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やさしい気持ち 今井田博

さはに降る雨明けぬれば清らにぞ月満ちてける西の青空

 台風が次々とやって来てたくさんの雨をもたらし、国土のあちこちに障害を残し、人々はあるいは亡くなりあるいは苦しみ疲れ、それでも、それにもかかわらず、雨の後の空は実に美しかった。特に、最初に大雨を連れてやって来た台風15号の後は満月も近く、雲を吹き払って広がる濃い青空に沈んでいくほぼ満月に近い月はとてつもなく美しかった。

 シーちゃんを抱き上げて一緒に朝の空を見上げたのはその次の台風19号の時だったか、それともさらにその後の大雨が降った後だったか。三度目の大雨が降った後の東の空は見たことがないほど濃い朝焼けで、自分の心が遠くへ飛んでいき、地平線近くの空に広がるダイナミズムを眼下に見る思いがした。

 シーちゃんを抱き上げて空を見せようとしたのには訳がある。前にも書いたように、シーちゃんは赤ちゃん猫の時多摩川で拾ってきた猫だ。「拾ってきた」と言いながら、僕の中でどこか盗んできた思いがある。誰から盗んできたかというと、シーちゃんのお母さんからだ。自分がまだ産んだばかりの子猫が突然いなくなり、お母さんはどんなにか悲しみ探したことだろう。シーちゃんにしてもまだお母さんのおっぱいを踏みふみして飲んでいた時期なのに引き離され、やり場のない喪失感が残ってしまったことだろう。そうした気持ちを考えると今でも申し訳なさで心が落ち着かなくなる。そして、その分よけいにシーちゃんを大事に育てなければいけないと思うよすがとなる。

 だから、シーちゃんと出会った翌日、僕は1人で多摩川の河原に行き、草が高く生えていて見えない向こうに向かって「シーちゃんのお母さんごめんなさい。大事に育てるから許してください」と声をかけて回った。お母さん猫に少しでもお詫びの気持ちが伝わればいいと思った。

 拾ってすぐ連れて行った獣医の先生からはシーちゃんの激しい気性を見て、「この子はお母さんに育てられなくてよかったかもしれない」という言葉をもらった。それが僕には慰めとなり、子猫を盗んだ罪を10%くらいは軽減してくれた。

 シーちゃんが家に来てからそろそろ3年になる。野良猫の寿命は3年だと聞くから、シーちゃんのお母さんも兄弟ももうこの世にいないかもしれない。しかも、今度の台風ばかりでなく、大雨・増水はその3年の間に何度もあった。それらをかいくぐって多摩川で生き延びるのは至難の業だったろう。だから、大雨や台風の後の空をシーちゃんと眺めるのは、亡くなってしまったかも知れないお母さんたちのイメージに、こうして生き延びているシーちゃんの姿を重ねて、〈生きていてよかったね〉、〈お空が本当にきれいだね〉という思いで抱き上げている。

 美しい月の背後に、いくつもの生命が失われた厳しい嵐がある。だから、ただこの風景を、この空を「美しい」とだけ見ていよう。それが生きていることのほめ歌であると同時に、失われたものへの追悼なのだと思えるから。

(写真:久保田 耕司)

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著者略歴

  1. 今井田博

    1950年、東京生まれ。パリ大学留学後、早稲田大学仏文科卒。翻訳家、駒沢女子大学講師(演劇表現)。訳書に『イヴリー・ギトリス:ザ・ヴァイオリニスト』(フィリップ・クレマン編、春秋社、2013年)、イヴリー・ギトリス『魂と弦』(春秋社、2017年[増補新版])、ムクナ・チャカトゥンバ『はじめまして! アフリカ音楽』(ヤマハミュージックメディア、2015年)他。ラジオ構成に東京エフエムの「ジェットストリーム」などがある。

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