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〈性〉なる家族 信田さよ子

ほんとうにかわいいんです。

 

 少し緊張した面持ちで、A氏はわたしのまえに座った。仕事を抜けてきたらしく背広姿だが、少し不調和な色彩のネクタイがくたびれた雰囲気を漂わせている。

 四〇代半ばの彼は、妻が息子と娘を連れて家を出てしまい途方にくれている。離婚を避けるために、とにかくカウンセリングに行ってほしいという妻からの要求に沿って来談したのである。

 「ほんとにいけないことをしたと思っています」

 「心から反省しています」

 開口一番そう言うと、A氏はふかぶかと頭を下げた。このような出だしは定番すぎるほどだから、正直またかという感じである。痴漢行為で逮捕され、示談や和解の条件として、再犯防止や被害者への謝罪の意思表明のひとつとして、カウンセリングに訪れる男性は多い。弁護士からの紹介がほとんどである。とにかく反省している姿勢を見せなければという彼らは、このような言葉をまっさきに口にするのだ。もちろん彼らはそれなりに切実だからこそ、カウンセリング料金を支払ってまで「加害者臨床」を実施している開業心理相談機関(センターと略す)を訪れるのである。

 臨床心理士という資格は「こころの専門家」であることを謳っている。しかし近年その仕事の範囲は広がり続けており、精神科医療はもちろんのこと、福祉や教育、さらにはコミュニティケアにおいても活動が期待されている。その中で「加害者臨床」は、その名のとおり司法領域に近接している点で、未だ少数派である。加害・被害という二項対立的、かつ価値内包的なパラダイムは、司法特有のものだろう。私がこのような視点に接近したのは、もともとアルコール依存症の夫から殴られている妻たちに数多く出会っていたからである。このあたりについては追って詳しく述べることにする。

 

 A氏は時間が経つにつれて、わたしの態度がそれほど処罰的ではないことがわかって、少しずつリラックスして口調が滑らかになった。彼の仕事が教師であることが納得できるような語り口で、よどみなく、娘である一四歳のマキさんとのこれまでの歴史を饒舌なほどに語ってくれたのである。

 

「あの子にも未来が」

 

 「かわいい子でしたよ、妻に似て目が大きくてね。同業者だった妻と再婚したとき、マキは小学二年生でした。連れ子という気がせず、ほんとうの子どものようにかわいがったもんです。一年後には実子である長男のアキラが生まれましたが、二人に同じように愛情を注ごうと努力しましたし、マキも弟のことをかわいがっていたと思います。買い物や掃除などをすすんで手伝いましたが、どちらかというとマキは僕が担当、まだ手がかかるアキラは妻が担当といった分担がいつのまにかできていました」

 「小学校高学年になるとマキの成績が下がってきて、妻が焦り始めました。塾にも行かせたんですが、あまり勉強が好きじゃないマキを見ると、なぜかそれが僕のせいになるんです。あなたが親身に勉強をみてあげないからだと責められましたので、小六になってからは塾のない日は、毎晩八時から一〇時まで僕が勉強をみることにしたのです。それは妻の希望でもありました」

 こうしてマキさんは父親であるA氏と、勉強部屋でふたりきりの時間を過ごすことになった。マキさんの立場からは、おそらく次のような経験だったろう。

 ある晩のこと、なんどやっても計算ができないことにイライラした父親が、ノートに正しい数式を書くために椅子のうしろから、肩越しに覆いかぶさってきた。熱い息遣いが聞こえるほど近づいてくる父親を避けようとしたが、うしろからまるで羽交い絞めにされたようで身動きがとれない。父親のひげがほほにチクチクあたって思わず「痛い!」と小さい声で叫んだ。それに驚いたかのように飛びのいた父親は、狼狽したような表情で左手で自分の股間をおさえている。

 自分が痛いって言ったせいで不思議な恰好をしているんだ、そう思ったマキさんは、「ごめん、だってパパのひげが痛かったんだもん」とあやまった。

 父親はそんなマキさんに怒るどころか、やさしく、少し笑みを浮かべながら、「いいんだよ、マキ」といいながら再び身体を寄せて、自分の左手で覆っていた部分にマキさんの右手をあてがった。堅くて熱くて、まるで別の生き物がそこに隠れているようだった。

 

 数回のカウンセリングのなかで、A氏は娘のマキさんに対して行ったことを率直に語った。自分の性器に触れさせながら、マキがかわいいと思うとこうなるんだよ、と説明したことも。

 「最初はずいぶんびっくりしてましたが、嫌がることをしたわけではありません」

 「たぶん、マキは二人の秘密を楽しんでいたんじゃないでしょうか」

 「でも、ちゃんと勉強を教えることもしましたので、鶴亀算などはよく理解できるようになりました」

 少しずつ秘密の行為はエスカレートしていき、A氏はマキさんの下着を脱がせて、性器にも触るようになった。それを禁じたわけでもないのに、マキさんはそのことを決して母親には語らなかった。

 六年生の冬、マキさんに生理が訪れた。

 「ねえ、マキに生理がきたのよ、あの子も成長したわ、お赤飯は炊かないでくれって言うからやめにするけど」

 いたずらっぽい顔で妻はそのことを、小声でA氏に告げた。それを境に、A氏はマキさんとの秘密の行為をきっぱりとやめたのである。その理由はこうだ。

 「だって先生、マキが女になったんですよ。一人前の女性にそんなことできません」

 さすがに意味不明だという表情を隠しきれなかった私に向かって、A氏は少し自慢げにこう言ったのである。

 「あの子にも未来があります。だから、最後まではしてません。あの子の身体はきれいなままなんです」

 

 では、どうしてこのことが露見するに至ったのだろう。

 受験校すべてに落ちてしまったマキさんは、近所の公立中学校に入学した。部活動にも熱心に取り組み、学校生活に適応しているかに見えたが、夏休み明けからどんどん帰宅時間が遅くなっていった。最初は部活だと説明していたが、担任に問い合わせたら、数人の仲間といつもいっしょに遊んでいるらしいことがわかった。教師としての経験から頭ごなしに叱ることは効果がないと知っていたA氏と妻は、マキさんの帰宅を待って冷静に話し合おうとした。ところが質問に答えるどころか、マキさんは横を向いたまま一言もしゃべらない。娘の想像以上の反抗的態度に、思わずA氏が「ふざけるんじゃない!」と怒鳴りつけてしまった。

 その瞬間、マキさんが発したのは、思いもかけない言葉だった。

 「てめー、私に何をしたんだよ!」

 「勉強教えながらやったこと、ぜってー忘れねえからな!」

 A氏も、そして妻も、当のマキさんも、その言葉の衝撃に打たれたかのようにしばらく沈黙した。いったいどれくらいの時間が経ったのだろう、口を開いたのは妻だった。少し青ざめていたものの、動揺を隠すかのように、しっかりとした口調で言った。

 「私に全部説明してください。いったい何をしたのか、あなたの口から私にだけちゃんと説明してください」

 この夜から二日経った日曜、妻はマキさんと長男を連れて、家を出た。娘の叫ぶような、吐き出すようなあのひとことで、妻はすべてを理解したのだ。再婚した夫が、連れ子である娘にやったことが性虐待と呼ばれる行為であることを、直感したのだ。

 そんな夫と夫婦として暮らしていけるはずがない、もっとも許せない行為をした人と家族でいることは無理だ、そう判断して行動に移したのである。

 

「近親相姦」という言葉の落とし穴

 

 連載第一回にしては衝撃的な内容だったかもしれないが、子どもの虐待にかかわる専門家のあいだではこういう事例はそれほど珍しくない。性虐待を「近親姦」とも呼ぶが、近親相姦ではないことを強調したい。「相」という相互性を意味する言葉が入ることによって真実が隠されてしまうし、そもそも子どもを対象とする性行為に相互性など存在しないからだ。さらによくあるのが、A氏同様、性行為(レイプ)がなければ性虐待にはあたらないという誤解である。その後マキさんは、父親と別居するようになってから、リストカットをしたり、解離状態を呈するようになった。このように性虐待の影響は、長期にわたる問題行動や症状となって出現することを知ってもらいたい。

 マキさんはおそらく、中学校で異性と交際するようになり、初めて自分の経験の意味を知ったのだろう。多くの性虐待は、誰にも言えない秘密の行為として、名前の付けられない記憶として残っている。なぜなら多くの加害者(父、兄、弟、祖父、時には母)は「かわいがる」こと、「愛情」の表現としてそれを行うからである。彼女たちは「かわいがられた」と思わなければならず、そう思えない自分を責め、時には秘密を共有することに誇りとわずかの快楽さえ覚えることで、その記憶を否認しながら生きる。いや、否認というよりブラックボックスに入れるといったほうがいいだろう。そしてある日、何かのきっかけにより、性虐待という名前がブラックボックスに入れられた記憶と合致するのである。

 

沈黙をやぶる

 

 カウンセリングで出会う多くの被害女性たちは、自らの奇妙な経験を母親に告げることを考えることすらできなかったと言う。その最も大きな理由は、「叱られるのが怖い」からである。何とか繰り返される行為を止めたくて思い切って訴えたとしても、「あんたが悪い」「あんたが誘ったんだろ」「嘘をつくなんて怖い子だ」と責められるか、いっさい聞こえないふりをされ無視されるのがほとんどである。

 これを性虐待の二次被害と呼ぶが、おそらく妻(母親)たちは、あえてそのような残酷な態度をとっているわけではないだろう。どこかで、夫が娘を性の対象としたことで、妻として傷ついているに違いない。

 マキさんの母親のとった行動は、珍しいとすら思える。迅速で明快な決断は、特筆すべきだ。A氏は、来談時に離婚の危機に瀕していたが、言い換えれば、妻の揺るがない判断によって、娘への性虐待加害者であることの自覚を持てたのである。世の中には、同じような性虐待を行っていても、娘がずっとそれを抱えて沈黙を守ることで、誰にも知られずに、「ふつうの父」として生涯を全うする人もいる。勇気をもって娘が母に訴え、たとえ父に対して抗議したとしても、妻が怒りと絶望を否認せずに実力行使(別居・離婚)をしない限り、同じく曖昧に事態に蓋をしたままで終わるだろう。何食わぬ顔で過ごす加害男性に比べて、A氏ははたして不運で不幸だったのだろうか。私にはそう思えないのである。

 性虐待、ジェンダー、セクシュアリティといった性にまつわる問題は、家族の基盤に在りながら、意図して裂け目をつくらなければ、視野には入らない。しかし、そこから見えてくるものこそ、家族の未来を考えるために欠かせないのではないか。そのような思いに駆動されて開始した本連載に、しばらくおつき合い願いたい。

 

 

◆『春秋』2017年8・9月号◆

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著者略歴

  1. 信田さよ子

    1946年生まれ。臨床心理士。原宿カウンセリングセンター所長。アディクション全般、アルコール依存症、摂食障害、ドメスティック・バイオレンス(DV)、子どもの虐待などに悩む本人やその家族へのカウンセリングを行っている。著書に『母が重くてたまらない』『さよなら、お母さん』『家族のゆくえは金しだい』(いずれも春秋社)、『コミュニケーション断念のすすめ』(亜紀書房)、『傷つく人、傷つける人』(ホーム社)、『家族収容所』(河出文庫)、『家族の悩みにおこたえしましょう』『共依存 苦しいけれど、離れられない』『母・娘・祖母が共存するために』(朝日新聞出版)、『父親再生』(NTT出版)、『カウンセラーは何を見ているか』(医学書院)、『依存症臨床論』(青土社)、『アディクション臨床入門』(金剛出版)など著書多数。
    原宿カウンセリングセンター http://www.hcc-web.co.jp/

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