鍵盤ハーモニカの叫び
第1回では主に鍵盤ハーモニカとは何なのか? という問いについて、そして第2回~第5回では鍵盤ハーモニカの国内史をお届けしました。今回(から)は少し趣向を変え、鍵盤ハーモニカの「内側」により迫ってみたいと思います。この楽器がどのような仕組みで、そしてなぜ発音するのか、ちいさなこびとさんになった気持ちで、楽器の内部を旅しながら解説して参ります。
息吹の行方
世界的ハーモニカメーカーSEYDEL社の公式パートナーであるハーモニカカスタマイザー大隅 観氏は、フリーリード楽器開発の歴史は「風の制御技術史である」と言います。
人類が太古より台風やハリケーンに泣かされてきたように、窓際で頬杖をつく少女の髪がなびくのを見て恋をしてしまうように、お母さんの怒るタイミングをコントロールできないように、はたまた自作の楽器がなかなか上手く鳴らせないように、風を制御することは並大抵のことではありません。第3回でお伝えしたように、国内の鍵盤ハーモニカ開発においても、「風の制御」には大変な苦労がありました。
鍵盤ハーモニカは、大変コンパクトかつ、アコーディオンなどに比べると非常にシンプルでありながら、奥の深い仕組みを持った楽器です。インターネットで画像検索して出てくる鍵盤ハーモニカの構造は、いわゆる「現在も販売されている現行の国産品」が中心ですが、実際の構造は、時代とメーカー、機種によって多岐に渡り、それぞれの機種に当時の開発者達の試行錯誤の跡を見ることができます。
連載でそのすべてを紹介することはできませんが、まずは基本的な構造、すなわち「空気の旅路」からご案内しましょう。
最もシンプルで安価な「ファスト鍵盤ハーモニカ」の仕組み
近年、コストを抑えた安価で手軽な鍵盤ハーモニカが販売されています。生産国は主に中国で、Amazonなどでは国産鍵盤ハーモニカの半額程度の値で扱われています。これは、第1回でもご紹介した、欧米圏などで著名ユーチューバーの出現をきっかけに、非常に広く流通するようになったタイプです。本連載ではそのようなカジュアルな鍵盤ハーモニカを「ファストファッション」ならぬ、「ファスト鍵ハモ」と命名しまして、まずはそのような最もシンプルなファスト鍵ハモの構造を、ちょっぴりファンタジーホラー仕立てでお送りします。
<恐怖の巨人館 ~ある32人家族の物語~>
ここは巨人の館。暇を持て余した巨人が「鍵盤ハーモニカ」と呼ばれる楽器を吹こうとしているようです。
(※写真は全てイメージ図です)
縦長で白と黒のインターフェースを持つその楽器には、何やらマジックペンで不可解、かつ不気味な暗号文が書かれています。
「と“ れ み フア ン ら ツ と“」
「1ねん 1>み みなみかゎ ぁレナぉ」
楽器を手にした巨人は、左端に差し込まれたホースを咥え、静かに息を吹き込みます。
すると巨人の吹いた息は、長い長い蛇腹状のトンネルを通り、トンネルを開けたその先にある、「リードのお部屋」に到達します。
▲鍵盤を真下にした状態で楽器を開けたところ。青い線で囲ったところが「リードのお部屋」の上半分(天井側)、赤い線で囲ったところが、お部屋の下半分(床側)。蓋を閉じると部屋は密室になる。※各メーカーはこのような楽器の分解を推奨しておりませんので、挑戦される際は自己責任にてお願いします。ストーリーの都合上、鍵盤側を真下(床)とさせていただいております。
規律正しく整列したリードたちの並ぶこのお部屋は、お父さんとお母さんを含め32人家族が住んでいます。
▲32人家族の構成と名前
あろうことか、この家族は全員が「生涯頭部貼り付けの刑」に処されています。金属で出来たプレートに全員が頭部のみ貼り付けられているのです。
▲プレートに頭部のみが貼り付けられている残虐な様子
さらに頭以外の胴体の部分は、暗く狭い地下通路へと続く、スリットと呼ばれる「隙間穴」になっており、頭だけで全身を支えなければ地下室に落ちてしまうという拷問を受けています。
▲黄色の矢印の先に見える、細い隙間がスリットと呼ばれる穴。(写真はファスト鍵ハモではない別の機種)
▲拡大図。肉眼でもこの隙間は確認することができる。またリードには反りがついている。(反りがないと振動しない)この穴の下は恐怖の地下通路へと続いている。(上記3写真:デイヴィッド=ブランカズィオ氏ご提供)
▲リードの貼り付けられたプレートを外すと恐怖の地下通路がよく見える。
普段、この家族のお部屋は、中からは開かないようにネジで固定されており、完全な密室です。よって、巨人が吹き込んだ息は、部屋の中に充満します。幅約40cm、奥行約5cm、高さ約1cmの小さなお部屋ですので、巨人が息を吹き込むと、部屋の中はたちまち空気でパンパンになります。リード家族たちは声を堪え苦しみます。(「助けて! 苦しいよう!暑いよう……!」)
そこにお客様が現れました。巨人の「指」さんです。指さんが鍵盤をノックします。「コツン」。
すると鍵盤に連動したバルブ、通称「ドア」が開きます。
▲巨人兵のノックにより開かれるバルブ
▲開いたバルブの拡大図
▲バルブが開閉する仕組みを簡略化した図
ドアが開いたその瞬間、リード家族たちは恐れ慄きます。
「いったい今日は誰の番なんだ?」
指さんがノックした鍵盤は、マジックペンで「と”」と書かれた鍵盤です。すると、なんということでしょう。部屋中の空気が、四男である「ド」君の胴体の隙間(スリット)を通り、恐怖の地下通路に流れ出しはじめました。ド君は背中側に吹き飛ばされそうになります。実は地下通路の先は、先ほど巨人兵の「指」が開いたドアと繋がっていたのです。
ド君は「助けて! 吹き飛ばされる!」と、負けじと貼り付けられた頭一つで、吹き飛ばされぬよう堪えます。しかし風は強く、ド君は地下室へと吹き飛ばされそうに……負けじと踏ん張り……そのうち、ド君は震えはじめました。ブルブルと凄いスピードで震え始めます。他の兄弟は恐怖で声が出ません。そのうちド君は声を上げ始めます。
「……ドーーーー。」
▲震えて声を上げる「ド」君の様子(動画:デイヴィッド=ブランカズィオ氏ご提供)
風が止みました。どうやら部屋の中の空気が全てドアの外に出てしまったのか、巨人兵の息がきれたのか、部屋の中はシンとしています。
今日も32人家族たちは、風圧と振動の拷問に耐えながら、寿命が来るその日まで、声を上げ続けるのでした。
ー完ー
イメージは掴めましたか? 全く掴めなかった方のために、もう一度お話を事実のみに絞り、おさらいしたいと思います。
①息を入れるとその空気は、リードの格納されている部屋に充満する
②鍵盤を押すと、連動してバルブが開く
③バルブが開いた箇所の音(すなわち押した鍵盤の音)のみ、空気が外へ排出される
④排出される際、リードとプレートの間のわずかな隙間を空気が通過する
⑤通過の際、リードが元の形状に戻ろうとする力が生じ、連続的にリードが振動する
⑥リードが振動するとその長さに応じた音が発生する
これが非常にシンプルかつ、多く流通している安価な「ファスト鍵ハモ」の発音原理を単純に説明したものです。
次に、国産の鍵盤ハーモニカの原理を見ていきましょう。現行品の国産鍵盤ハーモニカは、子供たちの少ない息でも発音するような工夫がなされています。その工夫の一つが「チャンバー(空気室)」というシステムです。国産品の殆どには、この「チャンバー」が備わっています。どのようなものかと言うと、「リード家族のお部屋」が、まるで防音室のように、二重になっているのです。
▲極限まで簡略化したファスト鍵ハモと国産鍵盤ハーモニカの比較。ファスト鍵ハモは、「リードのお部屋」を外側のボディと一体化させることで、コストを削減している。
空気の溜まるお部屋を極力小さく、より狭く、さらには確実な密室にすることで、リード家族により屈辱を与えることができる……ではなく、幼児の少ない息でも、容易かつ安定した状態でリードを振動させることができるのです。
▲国産鍵盤ハーモニカの発音メカニズムを簡略化した図
この国産鍵盤ハーモニカのデメリットとして、内部がしっかりした二重構造になっているため結露が滞留しやすい、という問題があります。学校の授業などで数分間のみ吹くのと違い、プロの奏者は1日に何時間も練習を行い、ステージでも数十分から数時間ほど連続して楽器を吹くため、結露の滞留は演奏に大きな支障が出ます。特に冬場は結露の発生により、リードの振動が妨げられるため、類似のフリーリード楽器を扱う奏者たちはウォーマー等を使用し、結露を防止します。
▲冬場に屋外でハーモニカウォーマーを使用し、ハーモニカを温めながら演奏する様子(写真:クロマチックハーモニカ奏者・山下伶氏ご提供)
▲事前に電気コンロ「飛鳥山」で笙の温めを行う様子(写真:雅楽芸人・カニササレアヤコ氏ご提供)
ところが鍵盤ハーモニカは本体が長く、リードプレートの端から端までが約40〜50cmですから、ハーモニカのように短時間で温めを行えない、さらには前述のようにお部屋が二重構造になっているがゆえに熱が伝わりづらい、というウィークポイントがあります。
▲自作のUSB式鍵盤ハーモニカウォーマーを使用し、事前の温めを試みる筆者。ネジ留めされた楽器のボディを一旦取り外す必要があり、温めには非常に時間がかかる。
そのウィークポイントを改善するべく開発された発明品に、リードを直接温める「モイスチャーバスティングメロディカ」という面白い楽器付属品があります。
▲モイスチャーバスティングメロディカ。見た目が映画「ゴースト・バスターズ」のゴースト捕獲装置に似ていることから命名された。
取り付けられたニクロムヒーター線を、制御された電流で温度を測定し、人間の体温である約37度以上の状態を保つことで結露を防ぐ、というものです。さらには結露を受けるボトルを取り付け、水分が楽器の内部に到達する前に回収しています。開発者であるデイヴィッド=ブランカズィオ氏は、マサチューセッツ工科大学を卒業し、現役の工学エンジニアとして活躍する一方、鍵盤ハーモニカのポテンシャルに魅せられ、工学的な観点から鍵盤ハーモニカを研究し、様々な開発品やコンテンツのリリース、及びそれらを使用したパフォーマンスを行っています。
冒頭で「風の制御」と述べましたが、そこからさらに「水」と「電気」をも制御すると、新しいステップへ進め、可能性が拡がる……こちらもまるでモンスター退治のRPGゲームのようですね。
ミニコラム:過去と未来が対話する部屋〜ヴィンテージメロディカの世界〜
先ほどの「モイスチャーバスティングメロディカ」は、現行で販売されている、比較的新しい国産の鍵盤ハーモニカを進化させたものでしたが、世界にはとても古い鍵盤ハーモニカの魅力に取り憑かれ、日夜その探究を行っている人がいます。その一人が、ヨーロッパや東欧等のヴィンテージ鍵盤ハーモニカを中心に修理・カスタムを行うスペシャリスト、organ69松末克彦氏です。第五回まで頻繁に取り上げた三機種「クラヴィエッタ」「ボタン式メロディカ」「Tokai Pianica PC-1」を中心に、その魅力や現行品との違いをご解説願いました。
「クラヴィエッタは、空気の通り道が高音部に設定されていたり、リードがアコーディオンのようにキーごとに独立しておりメンテナンス性が高かったりと、現行品とはまた違った構造をしています。ヴィンテージであるにも関わらず、ピッチの狂いが少なく音が安定しており、鍵盤を前面に出したデザインが非常に魅力的ですね。(松末氏)」
▲クラヴィッタは、息を入れるとまず「無人のお部屋(部品一番上)」に空気が到達。空気は「ココ」と書かれた高音部側の通り道を通過し、リードの格納されたお部屋 (部品上から二番目)に到達する。
「また、ホーナーのボタン式メロディカはリードやプレートの素材が現代とは違い、深みのある音がします。Tokai Pianica PC-1は吹き口周辺に空気の通り道が5箇所に設定されているので、低音から高音までバランスの良い出音です。(松末氏)」
▲Tokai panic PC-1の内部。吹き口周辺(部品一番上)には、空気の通り道が五箇所設定されている。
このよう繊細かつ複雑なヴィンテージの鍵盤ハーモニカを現代で扱う上で、何か構造的な問題や注意点はあるのでしょうか。
「内部の汚れなどの衛生的な問題が一つあります。後はリードのサビや、空気もれを防ぐためのパーツ素材の劣化などが多いですね。(松末氏)」
筆者も海外のヴィンテージ品を購入すると、中から沢山の虫の死骸や誰かの髪の毛が出てきて卒倒しそうになることがあります……しかしながら、上記のような古物ならではの問題点については、高い修繕技術力とアイデアによって解決することができます。さらに松末氏は、クラヴィエッタの元々の構造的問題についても、工夫を凝らしたカスタムを試みています。
「例えばクラヴィエッタの場合、内部に空気スペース用の金属裏蓋の接続部があるのですが、空気漏れ防止強化のために、そこにより分厚いウレタンを設置しています。また万が一水漏れした場合の対策としてリード側に水が流れてしまわぬよう、ウレタンに角度を持たせるなど工夫しています。」
▲松末氏によるカスタマイズクラヴィエッタ。空気スペース用の金属裏蓋の接続下方部(赤丸箇所)に角度を付けたウレタンが設置されている。
当時の人が追求した構造的な美学を、現代の人の考古学的な調査や技術、素材を持って再構築することで、楽器は単に息を吹き返すのみならず、新しい時代を生きることができるのですね。
鍵盤ハーモニカの構造は、他にも多数ございます。
▲HOHNER Melodica Jubilee32
例えばこちらの2010年代に発売されたドイツ製鍵盤ハーモニカ、息を入れるとその息は、楽器の側面にある通路を通り、吹き口から最も離れた、吹き口の反対側(高音部側)に移動します。
バネは国産品のように鍵盤の根元ではなく、真下に取り付けられています。
簡易的な譜面台を本体に取り付けられるようになっており、とてもエコでチャーミングです。
40cm程度のこんな小さな箱の中の、空気の通り道を巡って、各国・各時代で様々な試行錯誤が行われていたこと、誰かが開拓した山道を多くの人が歩み、またその道を見直したり、石畳を敷き直したり……このようなロマンの塊から音楽が生まれるのですから、鍵盤ハーモニカというものは、未熟、未成熟でありながらも、人の心を掴んで離さない、本当に不思議な生き物です。
今回ご紹介した構造は、世界に存在する鍵盤ハーモニカのごくごく僅かな例です。世界には本当に沢山の鍵盤ハーモニカがあり、その構造はそれぞれ全く違います。
筆者が小学校などへ演奏公演に行くと、子供たちから「世界には何種類の鍵盤ハーモニカがあるんですか」という質問を受けます。現在、世界の鍵盤ハーモニカ研究家勢が総力をあげて調査しておりますが、我々の手に追えぬ勢いで、次々と様々な鍵盤ハーモニカが世界中で発掘されています。SNSや動画サイトの利用が制限されている国や、複雑な言語の国の鍵盤ハーモニカは、なかなか見つかりにくく、情報も交換しづらい傾向にあります。
しかしながら、このように世界中の愛好家達がインターネットで繋がりを持てる時代に生き、その時代に発展できる鍵盤ハーモニカという楽器は、本当に魅力的だとは思いませんか?
昨年、南米に住むある女性から「母親のトンボ楽器製ピアノ・ホーンを見つけた。しかしマウスピースが見つからなくて困っている。何か互換性のあるマウスピースを知らないか」という相談を受けました。私は同じ機種のマウスピースの寸法を計測し、その寸法図を彼女に送りました。彼女はそのデータをCADを使用してモデリングし、3Dプリンタで出力しマウスピースを再現することができました。
風の制御、水の制御、電気の制御……そして国境という制御を取り払える時代を私たちは歩んでいます。次回第7回では、「なぜリードが振動すると音が鳴るのか」という、さらに根本的な問いに迫りたいと思います。
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ご取材・執筆ご協力者様(あいうえお順)
足立 庄平 様/東海楽器製造株式会社会長
あまやん 様
新井 恵美 様/宇都宮大学准教授
アラン=ブリントン 様/ボイシ州立大学哲学科名誉教授
大隅 観 様/ハーモニカカスタマイザー
オスカー=ヴェルドゥーゴ 様/国際鍵盤ハーモニカ博物館館長
加藤 徹 様/明治大学 教授
カニササレアヤコ 様/雅楽芸人
小西 恒夫 様/クッキーハウス
瀧川 淳 様/国立音楽大学 准教授
佐藤 芳明 様/アコーディオニスト
坂元 一孝 様/ウェブサイト『素晴らしき鍵盤ハーモニカの世界』管理人
設樂 健 様/作曲家
柴田 俊幸 様/フルーティスト
蛇腹党 様
デイヴィッド=ブランカズィオ 様/鍵盤ハーモニカ奏者・サイエンティスト・エンジニア
武田 昭彦 様/有限会社セレクトインターナショナル
谷口楽器店 様(4Fリード楽器フロア)
土佐 正道 様/明和電機会長
成田 宗芳 様/アートマネージャー
野沢 真弓 様/アコーディオン友の会東京支部副部長
野村 誠 様/鍵盤ハーモニカ奏者・作曲家
服部 真 様/電子制御開発エンジニア
松末克彦 様/organ69オーナー
真野 哲郎 様/株式会社トンボ楽器製作所 取締役営業部長
村北 泰規 様/楽器メーカーエンジニア
八木 隆之 様/コンサーティーナ愛好家
山下 伶 様/クロマチックハーモニカ奏者
山中 和佳子 様/福岡教育大学 准教授
(※本連載の画像・情報は、その多くが協力者様の提供によるものです。無断転載はお控えください)
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