ふれる
朝方になって気温がグンと寒くなると、シーちゃんがベッドの掛け布団の中に入って来る。それまで掛け布団の上で丸くなって寝ていたのだが、さすがに朝になると寒さが身に沁みるらしく「入れて」とばかり布団の中に入って来る。入って自分の位置を決めるまでしばらくモソモソ動き、結局最後はぼくのふくらはぎあたりで丸くなるのだが、丸くなるとき柔らかいハケのようにシーちゃんの毛がぼくの両脚をスッと撫でていく。それが何ともいえず気持ちいい。
触れ来たるわづかかすかな感覚に
心さわぎていのちをぞ知る
中学生の時だった。下校の午後、急に降り出した雨に日比谷線・仲御徒町駅の庇からぼくは飛び出し、雨降る歩道へ駆け出した。その時、後ろから若い女の人の声で「傘、入りませんか?」と言うのが聞こえた。でも、ぼくは首を振ってそのまま振り向きもせず雨の中を駆け抜けた。声を掛けられたことが芯から恥ずかしく、心の中で赤面し、振り向くなどしてはいけないことだと脇目も振らずに走り去った。この時のたまらなく恥ずかしい気持ちと、答えてはいけないと自分を抑える心の動きを今でも鮮明に覚えている。
よく知っている女の人と電車の中で並んで立っていたときのことだった。電車が大きく揺れ、その人とぼくの腕が触れそうになって触れなかった。触れなかったけれど二人の腕の産毛が少しだけ触わった。その小さな感覚がなんともいえず気持ちよく、心騒がせた。ドキドキではなく、かすかな気持ちの高まりが産毛が触れただけで沁みわたるように全身に伝わった。
初めてのキスは年上の女性からだった。ぼくのことでその人があらぬ噂を立て、噂を徹回してもらおうとぼくは彼女を訪ねた。それほど広くはない部屋だったが、二人座って話していた時急に、彼女がぼくを押し倒すようにしてキスをした。二十歳そこそこだったぼくは混乱し、その時の気持ちを詩に書いた。その詩を今読み返してみると、最初のキスの甘くはない感覚が蘇って来る。
近所で知り合いになった田中さんが先日亡くなった。二十歳でキリスト教に出会った話など、葬儀が行われたキリスト教会で聞いた田中さんの人生はほとんど知らないことばかりだった。肝炎は家族など周囲の人にうつるとされていた当時、家で治療に専念しながら田中さんは父としての自分の気持ちを手帳に書き綴った。「子供たちにさわれないのがつらい」そうノートに書いていたことをご長男がお葬式の喪主挨拶で話してくれた。人と人、親と子は撫でたり触れたりすることで気持ちを伝え合うものなのに、さわれなかった田中さんはどれほどのがまんをしたことだろう。
お葬式の日の夜、仕事で遅くなっての帰り道、バイクを走らせながら夜空を見上げてぼくは、満月が斜め上空に浮かんでいるのに向かって「田中さーん」と声に出して呼び掛けた。午前中にあったお葬式、そこで聞いたいろいろなお話、生前田中さんと交わした短い会話など、いくつかが断片として思い出され、呼び掛けないではいられなくなった。人としてはもう二度と話し掛けたり触れたりすることができなくなった田中さんに向かって、田中さんの命に向かってぼくは声でもってできる限り伝えようとした。
今夜初めてのことだが、シーちゃんがダイニングの椅子の上で眠ったままぼくのベッドまでちっとも来ようとしなかった。そのせいで熟睡できなかったぼくは午前三時ごろ心配になってダイニングにシーちゃんを見に行き、夜の形のまま丸くなって寝ているシーちゃんに覗き込んで語りかけた。今日はどうしちゃったの?
あたたかくなり、ベッドまで来なくても一人で眠れるようになったのかも知れない。それとも、少し大人になってきたからだろうか。どちらにしても、シーちゃんが布団に入って来ないとぼくはとても落ち着かない。明日は寝不足で目覚めることになりそうだ。
(バナー写真:久保田 耕司)
(版画:林 栄子)