しずつ、教育の島へと流れ行きます。前回に引き続き、福岡教育大学の山中氏をはじめとする、各研究者勢の先行研究を参照しながら、その旅路を追っていきましょう。

 

レジャー島から教育島へ――透明の脆い橋

 1960年、「国民所得倍増計画(1)」という、10年以内に国民総生産を2倍にすることを目標に掲げる経済政策が閣議決定されました。そう、本格的に高度経済成長の時代が始まったのです。

 同年の楽器業界誌『楽器商報』では「新しい経営のあり方」という特集がなされ、そこでは以下のような内容が掲載されています。

購買力を持つ層が変わった。国勢調査によっても1世帯当りの勤労人口が増えており農村でも都会でも若い人が働き、経済力を持ってきた戦後は若い顧客を対象にする経営が伸びています。楽器・レコード界もその一つです。
宣伝でも、都会では主婦や若い人向きな言葉や内容がとくにみられます。
ラジオ・テレビなどが普及してこれが生活方式に取り入れられようとしています。(2)

メディアを通じて情報が得やすくなり、また経済的に安定してきた結果、多くの人が海外のカルチャーに興味を持ち、それらを生活様式に取り入れる、ということが容易になりました。

 そんな中、ちょっぴり気になる商品紹介記事が登場します。

最近ヨーロッパ、アメリカ方面で吹奏楽器とリード楽器、それに鍵盤楽器の三者を合わせたような簡易楽器が非常な勢いで普及している。東京アコーディオンデべラップ・メントセンター〔原文ママ〕ではその代表的な製品といわれるクラビエッタ(フランス)およびメロディカ(ドイツ)を輸入して、その性能および使用範囲を研究してみた。これらの楽器の説明書には”大人でも子供でもたやすく演奏できるピアノの鍵盤の付いた吹奏楽器”とあるのだが、果たしてどの程度のものか? 〔中略〕こうした”混血楽器”が現在の楽器ブームに乗って、どの程度普及され、器楽教育に役立つことになるか期待される。なお、クラヴィエッタはすでにクリスマスを期して、日本楽器東京支店、東京アコ、谷口楽器、コマキ(3)等で発売され、メロディカは来年初頭より入荷が予定され、東京アコへはサンプルが入荷している。(4)

新しい楽器メロディカ 西ドイツのホーナー社から輸入された新しい楽器メロディカが、東京アコーディオンから発売されました。これは笛の形をしていて、半音付きの鍵盤が2オクターブあり、リードによる発音体からできている。音色は木管楽器のクラリネットに近い感じのものである。操作が簡便で器楽教育の発達とともに注目されよう(5)

 山中氏は、音楽教育雑誌に鍵盤ハーモニカに関する情報が初めて掲載されたのは、上記のニュースである、と指摘しています(6)。さらに、同誌の口絵を確認すると、東京アコーディオンディベラップメントセンターによる、ボタン式メロディカとクラヴィエッタの広告が「器楽教育にメロディカ 職業奏者にクラヴィエッタを!」というキャッチコピーと共に大きく掲載されていました。

 

▲同号に出稿された東京アコーディオンディベラップメントセンターの広告(7)


 筆者はこれらの記事を読み、「音楽を奏でるための」「レジャー楽器」として輸入され「百貨店で売られていた」ような鍵盤ハーモニカが、なぜ突然「教育」と繋がり、そして最終的には、教育現場の人々が「この楽器は器楽教育に役立つ」という発想に至るまでになったのか?という素朴な疑問を持ちました。

 例えば、第2回でご紹介した主婦向け雑誌『トルー・ストーリィ』は、完全なる「欧米娯楽」の雑誌でした。「アメリカ版新婚旅行白書」や「愛の後は二人で癒そう――グレイスシェファード」といった、少しセクシーな要素を含む恋愛モノのエッセイや小説の中に、場違いなタイミングでボタン式メロディカの広告が登場したのが1959年のこと。広告写真こそ「子供がメロディカを吹いている」という、やや教育を匂わせる図式であるとはいえ、「学校教育」とはまだまだ程遠いアプローチです。

 
▲恋愛小説の途中で、突然登場するボタン式メロディカの広告(8)


 先に述べた疑問について、筆者は2つの仮説を立ててみました。


[仮説1] 以前から鍵盤ハーモニカに類似した楽器が教育現場で推されていた

戦前の日本で器楽教育に取り組んだ著名な教育者に、上田友亀(1896-1994)がいました(9)。彼はアメリカの音楽教育学者サティス・コールマンに影響を受け、「簡易楽器」を使用した器楽教育を実践していました。

上田は1921(大正10)年に東京音楽学校甲種師範科を卒業した後、1929(昭和4)年9月から1945(昭和20)年まで、東京の京橋昭和尋常小学校・国民学校を拠点としながら、小学校音楽における器楽教育のあり方を先導し、戦後期にはハンドカスタに代表される簡易楽器の製作と普及に専心するとともに、日本器楽教育連盟の理事を務めながら、引き続き小学校音楽の発展に大きく寄与した人物である(10)

彼が小学校での音楽指導現場で使用していた楽器について、学習院大学の嶋田由美氏は以下のように述べています。

上田友亀は、自身の戦前の器楽教育について「ハーモニホーン〔製品広告上ではハーモニホンと表記〕という縦型吹奏の、キーのついたリード楽器が売られていたので、これを何本か採用した」と語っているが、おそらくこれは現在の鍵盤ハーモニカと同種の輸入楽器ではなかったかと推察される。(11)

上田が採用したとされる「ハーモニホン」とは、「卒業証書」を入れる筒の様な見た目の紙製の円柱筒にフリーリードが仕組まれ、ハーモニカのように吹き吸い両方に対応し、尚且つ和音も出せるというという仕組みのレバー式フリーリード吹奏楽器です。第一回で紹介した「吹風琴」と「ホーネレッテ」を足して2で割ったような発想ですね。あまりにも内部に「卒業証書」を入れても不自然ではない姿と材質をしているので、もしかしたら国内で生産されていた可能性もありそうです。日本国内の多くの製造業は1938年以降、日中戦争の影響で武器の製造に回り、金属が用いられた玩具を作ることが禁止されたため(12)、仮にハーモニホンが国内で生産されていたとすると、その衰退の原因は戦争によるものだったかもしれません。


▲「ハーモニホン」を演奏する鍵盤ハーモニカ奏者・作曲家の野村誠氏


▲小ぶりなサイズの「ハーモニホン」(13)


1931年のハーモニホンの広告には「口で吹く『オルガン』と申されあらゆる階級の愛好者から猛烈な歓迎を受けつゝある」「独奏用及合奏用として好評の」「独奏に合奏用に実用向なる」などのキャッチコピーがついていました(14)

  
▲『ハーモニカ・ニュース』に掲載されたハーモニホンの広告。メーカー名の「KKK」は「サンケイ」と読み、ハーモニカやアッコジョン(アコーディオンのこと)を製造していた。

 
この楽器を好んで使用していたのが、先に述べた上田友亀という、戦前の器楽教育の中核におり、なおかつ戦後も器楽教育の現場に提言できる立ち位置にいた人物であった――つまり、戦争で一旦はその様な楽器の使用が途絶えたものの、リード楽器かつ単音と和音の操作が簡便なハーモニホンのような楽器に教育的な効果が期待できるという「淡い思い」だけは戦後も残っていた……というのが一つ目の仮説(妄想)です。


[仮説2] 楽器産業サイドから文部省への提言があった

 こちらも推測の域を出ませんが、楽器産業サイドから文部省への何かしらのご提案(アプローチ)があり、その際に営業文言として「器楽教育に使用するのはどうでしょう?」というフレーズがあった、というのが二つ目の仮説です。筆者は、とある商社(社名不明)が、ボタン式のメロディカとクラヴィエッタを、文部省に直接持ち込んだ、というお話をとある楽器メーカー従事者から耳にしたことがあります。レジャー目的の楽器を一般向けに販売するよりも、第2回でお伝えしたように、「教材」として免税措置を受けて量産した方が、回収高を予想するのが容易です。年間で決まった台数の出荷が約束される、というハーモニカバブルからの学びを、鍵盤ハーモニカのマーケティングにも活かしたのではないでしょうか。

 これについては「メーカーが文部省に持ち込んだ」「たまたま文部省の役人の目に止まった」などの曖昧な証言もある上、公式な文書や協議資料が残されておらず、真偽の程は分かりません。ただ、メーカーが「業務外のモチベーションから」「一斉に」「早急なペースで」、同じような製品を矢継ぎ早に、それも「類似価格帯で」リリースし始める、というのは、やや不自然な動きにも感じます。記録に残らないような何かしらの協議会や話し合いが行われていたのかもしれませんね。

 

1960年「日本産鍵盤ハーモニカ」開発ラッシュ、始まる。

 音楽教育雑誌にヨーロッパ製の鍵盤ハーモニカが登場し、なぜか同時期にたまたま「作ってみたら面白そう」という「業務外」の興味から鍵盤ハーモニカの国内製造に乗り出した、国内主要3社の苦心惨憺が始まります。各社共に、自社の技術には自信を持っていたとはいえ、作ったこともない未知の楽器を製造するのは決して一朝一夕には成しえないものでした。

1)トンボ楽器製作所の場合

 第2回でもお伝えしたように、トンボ楽器製作所は既に音楽教育界・楽器産業界の中核で充分な実績と存在感を示しており、さらには文部省とも繋がりを持つ立場でした。ゆえに、会社として余裕がある状態で「トンボピアノ・ホーン」の開発に踏み出したと見られます。

 ところが製品開発自体は一筋縄にはいかないことの連続でした。その難航の背景には、ハーモニカともアコーディオンとも違った鍵盤ハーモニカ独自の「構造」が関係していました(15)。まず、吹奏によって発生する結露の逃げ道がなく、そのまま楽器の内部に滞留してしまい、その結果音が鳴らなくなったり、リードが錆びてしまったりといった問題に直面しました。さらには各音のリードによって音の抜け方、鳴り方にバラつきがあるため、全ての音が均一に発音されるようにする工夫を求められました。そこでトンボ楽器は、アコーディオンのチャンバーと呼ばれるシステムのノウハウに学び、リードの貼り付け位置を調整することで、改善を行いました。また、1台で吹いた際も、他楽器との合奏の中で吹いた際も、それぞれが適切なバランスで聞こえるよう、音作りには大変拘ったと言います。3DプリンターやCADソフトなども無い時代ですから、木材で何度も試作を繰り返し、会社に何日も泊まり込み、徹夜で試行錯誤したそうです。

2)東海楽器製造の場合

 東海楽器の鍵盤ハーモニカ列伝は、他2社とは違います。というのは、社報や記念誌に鍵盤ハーモニカの製造に携わった個人名と共に細やかに記録が残されているからです。

当時フランス製のクラヴィエッタが一の原型としての研究の素材ではあったが、定価二万七千円で売られていたのでこれと同等の性能を持つ楽器を何としても三千円台で売れるように作ることが当面の目標だった。第一回新製品は鍵盤も木製セル貼りであった。笛室にしても合板であったが、二次以降のものについては”プラスチック”部品の生産技術面、アルミ材、その他合成高分子の重合体に属する部品を採用するに当り、担当技術者のみならず、資材担当者にもある程度の専門知識を要求せられてきた。(16)

こうして試作第一号が出来たが空気漏れが酷くてとても批評できる代物ではなかったが、作れた、音がでたということで嬉しくてたまらなかった。〔中略〕デザインの専門家がいるわけでもないし、作り易さを追求したので出来上がったものは四角形で皆に弁当箱と呼ばれた。〔中略〕この頃になると日常の仕事は放ったらかして他人任せで没頭するようになりました。会社から帰るのは夜中の11時、12時であった。(17)

あまりに開発に没頭する社員達を見た当時の東海楽器社長が「そんなに好きならこのデザインで試作してみなさい」と画用紙に書いた1枚のスケッチを手渡したそうです(18)。そこには、「鍵盤の手前が三角に光った奇抜な、そしてシャープなカッコイーデザイン」なるものが描かれていました。その「カッコイーデザイン」は、のちに東海楽器の量産鍵盤ハーモニカ第1号の原型となり、完成したのが「TOKAI Pianica(トーカイピアニカ)PC-1」でした。

   
▲筆者私物。横からみた際の鋭角なフォルムが特に「カッコイー」箇所であり、同様のデザインの鍵盤は、そう見当たらない。現在の量産品と違い、大変複雑な内部構造と、贅沢な材料の使い方をしており、採算度外視の品質優先で制作したと思われる。研究素材にしたというクラヴィエッタとは非なる、独自の機構をしており、当時の開発苦労や工夫が窺える。

 


▲パンフレット類等(あまやん氏ご提供)。「新しい楽器ですからまだ色々な吹き方が工夫によって表現出来ることと思います」は筆者お気に入りのキャッチコピー。

「ピアニカ」という名称は、現東海楽器会長・足立庄平氏の伯父様にあたる方が命名されたそうです。下写真は筆者が東海楽器本社に行った際に見せていただいた開発図面の一部ですが、こちらの図面の開発者欄には「西郷」氏の捺印があり、さらにその補佐として「大木」氏の印が押されています。つまりピアニカを開発したのはこの西郷氏という技術者であったことが分かります。この後も、西郷氏と大木氏は、様々なピアニカの開発に関与します。


▲TOKAI Pianica PC-1 開発資料の一部(東海楽器ご提供)手書きの美しく丁寧な設計図面に、しばし見惚れる。

東海楽器はまずこのPC-1を100台製造し、楽器店へ出向いてはギター伴奏でのデモ演奏を行うという、地道な営業活動を開始したのでした。


▲現会長・足立庄平氏と筆者。2018年、浜松の遠州浜にある東海楽器製造本社前にて撮影。海風が心地よく静かな土地であり、元々男子独身寮であった施設を改装して使用している。作業スペースには製造中のギターが積まれ、ほのかに木材が香る。

3)鈴木楽器製作所の場合

 1950年代後半の鈴木楽器は、輸出向け(主に香港・東南アジア)の楽器製造が中心で、ハーモニカの品質や機械工学の知識には自信を持っていたものの、国内市場では販売に非常に苦戦していました。そのため鍵盤ハーモニカへの開発着手は大きなチャレンジであり、1960年は会社にとっても「社運をかけた」転機の年であったと言えます。

このメロディオンの開発には言葉では云い表せない程の試行錯誤があり、試作品が完成する直前には、社員と一緒に96時間、即ち4日間ぶっ続けの徹夜でした。まさに「不眠不休」で働きました。(19)

上記からは、予算を確保し長期的かつ緻密に設定した開発計画というよりはむしろ、スピードを優先した慌ただしい開発であったことが分かります。

 単に入学時期に間に合わせるために拙速な開発が求められたとも考えられますが、同年は日本国内の小学校数が戦後最多の26,858校となっており(1947-1949年におきたベビーブームの影響か?)、より多くの楽器需要が明確に見込まれていたことも、開発に拍車がかかった要因かもしれません(20)

 1960年鈴木楽器は、正規の販売ではなく、いわゆる「試験販売」というかたちで、一足先にボタン式メロディカのコピーと思われるデザインの「ボタン式メロディオン」(ソプラノ/アルト)を全音楽譜出版社経由でリリースしたとされています。

最近話題となっているドイツホーナー製「メロディカ」と同じスタイルであるが、音域は異なり、ソプラノF〜F(2オクターブ)の完全楽器である。オーボー〔※オーボエのことと思われる〕のムードとクラリネットのシャープな音色はリード合奏、鼓笛バンドに最適の楽器と言える。またご家庭のインスタント楽器としても楽しめるもの。高級美麗ケース入りで2千5百円である。(21)


▲ボタン式メロディオン(22)


▲先端の唄口部分が外してあるが、上記広告とほぼ同じ仕様のボタン式メロディオン(ソプラノ)。(アラン=ブリントン氏ご提供)

 
 ところで、翌月の楽器商報には、「類似品にご注意!世界のマーク」という表記と共に、HOHNERのボタン式メロディカの広告が掲載されています。


 
▲HOHNER Melodica製品広告(右:拡大)(23)


これまでのHOHNERメロディカの広告にはなかった文言ですから、かつての揺るぎないメロディカ製造の地位が、鈴木楽器をはじめとした日本国内メーカーに脅かされつつあったということを示唆しているとも言えるでしょう。

 なお、このような、いわゆるボタン式メロディカに「非常によく似た」ルックスをした楽器は、日本のみならず、世界中で作られました。現代だと強い批判を浴びてしまいそうですが、それだけこのボタン式メロディカのデザインや構造、発想は、商業上の嗅覚を刺激し、当時の製造者にとって斬新かつ、独創的、魅力的なものだったのかもしれません。

 

1961年、日本産鍵盤ハーモニカ、爆誕。

 さて、鍵盤ハーモニカの漂着から1年ほどたった1961年の夏以降、矢継ぎ早に国内メーカーによる「国産鍵盤ハーモニカ販売計画」が各所でリリースされます。そのリリース報をメーカー別に見ていきましょう。

1)トンボ楽器製作所の場合 

(真野副社長から)「当社でもピアノ・ホルン〔原文ママ〕(仮称・メロディカ、クラヴィエッタの中間をゆくもの)を製作、発売する用意がある」と発表。これについてセールス面での意見や、製品への要望が出席者からは熱心に出された。(24)



▲トンボ楽器による新製品発表会(販売予告)の模様(25)

 株式会社トンボ楽器製作所からこのほどクラヴィエッタ形式による新製品「トンボ・ピアノ・ホーン」が新発売される。〔中略〕学童はもとより、家族団らん用として楽しめる楽器である。〔中略〕ハーモニカ業界が不振と言われる時、このピアノ・ホーンの登場は、鈴木楽器(浜松)のメロディカ(26)と共に、市場を明るくする商品として期待されている。(27)



▲トンボ・ピアノホーン。(28)

トンボ楽器の今後の生産基本方針としては固有のトンボとリード楽器の感念に拘らないで大衆楽器の生産に力点を置く方針である[中略]その第1回製品が「ピアノホン(29)」であり「ウクレレ」であると語っている。(30)


▲「トンボ会」と呼ばれる熱海温泉で行われた、宮地商会や十字屋、全音楽譜などを初めとする楽器業界関係者30名ほどの集まりの中でPRされる「ピアノ・ホーン」。この時点で工場では2千本の製造に着手していた。(31)


▲トンボ・ピアノホーン広告「木管のムードを鍵盤楽器のタッチで楽しむ若い世代の新楽器!」(32)

 

2)東海楽器製造の場合

新楽器を開発、名称ピアニカと呼称。工業所有権17件申請、取得。日本楽器製造株式会社(33)とピアニカの日本国内販売に関する販売契約。(34)

ピアニカとアコを発売 浜松東海楽器
新楽器”ピアニカ”が東海楽器製造株式会社から新発売される。”ピアニカ”はこれまでのクラヴィエッタ系の新種で32鍵、プラスチック製の鍵盤の裏、底面に斜面をつけて演奏時の感触を容易にし、金色メッキを施したアルミとプラスチックの配合で外観美に一段とくふうした跡がうかがわれる[中略]手頃な大きさと軽量なので学校器楽合奏用から、ジャズの演奏にも適当ということで一般家庭の娯楽用にまで用途の幅は広い。〔中略〕量産に移るのを待って価格を決定し年末までに3千本を市場に提供する予定である。(35)

 
 
▲商品紹介ページに32鍵アコーディオンと共に掲載されたTokai Pianica PC-1

 

3)鈴木楽器製作所の場合

誰にでもすぐ吹ける新しいリード楽器 メロディオン」「オルガン、アコーデイオン、ハーモニカ、笛等のよいところを結集」「吸う音がないので、きわめて衛生的」「同時にあらゆる和音が自由に吹ける」等の楽器の特性と共にリード合奏団や鼓笛隊など各種の合奏団の中にあっては花形的存在となります(36)


▲鈴木楽器製ボタン式メロディオン の広告。「レジャーを楽しむインスタント楽器!」「非常に衛生的です」「吹き方が極めて簡単です」「すばらしい音色です」販売は全音楽譜出版社(37)

 

▲2ページを使用した、鈴木楽器製ボタン式メロディオンの巨大広告。(38)


業界誌は一様に「レジャー」「団欒」「娯楽」と添えながらも、「合奏」「鼓笛隊」と、教育現場で児童が使用することを想定し、前面にアピールした文言をメインキャッチとしたリリースを掲載しました。

これはいよいよ鼓笛隊が全盛期を迎えようとしていた当時にあっては恰好の宣伝文句であった。(39)

さあ、これで楽器産業サイドの準備は十分に整いました。「もしかしたら音楽教育の現場で活躍するかもしれない」「オリンピックを目前に鼓笛隊などでも活躍するかもしれない」とされた鍵盤ハーモニカが、透明の脆い橋を渡り、器楽教育の島へと一歩ずつ進みます。「学校の先生たち、日本産の鍵盤ハーモニカの魅力に気づいてくれるかなあ」……3社の願いと期待は膨らみます。

  

1962年、「MADE in JAPAN」、ついに教育島へ

 矢継ぎ早にリリースされた日本産の鍵盤ハーモニカたちは、春の風に乗って、ついに音楽教育雑誌に登場します。ところが、その登場は非常に静かなものでした。

 

▲静かに登場したトンボピアノ・ホーン広告(B6サイズほど)「器楽合奏に、リード合奏に、吹奏楽器のニュー・フェースを!! メロディも和音も自由に吹けるのがミソです。しかも、他楽器と和して、アンサンブル効果充分!!」(40)

 


▲トーカイピアニカ広告(B6サイズほど)「学習効果満点!!の新製品」(41)


1冊の中に鍵盤ハーモニカが登場するのはこの1回……ピカピカのランドセルを背負ったキラキラの鍵盤ハーモニカをよそに、誌面は相変わらずハーモニカだらけです。あまりに静かで、誰も鍵盤ハーモニカのことなど気に留めていないかのような「スルー」っぷり。誰にも言及されず、注目されない転校生。このまま鍵盤ハーモニカは日の目を浴びずに、ひっそりと消えていってしまうのでしょうか。ところがこの静けさの中で、実はすでに鍵盤ハーモニカは教室の床下に、深い深い「根」を張っていたのです。

 ペリーが浦賀沖に来航し、少し強引に開港を迫ったのが嘉永6(1853)年6月3日。そこから109年後の6月に、変化が訪れます。そう、あの「親の顔より見た」であろう、お顔のマークの付いたハーモニカの広告が、「やや」控えめになってきたのです。(この理由については第4回で詳しくみていきます。)誰も気づかないようなスローペースで、出稿数が控えめになったところに、まるでドアノブの静電気のような、紙の端で指先を切るような、なんとも形容し難いゾクゾクとした気配を感じる広告が出現し始めます。

ドイツの「メロディカ」フランスの「クラビエッタ」等の出現は、国産リード楽器専門メーカーを刺激する結果となり、昨年春から今年にかけて外国製に劣らない有鍵楽器を制作発表している〔中略〕メロディオン・ピアノホーン・ピアニカ等の有鍵ハーモニカは、ハーモニカの欠陥をよくおぎなっている秀でた楽器である。なんと云っても鍵板があり出す音を眼と指で確かめられることは、教育上非常に有利なことと思う。予算の少ない学校ではデスクオルガンの代わりに備えたら随分役に立つことと思う。出来れば個人持ちにしたいが、値段がちょっと張るので学級全員には無理かもしれない。(42)


 
▲《有鍵ハーモニカ》上記写真で少女が持っているのはトンボピアノ・ホーン(43)

 

鍵盤ハーモニカにとって、ウダウダと湿っぽく、晴れ間の見えなかった長い梅雨があけたその夏、眩しい太陽が鍵盤ハーモニカを照らしつけるのでした。



▲ついに音楽教育雑誌の表紙を飾ったTOKAI Pianica PC-1(44)

 

▲「新しい楽器ピアニカもサッソウと登場」という文言と共に映るトンボピアノ・ホーン(ピアニカとあるが東海楽器製品ではない。誤表記、あるいはまだ名称が浸透していなかったことによる誤りと思われる)(45)


眩しい夏の光も和らいできた頃には、秋風という息吹と共に、中学校でボタン式のメロディカでリード合奏している爽やかな写真が掲載されます。



▲ボタン式鍵盤ハーモニカを合奏で使用しているシーン「クラブのリード合奏団の練習ぶり(平第三中学校)」(46)


ハーモニカやアコーディオン達と調和し、和やかに教室や体育館に馴染む鍵盤ハーモニカ。あたかもずっと前からクラスにいたかのような顔をしています。

 この時、床下には、びっしりと「鍵盤ハーモニカの根」が毛細血管のように広がっていました。ホラー映画のごとく迫りくる脅威に、まだハーモニカたちは気づいていません。大声を出して「下!! 下だよ!!」と知らせてあげたい気持ちをグッと堪え、次回第4回ではその経過をじっと見守りましょう。

***

ご取材・執筆ご協力者様(あいうえお順)

足立 庄平 様/東海楽器製造株式会社会長

あまやん 様

新井 恵美 様/宇都宮大学准教授

アラン=ブリントン 様/ボイシ州立大学哲学科名誉教授

大隅 観 様/ハーモニカカスタマイザー

加藤 徹 様/明治大学 教授

カニササレアヤコ 様/雅楽芸人

小西 恒夫 様/クッキーハウス

瀧川 淳 様/国立音楽大学 准教授

佐藤芳明 様/アコーディオニスト

坂元 一孝 様/ウェブサイト『素晴らしき鍵盤ハーモニカの世界』管理人

設樂 健 様/作曲家

柴田 俊幸 様/フルーティスト

蛇腹党

武田 昭彦 様/有限会社セレクトインターナショナル

土佐 正道 様/明和電機会長 

成田 宗芳 様/アートマネージャー

野沢 真弓 様/アコーディオン友の会東京支部副部長

野村 誠 様 / 鍵盤ハーモニカ奏者・作曲家

Bellows Works Tokyo

真野 哲郎 様/株式会社トンボ楽器製作所 取締役営業部長

村北 泰規 様/楽器メーカーエンジニア

山中 和佳子 様/福岡教育大学 准教授

ゆnovation

 (※本連載の画像・情報は、その多くが協力者様の提供によるものです。無断転載はお控えください)

***

 

(1) 国立公文書館『内閣公文・財政・経済・金融・経済・国民経済・第2巻』より「国民所得倍増計画について

(2) 北川信一「新しい経営のあり方」『楽器商報』p. 25

(3) 筆者注「コマキ」は台東区西浅草にある打楽器専門店「ジャパンパーカッションセンター」を展開する「コマキ楽器」を指していると思われる。

(4) 執筆者不明商品紹介「クラビエッタ、メロディカの性能と使用範囲」『楽器商報』(1960年1月)p. 109

(5) 執筆者不明「教育音楽界ニュース」『器楽教育』(1960年5月)p. 35

(6) 山中和佳子「日本の学校教育における鍵盤ハーモニカの導入」(福岡教育大学紀要、2016年、第65号、第5分冊、p. 17-24)p. 19

(7) 『器楽教育』(1960年5月)口絵

(8) 『トルー・ストーリィ』(1959年3月)p. 121

(9) 樫下達也『器楽教育成立過程の研究』p. 101-102より要約

(10) 藤井康之「国民学校期における上田友亀の器楽教育思想と実践の特質――「純音楽生活の指導」に着目して」日本教育方法学会紀要『教育方法学研究』第44巻・2018年度(2019年3月)p. 94、注1。藤井は学校音楽研究会編「昭和十五年度教材解説 人の偉容 上田友亀先生」『学校音楽』(1940年、第8巻第3号、共益商社書店)p. 63、および木村信之編「上田友亀――初期の器楽教育実践」『音楽教育の証言者たち 上 戦前を中心に』(音楽之友社、1986年)p. 69をもとにしている。

(11) 嶋田由美「戦後の器楽教育の変遷――昭和期の『笛』と『鍵盤ハーモニカ』の扱いを中心として」より抜粋

(12) 井上重義『昔の玩具大図鑑』(PHP研究所、2015年)p. 24より要約。

(13) 国立大学法人奈良女子大学/奈良女子高等師範学校の教育標本「玩具・歴史標本 目録データ 立体資料

(14) 広告「ハーモニカ・ニュース」(1931年3月号)表紙裏、裏表紙裏

(15) トンボ楽器インタビューによる

(16) 東海楽器社内報『family』より「東海楽器26年のあゆみ」(発行年度不明だが1973年頃か?)p. 8(東海楽器 専務取締役 岡野多三郎氏による寄稿)

(17) 東海楽器社内報『family』より「<ものしり博士の楽器講座第4回TOKAIの製品を知ろう>」(1974年4月)p. 26-27(東海楽器滝川技術部長による寄稿)

(18) 東海楽器社内報『family』より「<ものしり博士の楽器講座第4回TOKAIの製品を知ろう>」(1974年4月)p. 26-27(東海楽器滝川技術部長による寄稿)より要約

(19) 「社運をかけたメロディオン開発」『鈴木楽器50年のあゆみ』(2003年2月)p.22

(20) 矢野恒太記念会『数字で見る日本の100年』p.498(データソースは「学校基本調査報告書」に基づく)

(21) 「商品紹介 メロディオンなど4種全音の新しい発売品」『楽器商報』(1960年7月)p.52-p.53

(22) 同前

(23) 『楽器商報』(1961年8月)p.36

(24) 執筆者不明「商況 トンボ楽器で新製品発表会」『楽器商報』(1961年8月)p.50

(25) 同前

(26) 実際は「メロディオン」のことだが、まだ呼称が安定していなかったため、HOHNER社の商標を誤って記載したものと思われる

(27) 「商品紹介 トンボ・ピアノ・ホーン トンボ楽器の新しい製品」『楽器商報』1961年11月 p. 47

(28) 同前

(29)  筆者注「ピアノ・ホーン」の表記ゆれと思われる

(30)  執筆者不明『楽器商報』(1961年11月)p. 66-67

(31)  同前

(32) 『楽器商報』(1961年12月)口絵

(33) 日本楽器製造:現在のヤマハ。

(34) 東海楽器 社内パンフレットより抜粋 ※資料内に月の矛盾あり、別面には12月と表記

(35)  執筆者不明『楽器商報』(1961年12月) p.65

(36) 『楽器商報』(1961年11月)p. 9

(37) 全音楽譜出版社 鈴木楽器製ボタン式メロディオン広告 『楽器商報』(1961年9月)p.41

(38) 同前

(39) 嶋田由美「戦後の器楽教育の変遷  昭和期の『笛』と『鍵盤ハーモニカ』の扱いを中心として(特集〈学校器楽教育の過去・現在・未来〉)」『音楽教育実践ジャーナル』(日本音楽教育学会、2010年、7号(2)、p.15-25)p. 22

(40) 『器楽教育』(1962年2月)口絵

(41) 『器楽教育』(1962年4月)口絵

(42) 石崎努「特集 指導要領に示されていない特殊な楽器の活用とその可能性」『器楽教育』(1962年6月)p. 8-13 

(43) 同前

(44) 『器楽教育』(1962年9月)表紙

(45) 『器楽教育』(1962年8月)口絵

(46) 『器楽教育』(1962年10月)口絵

 

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 南川朱生(ピアノニマス)

    1987年生、東京都在住、元IT企業の銀座OL。日本を代表する鍵盤ハーモニカ奏者・研究家。世界にも類を見ない、鍵盤ハーモニカの独奏というスタイルで、多彩なパフォーマンスを行う。

    所属カルテット「Tokyo Melodica Orchestra」は米国を中心にYoutube動画が35万再生を記録し、英国の世界的ラジオ番組classic fmに取り上げられる。研究事業機関「鍵盤ハーモニカ研究所」のCEOとして、大学をはじめとする各所でアカデミックな講習やセミナーを多数実施し、コロナ禍で開発したリモート学習教材類は経済産業省サイトに採択・掲載される。東京都認定パフォーマー「ヘブンアーティスト」資格保有。これまでにCDを10作品リリースし、参加アルバムはiTunesインスト部門第二位を記録。楽器の発展と改善に向け多方面で精力的に活動している。趣味は日本酒とテコンドー。

    【オフィシャルサイト】https://akeominamikawa.com
    【鍵盤ハーモニカ研究所】https://melodicalabo.com

キーワードから探す

ランキング

お知らせ

  1. 春秋社ホームページ
  2. web連載から単行本になりました
閉じる