フジタのアトリエ
人の中に潜む野性も、夜になると騒ぎ出す。
前回、藤田嗣治の話をした。藤田というと油絵がよく知られているけれど、油絵以外にも墨で一筆サッと描いた軽妙な作品があるかと思うと、銅版画や木版画、さらにはフレスコ画などでもたくさん作品を残している。フレスコ画は、漆喰がまだフレスコ(生乾き)なうちに絵を描き終えなければならないので、かなりの熟練と筆の速さが要求される技法だ。
アトリエを訪ねたのは昨年のことだった。
刷り台の上の原版と刷り上がった「猫」
銅版画に限らず版画は、版が摩り減るまで何枚も刷ることができる。でも、あまりにたくさん同じ作品が世の中に出回ると作品の価値が下がるので数を限定するため、刷ったものにはドライシールを捺して限られた数刷った証明とする。
藤田は生前、自分の作品の権利をフランスの孤児院に寄付し、その孤児院の著作権業務をADAGPという著作権事務所が代行している。 日本で刷った藤田の銅版画にドライシールという証明の印を捺してもらうため、銅版の原版所有者・河村泳静さんの依頼でいっしょにパリの著作権事務所に証明のドライシールをもらいに行った。
「猫」に捺されたドライシール
この旅ではパリ市内だけでなく、藤田の墓のあるランス市や、パリ南郊にある藤田の自宅兼アトリエにも、河村さんと電車やバスを乗り継いで訪れた。
フジタの自宅兼アトリエ。上の小さな2つの窓がアトリエの窓(中央にいるのは筆者)
亡くなる直前まで、藤田はパリ南郊エソンヌ県の自宅兼アトリエに住んでいた。農家を改造したこの建物は今では県が管理し、一般公開している。50年前、スイスの病院に運ばれるまで、藤田はこの建物の屋根裏をアトリエにしていた。
フレスコ画が乾くスピードを試しておくためだろうか、アトリエには畳半畳より少し大きめのぶ厚い漆喰板が立てかけてあり、表面にはフレスコの試作が描いてある。別のコーナーにはミシンが置いてあり、洋服や洋裁小物までつくる藤田のもう一つの面を垣間見ることができる。棚にタルク(パウダー)の紙筒が置いてあるのも藤田らしい。この筒からパレットの白の絵の具にタルクを振り混ぜ、あの独特の白人裸婦の肌を塗ったのだろう。
保存のためなのか、3階のアトリエは外の光が入らないように窓にシェードを下ろしてあるのでかなり暗い。ポイントとなる箇所に小さな照明が当たっているだけで音声ガイドもなく、案内嬢が来館者に付き添ってていねいに説明してくれる。そして、いったん解説が終わって2階の扉から外に出ると、初夏のまぶしい太陽が照らした。
薄暗かったアトリエはいやでもぼくの想像をかき立て、自分の姿を重ねて夜中に目覚めた藤田の様子を勝手にイメージさせた。
夜と言うべきか暗い明け方と言うべきか、眠りから引きはがされたフジタは目が覚めたばかりでひとり夢を引きずって屋根裏のアトリエにいる。塗りかけのキャンバスに背景のつづきを描いているメガネをかけたフジタの後ろ姿が見える。ふと手を止め、手帳を取り出して日記を書きはじめる。一階下の寝室では妻が寝ているのでミシンの音を出すことはできない。
突然、足の下がスコンッと空いて体が浮いているように感じる。下は何もない空間でここにいることに意味がなく、自分という存在がどんどん小さく無意味に思える。これはぼくがひとりでフランスにいた時味わった感覚で、フジタがそう思ったかどうか、ぼくのような思いにはならなかったかも知れない。ただ、日本にいることは少しも楽でなく、日本社会の制約の中で溺れそうになりながら生きるのはつらいと思った点は、ぼくとフジタに共通しているように思える。でも、外国がユートピアとして目の前にちらついてもそれはただ心を惑わす幻想に過ぎない。
この気持ちがぼくの心の表面に出てくるのはいつも決まって夜だ。早く目が覚めてしまった午前3時だ。自分が今いる場所はどこかというとフランスの田舎だ。住みにくいわけではなく、太陽も降り注ぐ極めて豊かな土地だ。不満はない。ただ一つ、太陽の光を受けてはいても自分はここに根を張っているわけではない。
妻を起こさないように2階の扉からそっと道路に出る。車は走っておらず、畑仕事が始まるには早すぎる。真っ暗だ。オルリー空港が近いが飛行機が発着するにはまだ2、3時間ある。フランスの空は日本とちがって青が濃い。だから「空が白んでくる」という表現はピッタリ来ないが、その分、飛行機雲が美しい。夜にはテールランプが鬼火のように人の気持ちを遠くの土地へ誘う。
カサカサと音がして草むらが揺れる。人の足音が聞こえたので動物が身を潜めたのだろう。そうだ、さっき見た夢を思い出した。キツネ、ネコ、イヌ、たくさんの動物たちに囲まれて眠っている夢だ。動物たちは心配しているわけでもなく、襲うふうでもない。眠っている人間をじっとして見つめているだけだ。
夢の中で夢から覚め、周りをよく見ようとフジタはメガネを捜すのだが見つからない。そうだ、昔使っていた度の合わなくなった老眼鏡。魚のエイの皮で張ったメガネ・ケースといっしょに老眼鏡をフランシス(・シャーマン)にあげたことがある。あれが今あれば動物たちがどんな顔してこっちを見ているのか少しは分かるのだが……。
藤田の老眼鏡(河村さん所蔵の旧F.シャーマン・コレクション)
藤田の暗いアトリエを訪ねたおかげで、ぼく自身のフランスでの思いと夜の藤田を重ね合わせてこんな想像をし、東京での藤田回顧展最終日、夜の都美術館を再び訪れた。少し展示替えがあったものの、黒い背景の「夢」も「私の夢」も、ぼくの好きな「狐を売る男」も最初の訪問の時そのままその場所に鎮まって待っていてくれた。
(写真提供:河村アートプロジェクト)