こわす
シーちゃんがガラスを壊したのはこれで三度目だ。最初は額縁の表面ガラス、次に玄関に立てかけてあった等身大の姿見、そして今度は本棚に置いてあった小さなグラスを壊した。どの時も壊れたものより、散った破片でシーちゃんが怪我しないかとぼくは心配した。
今回壊れたのは小型のウイスキーグラスで、昔、父が浜町の家に来ていた時よく使っていたものだ。本棚の、父の戒名を書いた紙の前に供えていた。そのウイスキーグラスをシーちゃんがチョンと手を掛けて落としてしまった。ウイスキーグラスの脚の部分は細くもろく、床に落ちただけであっけなく砕け折れた。六十年以上も家にあったものなので大事にしていたのだが、シーちゃんに壊されると少しも怒る気がしない。同じことを妻がしたらいつまでもくどくどと文句を言ったにちがいない。それがこうして壊されてみると、シーちゃんに他意がないこともあって意外とあっさり受け容れられた。いや、受け容れられたというよりシーちゃんのおかげでむしろスッキリしたと言ったほうがいい。形あるものも、形のない思いもなくなってよい。なくなって美しい思い出だけが残ればいい。
夜来ては夜帰る父懐かしや
グラスこぼつも忘れがたきを
──冬の記憶だろう、酒の匂いとともに夜父が家にやって来る。二階の和室にはあらかじめストーブが炊かれ、大きな座布団の上で父は暖気に囲まれている。小さな子供のぼくは父の膝の上に乗ったり、もう少し成長すると向かい合って将棋を指したりしている。簡単な手品を父はして見せ、しまいには「♪恋はやーさし~」と好きだった浅草オペラを歌い出す。八畳間の畳。大理石の板に乗った縦型ガスストーブ。父の左腕を脇息が支えている。土壁。壁の下には白い和紙が貼ってあり、床の間には掛け軸。テレビの後ろの書院棚…。記憶の風景の襞の中にぼくは父の姿を織り込む。
と、そんな感傷を打ち消すように、ヵヵヵヵヵと歯を撃ち鳴らす音が窓の方から聞こえてきた。シーちゃんが、窓ガラスの向こうに止まっている蛾を見つけ、目を見据えて狙っているのだ。虫を見つけるといつもそうだが、今日は窓の外にいる相手に向かって部屋の中から歯を撃ち続け、威嚇している。蛾を捕まえたくてしょうがない。近くから見せてやろうとぼくはシーちゃんを抱き上げ、内側から蛾に近づけた。
その瞬間、蛾は近づいてきた怖いものに気づいてヒラリとベランダの外へと飛び離れた。抱き上げたぼくの耳元でシーちゃんは「あーぁ」と小さな声を漏らす。その声で、ぼくにも獲物を取り逃がしたシーちゃんの空気の抜けるような残念感が直接伝わり、シーちゃんのことをとてもかわいく感じた。
(写真:久保田 耕司)
(版画:林 栄子)