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存在の手ごたえ 渡仲幸利

グレン・グールド考

 僕が初めて出版してもらった本は、ピアニスト、グレン・グールドに関するエッセイ集だった。

 大いに気合を入れて書いた。もう見事に力んだ文章になり、思い出すと、赤面を避けられないのだが、あの頃のすべてが、大切な思い出である。もう二十年も前のことである。

 当時、僕は、グールドが残した演奏の録音や映像、そしてお喋りな彼が猛烈に喋っている録音と映像と文章、それらをすべて聴き、見て、読んだ。加えて、彼について書かれた本や記事も、見逃さなかった。

 グールドの友人、関係者が、彼について語った映像作品のことは、音大生だった妹から知らされた。授業を放り出して僕の下宿先まで知らせに来てくれた妹と、大慌てで部屋を飛び出した。カナダ大使館で上映だと妹は言う。どう辿り着いたのか、とにかく上映開始にちょうど間に合ったのだった。

 グールドが文章中で触れている音楽も、すべて聴いた。上野の音楽資料室に通い詰めた。どうしてあの頃、僕の中に、グールドに対する情熱があんなに沸き立っていたのか。

 グールドは生涯に二度、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》を録音している。

 その一度目の録音で彼はデビューした。僕の生まれる十年前の話である。

 バロック音楽の大作を、極めて現代的な青年ピアニストが駆け抜けてみせた圧倒的なさまに、世界中の音楽好きが驚愕したらしい。いわゆるクラシック音楽ファン以上に、ジャズやロックの愛好家達が、これに夢中になったとも聞く。

 それから二十六年後の同曲の二度のレコーディングでは、もしも瞑想にテンポというものがあるとしたら、こういうものになるのか、と頷かせる演奏を残した。

 が、何よりも、それが発売となった直後にグールドが亡くなったので、その奇妙な符合が、またしても人々を驚かせた。

 実は、僕がグレン・グールドというピアニストの存在を知ったのは、この最後のゴルトベルク変奏曲を聴いたときである。

 初めて聴いた日の、感触のようなものを今も覚えている。

 はっきり言って、感触しか覚えていない。スピーカーに頭をくっつけたまま動けなかった。クラシックでもなく、いわゆるバッハでもなく、グールドという存在が歌っていた。

 時は過ぎ、グールドについて今の僕に残っている知識はほとんどない。結局、感触だけが残った。時と共にそれ以外のものが風化するにつれ、その感触はほとんど裸形となって、却って僕を突き動かす。

 

 グレン・グールドは稀有なピアニストだった。

 演奏の巧みさ、曲の掘り下げ方、情熱の込め方も稀有だが、選曲も稀有だった。ピアニストなら必ず弾くショパンとリストの作品を全く録音していない。

 全く、と書いてしまったが、正確に記しておくとする。

 ショパンについては一曲、ソナタ第三番が、グールドの死後、CD化されている。放送用に作ったテープが使われているのだろうか。

 リストについては、ベートーヴェンの交響曲第五番をリストがピアノ用に編曲したものがあり、これをグールドは弾き、正規のレコーディングをして発売している。

 リスト編曲のベートーヴェン交響曲第六番も、今ではグールドのCDに入っているが、こちらは正規のレコーディングによるものでなく、音源は放送用テープである。

 こういう次第だから、グールドが全くショパンとリストを弾かなかった、と言ったら語弊がある。でも、他のピアニストならば必ず弾くショパンとリストのスタンダード・ナンバーが、彼のディスコグラフィーには一曲もない、と言いたくなる様子はわかってもらえるだろう。

 別にグールドは、ロマン派音楽を嫌っていたわけでは全然ない。ブラームスの間奏曲集は、グールドの代表作である。ロマン派の精髄をそこに聴くことが出来る。

 更に、グールド自身がピアノ用に編曲して演奏したワーグナーの《ジークフリート牧歌》。いつ終わるともつかないこの演奏を聴くと、魂を小舟に乗せられて大海原をたゆたう気分になる。

 後期ロマン派の巨匠、リヒャルト・シュトラウスについては、グールドは、ソナタと歌曲の伴奏と朗読の伴奏をしてレコーディングしているが、それら以上に、オーケストラのための曲やオペラの数々を、自分のために自室で夜を徹して弾いた。それは、ピアノと口と脳内の声とをフルに使った名演だったろうと想像される。誰にも聞かせないグールド自身のためのシュトラウスチクルスだったことだろう。

 グールドは、ロマン派の作品は大好きだったのである。正規の録音で、上記三人のほかには、シューマン、グリーグ、シベリウス、と意外によく弾いている。

 ところが、通常ピアニストが取り上げるロマン派の作品となると、大抵、彼は見向きもしなかった。

 シューマン、グリーグはピアノの達人かもしれないけれど、グールドが特に好んだワーグナー、ブラームス、リヒャルト・シュトラウスといった作曲家達が、特定の楽器の名人ではない点が、面白い。敢えて言うなら、彼等は、オーケストラを鳴らす名人だった。

 グールドは、ピアノは非常に抽象的な楽器だ、ということを書いている。いわゆる楽器としてのピアノから、彼は解き放たれた意識で、ピアノに向かっていた。

 演奏中のグールドの様子は、宙に漂う音を追って、鳴らそうとしているようであって、それは、交響曲の作曲家や、あるいはオーケストラの指揮者が、ピアノを使って音楽を手探りするのと似ている。

 本当の歌のありかを探るために、グールドはピアノに向かったのである。

 少なくとも彼にとって、そんな奇妙な体験を可能にしてくれる楽器は、ピアノだけだったろう。ヴィルトゥオーソにとって、自分の楽器が自分の筋肉の一部でさえあるが、グールドにとっては、ピアノは彼の脳神経の一部だった。

 彼がピアノを弾く指は、彼の脳から直接伸びる神経のようだった。ピアノの鍵盤を通して伸びて、抽象的な音世界を聴診する神経だった。

 尤も、グールドとショパンには、どこか似たところがあったように思われてならない。

 ショパンは、類稀なピアニストでありながら、実際にはほとんど演奏会というものを開いていない。サロンで人々にせがまれても、人前で弾くことは好まなかったと言われている。サロンも終盤になり、残った少数の親しい人間達の間でないと、ショパンはなかなかピアノに向かってはくれなかった。

 自分がものした別れのワルツに、そして英雄ポロネーズにさえ現われる微細な転調に、このポーランドからの移民は、何を聴き、どこへ誘われたのだろうか。

 グールドはと言うと、一九六四年以降、コンサートを行なわず、ただレコードと放送という形で、スピーカーに耳を傾ける一人一人に向けて、演奏を行なった。

 ショパンにとっても、グールドにとっても、音楽は、大衆に向けて発散させるにはあまりにも大切すぎた。

 一族が集って、今夜は先祖を迎えて饗宴だとなれば、酒が進むにつれて、手拍子が始まり、足踏みが起こり、宴は非日常的に熱狂した一体感を帯びる。

 聖トマス教会のカントルだったバッハは毎週日曜日の礼拝のために、カンタータを作り、楽団を指導し続けた。

 古来より、音楽は、典礼の一部である。音楽の始まりは儀式にある。

 なるほど、音楽には、もともと集団で作業をするときに、みんなで声を合わせたことから起こったという性格もあるだろう。民謡にそれがたくさん残っている。

 しかし、声を合わせて歌うことは、単に仕事の効率を上げるための一体感を得るだけでなかったと思われるのである。そこには、何らかの存在のもとに一体感を確認する意味合いがあったのではないだろうか。

 外なる共有の世界が、内なる魂の願いとの、起こり得ない合奏を起こす。

 この点で、音楽はその起源からして、日常には存在しない秘めた自分へ通ずる可能性を持つのかもしれない。歌の起源を求め続けた本居宣長は、歌が心を整えると考えた。

 こういう可能性を追究したのが、グールドだったのではないか。熱狂を貪り合う商業的コンサートは本質を欠いた儀式だ、とグールドは感じていたのかもしれない。

 

 グールドがしたことは、音楽を犠牲にして、音楽の核を抉り出す行為だった。

 彼は、ピアニストの通常のレパートリーを無視しただけではない。コンサートを拒絶しただけではない。

 僕達は、音楽を聴いていると、現実の音になってくれないのにもかかわらず、胸に響いて来る確かな音楽を、そういう、楽譜を超えた存在を、信じたくなるものである。グールドは、そこが更に徹底していた。バッハがしたためた楽譜は、音符を超えたそういう存在に対する数ある眺めのうちの優れた一つに過ぎない、いやそれどころか、バッハ以上に自分のほうが、そういう存在をよく聴けている。僕にはどうも、グールドがそう考えていたように感じられる。

 何と抽象的なことを言い始めたものだと思われるかもしれない。

 でも僕は、一人一人が摑むほかない音化する以前の存在、つまりいかなる一般化をも拒んだ自分の魂に固有の存在を、抽象化に抗する存在と見る。これを何とか宥めて楽譜という紋様で置き換えたり楽器の音の組み合わせで置き換えたりして、僕達の共有の要素を使って組み立て直すことのほうこそ、抽象化だと考える。

 普通は、そのことを、具体化、と呼んでいる。心は少しも具体的でない。

 そうだとしても、心は共通因子へと抽象化されることに抵抗する力そのものとしてある。こういう力に耳を澄ませていなかったら、音楽どころか、そもそもあらゆる物が、手ごたえある存在でいることが不可能になってしまう。

 こういう力、こういう心的手ごたえを、地上で歌わなければならない。

 生き物はみな、多かれ少なかれ、それをやってのけている。つまり、魂を有機体に宿らせて、守る。

 魂と物は互いに異質で、両者が感応するなど奇蹟だが、その奇蹟を、生命体はやってのける。まるで、魂など本当はない、と思わせるほど見事に。

 魂などなく、あるのはただ物質の働きの絶妙な組み合わせで、それによって有機体は、動いたり、場合によっては考えたりもし、あたかも魂が宿ったかのような現象を示し得るのだと、そう思いたくなる。

 それほど見事に、生命は奇蹟を起こしている。

 きっと芸術家は、こういう僕達みんなが知らずに生きてしていることを、純化し、深化して、行なっているに違いない。

 グールドがバッハをよく理解しているとしたら、それは、バッハの残した楽譜は、ある音楽の魂を歌うためになした一つの演奏だ、とグールドが見做している点においてである。

 その魂というのは、バッハのものとも言えるし、そうでないとも言える。

 はっきりしていることは、バッハの作曲行為はその魂の最高の演奏だった、ということである。

 それがわかっているから、グールドは、同じ演奏家として遠慮せずに、その魂の音化に没頭する。

 それではもう、その魂はグールドのものとなってしまう。しかし、それでいい。感動とは、何かを捉えている心の形とも言えるし、また何かに似せ得た心の形だとも言える。

 何かに対する自分の心的な手ごたえがあったのである。

 それを音符に変化させようとした楽譜も、それを楽器の出す音に変化させようとする演奏も、更にもしかしたら、それを摑もうと楽譜の中に演奏の中に深く分け入り、聴覚を超えてそれに耳を傾けようとする聴取も、魂の感動の実現を目指しているという点で、同等の演奏行為であるだろう。

 グールドの演奏には、そんな開放感がある。

 

 グールドは、バッハのことを、いかなる時代にも属さない作曲家だと評している。

 バッハの音楽は特定の楽器に縛られない。ジャズやロックの演奏家がバッハを弾くことが少なくないという事実は、バッハの音楽の特性をよく物語っていると思われる。

 バッハの音楽は時代から自由である。バッハにとっては、自分の時代の技法で行なう譜面化も、自分の時代の楽器と奏法で行なう音化も、同様に、音以前のあるもどかしい手ごたえに対して行なう演奏だったのだから。

 しかも、バッハほど、自分の時代の技法ばかりか、自分の時代より前にあった技法を、自分のものとし得た音楽家はいないとも思われる。晩年にはひたすら過去の音楽の大家として生きた、と評伝に言われている。

 時代の先端を行く音楽家としては、息子のカール・フィリップ・エマヌエルのほうが有名になっていた。ハイドンもモーツァルトもベートーヴェンも、カール・フィリップ・エマヌエルのクラヴィーア・ソナタを範として、音楽家になった。いち早く古典派音楽への道を示したのは、彼である。

 父バッハのほうは、そういう簡略化されたホモフォニーへの傾向を進むことからは身を引いてしまった。当時の人々の耳には既に時代がかって難解になっていた技法、バッハらしい楽譜の縦横にびっしり調和の糸を張る技法をひたすら磨き続けた。

 バッハの伝記を読むにつけ思うのだが、バッハという人物は、どう見ても、現代人のいわゆるアーティストとかミュージシャンとかとは別のタイプの人間で、譬えるなら、矜持を知る職人の親方なのである。

 正にバッハは、代々、音楽職人を続けて来た家に生まれ育った。若い頃から、どんなに目新しい技法でも、それを使いこなせないとあってはバッハ家の名が廃るとばかりに、腕を磨いた。

 そういう職人バッハが、今や時代が単純な形式へ移りつつあると知るや、こちとら技を磨くに忙しいんでぇ、と言い出したとしても、何の不思議もない。ところがここから不思議なことが生じた。

 それをグールドは、いかなる時代にも属さない音楽と呼んだ。

 それはまた、別の人から別の呼び方をされている。

 吉田秀和は、晩年に最愛の妻を亡くした。それから十年彼は生きたが、妻を亡くしてしばらくの間は、もう何もかもが嫌になってしまった、と最晩年のインタヴューで話している。音楽評論家の彼が、もう音楽さえ邪魔に感じるようになってしまったのであるが、そういうときでもバッハは邪魔にならなかった、と語っているのである。

 吉田の思いを、バッハだけが伴奏してくれたのだろう。

 それは彼の思いという以上に、彼の死んだ妻の生前の姿、仕種、ふとした言葉、そういった何一つ自分の思いなどで変形したくない妻の存在そのものであっただろう。勝手な感情などを拒絶して残り続ける妻の存在そのものであっただろう。

 彼がそれまで愛して来た音楽の多くは、遂に妻の存在そのものを前にしたとき、まるで見当違いの音を立てた。

 この世のすべてが自分と無縁になって、自分には無意味となって、ただどうしようもない薄ら寒い空気を吹き付けていた。もはや音楽も、その例外ではなかった。

 そんな中、バッハの音楽だけが、無意味な騒音へと化すことなく、儚くかけがえのない存在の伴奏たり得た。

 吉田の身に起きたことは、そういうことだったのではないだろうか。

 この高名な音楽評論家が晩年の一大事において言及したバッハ観は、グレン・グールドがいかなる時代にも属さないと形容したバッハ観と、互いに重なり合うようであり、考えさせられた。

 

 バッハは、例えばベートーヴェンとどこが違うのか。

 これについて、グールドはこういうことを言っている。ベートーヴェンを弾こうと思ったら、まず自分を繭の中に閉じ込めて、ベートーヴェンを弾くための心の準備が必要となる。でもバッハを弾くのだったら、いつでも気軽に引き始めてしまえばいい。バッハの音楽はこちらの思惑を超越して進行する、と。

 その音楽からほんの数秒の断片を取り出しても、それがバッハのものであることを当てるのは容易である。他の音楽家のものでそれをやってみると、ベートーヴェンの名曲であろうとも、意外に難しい。

 バッハの音楽はどこを切って取り出しても、バッハである。たとえその曲名を当てることが出来なくても、バッハの曲はどれを聞かされても、バッハのものとわかる。

 全体の構想がまずあって、それから作られている音楽に対し、文学で言う文体がまずあって、始めてしまえばそれが増殖して行き、いつ終わってもいいし、いつまで続けていてもいい作られ方をしている音楽。バッハの音楽はそんなふうに聞こえる。

 部分がすでに全体となっているような音楽、と言えるだろう。

 それだったら、ベートーヴェンが単純な音型一つから、その展開を執拗に追求して、壮大なピアノソナタや交響曲を構築することで、実現していた。確かにそうなのである。けれども、それは自然な展開とは言いづらい。ベートーヴェンのみに可能な力技のように聞こえる。そこが、ベートーヴェンの魅力なのである。

 ベートーヴェンはモチーフに、展開という名の圧力を加えて行って、遂に爆発を起こさせているのであって、この過程を作曲することが彼の音楽の推進力になっている。

 グールドはベートーヴェンのピアノソナタもたくさん録音している。僕はそのうち、最後のソナタ第三十二番が好きである。これは二楽章編成の、型破りなソナタである。

 第一楽章で力を加えて推し進めて来たモチーフの展開が破裂し、第二楽章で、音は天にちりばめられる。厳かに星が明滅するかのようである。

 ベートーヴェンには、力技が、遂に天へ通じる瞬間があって、それを聞いていると、もう他の何物にも代えられないという気持ちになる。

 しかし、バッハの作るメロディーの、縦横に濃密に絡み合った音楽世界は、多声へと弾けながら、縦に懸かった力を鳴り響かせる。これはもしかして、ベートーヴェンの力技とその果ての天の星の瞬きとをまとめて、曲の開始と共に一挙にもたらしているのではないか。

 バッハの大作、マタイ受難曲の冒頭の一音が鳴り出すや否や、僕は一足飛びに音楽の最高到達地に立ち入って、身を委ね始める。ベートーヴェンが緩徐楽章で見せる硬質な星の瞬きとは、何か異なるようである。

 ベートーヴェンの崇高な響きは、天の口を割らせて、天をも歌わせようというベートーヴェンの力技が、天にこつんと届き得た瞬間の証しだと思われる。片やバッハは、天を鳴らせようなどという意図を持っていないのではないだろうか。

 イエスの最後を描いたマタイ受難曲を、隅から隅まで、なんど聴き返しても、鳴っているのは地上の有象無象である。

 敢えて言うなら、バッハは地上の喧騒によって、音なき天を伴奏しようとしている。

 音楽は伴奏に尽きる。バッハに訊いたら、そう頷いてくれるのではないか。

 音でないものを音楽で表出しようという作為が、バッハにはない。音楽は既に地上にある。

 敬虔なニュートンが、神の与え給うた現在の物質世界だけに研究対象を限ったのと、よく似ている。

 音楽を、音楽以外の存在を表わすために使うことは、音楽を消費することになる、とでもバッハは感じていたのだろうか。僕はそんな想像にさえ駆られる。バッハの音楽は何かを表現しているのではないのかもしれない。

 

 最近僕は、好んで無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータを聴く。何かの代替物であることから音を翻させ、常に音楽自体に音を帰着させる技法が、全曲を編み上げている。消え入ろうとする音に聴力が引きずり込まれることで生じる逃れようのない経過が、サラバンドを奏でている。

 音楽が何かの代わりであることを辞め、ただ僕達の生き死にと共にある存在となるとき、一体僕達は音楽が何を表わすことを期待すると言うのだろうか。

 僕は、音楽を音楽に立ち帰らせるために、ひたすらスピーカーにしがみつく。

 音楽が音楽に帰し、ただの音楽となり、それでも空気が振動するだけの現象とならずに、音楽として僕に聞こえる。それは、音楽が、音にならない何かの伴奏としてあるからである。

 音にならない何かを表わそうとする音楽。その何かと共にある伴奏であろうとする音楽。二つの音楽の違いは、言葉の上での問題に過ぎないように見えるかもしれない。でも、グールドがそれをはっきりと、演奏するときの心構えの違いとして語っている以上、峻別しなくてはなるまい。

 今にして思えば、バッハ聴取の経験は、僕にその区別をずっと迫って来ていた。

 音楽に必死に耳を傾ける。思えば、音楽に込められた何かを探ろうという魂胆でそうしていたのではない。ひたすら僕は、音楽を消費するまいとして、そうして来たのである。

 人間はすぐに考え始める。ついうっかりと存在を手放して、意味に持ち替えている。しかもそうしていることに気が付かない。

 音楽を聴いていても、僕は知らぬ間に、意味に、あるいは音型のパターンに誘われる。知性が、聴くことを省略しようとするのである。

 バッハの音楽は、こういう傾向に逆らう力で出来ている。それは、音楽そのものであり続けようとする力で成る音楽である。

 もう一度書いておくが、グールドはこう語っていたのだった。バッハを演奏しようとするなら、何ら構えることなく、弾き始めてしまいさえすれば、音楽がそれ自体の力で進んで行く、と。今ならよくわかる。

 一方、グールドが言うには、自分を繭に閉じ込めて、気持ちを奮い立たせないと弾けないという、ベートーヴェンの音楽があった。その音楽がついに繭を破裂させて、星空に散り、氷をこんと叩くような硬質な音を天に響かせる。

 最後のピアノソナタの第二楽章で、ベートーヴェンの力技がとうとうそこにまで到ったのを聴くとき、バッハと対比させうる音楽家は、やはりベートーヴェンしかいない、とわかる。

 レコーディングスタジオで、グールドはきっとこれを、切なげな恍惚の表情で虚空を見上げながら弾いたのだろう。

 実に孤独な音楽である。

 ピアノ演奏の達人でないと様にならない曲である。

 バッハを演奏するには、必ずしも達人でなくても構わない。

 楽器の都合に一切お構いなく書かれたバッハの曲は、ある意味、演奏するのに最高難度の技巧を必要とする。しかし、下手糞な初心者が弾いても、素人の集団が合奏しても、それなりに楽しめるし聞けるのが、バッハの曲なのである。

 地上の何もかもが歌であって、それは音でない何かを伴奏している、と信じて作曲されているからなのだろうか。もしもグールドに言わせたならば、バッハによる作曲さえも、そういう伴奏の一つだと答えたはずである。

 バッハによる楽譜も、自分がピアノでするその演奏も、全く同等の伴奏だと見抜くことで、グレン・グールドは独自のピアニストとなったのである。

 

 グールドの考えを突き詰めれば、そもそも僕達は誰もが演奏家だと言っていい。僕達のすることなすこと一切が、何かを伴奏している。

 そんな中で、音楽家となって演奏するとは、本当はただ、それを意識的に行なうことだったわけだろう。誰もが伴奏している。これを聞けるものにするのに、一手間必要なだけである。

 実際、グールドはラジオドキュメンタリーを三作製作している。北国で暮らす職業も性格もばらばらの人間一人一人に詳細なインタヴューを行なった番組なのだが、彼等の語る声を録音したテープを編集する際、グールドはそれぞれを音楽の各声部と捉えた。ドキュメンタリーは話し声によるフーガの如き形に仕立てられた。

 物好きの仕業なのではない。この世の物事すべては、何らかの伴奏として存在する。

 では、なぜ北国の生活を取材したのか。なぜ、北でなければならなかったのか。

 それは、隠遁の地でありかつ閑散とした故郷である北の大地の、孤独な住人こそが、研ぎ澄まされた伴奏者だという、カナダ人グールドらしい思いがあったからである。

 さて、北の住人達の声は、グールドが編集を施し、音楽紛いの形に仕立てたことで、言葉としては台無しにされたのだろうか。

 とんでもない。彼等の言葉は、北という理念を伴奏する音楽とされたことで、単なる意味に堕することなく、それぞれがオリジナルな言葉となって響いた。

 僕達が生きるということは、物質の合成分解で説明される変化とは別である。それは僕達が、演奏できない何かの伴奏として、何かと共にある存在だからである。

 僕達は、何かを表わし何かに成り代わってしまうことを、妨げられている。何かが抵抗している。この事態に直面することを、音楽においては、耳を澄ます、と言う。

 人生はオリジナルでなければならない。耳は置き換えられないこの手応えを追う。

 この手応えを取り払った上で可能な意味と論理などは、もれなく人生の無意味さに逢着して終わる。

 説明は存在ではない。人生を説明に掏り替えてしまう人生の消費に抗うことこそ、人生の真髄、伴奏者として生きることの真髄だと言っていい。

 ところが大抵、音楽は消費されている。アドレナリン放出装置である官能に入れる燃料が、音楽だ、と思われがちだから。

 悪いことに、コンサートホールには拍手喝采という習慣が待ち構えていて、聴衆は互いに燃料の大量消費を煽り合う瞬間を逃さない。

 音楽がアドレナリンの放出量に換算されてしまう。

 三十一歳で、ステージで弾くことを辞めたグールドは、以後レコード作りに専念する。レコーディングとラジオ放送制作に大いに関心を持ち、エレクトロニクスの発達した社会生活に大いに期待した。

 彼の死後四十年経った現代、期待に反し、音楽がかつてなく消費される時代となっている。彼が譬えている音楽のあり方の理想は、録音した後、缶に仕舞い込まれる音源テープの姿だった。

 それともう一つ理想のあり方を言うと、たった一人、自分の部屋で夜を徹して弾くピアノの音だったことだろう。

 全く利用したり、されたりすることのない純粋な存在としての音楽。そういうものに憧れ続けた。それが彼の人生だった。

 彼はバッハに憧れ、バッハになりたかっただろうか。

 どうも、そうではないように感じられる。

 彼は恐らく、ゴルトベルク変奏曲になってしまいたかった。

 人生とは伴奏である。自分の人生を何かの伴奏としようと決意したときが、ゴルトベルク変奏曲を録音してデビューしたときだった。しかし、最後にもう一度それを録音したとき、逆に彼は音楽のほうを、地上でなされるあれやこれやの人生の中の一つである自分の人生に化した。

 ゴルトベルク変奏曲となって、グールドは僕の真横に降りて来た。互いに耳を澄ませて、人生という合奏をするために。

 グールドの演奏が教えてくれたことは、要するに、存在は存在しているだけでは足りない、ということだった。歌わなければならない。

 

 存在は互いの伴奏者となって、初めて純粋に存在たり得るのである。

 

 

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著者略歴

  1. 渡仲幸利

    1964年静岡県生まれ。随筆家。著書に『観の目』など。

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