土の混じった水
キッチンに置いてある4センチほど水の入ったバケツをシーちゃんがジッと見つめている。底には赤味がかった茶色い土が沈澱し、スポンジが浮かんでいる。水を飲もうとしているわけではなく、ひたすらバケツを見つめている。匂いがあるわけでもなさそうだ。スポンジに興味があるふうでもない。
畑で採れたジャガイモを妻がこの水で洗い、また次のジャガイモを洗うためそのまま捨てないで置いておいたものだ。どうにもこれが気になってしょうがないらしい。いつまでもそうやってバケツの前にきちんとしゃがみ込んで眺めている。首を少しだけ傾け一生懸命見ている姿がかわいらしい。
それを見ていてぼくは、シーちゃんは自分が産まれた多摩川のことを思い出してるんじゃないかと思った。土の混じった水が多摩川に似ているのだ、きっと。そう勝手に結びつけて考えた。
大学の授業が終わってスポーツクラブに寄った夕方、シーちゃんの一途な後ろ姿を思い出したらストレッチなどどうでもよくなり、多摩川に水を採りに行こうと思い立って、陽が落ちないうちに着くよう50ccバイクを走らせた。
しばらく歩いていなかったなつかしい道だった。ここでシーちゃんを拾ったのは2年前だった。シーちゃんを拾うまでぼくは心がさびしく、バイクでやって来てはトランペットをよく吹いた。シーちゃんを見つけた時もトランペットを肩にかついで多摩川に向かって歩いていた。
道は狭く、両側に草が茂っている。赤ちゃんネコが右の草むらからやって来て手足を横に突っ張る歩き方で小道を渡り、左の草むらの先へ行こうとしていた。一瞬の出会いだった。まだ生まれたばかりであまりに小さく、ネズミかと思えるほどだった。
その時、瞬間の判断でぼくは赤ちゃんネコをつまんでウィンドブレーカーのポケットに入れ、今来た道を引き返し、ポケットの中で動き回るのに急かされて超特急で家までたどり着いた。その多摩川の河原までまたやって来たのだった。
(拾ったばかりのシーちゃん。撮影:妻)
川へはコンクリートの護岸と砂利道を抜けて行く。砂利の終わったあたりで水の流れに向かって座っている男の人の姿が見えた。風貌からするとインド人かネパール人だろうか。はじめ、その人を避けた所から下りようとしたのだが、梅雨の長雨で削られた川岸は急角度に落ち込み、足を置くなりズルズルと滑ってしまう。インド人かネパール人かわからないその人の近くからでないとどうしてもうまく下りられない。しかたがないので「イクスキューズ・ミー」と言いながら彼のすぐ左脇の土手をずり落ちるようにして水の近くまで行った。
よく見ると片手に持った袋からパンを取り出し、砕いて撒いている。寄って来る魚の姿までは見えなかったがおだやかな笑顔から生き物にエサをやっているのだとすぐにわかった。このあたりで彼がインド人ではなくネパール人ではないかと思いはじめたのだが、多摩川に屈んでペットボトルに水を汲み終わり、「ナマステ(さよなら)」と声掛けした時、彼が返したちょっとはにかんだような表情を見て、ネパール人だと確信した。
川でネパール人を見たことで、勤めている仏教の大学で先日、お釈迦様の教えに詳しい先生の研究室を訪ねて訊いたことを思い出した。ここのところずっと気になっていた「自灯明」という言葉が、ネットで見ても「自分を信じること」などと説明があるばかりで少しもピンと来ない。悩んでC先生の門を叩いたところ意外な答えが返ってきた。
この言葉は今まで「灯明」と読んでいたのだけれど、お釈迦様はほんとうは「洲」とおっしゃりたかったのだという。「川の中の洲のように、世間という大河の中で流されない自分を持ちなさい」そういうたとえでお釈迦様は話されたと聞いて、ぼくはずいぶんとすっきり納得した。
はかなく揺れる灯明の炎より、自然が造り成した流されない盛り土のイメージのほうが広大なインドの河を思わせる。ぼくにはしっくり気持ちに入った。それはとても単純なことで、自分をしっかり持てばいい。そうすれば自分も相手も、灯明で暗闇を照らすようにはっきり見えてくる。
シーちゃんへの思いに動かされて多摩川まで行くより大事なことがある、ということだったのかもしれない。どんな反応をするか楽しみに持って帰ったペットボトルだったけれど、シーちゃんは、ぼくが多摩川の水を洗面器に空けた時に匂いをちょっとかいだものの、ほとんど関心を示さず、さらっと向きを変えて次の興味にまっしぐら。結局ぼくは骨折り損だったわけで、「試してみたのは(試さないより)まぁよかったんじゃない?」そう妻から言われた。