鍵盤ハーモニカの運び屋
第1回〜第4回では、鍵盤ハーモニカという楽器がいかにして日本に伝わり、音楽室の「一人一台制」楽器の地位へと登り詰めたのかを、日本国内の社会情勢や、教育界、産業界との関わりと共に、じっくり見守って参りました。
しかし当たり前のことですが、鍵盤ハーモニカが勝手に歩いて、船に乗って、日本に入国したわけではありません。今となっては、製品そのものがなくともデータをもとに3Dプリンターで製作……といったことも可能ですが、もちろんそんな技術は1950年代にはございません。加えてただ物理的に存在しただけでは、その後の大きな産業には繋がりません。つまり、国内に持ち込んで、宣伝していた何者かがいたはずです。
今回は、日本に鍵盤ハーモニカ「クラヴィエッタ」と「ボタン式メロディカ(以下メロディカ)」を持ってきた、とある人物にフォーカスしたいと思います。楽器普及へ向けての熱意を持つビジネス・パーソンのたどった軌跡……その経緯や意図、周囲の人物の発言からは、なぜ日本では教育楽器としてだけではなく、劇伴やBGMなどの裏方でひっそりと使われるポジションとなり得たのか、その背景が見えてくるのです。――ここからはじまるのは、教育界、産業界の鍵盤ハーモニカ・バブルよりもほんの少し昔、「舶来品」であった鍵盤ハーモニカに目をつけた、ある挑戦者の物語です。
(続きは書籍でお楽しみください)